ep.9 闇に隠れた伝説 中編
耳を刺す、いやたたき割るような轟音がダンを襲う。その音の正体は何百人もの歓声であり、幾重にも重ねられた声は質量を持っているかと錯覚するほどの衝撃だった。
「隙をついて、シマ選手の右フックが、決まったぁ~~ッ! こ~れは痛いッ!」
「ラッシュの応酬だぁーッ! お互いに顔面を狙い続けている! 倒れるのはどっちだ! どっちだぁ~~ッ!?」
楽しそうな実況の声はその重厚な歓声に上塗りするかのように良く聞こえた。そう、ここが砂ぼこりの帝国の地下に作られた闘技場『バルファラ』である。
「最後に立ったのは、シマ選手の猛攻に物ともせず食らいついた狂犬、ハウルド選手だあああーーーッ!」
トドメと言わんばかりに、勝利を祝う重奏が闘技場を満たした。
「ちょ、ちょっとダン! 大丈夫?」
「うぅ、ごめん……頭痛くなってきた……」
「おーおー、変身してなくても耳はええんか。難儀やなぁ」
「ひ、他人事みたいに……」
「こりゃ実戦では耳栓必須やな。レニー、様子見てやってくれ」
頭を抱え、立ち眩みのようにして膝をつきそうになったダンを、レニーは抱くようにして支えていた。
「ちょっと! どこ行くの師匠!」
「俺は仕事や。お前らは見学しとけ、カイサルが後は進めてくれる~」
「仕事って……あーもう、ほんと適当なんだから~!」
「れ、レニー……」
「第一あのカイサルって奴も信用できないよ、明らかになんか変だし……」
「レニー、レニー! 苦じい、む、胸が、その……」
「えっ! あ、あっちゃ~~ごめん、ダン……」
レニーの発達した胸部が、いつの間にかダンを窒息していたようだ。恥ずかしさのあまりかそれとも息苦しさのあまりか、レニーの胸から離れたダンの顔は、のぼせるように赤く紅潮していた。
「ウケケッ……君たちがレニー、ダンだね?」
遡ること数十分前、一行はバルファラのオーナーであるカイサルという男と対面していた。
「私の名前はカイサル。ココのオーナーだ。二人の能力は聞かせてもらっているよ。特にダン、君ぃ狼男なんだって?」
「は、はい……」
一行の前には無機質なデスクと高そうなツヤのある革の社長椅子。そしてそこに座す、可愛らしい耳の生えた少年であった。
「こ、子供……?」
「……オイ! そこの女、今なんて言った!」
カイサルと名乗るその少年は、バァン! とデスクの上に立ちレニーに指を指した。その容姿はやはり子供であり、丸い耳に茶色く短い頭髪。顔つきはオーナーの威厳に似合わず幼く、服装もトゲトゲしいマントをつけている以外は、お
「長い白靴下に短パン、背丈に声色に……完全に子供じゃん。サルの獣人の子供じゃん。ねぇ私達試されてる?」
「こ、このメスブタァ~! ぶ、ブタか! お前ブタの獣人か!?」
怒るカイサルを気にも留めず、レニーも指を指し返して無遠慮に言いまくる。
「なぁレニー、さっき黒いスーツの人に何て言われたか覚えてるか?」
「無礼はダメだよって言ってたね」
「はぁ、先が思いやられる……」
がっくりと肩を落とすダンとケイの二人に、レニーはきょとんとした顔で返してみせた。
「あーカイサル、俺に免じて許してやってくれ。こいつは世間知らずな所がある。アンタみたいな、幼い頃から実力だけでこのスラムのトップに立ってる奴なんて知らんかったんや。アンタの偉大さはきっとこれから理解するやろう」
レニーのフォローをしつつ、露骨に褒めに入ったケイ。わざとらしく、それこそ無礼ではないかと思われたが。
「……ふふ、ウク、ウケケ、そうだな! お前の言うことも一理ある、ケイ!」
「えぇ……」
単純なサルの少年に呆れるダン。しかし、その後調子のいい顔つきから打って変わり、カイサルは彼の方を見て先ほどの話を続けた。
「そう、そうそう狼男! なんせ最初に彼奴等が参加したのは20年前、バルファラ創設者ウォルフ・ゼロ・ロードライト以来なんだぜ!」
「……!」
「それっきり狼男は一度もこのスラムはおろか、世界の表舞台にも現れなかった……マハウとかいうバケモノが来て一時は盛り上がりを見せたこのバルファラも、最近ちょっと低迷しててなぁ。そんな中、あのゼロと同じような名前の君が現れた!
