MoMoTaRo2041

鳥辺野九

2041


 西暦2041年。新世紀の始まりに生まれた子どもがついに四十代の大台を迎える時代。日本は乱れに乱れきっていた。




 夜は穏やかに更けて。一人の母親が、眠れないとぐずる我が子に「何かお話をしてあげようか」と優しげな声をかけた。


「『桃太郎』がいいな」


 少し考えるようにして押し黙っていた子はその重たい口を開いた。母親は「いいよ」と布団を撫ぜるように手を置いて、健やかに眠れと語り出す。


「『モモタ↑ロゥ』」


「いつのまにハリウッドで実写化したの?」


 しかしネイティヴでいい発音だ。布団の中で子は、今夜はビートイットだ。眠れそうにない。と、思った。


「Ah Yeah、M・K・C。Oh Yeah、ンェムキェィシィ」


 マザーのハンドサインはいつだってエッジが効いている。そして今夜は特にテクニカル。母は指先でシャープなアルファベットを綴った。昔々、R・トコロニィ。


「もうすでに寝かせる気ないでしょ」


 こちらからお話を要求した以上は仕方ない。少し付き合ってやるか。子は眠らぬ覚悟を決めた。


「Ah Yeah、ここにある、イマから始まるモモタ↑ロゥ。Oh Yeah、相当リアル、イチからまるまる語↑ロゥ」


「そこまで頑張らなくてもいいよ」


「そう? じゃあ、昔々あるところにおじいさんとおじいさんがいました」


「それはそれで緩急激し過ぎるよ」


「おじいさんは山へ柴刈りに。他人が所有する山に不法侵入して薪を刈って集めるのは違法行為なので止めましょうね。もう一人のおじいさんは川へ洗濯に。管理河川に洗濯洗剤を不法投棄するのは違法行為なので止めましょうね」


「ちょっと待って。おじいさんが二人いるよ」


 思わず子はむくりと半身を起こした。


「そっちかよ。違法行為につっこまなきゃ」


「情報量が多過ぎてどこからつっこんだらいいかわかんないよ」


「そんな時はスルースキル発動しなきゃ」


 穏やかな声で布団に寝かし付ける母。


「スルーできないよ。おばあさんは?」


「LGBTに配慮した表現をしなきゃいけないって県条例で決まったの。ストーリーに必ずLGBT要素を入れて、ノーマルやマジョリティは排除しろってね」


「ノーマルを差別する社会のせいでおじいさんが二人かよ」


「ともかく、桃太郎もLGBTなニュースタイルファミリーの一員となったのよ」


「LGBTおじいさん二人のもとに拾われる桃太郎が不憫でならないよ」


「ちなみに物語中の残虐行為も注釈を入れるべしって県条例にあるから、桃太郎が鬼を成敗する殺戮シーンはカットさせてもらうわよ」


「一番の見せ場をカットするのか。まあいいや。続けて」


 LGBT差別や違法行為、残虐シーンなど。教育上よろしくないとは言え、物語の根幹を揺るがす県条例の無慈悲さに憤りを覚えながらも子は先を促した。


「ラブ・アンド・ピースの精神に則り、暴力表現に規制がかかって鬼たちは何も悪い事していないって設定に変更されてるけど、物語的に桃太郎は鬼ヶ島へ向かうわよ」


「県条例は容赦ないからね。仕方ないか」


「いや、これはお母さんの注釈じゃなくて、おじいさんたちの台詞」


「表現規制のせいでもうストーリーぶっ壊れてんのね」


 子は頭を抱えた。正義はどこにあるんだ。表現の不自由は桃太郎のレゾンデートルすら消去しかねない。桃太郎の本当の敵は体制派による言語統制か。


「Ah Yeah、どんぶらこ、Don’t break。Oh Yeah、どんぶらこ、Don’t 無礼講。おじいさんは流されるビッグピーチをテイクアウト。流れてくるビッグデータでテイクオーヴァー」


「初期設定思い出したね」


 母の証券取引所のようなハンドサインは相変わらずテクニカルでシャープだ。


「やがて桃太郎はたくましくレヴェルアップ。漢らしく鬼たちにラヴ・アンド・ピース。仁王立ちでハグ・アンド・キス」


「桃太郎もやっぱりLGBTに、いや、よそう」


 所詮、血塗られた道か。桃太郎も運命に抗うことは叶わなかった。


「そして鬼ヶ島への道中、絶滅危惧種のキジを保護しました」


「保護なんだ。仲間になるんじゃないの?」


「たとえ物語中に非実在する架空の動物でも絶滅危惧種なら県条例で保護の対象になってるの」


「鬼は、ううん、いいや」


 現実世界に非実在する鬼ですら友愛の対象に晒されているんだ。架空世界の絶滅危惧種ならなおさらのことだ。子は言いかけた言葉を飲み込んだ。


「次はサルです。Yo Yo、モモちゃん、お腰につけたキジダンゴ、一つ私にくださいYo」


「キジダンゴ」


「キジダンゴ」


「絶滅危惧種潰して肉団子にしちゃったんだ」


「いかに英雄桃太郎と言えど、背に腹は代えられないのよ」


「そういえばおじいさんキビダンゴ用意してくれなかったもんね」


 じゃあ次のお供のイヌは。キジはすでに調理済みだ。残るはサルのみ。子は戦慄した。


「次はイヌです。Yo Yo、モモちゃん、お腰につけた擬似ダンゴ、一つ私にくださいYo」


「擬似ダンゴ」


「擬似ダンゴ」


「なにそれこわい」


「合成肉に人工脂を吸着させたブツ。アミノ酸が鎖状に多数連結した高分子化合物、つまりプロテインよ」


「プロテインならいいか」


 相手は鬼だ。多少のドーピングも道義上問題ないだろう。


「サルは去る。ショック。イヌは居ぬ。ショック。キジは非情な非常食。Yeah!」


「今更気付いたけど、お母さんのラップって韻を踏むと言うより基本ダジャレなんだね」


「それを言っちゃあ、ノー・フューチャー。Yeah。鬼とモモちゃん、明日はどっちや。Yeah!」


 母はキレのあるハンドサインで我が子をディスった。


「勢いで誤魔化す。ありっちゃあありか」


「Ah Yeah、ノッて来たぜ、ラップバトゥル。Oh Yeah、桃太郎打ち立てた金字塔ゥ。鬼たち金銀パールプレゼントゥ! Yeah!」


 フリースタイルラップバトルは心も空間も熱く燃やす。ハートがドープされてマックスに極まった母を子は冷めた目で見つめる。


「今の若い子は金銀パールプレゼントなんてパワーワード知らないよ」


「何言ってんの。あんたも若くないじゃん。もう四十になるんでしょ」


 永きに引き篭もった四十代の大台にのった我が子に年老いた母は冷酷に告げた。


「いつになったら働くのよ」


「2045年にシンギュラリティが起こる。AIと人間の戦争だ。それまでは充電期間だ」


「ああ言えばこう言うし、Ah Yeah、ば、Oh Yeah、Shit!」




 西暦2041年。新世紀の始まりに生まれた子どもがついに四十代の大台を迎える時代。日本は乱れに乱れきっていた。

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