有り金を盗まれた、とある役人の話

 その年は雨が多く、ローマ帝国領は各地で水害が起きていた。細かい政治の話は、末端一役人である自分には分からないことだが、ともかくその年だけでも、税金を多めに取らないと国が回らないらしい。だが、初めから周知させると、暴動が起きる可能性がある。だから、必然的に、増えた税金は、自分達がどこかから材料を持ってきて、作らなければならない。

「何十年か前にも飢饉があって、その時もイスラエル人の女子供を掠ったんだけど、ありゃあめんどくさかった。」

「その年の春だったか秋だったか、とにかく少し寒い時期だったんだけど、王サマがご乱心してな。人狩りをした後だったもんだから。子供はいないわ、まともな女もいないわ、男どもの抵抗も激しいわ………。」

「だからって根こそぎ持ってってもダメなんだ。こういうのは数学が大事なんだよ。お前、アテネで勉強は?」

「ないっす。…あ、葡萄酒が空ですね。お注ぎしますよ。」

 自分は今日何度目かの質問に辟易しながらも、真剣な眼差しを作って答えた。とぽとぽ注がれる葡萄酒は、ほんのりと赤く、杯の底の傷が見えてきている。

「男一人あたり、七人の女がいないとダメだ。で、それが最低でも十組。これを切ると、イスラエル人は絶滅しちまう。」

「連中、ぽこぽこ産んで、ころころガキが死ぬからな。多めに見積もって三十組残しといてもいい。」

「まあ、ガキが死ぬのはドコも一緒よ。男子を掠うと、積もり積もって暴動になる。あそこは誰でも、自分の家系図が言えるくらい、家系にうるさい。家系を継いでいく男子を掠うとめんどくさい。」

「だから、連絡を密にしないといけない。どの村でどれくらいの女を取り上げたか、子供を連れてきたか、ロバを引き連れていったか、そういうヤツだ。」

「『それを持ってかれたら生活できない』っていうが、それは『今』に拘ってるからだ。今より少なくなったら生活できる、なんてのはザラだ。遠慮無く持って行け。」

「はい、分かりました。あ、お代わりどうぞ。」

「でもその例外というのが、数十年前の………。」

「そう、あの人狩りの後!」

 と、まあ、こんな具合である。フェニキアまで税を取り立ててきて、後はユダヤの方まで南下し、そうしたら今度は船で島々を巡ってローマに帰れる。ここに来るまでに大分疲労も溜まっているだろうから、と、隊長が飲酒を許可したのはいいのだが、うっかり娼館に行く機会を逃してしまい、今に至る。そんな自分が産まれる前の話の愚痴を聞かされても、何と言えば良いのか分からない。しかもそのような話題は、ローマでは聞いたことがない。

イスラエルはローマの神殿に詣でない代わりに、ローマに税金を納めるという、ちょっと変わった自治区だ。だからこの土地には、ローマから派遣された総督と、イスラエルの王朝の王がいる。当然あまり、仲が良くないらしい。当てつけなのか、それとも金持ちの性なのか、この土地には取税人というローマへの税金を代納するのだが、彼等はどうも不正を行っているらしい。同じイスラエル人から、である。その為、取税人を通してローマへの不満も溜まっていると聞く。

 下手な情を見せれば、殺されるぞ、と、引退した上司が言っていた。あの上司こそ、その数十年前の人狩りとやらを知っているだろうから、この出世街道を外れて数十年の無能親父達は彼に愚痴を言えば良いのに。

「お前、アテネで数学はやったか?」

「やってないです。…あ、どうぞ。」

「おう、ありがとよ。…そいでな、数学は大事なんだぞ。なんでかっつうと………。」

 早く酔いつぶれてくれ、と、葡萄酒をさっさかと空けているのだが、先ほどからこの酒場の奴隷達がびくびくとこちらの様子を窺っている。恐らくもうそろそろ葡萄酒が尽きそうなのだろう。自分も彼等のために早く酔いつぶれて貰いたいと思う。このツィポラは、北部イスラエル一栄えている。明日の徴税に響くような消費はよくない。自分は確かに計算は出来ないが、『金を落とした後に納税を迫る』のは悪手だというのは分かっているつもりだ。