「え、えっと~、アハハ……はい」
調子よく、子供らしい朗らかな笑顔でダンの肩を叩きまくるカイサル。よく見るとサル特有の長い尻尾がお尻から伸びており、ダンの体にペシペシと当てて喜びの気持ちを伝えていた。
「ちょっとちょっと師匠、ウォルフって一体どういうこと……?」
「いや、俺も初耳や……」
この時、ケイの脳裏には先生ことウィリアム・エリオットのあの言葉が浮かび上がった。
「……もう一人の狼男、か」
時刻は夕方に差し掛かり、スラムの活気は収まるどころか、その中心部はアルコールと色気でますます盛りあがっていた。
「そりゃそうか、明後日がバルファラやっけな」
仕事、と理由をつけてダンとレニーをオーナーの元に預けたケイ。活気に溢れた廃屋の並びに紛れ、一人とある場所を目指していた。
ゴソ ゴソ
「……う~~ん、はぁ……」
ヒソヒソ……
「しつこいなぁ……!」
ケイの呟きと共に、背後で何かがガタリと動く。
「おいオッサン! そんなコソコソ尾行されても、宿ならもう必要ないからな」
「ぎくぅっ! へへ、バレてやがったか……さすがは狼男だ、勘がするどいねぇ……!」
「あ? 狼男!?」
雑踏を行くケイを後ろからひっそりとつけていたのは、昼に彼と揉めていた宿屋の店主であった。
「すっとぼけてもムダだぜぇ! 昼間のあの気迫といい、勘の鋭さと良い、テメエには常人とは違うナニかを感じる!」
「あー、そりゃどうも。でもそれ勘違いやけどな」
「へ、どこまで白を切るつもりか分からねえが……狼男はマフィアには高値で売れるって話だ。それも一生遊んで暮らせるレベルのなぁ。大金を前にしてこの俺が諦められるかってんだ!」
「いやぁすまんけど今仕事中やねん。しょうもない因縁は別の日にしてくれ。うちの弟子が相手してくれるから」
実践相手にちょうどいいか、など適当なことを考えながら、ケイは男を完全に眼中に入れていなかった。
「テメエの事情なんざ知るかよ! へへっ、そうだ! あのガキと女も含めて、爪紋会に売っぱらってやるよ……オメエら出てこい!」
「爪紋会……!」
立ち尽くすケイの周りを、大柄なヒト、獣人の様々な種族が取り囲む。ケイの方は宿屋の男の言葉に引っかかり、考え事をしている。
「あー、そういうことかぁ……マフィアにも人手は必要よなぁ。勝手の良い駒が沢山居る訳や、このスラムには」
「今更なに言ってやがんだ、大人しく捕まってくれりゃ痛い思いはしねえぞ?」
「ちょっと聞きたいんやけど、このスラムに医者はいんのか? 怪我したらマズイやろ」
きょとん、と宿屋の男は腑抜けた顔を見せた。
「はは! 医者は居るが大人しくしてくれればその必要は――」
ブォンッ!
刹那、取り囲んだ荒くれ者たちの間を一陣の風が通り過ぎた。誰もが狼男だと勘違いして、瞬きもせずにケイのことを警戒していたはずだったが、そこには彼の姿はなかった。
「ぐあぁッ! いってぇ、何が、何が起きたんだ!」
「吹っ飛ばした。ヨウザンコウって技や……フンッ!」
「ぐあ!」
「くっそぉ……おい、お前らさっさと捕まえろ! この際多少傷ついても良い!」
サングラスを外し、臨戦態勢に入ったかと思うと、ケイはすぐさまに荒くれ者の一人に襲い掛かった。狭所のスラムで、肘、指の関節、裏拳、また手刀を用いて効果的にダメージを与えながら立ち回る。
衣服を叩いたとは思えないほどの衝撃音、近くの建物が吹き飛ばされた人間の重さでいくつも潰れる音。スラムの誰もがその騒ぎを目にしようと集まったが、ケイ一人の迅速な戦闘により、周囲からは激しい砂ぼこりと荒くれ者たちの悲鳴だけしか確認することができなかった。
「さて、オッサン! この戦い方が狼男に見えるか?」
暴れ終わったケイは、最初に吹き飛ばしそれ以来彼の異次元の戦闘を呆然自失で眺めていた宿屋の男に詰め寄る。
「え! えぇといや、その、スミマセンした!」
「見えるかって聞いてんねんけどォ!? こっちはぁッ!」
「ヒィイイ! み、見えません! ヒトですヒト! 勘違いでした、マジすみません!」
胸ぐらをつかみ、恫喝するようにがなるケイ。砂ぼこりも収まり、喧嘩ではなく彼の怒号をまず目の当たりにした野次馬たちは、どこか気の毒そうな顔で宿屋の男を見つめていた。
