ep.8 暗闇に隠れた伝説 前編
「今から10年程前……」
「うん?」
「南アメリカのとある村で、一人の天才ボクサーが現れた」
揺れる車両は砂塵を巻き上げ、舗装されているとは言い難い枯れた道路を走り抜けていく。固いシートは臀部との親和性が悪く、数時間の走行の中で徐々に蓄積されていく痛みが、後部座席でだらしなく座る二人に若干の苛立ちを与えていた。
「……なんなのさ急に。それってこれから行くところと関係がある話?」
「まあ聞けや……その天才ボクサーはわずか3年で、アメリカで行われたボクシング世界大会の頂点に立った。その男が如何にして天才になったのか、どんな背景、どんな練習を積んだのか、男は皆の注目の的やった……」
「……で、どうだったの?」
「実戦や。その男は、地元の荒くれもの達とストリートファイトを繰り広げ、日々を闘争に捧げていた、らしい……」
どこか信憑性のなさそうな口ぶりで、らしい、と一言付け加えるケイ。
「へぇ~、まー理には適ってると思うけど……」
「つまりな、強くなるんやったら実際に戦うのが一番ってことや。パワー、スピード、技術……どれにおいても、最も伸びるのは緊迫した状況下での戦い。本能とほんの少しの理性、それらに全てを委ねて戦うことにまずは慣れていかなあかん」
「ふ~~ん。だってさ~、ダン!」
景色を眺めるだけでは飽き飽きしていたのか、退屈そうにぼぉっとしていたダンを、レニーは抱き寄せてからかってみせた。
「ちょっと! く、苦しい!」
「おーい、車ん中で暴れんな!」
「アハハ~、ういうい~!」
レニーも酷く退屈していたのか、ケイの怒号を無視してダンにちょっかいをかけ続ける。レニーの腕に埋もれていたのを無理やり抜け出して、ダンはケイに尋ねた。
「じゃ、じゃあ、これから行くスラムってところで実際に戦うの?」
「あぁ~せやな。正確にはその地下にある、バルファラで……」
「ば、バルファラ……?」
アジア某国、郊外。ヒト・ケモノ戦争の際、多くの東側ヒト陣営の戦闘員がこの国から徴兵された。戦争自体は獣人の勝利に終わったものの、特定の民族、国家に属さなかった獣人たち全体には戦果らしい戦果もなく、当時は敵国に賠償を求める権利さえも無かった。戦勝者としての立場だけが残った彼らは、堂々としてヒトの形成した人間社会に入り込むことこそできたが、そんな中でも彼らへの差別は絶えなかった。
「20年前の戦争の後このあたりに流れ着いて、人間社会に溶け込もうとしたは良いものの……彼らはそこでも差別の憂き目に遭い、結局ヒトが形成していたスラムに流れていった。その後そこでヒトと獣人が利害の一致の下で協力し合い、スラムを巨大化させていった訳や」
「どんくらいでかいの? それ」
「広さだけなら、街と言えるくらいはあるかもな。肝心なのはその大きさよりも地下や。20年前に流れ着いた獣人の中でとある男が興行を始めたんや」
「それが、バルファラってやつ?」
「そう。なんとなく予想は着くと思うけど、バルファラは地下の闘技場でサシで殴り合うそのスラム独自のスポーツ。ルールは拳だけで、そんでもってズルをしない、それのみやな」
「なんか曖昧すぎる気が……」
軽く引いたようにして言うダンだったが、レニーもごもっともだという風にうなずいていた。
「そりゃあな。スラムの連中はモラルも無けりゃろくに我慢も出来ん奴らや。大体は観客のテンションとオーナーの独断で進行される。選手にとっては最悪な土俵やろなぁ」
「ねぇ、そんな所で戦いたがる人なんているの?」
「ハッハ! レニーお前、場所はスラムやで? 戦う奴もイカれてるに決まっとるやろ!」