 しかし、こんな水で延ばした酒では、この親父達は酔いつぶれないだろう。

「あの時の国王ッてのぁ、今の国王のちちおやだっけ?」

「おじじゃなかったっへ」

「ろうらっけ………。」

「………。」

 やっと寝てくれた。大丈夫だ、と、奴隷達を追い払うと、奴隷達はホーッと胸をなで下ろしてへたり込んだ。…彼等も、明日の税の取り立ての如何やによっては、ローマ行きだ。

瓶の中を覗くと、半分ほど葡萄酒が残っているが、もう水も同じだ。付き合いきった自分への褒美に、杯一杯分だけ、葡萄酒を頂戴し、店に親父達の財布の中身をごっそり全部置いておいた。ついでに親父達も置いてきた。少しは卑属民に灸を据えて貰う屈辱を味わった方が良い。


 翌日、ツィポラですら、税金の取り立ては上手く行かなかった。女子供、ロバに馬、そんなものを取り上げても、輸送費がかかって、逆に赤字になったりする。

ツィポラは、自分が兵士になったころ聞いた話では、息子の建築王が拡張工事を行ったとかいうことで、それなりに栄えて、北部イスラエル一の地方都市になるだろう、とのことだった。実際に来たのは今回が初めてで、本当に以前に比べて栄えているのかは分からないが、少なくともローマの一部としてはそこそこ恥ずかしくないくらいなのではないだろうか。老成し、何人もの弟子がいるような哲学者に、若者が挑むのは良いことだと思う。ツィポラはその程度の街だ。

「さて、明日はここから南に行って、サマリア地方、ユダヤ地方と回り、海路になる。もう少しだから、頑張り給え。それと、昨日のバカのように有り金を全て使って身ぐるみを剥がされたりしないように! 偉大なる神、皇帝陛下に従う人民であることを忘れるな!」

 1日の終わりに、隊長がそう号令をかけた。気合いを入れて返事をしたが、隊長の顔は苦々しい。恐らく昨日の親父達の醜態が、非常にキているのだろう。自分は何も知らないので、知ったことではないが。自業自得だから、と、あの親父達の絡み酒に辟易していた同僚達に妄想を聞かせてやったので、今頃奴らは、酔っていたでは済まされない事態になっているはずだ。

「はー、しかし良い気分だなあ、おい! あの酒乱が同時にいなくなるんだから!」

「なあなあ、俺達も羽延ばそうぜ。」

「無理っす。自分、明日、ナザレ村でいくら集めなきゃいけないのか、計算しないといけないんで。」

 同僚は二人とも、肩を落とした。自分は、数学はアテネの数学者の下でこそ学んでいないが、税金の仕事が出来る程度には学んでいる。ただそう反論すると、昨日の酒乱達は、正解のない、計算で解決できない問題を出すので、学んでいないと答えていただけだ。

 無能を演じるのも疲れるな、そんな考えは、もしかしたらギリシャでは傲慢だの慢心だの言うのかも知れない。しかし、そう考えてもいないとやってられない、というのも、現実だったのだ。

 そうは言うものの、自分とて、全く褒美を考えていなかった訳ではない。計算のお供に、市場で果物か何か買っていこう、と、閉店間際の市場に向かった。取税人が、イスラエル人から通行料を無理矢理取ろうとしているのを尻目に、すっと通り過ぎる。ローマに戻ればしがない役人の自分も、ここに来れば『ローマ人さま』だ。すこぶる気分が良い。

 市場で買った果物は、何だったか。自分の財布の中身はしっかりと数えていた。

 だが、宿舎に戻り、今日の取り立てた分を計算していて気付いた。一人分足りない。否や、正確に言うなら、自分が取り立てたはずの金額が丸ごとない!

