第6話

 青い月が輝く深夜、神ヶ島の海を臨む小高い丘の上から、篠笛を吹く少女が居る。


最初は拙かったその技巧も、数百年経った今ではかなりの腕前になっている。


その優美な音色に配慮してか、海面は穏やかで、波が立つ事もない。


同じ曲を何度か繰り返し吹いた少女は、吹き終えた笛を大事そうに終うと、静かに海を眺めていた。



 早朝4時30分。


大分年月を感じさせるが、未だに美しい艶を放つ木造の家で、少女は独り、浅い眠りから覚める。


他に人の気配はなく、時折、清浄な風が室内を遠慮がちに通り過ぎて行くだけの、寂しい空間。


徐に身を起こした少女は、寝間着からつむぎはかまに着替えると、顔を洗いに外に出る。


室内にも浴室や洗面所はあるが、井戸の水を汲んで顔を洗うのが好きだからだ。


この島の水は、どの井戸から汲んでも、冷たく、美味しくて、肌にも良い。


精霊王の加護があるからだが、村人達も、日頃から常に環境に配慮しているのも大きい。


森や川を大事にし、畑にも農薬を使わない。


必要以上に生き物を狩らないし、自然に返せる物は返し、燃やすごみを極力減らしている。


下水道を造る事さえ避けようとする動きもあったが、それは『保養地でもあり、王族や貴族をお迎えする施設もあるから』というこの少女の言葉で事無きを得た。


洗顔とうがいを終えた少女は、身体の節々を丁寧に伸ばすと、ゆっくりと走り出した。



 「「「コッコッコッコ・・」」」


大きな敷地に、数十羽の鶏が放し飼いになっている。


雨の日は鶏小屋の中で眠る鶏達も、今の時期は外で眠る事が多い。


『御剣養鶏場』


その古びた木札が掛かる敷地に着いた少女は、柵を開けると声を上げた。


「さあ、今日も元気に散歩してきて。

余計な物まで食べちゃ駄目だよ?」


あねさん、俺達、まだ朝の雄叫びさえ上げていないんですけど・・。

来るの早過ぎません?』


この養鶏場のぬしであり、和也から特別な力を与えられた雄鶏おんどりである『ダンサー』が、やれやれといった感じで身を起こす。


「昨夜は青い月だったからさ、今朝は1年で1番目覚めが良い日なの。

そんな日に朝寝坊なんて、勿体ないじゃない」


『人間は、無駄や浪費が贅沢なんじゃないんですか?

早く起きても、やる事は変わらないでしょうに』


「ダンサー、あなた、考える事が若過ぎよ。

良い大人は、下の者や子供達には背中で語るものなの。

あなたが早起きして、村の田畑で害虫を取り除けば、皆もそれを見て育つから」


『へいへい。

老骨に鞭打って頑張りますよ』


「ちゃんと働いてくれれば、御剣様がお目覚めになられた際に、あなたの頑張りもご報告しておくから」


『そう言われちゃ、絶対にサボれませんね』


ダンサーは朝一番の雄叫びを放つと、起き出した皆を連れて、村の田畑へと歩いて行く。


「さて、私も掃除と卵の回収をしなくては」



 私の名は菊乃。


平民なので、名字は有りません。


そんな私ですが、肩書だけは、この神ヶ島の領主代理。


序でに用心棒も兼ねてます。


まあ、それはほとんど必要ないんですけどね。


御剣様の結界が張ってあるから、この島には悪人は入って来れないし、外部からの攻撃に晒される事もないので。


『神兵』最後の生き残りである私に課された、義務みたいなものです。


時々、雪月花が関係する争いの助太刀を依頼されて、よい臨時収入も得られますからね。


勿論、こちらに正義がなければ、幾らお金を積まれても助けませんよ?


何代も前の天帝であった白雪とは親友同士だったし、その遺言で、彼女の子孫達を見守る役目もしていますから、争い自体は好きではないんですけど、是許こればかりは仕方ありません。


せめて、必要以上には近付かないようにしています。



 私の肩書には、もう1つ、とても大事なものがあります。


『御剣様ファンクラブ会員、ナンバー3』


これです。


一桁ナンバーだから、かなりの上位者に見えるでしょう?


でもね、実は3人だけしかいないんです、このファンクラブのメンバー。


入会基準が厳し過ぎるのもありますが、唯一可能性のあったリセリーさんに断られたので、もう3人だけで良いやって。


年に数度、うちの旅館を貸し切りにして、1日中、御剣様の話題で盛り上がるだけですしね。


母が存命の時も苦笑いされておりましたが、今の雇い女将は御剣様を直接ご覧になった事がないので、少しあきれられています。


ただ、呆れられる事はあっても、それだけです。


この島の住民にとっては、どれだけ年を経ようとも、御剣様は絶対的な唯一神。


その事に疑念を挿むような不届き者は、たとえ小さな子供でもりません。


各家の神棚には、大抵、木彫りのご神体が飾られています。


ミューズさんがプライベートでこの地にお泊りになる時、宿代の代わりにと、1体の像を彫ってくださるからです。


御剣様が関係する代物には、彼女は決して手を抜かないので、3泊の滞在では、小振りの像といえど、1回につき1体が限度なのです。


ですから当然取り合いです。


毎回、じゃんけんで最後まで勝ち残ったたった1人だけが、彼女の宿代と引き換えに、それを手に入れる事ができます。


ミューズさんの作品ともなれば、セレーニアやエルクレールでは、その何万倍もの値が付きますから、この島の住民は、かなり得をしていますね。


『蒼き光』の本部に持参しても、先を争って買い手が現れると、以前この島に逗留されたリセリーさんも仰ってました。


御剣様の像ですしね、当たり前でしょう。


私?


