文化祭の演劇で僕の恋人役を演じた男(幼馴染)が、劇が終わった後もなぜか恋人役を続けてくるのだが、実はそのひと女の子だった

短編で書籍化を目指す民

実は美少女

 僕はいま、大衆の面前でキスをしている。とはいっても、恋に盲目になっているわけではない。高校文化祭の出し物だ。僕のクラスは、男子校と言うのに白雪姫の演劇。運悪く僕は王子役となった。そしてもっと運の悪いお姫様役は、この学校でもトップクラスに中性的な顔立ちの、「木下実(みのる)」だ。


 みのるは僕と幼馴染で小さい頃からよく知っている。その容姿はハーフと言う理由から潤んだ茶髪をしており男にしては髪が長い。女の子でいうところのボブヘアーにあたる。目鼻立ちもきれいで、唇の発色も良い。昔から女の子とよく間違われていた。性格は大人しくそれに似つかわしい華奢な体格をしている。


 そんな不幸な僕らはいまキスの演技をしている真っ只中だ。ただ演技なので本当に唇を重ねるわけではない。それはごめんだ。


僕らの演技を見て観衆は茶化すようにざわめく。


キスするフリをしていると、おのずと互いの距離は近くなる。みのるからやたらと甘々しい香りが漂い、それが僕の五感を刺激して僕はくらっときた。


 すると、図らずも僕の体制は崩れ、みのるに口づけをしてしまった。必要以上に柔らかい唇。最悪だ。男同士でなんて。すぐさま体制を立て直し、みのるの様子を見てみると、なぜか頬を真っ赤っかにして唇を噛んでいた。拒絶から熱でも出てしまったのだろうか。ただ僕だって嫌だったんだからな。


 そして劇のエピローグ。王子と姫の婚約が成立し終わる。そのとき何を思ったのか、みのるは姫の役に入り込んだアドリブをかましてきた。飛び入るように僕の頬へとキスをし「私を救ってくれてありがとうございます」と言ったのだった。


 何をやっているのだ。このバカは。当然、観衆は悲鳴し僕は悲観する。


 劇が終わったあと、


「おい、なに変なアドリブ入れてるんだ。きもいぞ」


「だって、しぐれくんが先にキスしたんじゃん。それもファーストキスだよ。責任を取るのが男の子ってもんでしょ」


 みのるは反省してないどころか僕のせいだというのだ。女の子のように高い声を出して髪を耳にかけるみのる。男のくせにぶりっ子しやがって、気味が悪い。そして我に帰り恥ずかしくなったのか、みのるは全く僕と目を合わせようとはしない。一発デコピンでも食らわしてやろうか。


「僕のは事故だよ。みのるはわざとでしょ。それにお前のファーストキスなんかどうでもいいから」


「いまにみてろ!」


「なんか言ったか?」


「なんでもないです」



 それから休日をまたいだ月曜日。なんだかみのるが変な雰囲気を出していたので、僕は距離をとる。学校に櫛を持ってきて、暇さえあれば髪をとかしてるのだ。美意識高すぎて引く。それと髪をとかすたんびにシャンプーの爽やかで酸っぱい匂いをこちらに飛ばすのはやめてほしい。ほんとに女の子みたいないい匂いで、僕の頭がおかしくなりそうなのだ。


「がしっ!」


 休み時間。ついに頭がイカれたのか、みのるは背後から僕の首に抱きついてきた。こいつほんとにふわふわとした甘えた匂いがするな。いや、そんなことよりさっさとこの人をどかさないと。勘違いされてもいたたまれない。


「おい、なにをしてるんだ。離れろ」


「しぐれくん、オレの王子様でしょ。スキンシップとって当たり前じゃん」


 身の毛がよだつ。いつまで演劇ごっこをしているのだ、この人は。男子校で育ってついに頭がおかしくなってしまったか。困ったものだ。


「当たり前じゃないよ。正気に戻って」


「わかった。それなら一週間だけで許す。オレの王子様役続けて」


 全然わかってない。僕はみのるの対応に苦慮する。男同士でベタベタなんかしたくない。僕は嫌だ。どうやって説得しようか。


「お願い! お願い! お願い! わた、オレもしぐれくんの頼みごとなんでも聞くから」


 みのるは両手を合わせて必死に懇願してくる。こんなキャラだったけ。頭でも打ったんじゃないかと心配する。はぁ、ほんとに世話のやけるやつだな。


「今日だけならいいよ。そのかわり肉でも奢ってもらうから」


「やった、婚約成立だ。王子様!」


 本当に身震いした。これでみのるが中世的な顔立ちでなければ気絶していたかもしれない。やっぱ断るべきだったか。それに肉を奢ってもいいって、どんだけ本気なんだよ。こんなことまで許してあげる僕の甘さは短所になりつつあるな。考え直さなくては。