えぇ~、とドン引きしながら声を漏らすレニー。それを嘲るように、愉快そうに大声で笑うケイ。あぁ、どうやら彼は、僕らをその過酷な戦場に送り込むことを愉しんでいるようだった。ダンは徐々にうんざりとした顔つきに変化していく。
『はぁ、とんでもない男が師匠になってしまった……』
少年は未来を憂いて、ずるずる、と溶けるようにして固いシートに座り込んだ。
「だーかーら! ル・ベ・ラ・イ・ト! マチルダ・ルベライト! ご存知ない!?」
「知らねーなー。小切手じゃなくて現金で払ってくれねえとよぉ」
某国郊外、周辺地域からは『砂ぼこりの帝国』と呼ばれるその巨大スラムは、貧民街とは思えない程に活気に溢れていた。所々に法を犯していると言っても過言ではないような佇まいの店、何かの犯罪現場と言えなくもないような、怪しい取引を行う人々。治安自体は巨大スラムに相応しいものであったが、全て砂塵がかき消して、ぼやかしていく。
「車で5時間、着いて早々これかぁ……あー、お腹減った」
そんな中、目的地にようやく辿り着いた一行だったが、ケイの不手際によりその日泊まる宿すらも、ロクに確保できない始末であった。背後では、レニーは空腹に耐えかねながらも、あくびをして待ちぼうけ。ダンはただただ気まずそうに、その光景を見つめていた。
「お前本気で言ってんのかぁ!? あのルベライト財閥の小切手やぞ! サインだけでも宿代になるわッ!」
「テメーこそふざけんじゃねえぞ! 財布を忘れたとか言って、どこの誰だかも知らねえ奴の小切手なんざ渡しやがって……こんなスラムじゃどこ行っても換金できやしねえんだよ! 馬鹿野郎!」
「んぐぐぐ……!」
「分かったらサッサと帰んな! いや待て? それとも……」
「……あん?」
宿屋の店主は良く肥えた手で、ケイの後ろで待機している二人を指さした。
「後ろのガキ二人、アイツらに身体でも売らせてこいよ! そしたら日銭ぐらいは稼げるんじゃねえか? ガッハッハ!」
「チッ……なぁ、おっちゃん」
先ほどの荒げていた声からは打って変わり、突如刺すような冷たい声色で、ケイは店主に小さく告げた。
「俺はおもんない冗談が嫌いやねん……
「ひっ……!」
「狼男になあーッ!」
「ひいーーッ! な、殴らないでェー! ……あ、あれ?」
「はー、アホらしい……お前ら、ちょっと別ん所いくで」
「はーい」
「何か話してたの……?」
怯える店主を置き去りに、ケイ達はその場を離れた。ぽかんと立ち尽くす店主は、ふとケイの言葉に疑問符を浮かべる。
「……ま、まてよ? 狼男……もしかしてさっきの男……いや、もしかするかも知れねえぞ……!?」
ケイ達の去った後、店主の男は一目散にある場所へと駆けていった。
「はぁ~、結局見つかんないねぇ、宿屋」
「うん……というか、スラムに宿ってあるものなのかな」
二人は街の中心から少し離れた、明かりもロクについていない薄暗がりのバーに来ていた。悪路のストレスと空腹を癒そうと、飯を求めていたのだ。
「それらしいのはあったけど、でも、どれもなんか……えっと……えっちな感じ」
少し照れ臭く言うレニーは、自身の持ち金で買った安いジュースで口元を隠し、ダンから顔を逸らす。
「エっ……! ん、ごほん! そ、そういえばさ、ケイはどこに行ったの?」
「……あー、なんか下に降りてくるって言ってたよ。私たちの選手登録? をしてくれるってさ。てっきり訓練してからあの『バルファラ』ってのに出るのかと思ったけど、結構ハードスケジュールなのかなぁ」
心底嫌そうな顔で、レニーは飲み干して氷だけになったコップをぐいっと持ち上げる。大きな氷がレニーの頬から形だけ浮き出て、あっという間に粉々になっていく。その速さは、まさに彼女の面倒を嫌う性格が表れているようだった。
「はは、レニーだったら優勝しちゃうかもね……」
ドンッ!