「そんじゃあ教えてもらおうか、爪紋会について……」
「うぅ、勘弁してくれ、俺は実はただの……」
「ただの、なんやねん」
ケイは再び胸ぐらをグイッと引き寄せ、男を怯えさせる。
「い、いやえっと、俺は実はヤクをここで捌いててぇ……爪紋会の奴らと組んで、ここでヤク流してただけなんですぅ。狼男の話は同じ売人が『爪紋会の奴らが欲しがっている』って噂してたから、それで捕まえようとしただけなんだ……ホント悪かったよぉ、いや、悪かったです……」
「はぁ~~ッ、お前っ……その売人ってのはこのスラムの連中か」
「え? そ、そうだけどよ……連中が狼男を探してるなんてことはここで金稼ぐ奴なら皆知ってることだぜ、例えばバルファラのオーナーとか……」
「はぁ、こりゃ参ったな……」
ダァンッ! とケイは辺りに転がっていた瓦礫を踏み潰した。向き直って、バルファラの本部がある方向を、サングラスをかけながら睨みつける。
「クソ、仕事が増えた!」
場所は変わりノア船内、管制室にて。
「……マチルダ、ケイの奴に何押し付けたんだ?」
管制室は自動制御による電子音ばかりが鳴り響き、やや寂しさを催す。その中で、管制室の窓から差す夕日に照らされた二人のシルエットが、タバコを吸っては吐く静かな音を、ゆるやかに発していた。
「押し付けたなど人聞きの悪い。ケイの手腕は本物だ。その者に合った訓練を与える。故に特異なケースであるダンを任せるには奴しかいなかった。それにアイツは1週間だけ預かると言ったんだ。恐らく短期集中で仕上げるつもりだろうから、我々が介入しないほうが良いのだよ」
「……いや、それだけじゃないだろ。他にも仕事を任せてなかったか?」
「あぁ、爪紋会の調査だ。麻薬密売ルートの報告が入ってな。獣人にだけ効く薬だとか……昨日出発前に話を持ち掛けたら、快諾してくれたよ」
「そ、爪紋会!?」
ゲホッ、と煙を漏らしながら、ニコラスはマチルダに向き直って言った。
「そんな連中の調査をしながらダンの特訓だなんて危険すぎる……いや、ケイなら問題はねえが、ダンの奴が心配だ! マチルダ、この前の実践投入もそうだけどなんたってアイツに危険な所ばかり……」
「……私も焦っているのだ。私情ではあるが、ルベライト家が不穏な動きを見せている。獣人研究に金を出し始めたんだ」
「おいおい、それでダンを使おうって訳じゃあ――」
「私がそんなことをするか! 私が気になっているのはその手口だ。昔を思い出すのだよ、ミルカ・グレゴリオのあのやり方に……」
マチルダのタバコは、ぐしゃりと力のままに曲がってしまい、彼女の怒りと焦りがタバコに形状として現れていた。
「冗談言うな、天下のルベライト財閥があのテロリストもどきに乗っ取られるわけあるかよ」
「万が一だ。少しでも戦力が多い方がいい。君らを私兵として扱うつもりは無いが、アイツは着実に世界を揺るがそうとしているんだ。早く準備をしないと……」
「だがこのままじゃ人手は足りないぜ、散らばった仲間を集めねえと。主力のレニーが居ない今、デカイ依頼が来たら……」
「再び派遣も考えているが、それでも駄目なら私が出てやるさ」
「へっ、頼もしい限りだぜ」
「お前らここで何してんだ」
「あっ、マハウさん……」
バルファラの休憩室、騒音のあまり倒れ込んだダンの介抱をする為に立ち寄ったレニーは、昼に出会った盲目の闘士、マハウに遭遇する。
「……あんだけやめとけって言ったのに、選手登録も済ませたのか」
「あ、でもでも! 私達別にここに契約で縛られたりとかしないよ! 師匠がちゃんと話を通して一回だけやってすぐ帰るって――」
「馬鹿野郎、あのカイサルがそんな甘い訳あるか! アイツは金と自分の名誉にしか興味がねえ、お前たちも食いつぶされるだけだ!」
レニーの明るい口調とは裏腹に、怒鳴り声をあげるマハウ。昼間見た時とは打って変わった印象に、彼女も思わず言葉に詰まりかけてしまった。
「で、でも、師匠は……」
「あの男か……くっ、アイツも知らないのだろうな……」
「知らないって、何の――」
「いいか、このスラムでは今……!」
Bakemono 泡森なつ @awamori
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