勿論持ってますよ?


それも、この世にたった4体しかない特別な物を。


ミューズさんが、ファンクラブの皆とリセリーさんにだけお作りになられた、限定品です、フフフッ。


他の像と一体何処が違うのかは、トップシークレットなので言えません。


リセリーさん曰く、口にしたら破門になるそうです。


私、教団の信者ではなく、御剣様の眷族なんですけどね。



 一般の方をお泊めする私の旅館と違って、主に王族や皇族をお泊めする『花月楼』には、ある特殊な役割があります。


それは、次期天帝の候補者全てをお泊めするという儀式。


白雪の代に確立したもので、善人しか入れないこの島の結界を潜れない者は、その候補者から問答無用で除外されます。


必要に応じて、皇族籍の剝奪すら有り得ます。


喜三郎さんのお父様は、御前試合で皇族の対戦者が行った反則技のせいで、鉱山送りになりました。


身分が極端に高い皇族を罰するのは、容易ではありません。


確かな証拠や証人が複数必要ですし、下手をすると揉み消されてしまう恐れがあります。


そのお庭番として、私と喜三郎さんを伴った白雪は、彼の父親に対する先代の仕打ちをとても恥じており、何度も詫びていました。


そして、以後そのような事が起こらないよう、天帝の名を継ごうとする者達には、必ず神ヶ島に宿泊させて、身の潔白を証明させるようにした。


これまでに四度、ここに来れない皇族が出て、その者達は皆、皇族の籍を抜かれました。


たった一代で国民から絶大な支持を取り付け、それまでの恐怖以外にも、好意で以て民から支えられた白雪。


その彼女が創った制度は、数百年経った今でも有効に作用している。


皇族だけでなく、地方の領主達が自分達の後継ぎを選ぶ際にも使われる事があり、『花月楼』で働く人達は、結構大変なのだ。


あやめさんがご存命の際は、『悪い事をしていなければ良いんだし、彼(彼女)らは飽く迄も序でだよ。あたし達の真の役割は、御剣様と姫様、そのお身内をお泊めする事だからね』と笑っていたけれど。



 私の親友である白雪は、生涯を独身で通しました。


天帝であった彼女には、その子孫を残す義務がありましたが、自分の子ではなく、その兄弟や親族の子供達の中から養子を取り、次代の天帝として育てたのです。


絶大な人気とカリスマ性に富んだ彼女でしたから、国民からはその実子を求める声も上がりましたが、彼女は、それだけは押し通しました。


私が理由を尋ねた時も、上手くはぐらかされて、結局、本音を聴く事はできませんでした。


何だか悲しそうな眼をしたので、あまり深くは追求できませんでしたけれど。


だから、その遺言で見守っているのは、正確には白雪の子孫達ではありません。


私が彼らと少し距離を置く理由も、そこにあります。



 私も決して他人ひとの事は言えません。


婚姻はおろか、御剣様以外の男性とは、2人だけで並んで歩いた事すらありません。


あやめさんからは『しょうがないねえ』と納得され、志野さんからは同志を見るような目で見られ、紫桜様には何度か溜息を吐かれた後、何も言われなくなりました。


でも、仕方がないのです。


勿論、御剣様以外の男性には、異性としての興味が全くありません。


お付き合いするなんて論外です。


ただ、それ以外にも非常に大きな理由があります。


『御剣様ファンクラブ』のメンバーは、他の異性に心を遣るどころか、視線すら安易に向ける事が許されない。


仕事上や、戦闘上などの特殊な場合を除き、興味本位で目を向けようものなら、他のメンバーから白い目で見られ、最悪除名されてしまいます。


発足時はもっと規則が緩かったのですが、御剣様が眠りに就かれた後、彼への貞操、いや、私達は妻ではないので忠誠かな、を示す意味が加わって、そうなりました。


余人が聞けばびっくりするようなルールでも、私達3人にとっては当たり前の事なので、別に違和感はありません。


リセリーさんがそれをお聴きになった際も、『そんなの当たり前じゃない』と切って捨てられましたしね。


ただ、紫桜様のご紹介でお会いした有紗様からは、『推しが強過ぎる』と意味不明の言葉を告げられました。


因みに、ファンクラブのメンバーが御剣様からご寵愛を受けた場合には、その方は脱退になります。


このファンクラブは、飽く迄も御剣様を称え、陰からお支えする者達の集まり。


そこにリア充が居ては駄目のようです。


彼と入浴をご一緒するのは大丈夫なのに、よく分りません。


後で分厚い会員規則集を読み直しておきます。



 雪月花には、皇宮からの連絡がなくても、年に一度は必ず赴きます。


白雪の墓参りをするためです。


本当は、彼女自身は自分の墓を神ヶ島に作って欲しいと望んだのですが、さすがにそれだけは叶いませんでした。


なので、歴代の天帝が眠る霊園まで、いちいち足を運ぶしかありません。


もっとも、転移が使えるので、直ぐなんですけどね。


管理する者以外は皇族しか入れないのですが、私だけは例外です。


毎年、白雪が好きだった花を持参し、神ヶ島の井戸から汲んだ水を墓石にかける。


そして墓前で、彼女がお庭番を伴って悪党退治に向かった際に、その登場を告げるべく、私がその場で吹いていた篠笛の曲を吹く。


それが、彼女が私に書き残した遺言の一部だからだ。


本当に、幾つになっても茶目っけを失わない人だった。


「白雪、気分はどう?

よく眠れてる?