「わっ!?」
突如、カウンターに佇む二人の間を引き裂くように、何かの物体が勢いよくカウンターの上に叩きつけられた。
「ジョッキ……?」
「だあーっはっはっは! な~~んでこんな汚えスラムのバーで、こんなカワイイ女の子が一人で座ってんだよォ!」
「ん~誰? キミ」
木製のジョッキを叩きつけてレニーに絡みに来たのは、ライオンのようなタテガミをした、大柄な獣人であった。その体躯はおそらくニコラスにも劣らない程である。
「オレ様はレオナンド! 見ての通りライオンの獣人、そう、このスラムの王様ってわけだなぁ……ガッハッハ!」
「ふ~~ん。てかさ、これ邪魔だからどけてくんない?」
「そう嫌そうな顔すんなよぉ~~! マスター! このジョッキにオレ様のおすすめ入れてくれよ!」
レオナンドと名乗るその
「ほらよ! 俺の奢りだ! なぁにただのジュースだ、飲め!」
「うへぇ、間接キスじゃんこれ……」
「……オイ! これ以上、レニーに近づくなよ!」
「あー……なんだ、オメエ?」
レオナンドの用意した飲み物に、ダンが野性的な直感で危機を察知する。なにも確信はないが、ともあれレニーとこの男を早く引き離したいという思いもあったので、少年は咄嗟にこの男に対してすごむ他なかった。
「レニーの、えっと、相棒だ」
「ほぉ~? 相棒……相棒ねぇ」
「な、なんだよ」
じろじろとダンを眺めるレオナンド。酒臭さが鼻に突き、嗅覚の鋭いダンには耐えられない時間だった。
「いやなに、オメエが本っ当にこの嬢ちゃんの相棒だってんなら……なにかねぇ……釣り合わないっていうか……もっとこう、なんか足りねえんだよなぁ。」
「な、なんだよ……!」
左手を顎に添え、考え込むようなレオナンドを訝しむダン。するとその男はニヤリと不敵な笑みを浮かべ、持て余していた右手に思い切り力を込めた。
「例えばこんな感じで……強さがよぉ!」
「ぐっ!」
突然、ダンの不意を突くようにして放たれた巨大な右の拳。勢いをつけ少年に向かっていくその攻撃は、明確にダンへの敵意を孕んでいたが、レニーを守りたいという一心と、自分よりも遥かに大柄な男を前にして竦んでいたのもあったのか、少年はその敵意に気付けずにいた。その中でレニーだけが拳に気付き、拳が肉体に衝突するのを防ごうとしたその時――。
「おいレオナンド、その辺にしねえか」
「……なっ!」
ダンに拳がぶつかるよりも、そしてレニーが動き出すよりも前に、レオナンドの拳が何者かに止められた。
「くっ、テメェこのヤロ……離しやがれッ!」
「だったらテメーが先に力を抜けよ。王様気取りがよぉ……」
レオナンドの巨大な腕を止めたのは、同じく巨大な……ではなく、せいぜい170cmくらいで褐色肌がよく目立つ、比較的小柄なヒトの男であった。レオナンドが腕の力を抜くのを確認すると、その男は掴んで止めていた腕を解放する。
「ケッ……何邪魔してくれんだよ、マハウ! 俺はただこの嬢ちゃんに飲み物をくれてやっただけだってのによお?」
「ほぉ、飲み物だぁ? オメエさっき、その中身ジュースって言ってたよなぁ」
「ぐっ、そっそれは……!」
マハウと呼ばれるその男は、レニーの前に置かれた木のジョッキを掴み、勢いよく一口で飲み干す。
「んぐっ、んぐっ……はぁッ! ったく。こいつぁクソまずい酒だ。慣れてねえ奴なら即ブッ倒れちまうぜ」
「えぇ! やっぱりお酒だったのこれー!」
「……はっ! オメエが全部飲み干しちゃあ、中身なんてわかりゃしねえじゃねえか! この大馬鹿が!」
「おぉ、そうか。そうだな。だったら次に、この小僧を殴ろうとしたのはどういう了見だ?」