「おい」


「だって、いいって言ったでしょ」


 どうしてこうなった…… 僕は今はみのるに腕を組まれて廊下を歩いている。みのるの体の柔らかさと擦れた制服から放たれる甘い匂いを肌で感じる。前を向いていると本当に女の子がしがみついているのではないかと錯覚させられる。ただ目視で彼を確認したからといって錯覚がとけるわけでもない。僕の変な性癖が開発されそうで怖い。


「ヒューヒュー、ついに行くところまで行ったなー!」


 廊下で僕らを茶化す生徒がいた。くそ、なんの罰ゲームなんだ。僕は断らなかったことを大後悔する。あのときに戻りたい。ただ今さら前言を撤回するのも節操がない。我慢するか…… 百歩譲っていい匂いだし。


「ねえ、オレたちいけるんじゃない?」


「いけるか!」




「どうしよう、オレ催しちゃった」


 足をムズムズとさせて尿意を堪えているようだ。白い息を「はぁっ」と吐いて、頬が赤らむ。そして何かを訴えるかのように、目をキラキラとさせてみのるは僕に視線を飛ばした。校内は冷え込んでいて、僕も若干催し始めていたので、連れションすることになった。



 僕らはトイレへと立ち寄った。みのるの歩幅が小さくなってオドオドとし始める。みのるが怖がりなのは知っているが、まさか高校生にもなってトイレに慄いているはずもない。風邪でも引いて身を縮こませていると考えるほうが無難か。


 僕は足早に小便器の前に立ち、チャックを下ろす。


「なっ! ちょっと、バカ!」


「はぁ?」


 みのるはいきなり僕を罵倒したかと思えば、目をジロジロとさせながらポカポカに赤面する。やはり風邪でも引いたかと僕は疑う。


「婚約者の前でおトイレする人がいるか。わぁ、オレは見せらんないよ!」


みのるは一直線に大便の方へ入っていく。みのるにとって、仮にも演技中なのでお姫様としての行動をとりたいらしい。やれやれ、大変な設定だ。


 僕は一分足らずで用を済ませたが、みのるはもう少しかかりそうな雰囲気を醸し出している。しょうがない。僕は先に教室に戻るとだけ一応声をかけてやろう。


「みのるー!」


「ひゃっ!」


 猫がびっくりしたようなか弱い声を出した。そしてゴソゴソとなんだかを地面に落とす音も響く。便器にスマホでも落としたのかと僕は心配する。


「どうした? 平気か?」


 僕はドアの方へ近づいてノックする。


「はっ、だ、だ、だ、だ、大丈夫です。私は……」


 私? 


 みのるは慌てふためいて、僕を遠ざけるように言葉で壁を作る。なんか恥ずかしいことでもやらかしたのか。まあ平気ならなんでもいいか。


「僕は先に戻ってるよ」


「は、はーい」


 カランカランとトイレットペーパーを巻く音。みのるはもうすぐ出そうであった。




「ふぅー」


 トイレから出てきたみのるは、ため息をついて手を洗う。鏡を見て身だしなみを確認しているようだ。僕は出入り口に立って、その様子を伺っていた。


「わぁっ!!」


 僕に気づいたみのるが肩をすくめて飛び跳ねる。まるで女の子が風呂を覗かれたときの反応だ。困惑しながらも紅潮は隠せていない。昔からみのるは恥ずかしがり屋であったがここ最近いつにも増して敏感だ。


「な、な、ななんで、先に戻ってるんじゃ……」


「もうすぐだと思って待ってやったんだよ。なにもそこまでビックリしなくても」


「ど、どこまで、なにを見たんですか? この変態!」


 なんで敬語になるんだ。ハーフの特性か。それに変態って別に覗いたわけでもないし。それに男子がふざけて友達のトイレを覗いたとしても「変態」とは言わないような。


「なにも見てないって。そんなことはどうでもいいから、さっさと手洗いな」


「まってまって……」


 みのるはポケットから櫛を取り出して、髪をとかし始めた。恋人にでも会いにいくかのように入念にとかし、左耳に髪をかける。そして最終チェックなのか、鏡に頬を丸くさせたキメ顔をして満足そうに微笑む。なにをそんなにこだわってるんだか。まぁ価値観は人それぞれなので、とやかく言うつもりはない。