そっちはさぞかし退屈でしょうね。

まあ私も、あまり人の事を言えないけどさ。

あなたが好きな和菓子も持参しようとしたけれど、管理人さん達の手を煩わせるだけだから、今年もなし。

文句を言うくらいなら、早く生まれ変わって来なさい。

害虫以外だったら、どんな姿になってもかわいがってあげるから。

フフフッ」


目を閉じると、両目から僅かに涙が零れる。


遠い過去の、彼女との思い出が映し出される。



 『ええい、何でわらわの胸は育たんのじゃ!

お姉様とはいかなくても、せめて菊乃よりは大きくならんと、(天帝としての)威厳が保てん!』


『態度が大きい分、胸が小さくなるんじゃないの?』


『何じゃと!

妾の何処が尊大だと申すか?』


『うちの旅館を貸し切りにしてあげてるのに、そんな事を言う所。

私だって気にしてるのに・・』


『そなたは何れ子供に戻るのじゃから、それでも良かろう。

妾は既に大人なのじゃ。

大きな胸で、たとえ喋らずとも相手に敬わせる必要がある。

・・宿の事は、済まんと思っておる。

妾が『花月楼』に泊まれば、他の客から身分がバレる恐れがある。

それだけは避けたいのじゃ。

詫びとして、宿代に芋きんを3箱足しているではないか』


『せめて5箱にしてよ』


『人気店ゆえ、一度に3箱までしか買えんのじゃ。

使いの者を、何度も行かせて並ばせるのは忍びないからの』


『3箱じゃ、貸し切り代には程遠いんだよ?

何せ1人分の宿泊費でやってるんだから。

一般用の宿といえども、うちは大赤字なんだからね?』


『民の税から出す身としては、そうそう大盤振舞もできんからな。

友人のよしみで我慢せい。

金が必要なら、雪月花で幾らでも仕事を与えてやるぞ?』


『私がここを離れられないの、知ってるくせに・・』


『鶏の世話の事か?

転移があるのだから、問題なかろう』


『御剣様の島から、なるべく外に出たくないの。

大切な思い出の地なんだから』


『そんな事を申されても、妾にはピンとこんな。

一度も会わせて貰えなんだし・・』


『それは・・眠りに就かれてしまわれたから』


『その前から、何度頼んでも会わせてくれなかったではないか』


『興味本位で気軽にお会いできる方じゃないの。

・・白雪が、御剣様の眷族に加わりたいと言っていたら、私だって、どんな事をしてでもあの方にお願いしたよ?』


『・・それは無理なんじゃ。

何度も言わすでない』


『・・・』


『そろそろ上がるぞ。

このままでは逆上のぼせてしまう』


『うちの湯は、そんなに熱くないでしょ。

歳を取っても、相変わらず身体は子供ね』


『何じゃと!

・・良かろう。

勝負じゃ。

先にを上げた方が、冷酒を1合奢るのだぞ?

言っておくが、あの酒だからな?』


『良いわよ?

じゃあ勝負ね』


眷族の私に勝てる訳ないのに。


フフフッ、ご馳走様。


ちゃんとヒールを掛けてあげるからね。



 『いつもここから海を眺めているけど、そんなにここの景色が好きなの?』


白雪は、神ヶ島に来ると、毎回必ずこの丘の上から海を見ていた。


『まあ、そうじゃな』


『海しか見えないでしょ?』


『・・・』


あの時は気付かなかった。


この先には、元鉱山だった島があるのだ。


『過去を回想するには、静かに海を眺めるに限る。

・・そなたにも、いずれ理解できる時が来るであろう』



 『白雪!

私だよ、菊乃!

分る!?』


『・・そんなに大声で叫ばんでも、聞こえておる。

相変わらず、騒がしい奴じゃ。

・・そなたに、最後の頼みがある。

聞いてくれるかえ?』


『勿論だよ。

何でも言って』


『・・妾の子孫達を、見守ってやってくれ。

人の道から外れそうな時は、そなたが罰するか、正しき道へと導いておくれ。

雪月花を、もう二度と、昔のようにしてはならん。

神ヶ島のような、民が自由に生きられる国に・・』


『分った。

分ったよ、白雪。

約束する』


白雪が、布団から片手をゆっくりと上げる。


それをそっと握り締める菊乃。


『・・色々あったが、お姉様や菊乃のお陰で、最後は笑ってける。

・・楽しい、人生じゃ・・った』


『白雪ーっ!!』



 「・・まだ駄目だね。

楽しい事より、辛かった事の方が鮮明に浮かんでくる。

今夜は御剣様のお側で眠ろう。

紫桜様も居られるし、きっと良い夢が見られるから。

・・じゃあ白雪、また来年」



 (白雪の生前にさかのぼる)


「ここは何時いつ来ても、長閑のどかで良いの」


神ヶ島を訪れた際は、必ずやって来る、小高い丘。


この場所から、遠く海を眺めるのが、彼女が自分に課した義務だった。


この海の先には、元は鉱山だった島がある。


歴代の天帝が、罪人達を死ぬまで働かせた流刑地だ。


そこに送られた者達は、有毒ガスが吹き荒れる鉱内で、粗末な食事と道具だけを与えられ、必死に働かされた。


大した理由も無しに人を故意にあやめるなど、重い罪を犯した者ならともかく、鉱山の人手が足りなくなると、僅かな額の盗みを働いた者、正当防衛で相手に重傷を負わせた者など、本来なら軽い刑罰で済むか無罪となる者達まで、そこに送られた。


勿論、罪人の起訴から刑の決定までの全てを天帝のみで行う訳ではないが、下から上がって来る書類に承認印を押すという、最終決定を下す役割を担っている以上、自分達天帝の責任は重かった。