「……ぐっ、そりゃあオメエ! 小僧だろうとなんだろうと、オレ様に盾突く奴はブン殴るんだよ! それがスラムの王たるオレ様のやり方だってことくらい、お前がよく知ってるだろう!」
「あーあー、ちげえよバカ。俺が言いたいのは……この小僧はお前より強いんだ。コイツを殴ったら痛い目を見るのは間違いなく、お前の方だった。そんなことも分からずに殴りかかったのかって俺は聞いてんだよ」
「な、なんだとぉ……!?」
怒りと、そして酔いもあってか、血管がはち切れそうな程にレオナンドは顔を赤らめる。ダンはその怒りに恐れを抱くよりも、この男の言った言葉に、動揺と喜びを隠せないでいた。
「埃被ってんのはテメエの眼の方だぜレオナンド。俺から見ても、この小僧は強えよ」
「……フッフッフ……マハウ、テメエ憶えてろよ……絶対ぇ許さねえぜ……」
「あぁそうだな、明後日までは覚えとくぜ」
「……クソ野郎! そうだ明後日だ! バルファラの決勝で、テメエをボコボコにしてやるからなぁ!」
「あっ、バルファラ……!」
怒りのままに声を荒げ、騒がしくバーから走り去るレオナンド。レオナンドの捨て吐いたセリフにはっとしたレニー一言は、すぐさま店内に居た他のヒトや獣人達の愉快な笑い声にかき消されてしまった。
「流石だマハウ!」
「またレオナンドの負けかぁー」
「明後日が楽しみだなぁ!」
「アンタこそがこのスラムのキングだよ、マハウ!」
賞賛の声ばかりがこの男に浴びせられる。それらに愛想よく笑って応じた後、マハウは向き直ってレニーとダン達を見た。
「ふぅ、アンタらすまなかったな。あのバカが下らねえことを……少年、怪我はねえか?」
「う、うん。大丈夫、です……」
「はっはっは、なんだお前。風格に見合わねえ立ち居振る舞いだ。あんたら二人とも、強い上に面白い雰囲気をしてるな」
「あはは~、えっと……褒められてる?」
「あぁ大褒めさ。座りな、俺がちゃんとした飯を奢ってやる。腹減ってるだろ?」
「えっ、な、なんで分かるんですか?」
「はっ! 俺にはそう見えるんだよ」
男の名はマハウ・ド・ラクーア。元々北アメリカの出身であったが、故あってこの砂ぼこりの帝国に流れ着いたという。窮地を救った上に食事までも世話になった二人は、ノアの食堂には劣るこのバーの飯に有難くかじりついていた。
「良い食べっぷりだ。そんなに美味い飯でもなかろうに」
「マハウ! ウチの料理の悪口を言わんでくれ!」
「はっは! すまねえな、だがここのマズくて固いパスタを食ってると、昔食った同じ奴が死ぬほど美味く感じられて、仕方ねえんだ」
「へっ、羨ましいねぇ元金持ちはよ! ホントかどうかも知らねえけどさぁ……」
「え~、マハウって金持ちだったの?」
「あぁ、こう見えてもな。昔は格闘技で成功して、それなりにイイもんを食わせてもらってた」
マハウが金持ちだという話はこのスラムでは半信半疑のものとして扱われているらしいが、レニーとダンには真実に思えた。二人とも、道中のケイの話を思い出したのである。
「嬢ちゃん、コイツの話は信じちゃいけねえぞ? 腕は本物だが、コイツは盲目なんだよ! どうやって表の世界で戦うってんだ、ハッハッハ!」
「そりゃちげえねえ。はは……」
「ちょちょちょ、ちょっと待って! 目が見えないの……?」
「気付かなかったかい、嬢ちゃんは」
マハウはダンの方を見つめた。ダンはこの会話の終始、マハウの手元を心配そうに見つめていたのだ。飲み物を飲むにしても、フォークを口に運ぶにしても、彼が全盲のファイターであるという察しがついていた。