「キマった。どう?」


 みのるの言葉をよそに僕は歩き始めた。


「ちょいちょい」


 駆け足でみのるは僕の横につく。ひっつき虫みたいだな。まぁ、みのるは柔らかい性格なので身近においてうっとうしく思うことはない。なので特段、突き放したりはしない。


「次の授業、体育だったっけ?」


「体育、体育。オレはちょっと図書館に用があるから、先に着替えて運動場に行っといて」


「あぁ、そうなんだ。じゃあ先に行ってるよ」


 僕は教室で体育着に着替えて、運動場に向かう。すっかりと凍える季節になったので、半袖半ズボンは肌寒い。僕は体を温めるため、早歩きする。運動場につくと、とにかく冷える。しかも時間にも余裕があって、ここで授業が始まるのを待つのはしんどい。あいつのところに行ってみるか。歩けば体も温まるし、みのるがよそよそしいのも多少、気になる。


 あったけぇー。図書室に入った最初の感想だった。さて、みのるを探すか。もう教室に行って着替えているかもしれない時間だが。隅から隅まで探したが誰一人としていない。やはりもう教室に行ってるか。


 誰もいない図書室。僕はそれを有意義に感じ、普段は開いていない窓を開けてベランダに出てみた。


――すると、


「あぁあっ!?」


 僕はびっくりして腰を抜かしそうだった。ベランダに人がいたのだ。そして相手も僕と同じように人がいることにビックリして身を縮こまらせて、背中を向ける。


「だれ?」


 僕は冷静さを取り戻して、彼のことを観察する。上裸で真っ白な肌が露わになっている。いまにも溶けそうな体つきだ。肩幅は狭く、胸のあたりに包帯のようなものを巻いている。怪我でもしているのか。そして、この茶髪。みのるじゃねーか。なにを物珍しいことしてるんだ。


「おい、何やってんだ。みのる」


「あ、あぁ。なんだ、しぐれくんかー。なにって別に着替えているだけだよ、体育着に。す、すぐに行くから中でまってて」


「着替えているってこんな寒いところで? 中で着替えなよ」


「う、うん、うん。そうするか、先に中入ってて」


 みのるはそうは言うが、背中を向けてしゃがみ込んだまま微動にしない。本当に怪しげなやつだ。とはいえ僕は無理矢理どうこうする柄でもないので、図書室に戻って待つことにする。


 みのるはすぐに室内に戻らず、ソワソワしながら一分後に制服とリュックを抱えて室内へと入ってきた。


「鼻、真っ赤だぞ。大丈夫? 寒波にやられてないか?」


「はっ! なんでも……ない。平気平気。あはははは」


 僕が気を使うと、みのるは顔を傾け手で前髪をとかす。ダサいところを見られたかのような焦りと羞恥心を演出していた。彼の挙動不審なところが気になり、僕は一歩詰め寄る。


 二の腕をガシッと掴んでみた。すると、魂が抜けたように冷たい。こんな体格では冷え込むのに時間がかからないのであろう。


「ん! どうしたん……だ。しぐれくん、そんなに積極的にオレをわしずかむなんて」


「冷え込んでるじゃん。なんでわざわざ外で着替えてたの? そんなに恥ずかしいのか?」


「別に恥ずかしいとかないし。むしろ寒いのなんて余裕だからだよ。ほらもう行かなけゃ、授業間に合わないよ」


「そうだな。早く行こう」


 まぁなんでもいいや。


 二人で走ってなんとか授業には間に合った。体温も程よく高まり、僕は寒さにも慣れていく。体育の授業はサッカーだ。僕はコートの端であまりボールが回ってこないように配慮した。スポーツが得意ではないのだ。それはみのるも一緒だった。彼にもほとんどボールは渡らない。それゆえじっと立ち尽くしているばかりなので、体温が高まらずみのるは体を震わせていた。寒そうだな。しょうがないやつだ。