何せ最後の方は、神ヶ島に送る人員を調整するために、罪人の家族達さえ鉱山に流していたのだ。


彼(彼女)らは、何の罪も犯していなかったというのに・・。


最後まで生き残れた者達は、お姉様の夫である御剣によって救われたが、当然、その何十倍もの者達が、かの地で命を落としている。


自分の罪は一生消えない。


この島で暮らした1年、そして偶に滞在する今でも、己の真の身分を明かす事はできなかったし、今後も打ち明けるつもりはない。


怖いからだ。


仲良くなれた村人達に、自分が彼らをこの地に追いやった天帝だと知られるのが恐ろしい。


その家族を死に至らしめた存在だと憎まれたくない。


情けない事だが、自分にできる償いは、ここで島のある方を眺めながら、心の中で詫び続ける事くらいなのだ。


うっかり涙も流せない。


何時菊乃が、自分の様子を確認しに来るか分らないから。


転移というのは、非常に便利だが、物凄く厄介な能力でもあるのだ。


この身を吹き抜けて行く海風に、されるがままに髪をなびかせていると、何時の間にか側に少年が立っていた。


「・・誰じゃ?」


内心の動揺を必死に隠して、努めて平静に尋ねる。


この島には悪人は入って来れぬから、こやつも悪い存在ではない事だけは確かだ。


全身黒ずくめの恰好をした、黒髪、黒目の少年。


お姉様から伝え聞いた、御剣という神の姿と一致する。


「もしかして、お姉様の・・」


神という存在に対して、気軽にその名を呼んで良いか判断がつかぬ故、遠回しに確認する。


「その通りだ。

名を御剣和也という。

そのままで良い。

自分に対して畏まる必要はない」


直ぐに向き合って平伏しようとした妾に、この少年はそうのたまった。


「初めてお目に掛かります。

妾は雪月花の現天帝、花月白雪でございます」


平伏を止められたので、立ち上がって深く腰を折りながら言葉を発する。


「紫桜が言っていた通り、大分礼儀と人の心を学んだようだな。

・・あれから数十年経つが、未だに己を責めているのか?」


「お答えする前に、1つだけお尋ねしても宜しいでしょうか?」


「何だ?」


「あなた様は、長い眠りに就かれたと聞き及んでおります。

そのあなた様が何故ここに?

お目覚めになられたのなら、後ほど菊乃に知らせても宜しいでしょうか?

きっと大層喜びますゆえ」


「自分は今、約4000年後の未来からここにやって来ている。

目覚めた後、妻や眷族達の様子を過去から流し見て、必要に応じてその過去を修正する作業をしている。

自分が寝ている間にその掌から零れ落ちた、救う価値のある者達に、新たな機会を与えるためにだ。

今この時、この世界の時間は止まっている。

自分を除けば、君だけが活動を許されている。

そしてここでの会話は、君が亡くなる直前まで思い出せない。

他の者に、自分の作業を知られたくはないからな」


「・・左様でございますか。

先程のご質問ですが、妾の反省は、この命が尽きるまで行わなくてはならない、そう考えております」


「やはりか。

だから、紫桜からの(眷族へ推挙するという)提案を拒んだのだな」


「はい、仰る通りでございます。

罪なき者を、陸に考える事もなく大勢死に追いやった妾が、あなた様の眷族に相応しいはずがございません。

菊乃が悲しむのは想像がつきましたが、こればかりは決して譲れない事でございました。

・・妾は、この丘から眺める景色を、一度も美しいと感じた事はございません。

その心に、取り返しのつかない後悔の念を抱えたままだからです。

妾がここから海を眺める時、己の心に浮かんで来るのは、親しくなった者達の顔。

でもその顔は皆、時には怒りで、時には悲しみで歪んでいる。

それも全て、妾の過去の行いが見せる幻想。

どんなに今を正しく生きても、過去の愚行まで、全てなかった事にはできない。

今現在、賢帝と民から称えられる妾も、過去の愚帝と感じられる妾も、同じ人物であるのは、変える事のできない事実。

全ての民から慕われようとは考えておりませぬが、親しき者にすら己の身分を偽り続けているようでは、あなた様の眷族たる資格がない。

・・ですから、今の生を全うするだけに止めたいのです」


「子供を作らなかったのもそのせいか?」


「一部はそうですね。

周囲にこれといった人物が居なかった事もございますが、菊乃との交友が楽し過ぎて、異性にまで目を向ける時間がございませんでした」


「その菊乃は、君が亡くなった後、年単位でふさぎ込んでいた。

自分がここに来るきっかけとなったのも、君の墓参りを済ませた彼女が、その寂しさを自分の眠る側で紛らわせていた姿に心打たれたからだ。

君がこの世を去ってから、数百年後の出来事だぞ?」


「・・・」


「自分が菊乃と初めて出会った時、彼女は人に対して強い警戒心を持っていた。

なかなか他人に近寄ろうとはしなかった。

何故だか分るか?」


「・・穢れし者、だったからでございますか?」


「そうだ。

父親が、病気の妻のために盗みを働いて、この島に流されるまでの菊乃の記憶を垣間見たが、まだ子供だった彼女には、かなり堪えただろう。

より小さな子供達からは石を投げられ、買い物に行けば目の前で戸を閉められ、道端で人に会えば、縁起が悪いと舌打ちされていた。

島に送って来た役人達からも、直接触れられる事なく、棒で突かれていたしな」


ギリッ。


白雪が、歯を食いしばる音がする。


「そんな彼女だったから、自分が頭を撫でただけでボロボロ泣いていた」


白雪が、拳を握り締めて耐えている。


「だが、君と出会った時、彼女は君にその怒りをぶつけてきたか?