 もし掏られたのだとしたら、恐らく市場だ。一人になったのはあの時だし、複数人で動いているときに、一人分だけ盗まれるのは考えにくい。互いに見張っているからだ。

 すぐに自分は市場に走った。流石にもう店主達はいなかった。が、その代わり、落ちている金をあさりに来る乞食共がうろついていた。

「おい、そこの乞食共!」

「ヒッ!」

 身をすくめる乞食達の怯えた顔は、泥と唾液で汚れて真っ黒だった。いつも奴隷に清潔にさせている自分には耐えがたいほどの悪臭が漂っている。しかし、この市場のどこかで掏られたという確信があったので、奴らに詰め寄った。

「おい! 今日、自分の財布が擦られた。正直に返すなら、不問にしてやる。持ち物を出せ!」

 乞食達は何も持っていないから乞食なのだが、その時自分はかなり焦っていたので、乞食達の集めた小銭を全て出させ、襤褸を脱がせ、その襤褸を振らせた。砂と虱が落ちるのが、暗がりでも分かる。襤褸に呷られて起きた風が、強烈な臭いを運んできた。それでも自分はまだ疑っていた。地面に置かせ、更に剣の先で探った。薄くボロボロの服が刻まれていくのを、下着も禄に着けていない乞食達が、肌を摺り合わせながら見ている。気持ち悪い奴らだ。

「………。………。」

 遂に私は、明らかに違う感触を剣の先で捉えた。私は指先でそれをつまみ上げ、それが自分の財布である事を確認し、ドスッとその襤褸に剣を突き立てた。

「この襤褸を着ていた乞食は誰だ!」

 サッと乞食達の目が、道を空けて一人の乞食を見つめた。驚いている、というより、蔑んでいるようだった。そりゃそうだろう、巻き込まれて自分達の一張羅までズタボロにされたのだから。

「おう…お、あ、あ、う!」

 乞食はどうやら、舌が回らないらしい。身振り手振りで無実を訴える。しかし口が効けようと効けまいと乞食なんかを裁判にかけてやるのも面倒くさい。仕事が増えて恨まれる。自分は怯えて、足を引きずりながら逃げ出した乞食を追いかけて、背中を蹴り飛ばし、地面に転がした。

「うああああーーーー!!」

「やかましい、乞食が!」

 違う、おれじゃない、無実だ、と、叫んでいた。だが自分には、それを確かめる気も能力もない。文字通り、斬って、血を払い捨てた。怯える乞食達を退かし、奴らの触った汚い小銭を根こそぎ奪う。

「あ、あの、それは………。」

「手間賃だ! その乞食のせいで、財布を新調しなくちゃならん!」

「そんな………。」

「文句があるなら、税を納められるようになってからにするんだな!」

 自分はそう吐き捨てて、市場を出た。不機嫌で、武器を持ったローマ人がいる、と、辺りは静まりかえっている。なので、乞食達の話し声が聞こえた。

「なあ、よりによって、あいつが財布擦れたと思うか?」

「あいつは骨が曲がってて、走れないんだぞ。かっぱらいの手伝いだって禄に出来やしない。」

「…なあ、そういえば、あいついなくないか?」

「ああ、あいつなら、明日兄ちゃんが来るから早く寝るって言ってたよ。腹も痛いから、明日のパンは買いに行かないってサ。」

 乞食なのに家族がいるのか、と、その会話は、自分の中に何故か心に留まった。


 朝が来て、私達はナザレ村に徴税に行った。案の定、全ての家が税を払えず、その後の他のどの村よりも、モノで代用した家が多かった。

 ―――いや、違う。

 確か、一軒だけ、金で払いきった家があった。隙間風の多そうな家で、泥で隙間を埋める人間すらいないような、そんな家だった。大工道具を磨くせむしと、何故かその家の女達よりも激しく震えている、変な脚をした男が印象的だった。思い出そうと思えば思い出せる、そんな家だ。

 あの家に、あの村の村長ですら払えないような蓄えが、何故あったのだろう?


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