 僕はなにを血迷ったのかみのるの背後に回って抱きしめてみた。あんまりにも寒そうにしていたから情けをかけてやりたかったのかもしれない。それに悪戯にもなると思ったし、いい匂いもするし。今日一日だけ王子様役を演じるというのも、ひとつの大きな理由だ。これで遠慮なく肉はいただく。


 みのるはハッと驚きながらも、抵抗する様子を見せずむしろ僕の体に寄り添うように身を委ねた。やっぱり男のくせにいい匂いがするやつだなと改めて思う。花でも抱きしめている気分だ。


「ん、あったかい……」


 みのるがそう言葉を漏らしたとき、僕は我に帰って腕を離した。またなにか言って来るんじゃないかと思って反応をみていた。しかし、みのるは思考停止でもしたか固まったまま動かずに余韻にでも浸っているかのようだった。面倒なので僕はそのままなにも言わずに、その場を去った。




 放課後、僕らは珍しく共に帰った。寒空のせいか互いの距離が近くなっても大して気にならない。


 今日は心がふわふわとして地に足つかない気分だ。これも全てはみのるのせいだ。みのるの体に纏う匂いには人を錯乱させるような成分でも混ざっているのかもしれない。それほどに僕の判断基準が歪んでいる。


「ねぇ」


 みのるが堰を切るように話だす。


「なに?」


「オレたちってどこまでして良い関係なのかな……」


「どこまでってなに?」


「ほらさ…… 性的なスキンシップとか」


「は? なに言ってるの。そんなのどこまでもして良いわけないでしょ。友達なんだから」


「友達か……」


 みのるは立ち止まって感化されたように、白い息を吐いた。彼の中でなにか腑に落ちたようなそんな清々しい笑みをこぼした。僕は十歩先で彼が追いつくのを待つ。彼がジェンダーレスに目覚めているのなら申し訳ないが、僕らの距離がこれ以上に近づくことはない。僕は女が好きだから。


「ふぅー。よかったよ。それだけ聞けて。ほんとに安心した」


 みのるは濁りなく心の底から満足しているよう顔をした。目尻を下げて軽くはにかむ。僕はそれを見て安心した。後を引かずに済みそうだ。


 みのるは僕のところまで歩み寄る。


「最後にお願いがあるんだけど……」


 僕は間近でみのるの顔を見て驚いた。なんとみのるの瞳から涙がこぼれていたのだ。一雫、ちょろんと垂れる。涙とは裏腹に表情はやっぱり微笑んで明るさを保っていた。そこまで思い詰めることがあったとは。僕の心のなかで彼の願いに乗ってやるハードルが下がった。


「なに? 願いことって」


「君と、しぐれくんと一線を超えたいの…… いけないことだけど」


「一線を越えるってなに…… 具体的にどんなの?」


「チュー、して」


 みのるは耳を赤くしながら、上目遣いで哀願するように頼み込んできた。その瞳は鬼気迫る感じだ。


 まずい、まずい。そんなことしていいわけがない。僕は反射的にそう思った。しかし不覚にもこの刹那にみのるの顔が僕の胸をときめかせるほど、かわいらしく見えてしまった。それに流した涙といい、僕をみる表情といい、どれひとつとっても真剣でとても断りづらい。どうしよう一回だけなら減るもんではないけど。とはいえそう簡単にもいかんし……


 みのるは高みかけてきた。


「約束が違うよ。今日一日だけ、オレの王子様でしょ」


 ぐさっと心に刺さった。そんな約束もしてしまっていたか。はぁ、しょうがない。天の気まぐれにもあやかろう。雪が降ってきて周囲の視界も閉ざされてきたので。


 僕はみのるの小さな肩を両手で掴んだ。やわらかくて簡単に壊せそうな体つきだ。みのるは覚悟を決めたようにそっと目を閉じて吐息を漏らす。僕は数秒、ゼロ距離でみのるの顔を眺めて固まってしまう。長いまつ毛、ぷっクラとした唇、異国の匂い。みのると重なる。唇は暖かく胸の底から駆け上がるような背徳感が湧いた。悪くない。変な性癖が開発された。


「んっ」


 みのるは声を漏らす。目を開けたかと思えば極端に斜め上を見て、ぎゅっと制服を握りしめる。それから大きく深呼吸して、手は制服を握ったままご機嫌に背伸びした。みのるは満足そうだ。ここまでしたんだからみのるには絶対に肉を奢ってもらうと決意する。