彼女は君が天帝だと知っていたよな?

菊乃だけではない。

源やあやめ達だって、経済的な嫌がらせを受け続けた紫桜だって、君に何かしただろうか?」


「・・・」


「制度としての殺人と、個人の行為による人殺しは、明確に区別せねばならない。

死刑制度のある国で、罪人に刑を執行したからと言って、その決断を下した判事や、実際に刑を執り行った役人を殺人鬼と非難するのは無理がある。

彼らは、法にのっとって、被害者の遺族が行う恐れがある無差別の復讐を防いでいるに過ぎないからだ。

だから、まれに宗教的な理由で刑の執行を躊躇ためらう者が居るが、それは国民からの信頼にそむいているとさえ言える。

遺族の中には、法がきちんと裁いてくれる事を期待して、激しい感情を押し殺している者も居るのだから。

執行を躊躇う者は、その職に就くべきではない。

国同士の戦争もそうだ。

国王や元首が決めた戦争で、多くの死者が出たからと言って、それを国王や元首1人の責任にするのはおかしい。

彼らにも、そう決定を下すだけの理由があったはずだし、本当に私欲や個人的な理由で戦を始めたのなら、それをいさめ、止めない臣下や民も同罪なのだ。

自己と相手国の民達の命を秤にかけて、自分を選んだのだからな。

戦で勝利すれば、喜んでその利益を享受する以上、負けた時の扱いも甘受すべきである。

君は天帝として、祖母や母から受け継いだ制度を維持したに過ぎない。

考えなしに承認印を押し続けた責任は重いが、後に心を入れ替え、既存の制度を勇気を持って廃止し、民に謝罪した事は誇っても良いくらいだ。

その後の世直しだって、国のトップがそうそうできる事ではないぞ?

フィクション、作り話ではないのだからな」


「御剣様、そうお呼びしても宜しいでしょうか?

御剣様は、妾が自分で手を下したものではないから、それ程悩む必要はない、そう仰られているのですか?

無実の罪で死んでいった者達に対して、死ぬまで謝罪する必要はないと・・」


「少し違うな。

個人的な人殺しは、その時代の法で裁かれるべきもので、制度としての殺人は、その国全体で責任を負えと言っている。

君一人だけで全て抱え込み、さいなまれる必要はないと。

・・まだ国という存在がなかった太古の時代、何かを得るために他者を殺すなんて事は日常茶飯事であったし、そうしても誰からも罰せられる事などなかった。

人殺しを罪と定めた法が存在しなかったからだし、その時代は力こそが正義だったからだ。

人権などというものは、社会がある程度安定し、成熟性を増してこそ生まれる概念だ。

国が興っても、その国に民を護るだけの力がなければ、その国では、個々人が力を蓄え、敵を排除しなければならない。

その過程で起きた殺人など、誰にも咎める事なんてできない。

相手を殺さなければ、自分達が殺されるだけなのだから。

その時代で、人殺しは良くないなんて口にできる者は、襲って来る相手に無条件で身を晒せる者だけだろう。

恐らく、誰一人、大切な者を護れないだろうがな。

・・君がずっと悩み、詫び続けているのは、君が見殺しにした者達の中に、後に親しくなった者達の家族や知り合いが居たかもしれないからだろう?