「ダン~! 君気付いてたの!? 教えてよ~ずるい~~!」
「わわ、ごめんって! 失礼かなって思って……!」
「はぁ~もう……あ、そういえばさ」
「なんだ?」
「マハウって地下で行われてる……バルファラに出てるんだよね? 私達も出場するんだけど――」
「あぁお前達、アレはやめときな」
「えっ……」
先ほどまで、和やかにじゃれ合う二人を微笑み混じりの表情で見つめていたマハウだったが、表情はそのままに声の調子だけを変えて、二人に忠告した。
「な、なんでですか!」
「なんでも何も……ハハッ、お前らまだ子供じゃねえか。ガキが遊び半分で参加していいもんじゃねえ」
「ねぇそれって、私たちのこと強いって評価したのと逆じゃない? 強くっても参加しちゃダメなの?」
「確かにそう言ったな。確かにお前ら二人は強い。観光目的で来てんなら好きに歩き回って、そんで帰りゃいいさ。砂と埃と犯罪者しかねえがなんとかなるだろ。だがバルファラには、絶対に出るな」
「うーん……」
何かを濁すように、全ては語らないマハウ。納得のいかないダンとレニーは、不満げな視線を彼に向ける。
「……はぁ、お前らは知らねえだろうが、あそこのオーナーは――」
「オース! っておーいっ! お前らなに俺抜きで飯食ってんねん!」
「あ! 師匠!」
重い空気を裂いて現れたのは、薄暗い店内でもお構いなく丸いサングラスをかけている、ケイ・ブルータスである。
「コイツは……」
「ご飯は皆で食べるもんやろ~? ……あれ、この人は?」
「ケイ、さっきこの人に危ない所を助けてもらって、ご飯も奢ってもらってたんだ。マハウさんだよ」
「マハウさん……ってダン、お前この人にはさん付けやのに、なんで俺はずっと呼び捨てやねん……!」
そういえば……、とダンがはっとするよりも先に、ダンの銀髪をわしゃわしゃと撫でるケイ。それは愛情よりも、どこか嫌味がましい激しめな撫で方であった。
「ぐわぁ、やっやめて! いや、やめてください……」
「あー、マハウさんって言いましたか。うちのもんが世話になりました。金は後で……」
「いや大したことじゃない……それよりも、あんたが師匠っていうなら、この子達のバルファラ出場を辞めさせてほしいのだが……」
「お? なんでまたそんなことを」
「……なぁ、アンタも経験者なら分かるだろ。ここは大昔のような清い戦場じゃない。女子供は立ち去るべきだ」
「え? 経験者……?」
「……ごほん! えーっと、俺はこいつらの師匠なのでぇ、こいつらが強くなる為ならなんだってしてあげる義務があります。そんでー……お前はこいつらにとっては赤の他人やけど、こいつらが危険を冒さん為になんかしてあげる義務とか権利とかあるんですか、と」
「フン、それが隣人愛という奴だよ、元チャンプ」
「も、元チャンプ!?」
「おいおいおい! あーもう、話がややこしくなる!」
先ほどからマハウの一言にかき回され、動揺を隠せなくなるケイ。
「おいお前ら! 宿取れたからもう行くぞ! ちゃんとマハウさんにお礼言えよ!」
「あ、ありがとうございます……」
「え! えっと、えっと……なんか良く分からないけど、私達全力で戦うから! マハウさんも全力で戦ってね!」
「おい、お前ら!」
呼び止めようとするマハウの声は、店内に跳ね返り消えていく。一行はそそくさと外の人込みへ消え、茶色いスラムの背景に溶けてしまった。
「師匠~、あの人の言ってたこと、マジ?」
「……あぁ」
「えー! 師匠ここで優勝したんだ! すっご!」
「うるさいうるさい! はよ宿に荷物置いて、飯食いなおすぞ!」
