第5話 高嶺の花は、生かしたまま殺す

 店主は困ったように微笑んだ。店主のいやらしいところがこれだ。悪趣味と評する性質を好む歪んだ嗜好を持つ面も、人好きのする笑顔も、どちらも本物。


 観客のようだと思う。興味の湧いた観察対象に心を寄せて、それらが生み出す悲喜交交ひきこもごもに甘やかな痺れを感じ、場外で酔いしれる。あたしと同じ舞台上にいながらそんな事をして悪びれもしないのだから、悪趣味なのは店主も同じだ。


 ――性善説を崇拝しながら魔法を使うせいか、魔法使いは捻くれた価値観には疎い。店主との相性は、最悪と言っても良いですわね。


 肩をすくめながら、香油の入った硝子瓶に手を伸ばす。魔法使い達は清らかな善いものと接する機会が多く、まるでそれこそが正常で、ありふれたものなのだと勘違いする。魔法を習得する過程で、無意識の内に性善説にとり憑かれるのだ。


 知識として危険を知っていても、それが自分と地続きのもので、いつでもすぐ側に忍び寄ってくるのだと実感する能力を育てていないから。


 中には悪質な環境に長くいたせいで他の環境や人を異様に賛美し、優しそうな人と見ると過信してしまう魔法使いもいるにはいるが。いずれにせよ、温厚でありながら危険な一面を持つ存在に安易に近付いてしまう。


「うふふ。貴方は魔女から見ても、いやな人ですわ。嫌いじゃありませんけれど」


 クスクスと微笑んで、香油を唇に数滴垂らす。花香をたっぷり含んだそれは唇に触れた側から蒸発した。煙は金と桃色の淡い光を放ち、あたしの体に沿って流れ落ちていく。

 光の流線が蔦と花を模しながら指先まで絡んだのを見てパチンと指を鳴らすと、光はフッと消えた。その代わり、瑞々しい生花の香りがあたしを包んでいる。これでしばらくの間、あたしの色香は少女性を重ね、程良い魅力を保てるだろう。


 あたしはこの匂いが好きだ。死んでも美しい色彩を保つ花々の匂いが。薫さんはきっと、定期的に花束を買うあたしも花が好きな仲間だと思っているのだろうけど、それは違う。

 あたしは薫さんの愛らしい期待をヒールで踏み潰すように、水を与えていればまだ生きられる花々を殺して、その香りで自分を彩る事を楽しんでいるだけなのだから。


 あたしは薫さんが好きだ。だけど、薫さんの心になんて興味ない。花に恋い焦がれて周りが見えなくなっている薫さんの、キラキラした狂気だけが好き。もしも薫さんがあたしに心を許して歩み寄ってきたら、興ざめしてしまう。


 あえて薫さんから嫌われるような振る舞いを繰り返してきたのは、必要以上に好かれたくないからだ。魔法使いの前で嫌がる薫さんの様子を見せたのは、気の毒に思わせて、薫さんを元気づける掘り出し物がありそうな紫久璃屋しぐりやを紹介させるため。


 そして、あの花瓶――活けた花が人型になる魔法道具が渡るよう、予め手配していた。そうしてあたしは欲しいものを手に入れた。薫さんは花人間に夢中になり、キラキラした狂気をずっと見せるようになった。


「……ふふ」


 笑ってしまう。好きな人の好きなところだけをずっと見ていられるなんて、幸せだ。


 硝子瓶を両手で包みながら、ランプの橙色の光がてらてらとまだらに照らす店内に視線を向ける。床には花の首なし死体……花茎かけいが散らばって、あたしに踏まれている。そして店主が取り外したフィルターの中には、生気と艶やかな香りを失った花の頭がある。


 あたしがまとっている甘い香りは、花の命そのものだ。薫さんが愛する素敵な花々はこうしてむごい姿になって死んでいくのに、そうとは知らずに薫さんはあたしに花束を与え続けていた。無垢な浅はかさがたまらない。


「ところでアリスさん。ご持参されたその硝子瓶ですが、強烈な魔法がかけられてますね」


 店主はそれ、と、香油を入れた硝子瓶を指差した。魔法道具を長年扱っているからこそ勘づくものがあるのだろう。


「これはハーバリウムの瓶になるんですのよ」

「ハーバリウム?」

「ええ。薫さんと花人間を眠らせた後に小型化させてこの瓶に詰めたら、残している花束の花も小さくして中に入れますの。この瓶の中に入ったものは、永遠に幸せな夢を見ながら若さを保つ……そして中の香油を鏡に垂らす度、あたしはその夢を、つまり薫さんが花人間と睦まじくしている様子を観察する事ができますの。うふふ、素敵でしょ?」


 チュッと硝子瓶にキスをする。店主は片眉を上げて微笑み、拍手した。


「ああ、なるほど。つまり薫さんから未来を奪い、その事を本人に悟らせないようにしながら、アリスさんの嗜好品として薫さんを永遠に生かすつもりですか。良いですねぇ、魔女らしい」

「褒め言葉として受け取らせていただきますわ。香油もいくら使っても減らないようにしましたし、あたしは愛する人の生きた死体を慈しみながら、その人の恋する花々の香りを永遠にまとえますの」


 うふ、と、笑みがこぼれる。頬が熱くなって、呼吸が苦しくなる程に胸がときめく。ああ、恋というものは。


「こんなにも甘美で、グロテスクですのね」


 あたしにすり寄ったりせずに、一心に花々に愛を傾ける薫さんは、あたしにとっての高嶺の花。永遠に咲き続ける、あたしの花だ。

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薫る死体のハーバリウム 結包 翠 @yudutsu_midori

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