もし鉱山送りにした者達の中に、誰も顔見知りがいなかったなら、それ程気に病んだのか?」


「!!!」


「人の世に悪が絶えない限り、それを処罰し、排除するシステムは必要になる。

個人が好きにそうできないのなら、それを代行する制度は必須だし、そもそも悪という概念ですら、国や時代によって異なるのだ。

君が好んでしていた世直しという行いも、君が天帝という立場だから行えたものであって、それを一般の民がやれば、後々問題になったはずだ。

そして悪を懲らしめる制度に対して、誤って無実の者を殺してしまうかもしれないからと、その制度自体に反対する事も正しいとは言えない。

それは問題のすり替えであり、ほんの僅かな可能性のために、大多数の巨悪を放置する事に繋がりかねない。

少数者の救済は、その手続き面で図れば済む。

死刑というのは、抑止力ではなく、飽く迄も刑罰だ。

生かしておくに相応しくないと国が認定した者を、処分するだけの行為に他ならない。

それを望まぬのなら、長い管理責任と共に、地震や火災で囚人達が逃げ出した際などに、その者達が引き起こす新たな殺人などの責任を、国全体で負うしかないのだ。

・・鉱山送りも、そこに送られてしかるべき者は大勢いたはずだ。

ただその手続きや裁定の段階で、問題が大きかったに過ぎない。

自分があそこを潰したのも、その頃には、無実の者や刑の重過ぎる者達で溢れていたからだ。

君が悔やむべき点は、その手続きや裁定において怠けた事であり、祖母や母親の考えを鵜吞みにした事であって、鉱山送りという制度自体ではない。

それが分った上でなら、あとは気持ちの問題だ。

好きなだけ悩み、後悔して、命尽きるまでに決断してくれ」


「一体、妾に何を決断しろと仰るのですか?」


「自分の眷族に加わる事をだ。

最初に言ったであろう。

菊乃の姿に胸を打たれたと。

本来、自分はそう簡単には眷族を作らない。

だが、菊乃の件を抜きにしても、君にはその資格を与えても良い。

島での修業の後は善政を敷いてよく励んだし、紫桜にも懐いている。

ここに来て、君が彼女の提案を拒んだ理由も確認できたことだしな」


「ですが妾は・・」


「だから死ぬまでにと言った。

一度死に、再び生を受けたなら、たとえ前世の記憶が残っていたとしても、それはもう別人と同じであろう。

自分が手を加えなければ、君が何時、どのように生まれ変わるかは分らない。

もしかしたら、こことは異なる世界で、動物や昆虫、草木になっている可能性すらある」


「妾が動物に!?」


「例えだ。

現世で真っ当に生きれば、先ず人として生まれ変わる。

性別までは分らんがな。

・・男性の方が良いのか?」


「いえ、女子おなごでお願い致します」


「君が息を引き取った後、自分は再び君に会いに来る。

その時に、最終的な判断を聴こう」


「それには及びませぬ。

生まれ変われるなら、今度こそ菊乃と共に生きたい。

御剣様の眷族として、お仕え致しとうございます」


「何だか押し売りしたような気がするが、それで良いのだな?」


「はい」


「・・今回は特別に、君に贈り物をしよう。

では、数十年後、君の枕元でな」


消えゆく御剣様に向かって、妾は深く頭を下げた。



 (それから数十年後)


「白雪ーっ!!」


菊乃が妾にしがみ付いて、大粒の涙を流している。


そんなに泣くでない。


『久し振りだな。

己の亡骸なきがらを眺めるのは、一体どんな気分なのだ?』


『御剣様、お出迎えいただき、有り難うございます。

何だか菊乃には申し訳なくて・・。

妾自身も今まで忘れていたとはいえ、結果的に彼女をだますような形になってしまって・・』


ずっと泣き止まない菊乃を見ながら、そっと溜息をく。


『それは仕方がない。

転生したら、芋きんを差し出して機嫌を取るしかないだろう』


『一体何箱要求されるのやら』


『では、そろそろ向かうとしよう』


そのお言葉と共に、視界が暗転する。


次に見えた光景は、何処かの異世界。


光溢れる草原の大地。


まばらに生える花々、林立する広葉樹。


所々に小さな池や沼があり、四阿あずまやが存在し、彼方には山脈もそびえる。


「ここは何方どちらでしょう?」


「自分の夢の中だ」


「え?」


「本来の自分は、今の時間、4000年という長い眠りの中に居る。

その中で、これまでの事を色々と考え、反省し、今後にどう活かそうかと自問自答している。

・・自分が見捨ててきた者達の、怨嗟えんさの黒い雨を浴びながらな」


「神であられる御剣様が反省を?」


「自分だって、悩み、苦しみ、間違う事はある。

人はその能力、人格の全てを含めて神と敬うのかもしれないが、人との関わりを避けていた自分のしてきた判断は、当時の人々には過酷で、酷薄で、死なすには惜しい者達の命を、世界のため、人の進化のためと言いながら、数多く散らせてきた」


「・・・」


「人付き合いがなかったからか、そこで他者がどう考えるかを上手く想像できず、己を基準に判断した故に、人間に対して必要以上に要求する事が多かった。

・・決して、良い神とは言えなかっただろう」


「・・・」


「君の一生が、瞬き1つ分に満たないような時の流れの中で、そんな事を繰り返してきたのだ、自分は。

とてもじゃないが、あの時、君を処罰できるような存在ではなかっただろう?」


「王とは、民に崇められ、民を従えるから王なのであり、民に好かれるから王なのではない。

神とは、奇跡を起こし、人に力を授け、世に安定をもたらすから神なのであり、人を幸せにするから神なのではない。

以前の妾なら、そう考えて、御剣様のお言葉を否定したかもしれません。

でも今は、そのお言葉がとてもよく理解できます。

・・皇宮からほとんど出ずに、民の現状など知りもしなかった以前の妾は、己の下す決定やその言動が、一体どれだけ民を苦しめているかを全く理解せぬまま、結果だけを見て全てを判断しておりました。

神ヶ島で修行して、それがどんなに酷い仕打ちであったのかを早々に理解すると、今度は恐ろしくなり、自己の行いが露見せぬよう、必死に取り繕う1年でした。

顔では笑っていても、心では怯えている。

そんな妾でしたから、島の丘から眺める景色を、一度も美しいとは思えませんでした。

・・妾は、今とても安心致しました。

神であられる御剣様でさえ、迷い、間違う事がある。

人でしかない妾が、全ての民に安寧と幸福を授けようなど、おこがましいこと。

やっとそう思えるようになりました。

罪人の家族というだけで、島や鉱山に送った事実は消えませぬが、妾なりに、それと向き合って生きようと思います」


「・・そうか」


御剣様が、少し嬉しそうな表情をなさった。


「さて、それでは君をここに連れて来た目的を話そう。

今のこの場所だが、本来はあと数百年先に出現するものだ。

エリカ、自分の妻の1人だが、彼女が自分(和也)の夢に入って来て創り出した空間なのだ。

光を意味する場所なので、常に昼であり、その至る所で人々の転生の様子が見られる」


「!!!」


「気付いたらしいな。

今はまだ、ここは本来の『生命の劇場』ではない。

だから特別に、君が鉱山送りにして死なせてしまった者達の、転生の様子を見せてやる。

順番がまだ当分先の者も多いが、そこは自分が手を加えてやろう。

その1つ1つを目で確かめながら、君なりの見送りをするが良い」


「有り難うございます」


涙で、視界が少しぼやける。


「本当は夜の方も見せてやりたいのだが、そちらはもう少しで紫桜が入って来るからな」


「お姉様が?」


「彼女はこちら側には来ないので、安心して良い。

自分は向こうが昼の間だけここに来る。

魔物が居る訳でもないし、その間は1人でも大丈夫だな?」


「勿論です。

・・子供扱いしないでください」


「ではな」


御剣様がお姿を消す。


それに頭を下げてから、この世界をゆっくり見て回る。


池のほとりを歩いていると、最初の光の玉が浮かび上がる。


「おお」


玉の中には、小さな魚が入っている。


「・・済まなかったな。

無事に生き延びてくれ」


広葉樹の側では、玉の中に鳥が入っていた。


「済まなかった。

今度は自由に空を羽ばたいてくれ」


四阿で休んでいると、草原の上に大きな玉が現れた。


中に赤ん坊が収まっている。


「おおっ!