「あ、あのー……修行的なことはしないの?」
おずおずと尋ねるダンを尻目に、ケイは人込みをかき分けながら答えた。
「そんなんする暇ないし、する必要もない。特にダン、お前には痛い思いしながら戦ってもらう経験が必要やからな……いつ舞い込んでくるか分からん狩人協会の依頼を待って、その都度反省会するんじゃ意味ないやろ。ええか、短期で強くなるぞ!」
「は、はい!」
「はぁ~、大丈夫かなぁ」
「なんやレニー、お前も勿論出場するからな」
「わ、分かってるよ。というかね、私もダンも出場するなら、私達二人が戦うこともあるんじゃないかって……」
「おう、それについては話をつけとる……ほれ、ここや」
3人が立ち止まった場所は、スラムに紛れ茶色く褪せてはいるが、その佇まいだけはただの建物ではなかった。監視カメラが備え付けられ、鉄の板で所々が補強され、加えて微かに電子音が奥から聞こえてくる。他の建築物に溶け込むようにして存在するその入り口は、来るものを拒むような雰囲気を醸し出していた。
「なに、ここは……」
「バルファラのオーナー、バルトロメウスのオフィスや。」
「オーナー?」
「マハウさんがなんか言ってたような……」
二人が訝しむ間、ケイは微動だにしなかったが、あちらの方から何かを了解したように、ズズズ……と鉄の戸が引きずられるようにしてその口を開けた。その先では、黒ずくめの衣服に身を包んだ、いかにもな見た目のヒトの男が待ち構えていた。
「御三方、ようこそおいでに。向こうでボスが待っていますので……」
「おう、待たせて悪かったな」
「えっと、ここってぇ……マフィアの本拠地?」
「アホか、そんな立派なもんちゃうわ。ただのこのスラムを牛耳っとる奴らの根城やな」
「えぇー……!」
黒ずくめの男に気付かれまいと、驚きすらも小声に済ませるレニー。どうやらバルファラのオーナーはこの街すらも仕切っているようで、入り口から地下へと続く階段をどんどん下っていくと、次第に地鳴りのような歓声が聞こえて来た。恐らくこの先に、バルファラがあるのだろう。
「ここから会場にいくの?」
「おう、入り口は何個かあるけどな。せやけどここは、オーナーに認められた奴しか通れん特別な花道や」
「へぇ~、ずいぶん無骨だけど……」
決して広くはない金属質の壁が続く廊下を、ひそひそと話をしながら進んでいく一行。ダンはこれから出会う人間に怯えぬよう、一人胸を落ち着かせて覚悟を決めていた。
「まーそう気張るな、俺の顔が利くから、マハウさんが気にしてたような変なことは起こらへん」
「それって、どういう……」
「もし選手がここのバルファラでただ優勝しただけやったら、そいつは表の世界で活躍したり、金を得て自由になったりして逃げる……金のなる木が手元から消えてしまうやろ?」
「そっか、スラムだもんね。皆成功したらいい所に行っちゃうんだ」
「いいや、現実は違うんや。ここが現オーナーの意地の悪いところで、チャンプの座を獲得しても、ここで選手登録した時の規約に乗っ取ってしばらくはスラムから出られへん。利益の還元や、つってな……」
「えぇ、それって私たちはどうなるの……?」
「そこも含めてよう話をしてるから、お前たちは安全」
「……御三方、この先がボスのオフィスになります。どうか、無礼のないように」
「おう」
他に部屋も通路もない、長い一本の廊下の末にようやく両開き扉の部屋が一つ。拭えぬ不安を抱きながら、分厚い扉は重々しく動き、彼らを迎え入れた。
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