著者コラム「神の家族」という呪い

 多くの宗教を持っている日本人は、自分がその宗教に属していることに罪悪感がないらしい。

 私はカルトの三世で、プロテスタントの二世で、カトリックの一世だ。アメリカの精神に育てられ、日本文化で育ち、ヨーロッパの宗教で成人した。私の中で、宗教と国籍というアイデンティティは同一のものであり、ひいては国を侮辱することは、その国の人々の宗教を侮辱することであり、その逆もありうる。私にとって、「真理」は自由になるためのものではなく、呪いであった。

 「エッケ・アマンティウム」のコラムでも少し書いたが、日本のキリスト教徒というのは、自分の都合の良い「可哀相な人」を見つけることが大好きだ。昨今の事で言うなら、コロナ対策に追われた安部元首相、管元首相の政策を徹底的に批判し無能だと罵り、オリンピックには毎日のようにツイデモに盛り上がり、LGBT問題と難民の問題には過剰に反応する。隣人愛がない、誠意がない、と言うのだ。そしていつも、「日本のリーダーを正しく導いてください」と祈る。

 政治的信条や評価は置いておくとして、私はこの問題について、いつも発言していたのだが、どうにもこうにも伝わらなかった。何故かと言えば、それは隣人の定義が、私と彼等で違うからだ。

 彼等は忘れている。安部元首相も、管元首相も、キリスト教の価値観で言えば、「重荷を負った人」であり、「罪人」であり、神の家族として、神に慰められる権利を持っている。そしてその権利は利権ではなく、安部元首相が政治家の家に生まれる前から、管元首相が政治家を志す前から、御母堂の胎内にいるときから与えられている、無償の愛だ。それが、日本のクリスチャンには分からないようだ。

 難民問題もそうである。日本のように閉鎖的で同調圧力が強く、マネージャー曰く、「中学校での教育実習で一番心に残った言葉は『受験に関係ないから中国は汚い国って教えて良いんです!』だ」と。その発言が本当だとすれば、日本は国際人と世界平和を教育目標に掲げる社会科の教師こそが、進んでヘイトクライムの種を埋め込んでいるのである。その理由は、その民族との間に戦争や対立があったからではない。『受験に関係ないから』、子供の認知の歪みは正さなくて良い、と、未来の教師に教えたのである。更にこの学校の教頭は、日本の国防を担い、平和活動も行う自衛隊による国際協力を教えた場面で、「自衛隊の話は不愉快に思う家庭の子がいるから止めてください」と言ったそうだ。

 分かるだろうか? 日本のクリスチャンと呼ばれる人々は、こんなにも目の前でヘイトが行われ、自国民が自国民の職業差別をする、そんな隣人愛からはたはた離れた悍ましき罪悪を見逃し、やれ、可哀相だから難民を受け入れろだの、可哀相だからLGBTを受け入れろだの、夫婦別姓、皇室廃止論、辞職に逮捕、ナントカ後進国日本だの、挙句、「アベ政権を許さない」「アベ政権を受け継いだスガ政権を許さない」アクキーの勧誘、教会に置かれる共産党後援のNPOパンフ…。枚挙に暇が無い。

なんと愚かな無能どもか! 悍ましいことだ! それでも私は、彼等と同じ『神の家族』なのだ!

神の家族になるということは、刑期を終えた元受刑者の支援をしたり、ホームレスに炊き出しをしたりすることではない。自分を気持ち良くさせてくれる事ではない。自分の意見を否定する人々を受け入れ、彼等を尊重し、己がアイデンティティを否定されても、徹頭徹尾彼等をゆるし、全てを肯定する。そんな生き地獄の世界だ。今の教会がやっているのは、健常者目線で障がい者を『招いてあげて』、『教えてあげて』、重要なところは全部自分で持っていくか、お涙で誤魔化す社会活動と同じだ。

宗教と国籍が結びつく私にとって、『クリスチャン』と呼ばれるのは不快だ。私は『カトリック』でも『キリスト教信者』でもない。私は『キリスト信者』である。彼等にこの言葉の違いは分からない。

彼等に問いかけたい。『貴方はアベとスガの隣人ですよね? クリスチャンなのですから』と。




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ある村の話~神の愛した男外伝 PAULA0125 @paula0125

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