・・健康そうな子じゃ。

平和な国に生まれると良いの。

そちの幸せを、心から祈っておるぞ」


喜びで、涙がにじむ。


あの鉱山の地獄から解放され、今度はたとえ少しでも、より豊かに、安心して暮らして欲しい。


光の玉が天に消えゆくまで、ずっとそう祈っていた。


それからも、数時間から数日おきくらいに、光の玉が現れては消えて行く。


そんな幻想的な世界で、時には微睡まどろみ、時には散歩して、御剣様がやって来れば、共に語らう。


偶にお姉様からお話を伺っていたから、彼が神にしては驚くほど気さくで話し易いかたであるのは知っていたが、こんなに穏やかに笑うとは・・。


丈の短い草原の上で横になりながら、各地で発生する光の玉をおびき寄せ、その様を一緒にご覧になっている。


その玉の中に、人ではなく、虫や魚、動物が入っていようと、向ける視線の柔らかさに違いはない。


菊乃があれ程彼を慕うのも、今は分る気がする。



 (約200年後)


既に自分が鉱山送りにした者達全員を見送り、光の玉が出現しなくなった中で、最近はずっと考え事をしていた。


政治、経済、軍事・・国を担う全ての分野において、過去の己の為政と比較しながら、より良い道、より合理的なやり方を模索していく。


御剣様が話してくださる異世界の有様は、妾の想像力を否応なしに掻き立てる。


人々の暮らし振りや施設の違いだけではない。


そんな思想が?


民主主義?


男女平等!?


首を傾げ、衝撃を受け、うんうん唸りながら、少しも聞き漏らすまいと耳をそばだてる。


昼夜の区別がないので、あれからどのくらいの時間が経ったのかすら分らない。


四阿に腰かけ、その日も御剣様を待っていると、やがてやって来た彼は、開口一番にこう仰った。


「時間だ」


「はい?」


「君の番だと言っている。

転生させるぞ」


「ええ!?

もうですか?」


「現実世界では既に200年が経っている。

そろそろ菊乃をいたわって欲しい」


「そんなに時間が経っていたとは・・。

・・あの、妾は一体何に転生するか、お分りになりますか?」


「ん?

気付かなかったのか?

自分が何のために、君に未来や異世界の事を語ったと思っている。

本来なら、転生者には前世の記憶など残っていない。

虫や動物に生まれ変わって、人であった際の記憶が残っていたなら、それはある意味残酷だからな。

でも君は違う。

ここでの記憶すら持ったまま、同じ雪月花の皇族として生まれ変わる」


「!!!」


「菊乃の為にも、大分手心を加えたぞ。

人間として良い家に生まれるのは確定していたが、性別はともかく、同じ世界の同じ家に生まれるとなると、天文学的な確率だからな」


御剣様が苦笑いしている。


「・・有り難うございます」


腰を深く折り、感謝で震える声でお礼を述べる。


「君と語らう時間は、自分も楽しかったからな」


御剣様の瞳が蒼く輝くと、妾の右手の薬指に、銀色のリングが生じる。


餞別せんべつの品だ。

自分の眷族になる資格を与えられた者が嵌めるリング。

特定の条件が揃わない限り、絶対に外れないし、同じ眷族以外にはそれが見えないようにしてある。

好きな時に意思を込めれば、眼前に光り輝く門が現れるから、それを潜れ。

そうすれば、人生で最も美しい時の姿に固定されて、様々な能力と共に、自分の眷族に加われる」


生じたリングを繁々しげしげと眺める。


菊乃の指にも、同じリングが嵌められていた。


「御剣様は、まだこちらに?」


「自分の眠りは4000年だからな。

寧ろ、これからが本番なのだ。

紫桜や、今後ここにやって来るエリカと共に、己の過去と向き合わねばならん」


「では妾は、菊乃と共に、そのお目覚めをお待ち申しておりまする。

・・本当にお世話になりました」


「最後だ。

君の居た世界の美しさを、その胸に刻んでゆけ」


周囲の景色が一変する。


はらはらと、陽に照らされた小さな花びらを、無数に舞い散らせる桜並木。


その花びらは清らかな川の流れに乗って、小舟の如く下って行く。


樹々が林立する薄暗い林の中で、誰に聞かせるともなく続く蝉時雨せみしぐれ


無人の深い森の中、孤高の如き気高さで、水しぶきを上げ続ける滝。


満月が、その様を穏やかに照らしている。


身を着飾るのは何も人間だけではないと、斜面の樹々が一面に赤や黄色に色ずく山々。


田んぼでは、お疲れ様と言わんばかりに刈り取られた稲がぶら下がり、夕焼けの中、多くの蜻蛉とんぼがそこで一休みしていく。


合掌造りの家々に、深々しんしんと降り積もる細雪ささめゆき


無人の露天風呂から漂う湯煙、樹氷となって朝日に輝く木々。


「美しい」


心にわだかまっていた物が全てなくなった今、その素直な瞳には、世界の純粋な美しさだけが映る。


「元気でな。

遥か未来でまた会おう」


御剣様のそのお言葉を最後に、妾の意識は途切れた。



 『あねさん、何だかご機嫌斜めですね。

何かあったんですかい?』


早朝、鶏達を解放すべく養鶏場を訪れた私の顔を見て、ダンサーがそう尋ねてくる。


「やっぱり分る?