 それからの帰り道は沈黙が続く。男二人でこんなことをしたのだから気まずくなるのは当然だ。女の子とした場合でも気恥ずかしくなって黙り込んでしまうかも知れないというのに。なにも話さないままは流石に嫌だったのか別れ際、最後に一言だけみのるは口を開いた。


「ありがとう、しぐれくん。元気でた!」


「うん」


 みのるはニッコリと子猫のように笑う。そして真っ白な雪の世界へと消え行った。


 このとき僕は「最後の別れ」だったなんて想像もしていなかった。



  ★



 翌日。みのるは学校へとこなかった。風邪でも引いたんだと最初は思った。だけど結果は無慈悲に違った。


「木下実(みのる)は退学しました」



 担任の教師が朝のホームルームでそれだけ言った。クラス中が唖然とし言葉が出せなかった。急にどうしたというのだ。僕もその例外ではなく現状に理解が追いつかなかったひとりだ。担任の先生には理由を伏せられたので、僕がみのるの家に行って直接聞くしかない。


 学校が終わりしだい、家へと向かった。みのるの家にお邪魔するのは初めてのことであったので、少し緊張した。お互いひとりが好きなタイプなのでプライベートでも数えるほどしか遊んだことがない。


 インターホンを押す。ドアが開いて人が出てきた。みのる? あれ…… 顔はみのるそっくりだが、どうやら様子が違う。前髪に赤色のヘアピンがついている。これは女の子がつけるやつだ。ただ男がつけたらダメというわけではない。


「あ、みのる。退学したって聞いて。話し聞きにきた」


「……」


「話せないことなのか?」


「うちに上がって」


 僕は靴を脱いでみのるの家に入った。すると、僕が脱いだ靴を逆向きに並べたことが気になったのか、みのるは膝をついて僕の靴の向きを出口側へと向け直そうとする。


「ごめんごめん」


 みのるがここまで几帳面だとは思っていなかった。僕はとっさに自分で向きを直そうと手を伸ばした。すると誤ってみのるの胸に手が当たってしまう。


「やっ!」


みのるは体をビクッとさせてうわずった声をあげる。面食らった。本来なら謝れば済む話だがそうはいかない。みのるの胸は柔らかく膨らんでいておっぱいが発育していたのだ。女の子だ。しかも紛れもない美少女。僕は美少女のおっぱいを触ってしまった背徳感と不可解な現状による不安さで頭が混乱した。


 少女は頬を紅潮させながら僕を睨んだ。その目に「恨むからね」と言われた気がした。僕はなにも言うことができず沈黙した。悪気はなかったが怒られても仕方がない。


「こっちきて」


 少女は僕は手首を掴んで導くように奥の部屋へと案内される。不穏な空気で固唾を飲んだ。そして部屋を通されて一番はじめに目を奪ったのは、仏壇とみのるの写真だった。僕は硬直する。


「お兄ちゃん…… みのるは死んだんだ。夏休みに」


 消え入るような声で他人行儀のように少女は口ずさむ。感情が込み上がってこないようにあえて表情を声に出さないようにしてるかのようだ。つめたい。


「え?」


 僕の頭はパンクして少女の言っていることが理解できなかった。けど体は従順に反応し、鼓動が高鳴って胸が張り裂けそうになった。ズンとみぞおちを蹴られたような息苦しさがある。


「私はみのるの双子の妹です」


「夏休みって…… 昨日まで学校に来てたのは……」


「それは私です。どうしてもしたいことがあって勝手ながら潜入してました」


「あぁ……、そーなんだ」


 僕は正気を失って放心した。いまどんな感情になったら良いのかもわからない。平常心を保てない。そんな中、みのるの妹は話し続ける。


「不慮の事故にあってね。突然のことだった。私たちもすぐには受け止めきれず、半身を失ったような虚無感に襲われてた」


「……」


「こればっかりはたくさん泣いて立ち直るしかないよね」


「……」


「それで私のしたかったことってね。しぐれくんに感謝の言葉を伝えることだったんだ」


「え、僕に?」


「うん。ほら、みのるは引っ込み思案で友達とかうまく作れるタイプじゃないから。そんな中、しぐれくんだけがみのると仲良くしてくれたって。喜んでたし、救われたって感謝してた。しぐれくんにね。そしてみのるが事切れる前に、しぐれくんに感謝の言葉を伝えたいって……いってた……」