あまり顔に出さないようにしてるんだけど。

・・先日、雪月花に芋きんを買いに行って、列に並んでいたら、前に居る人達の噂話が聞こえてきてさ。

思わず耳を疑っちゃったよ。

天帝の末娘で、まだ7歳らしいんだけど、その子の名前が『白雪』って言うんだよ?

酷くない?

『白雪』の名は、言わば殿堂入り、他の者がおいそれと名乗って良いものじゃないのに。

言いたくないけど、彼女以降の天帝は、どれもお飾りと大して変わらない凡人ばかり。

白雪に頼まれながら、皇宮と距離を置いてきた私も悪いかもしれないけれど、『白雪』の名を使うのに私に何の相談もしなかったなんて」


『姉さん、なめられてますね。

もう一度ここらで、お互いの力関係をはっきりさせては如何です?』


「物騒な事を言わないの。

勝手にそんな事をしたら、御剣様に怒られてしまうでしょ。

その子が生まれた時に顔を出さなかった私も悪いから、後で白雪のお墓参りでもして愚痴を言うだけにするよ」


『やれやれ、『飛苦無の死神』と大陸で恐れられた姉さんが、随分丸くなりましたね』


「そんな渾名あだなで呼ばれてない!」



 「あれ、珍しいな。

命日でもないのに、誰か人が居る」


白雪の墓前に、小さな子供が立っている。


近付いて行くと、その女の子はこちらを見て溜息を吐いた。


「遅いのじゃ」


「え!?」


この子の顔、そしてこの声・・。


「何故もっと早くに会いに来ん?

相変わらず薄情な奴じゃ」


「なっ!」


「てっきり、生まれて直ぐに会いに来るものとばかり思っておったのに。

遺言で、子孫を見守ってくれと頼んだではないか。

・・妾はもう7歳ぞ?」


「・・あなた、名前は?」


震える声でそう尋ねる。


「何じゃ、まさか忘れてしもうたのか?

そのなりで、既に痴呆かえ?」


「白雪!!!」


「・・やかましいわ。

こんな近くで、そんな大声を出すでない」


「白雪~っ」


目の前の子供を、泣きながら思い切り抱き締める。


「・・待たせて済まんな。

やっと心にくすぶっていた蟠りを解消し、こうして転生できた」


「会いたかった!

・・会いたかったよ~」


「土産話も沢山あるぞ?

妾はあちらで御剣様と暮らしておったのじゃ」


「!!!

・・それ、どういう意味?」


「そんな怖い顔をするでない。

死んだ後、御剣様の夢の世界に連れて行かれ、そこで昼の間だけご一緒させていただいておったのじゃ。

・・妾が鉱山送りにして死なせた者達の転生に立ち会い、謝罪をしながら、その合間に色々な話を聴かせていただき、大層勉強になった」


「御剣様は眠りに就かれておいでなのに、一体どうやって?」


「お目覚めになった後の未来からお越しになられたと、そう仰っておられた。

ただ、その事を他に知られたくはないとも仰っていたので、他言は無用じゃ。

遥か未来でお目覚めになられた後、妻や眷族の方々の過去のお姿を流し見られ、必要に応じて手を差し伸べていらっしゃるそうだ。

妾がこれ程早く転生できたのも、前世の記憶を有したまま、同じ姿で生まれてこれたのも、全て御剣様のお力によるもの。

・・妾を思い、お側で泣いていた菊乃の姿に、深く胸を打たれたらしいの」


「嬉しい。

私をご覧になられていたなんて。

・・!!!」


「気が付いたか?

妾も晴れて菊乃達の仲間入りじゃ」


右手の薬指に嵌められたリングを、誇らしそうに見せてくる。


「何だか複雑な気分。

凄く嬉しいけど、素直に喜べない」


「安心せい。

共に過ごしてはいたが、会話をしていただけじゃ」


「それでも羨ましいよ!」


「これからは妾が側に居る。

だから、妾が子供の内は、もっと頻繁に顔を見せるのじゃぞ?」


「・・うん」



 (それから数年後)


「はあ、やっと再びこの島に来れた。

母上の過保護にも困ったものよ」


「それだけ大事にされてる証拠でしょ。

次期天帝は、既にあなたに決まってるみたいだし」


「まあ、反則みたいなものじゃからな。

・・宿に行く前に、あの丘に寄っても良いか?」


「勿論。

ここに来ると、必ず足を運んでいたもんね」



 「・・変わらぬな。

ここはいつも、良い風が通り過ぎていく」


髪を押さえ、白雪が呟く。


「私は夜に来ることが多いかな。

月を見ながら笛を吹くの」


「ちゃんと妾のテーマ曲も練習しておろうな?

天帝になった暁には、また世直しの旅に出るぞ」


「旅?

転移で一瞬でしょ」


「風情のない奴め」


陽を反射して、ゆらゆらと光り輝く海面に目を遣る。


「・・美しい」


身体から、自然と余計な力が抜けていく。


「初めてだね。

ここからの眺めを、白雪がそう褒めるの」


「本当に美しい。

・・妾は、生まれ変わったのじゃな」


「何を今更。

それよりさ、お腹空かない?

芋きん食べる?」


「・・台無しじゃ。

何もかも台無しなのじゃ!」


「何で怒ってるの?

ほら、一緒に食べようよ」


御剣様、この世界は、今でもあの時見せていただいた景色のままです。


お目覚めを、心よりお待ち申しておりまする。


「ああーっ、2つも取った!」

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創造神の嫁探し 番外編 下手の横好き @Hetanoyokozuki

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