 妹はそのときのやりきれない気持ちを思い出してしまったかのように、声を震わせ始めた。そのことからも、いかに妹がみのるのことを真に思っていたのか痛いほど伝わる。


「結局、みのるはしぐれくんに伝えることはできなかったから。代わりに私が伝えに行こうと思って。感謝の言葉。でも言うタイミングも難しくて、ずるずると時間だけが過ぎてしまい…… あのとき文化祭の舞台の前で演技してたとき。いまだー!ってとっさに『私を救ってくれてありがとうございます』って言ってしまったんだ」


 なんだそういうことだったのか。夏休み明けからやけに女の子らしくなったなと思っていたら。全てが腑に落ちた。と同時に肩の力が抜けた。誰かの手のひらで踊らされてた気分だ。


「わかった。今日はちょっとあれだから、また後日、みのるの墓参り行ってもいい?」


「うん。今は動転してるよね。私がお墓まで案内するから、またウチまでおいで」


 僕は靴を履いて扉を開いた。妹は僕を見送ってくれている。僕は家を出た。扉がガシャっと閉まる。ただ僕はひとつ気になることがあった。はっきりとさせないまま帰るのも釈然としないのでやっぱり聞いておきたい。僕はもう一度、扉を開けた。すると、目の前に妹が立っていて顔と顔がぶつかりそうになった。


「「あっ!」」


 僕らは一定の距離を取り直して、沈黙に陥る。僕から喋らなくては……


「そういえばさ。あのキスはどんな理由があったの? 昨日の別れ際にしたやつ。君から誘ったよね」


「あ、あ、あれはそのー。しぐれくんが劇で私のファーストキスを勝手に奪うから、ムラムラしちゃって…… 勢いに任せてもう一回くらいやっちゃっておこうかなと。えへへ」


 妹はしんみりとした顔から頬を赤させた、色のある表情へと不意に変わった。その表情を見て、僕も顔がグンと火照りそうになってしまう。


「ま、また来る」


「は、はい」




 それから一ヶ月ほど、ぽっかりと心に穴があいた状態で学校生活を営んだ。「失ったんだな」と本当の意味で心をつままれるのは、もっと先のことかもしれない。しかし、徐々にこうしちゃいられないなと時間が僕を前向きな気持ちにさせてくれた。僕はいま墓参りにいく決心がついた。



 みのるの家まで行った。妹にお墓まで案内してもらう。妹の足取りはタンタンと踊るようだった。僕のような友人がお墓参りに行くことをうれしいく思っているのかもしれない。僕もみのるに暗い顔は見せられないなと気を引き締めなおす。


「ここか……」


 そこには木下実の文字が刻まれていたお墓があった。僕と妹で汲んだ水をお墓にパシャリとかける。跳ねた水の冷たさをよそに何度か繰り返した。


「ありがとうございます。ここまで来てくれて」


「当然だよ」


「みのるもきっと喜んでいるよ」


「そうだといいね」


 お別れか…… パズルのピースがひとつ欠けたような感覚だ。しゃがみ込みながら僕はみのるのお墓と目を合わす。すると、後ろから妹が僕の背中に引っ付いてきた。その接触で、僕はこの子とキスまでしたことを思い出す。この何度も嗅いだ甘えた匂いはやはり女の子だったか。意外と本能は鋭かった。そして僕とこの子はどんな関係なんだろうか……


「私でよければ、しぐれくんと仲良くしてもいい? 私たちキスした仲だし」


 吐息の熱が耳にかかる距離でそうつぶやかれた。真冬の寒さの中で耳に生暖かい息をかけられて、鳥肌がたった。みのると違って妹の方はいたずらっ子のように見受けられる。そして僕ら二人の関係を阻む制約はどこにもない。


「そうだね」


 みのるの妹ということなので断ることもできない。


「やった!」


「それで、君はなんて名前なの?」


「私、果実っていいます。木下果実。果実ちゃんでいいよ!」


「良い名前だね。覚えたよ」


「はい! 母が名づけてくれました」


 果実は熟れた女の子のようにニコニコと笑みをこぼした。僕もその表情を見て和やかな気持ちにさせられた。




「それから果実には肉を奢ってもらうからな」


「えー?! だってあれはー!」


 果実は声高に悶絶し、音をあげた。






――おしまい


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