その願いは神父には届かない

たれねこ

その願いは、神父には届かない

 世界が黄金色に染まる頃、一人の神父がとある町にやって来た。

 そして、その神父は町を行く娘に声を掛けた。


「もし、この町にも教会はありますでしょうか?」


 娘は足を止め、声を掛けてきた神父に目を向ける。その一見して若くはないと分かるが老いも感じられない年齢不詳にも思える端正な顔立ちに目を奪われる。その次の瞬間には沈みゆく陽の光が後光のように神父を照らし、その立ち姿に神々しさを感じてしまい、思わず神父の前に膝をついてしまう。


「ああ、神父様。あなたは神がもたらした奇跡なのでしょうか」

「いえ、私は旅をしながら神に奉仕するだけのものです。そのなかで救済を説いております」

「そうですか……すいません。教会でしたね。よろしければ、私が案内しましょうか?」

「ええ、お願いします」


 神父は手を伸ばし、娘の手を取って立ち上がらせる。それから、娘の半歩後ろを付いて行く。


「それで神父様はこの町にどのようなご用事なのでしょうか?」

「先ほども申しましたが、私は旅の途中です。そのなかでここから森の街道を抜けたところにある村で最近この町で困りごとがあると聞きまして」

「えっ? あの村は最近、知能の高い野獣に襲われ家畜や人に被害が出ていると聞いていましたが……」

「そうみたいでしたが、その野獣は改心したようで、これからは村を守るために働くと、神と私に約束してくれました」

「そうなのですか? 神父様はすごいのですね」

「いえ、私には祈ることしかできませんので」

「そうだとしても、神父様は私たちにとっては神が遣わされた使者としか思えません」


 娘は神父に対して、手を組んで頭を下げる。しかし、神父は顔色を変えることなく、娘が顔をあげたのを確認して、静かに尋ねた。


「その様子だと、この町は相当お困りなのですね」

「ええ……そうですね」

「では、教会も見えてきたので、そこでお話を聞かせてもらえないでしょうか?」

「お願いします」


 娘は神父を教会に送り届け、詳しい話をできる人を連れてきますと言い、町長を連れて戻ってきた。そして、町長は町の苦しい状況を説明する。

 町長のげんによれば、最近、町の近くに傭兵くずれの山賊が現れるようになったそうだ。さらには、「この国の悪政を打ち倒すために蜂起ほうきせよ。そのために必要な兵糧ひょうろうを差し出せ。できぬなら、この町を打ち滅ぼすことにする」と、脅迫を受けた。そこで有力者が話し合った結果、戦いには向かない市民ばかりなので週に一度くらいの頻度で食糧を差し出していたが、越冬のためには町にはもう差し出せるものがなくて困っているのだという。そんな賊が明日か明後日にも町にやってくるのだと言う。


「どうか神父様。我らに救済を――」


 町長はひざまずいて、深々と地面に頭がつくほどにこうべを下げる。同じように教会のシスターとここに案内してくれた娘、他にも話を聞いて集まってきた人々が同じように慈悲を請う。


「私には祈ることしかできません。皆様のためにも神に祈りを捧げてみましょう」


 その言葉に救いを求める人々は顔を上げると、そこには神父の慈悲深い表情があり、その神父の後ろにある女神像に沈む太陽の最後の一筋の光が窓を抜け、神父と同じような表情を浮かべる女神の顔だけを照らし出す。

 その光景に思わず涙するものもいたほどに、そこには救済が慈悲が――肉眼で確認できる神がそこに顕現けんげんしているかのようだった。


 それから神父は教会に一人残り、女神像に祈りを捧げ続けた。


「おお、神よ。この町を降りかかる厄災から救いたまえ。どうか、慈悲と魂の救済を――」



 翌日。朝日が昇る頃に、賊がやってきた。

 町の入り口で町人が緊張した面持ちで賊に対峙する。しかし、賊は町に入る前に全員が跪くように座り込んだ。そのなかから賊の頭目とおぼしき、一人の男が町の方へと歩みをすすめ、足を止め、持っていた武器を足元に捨てる。それと同時に後ろに跪いていた賊たちも同様に武器を捨て、掌を見えるようにして敵意がないことを示す。


「旅の神父様に会わせてほしい」


 その絞りだすように頭目の口にした言葉に町人たちは顔を見合わせる。今までとは決定的に違う態度と言葉に困惑していた。

 その知らせを受け、神父は二つ返事で頭目に会いに行った。


「私にどのようなご用でしょうか?」

「あなたが神父様ですか。私たちは自分の罪を懺悔ざんげし、その罪に対し、相応の報いを受けるために来ました」

「分かりました。あなたの罪を聞きましょう」


 神父は頭目と連れ立って、会話が他の人に聞こえないほどに距離を取る。頭目は跪き、手を組み、神父に向かい頭を下げる。


「私たちは平民の義勇兵として、先の大戦を正規の騎士団と共に戦いました。しかし、恩賞も払われず、さらには帰るべき村は戦火に焼かれ、賊に身を落とすしかなかったのです」

「そうだったのですね。しかし、このままではあなたたちはまた同じとがを繰り返してしまうのではありませんか?」

「しかし、私たちのような人間を受け入れてくれる町や村はどこにも……」

「改心する気はあるのですか?」

「――はい」


 神父は一つの案を提示することにした。この町で身を粉にして働くのはどうかということだった。賊とはいえ元は平民で農耕や狩猟の知識や心得があり、それを町に活かさないかということだった。町との仲介には神父も立ち会うと約束した。

 そのことに頭目は涙を流しながら感謝の言葉を何度も口にした。


「私は神の御名みなによって、あなたの罪を許します」


 神父の口添えもあり、この町における賊による問題は解決をすることになった。


***


 神父が町の教会で祈りを捧げている姿を盗み見ている影が一つあった。

 フードを目深にかぶった十代半ばほどの見目麗みめうるわしい少女が、神父をずっと見ていた。いや、見惚みほれていた。

 それはこの町につく以前から。さらに言えば、神父が巡礼の旅に出たのが十余年前だが、その半分くらいの期間、ずっと神父に見惚れていた。

 フードの下では耳がピンと立ち、神父の声や動く音一つ聞き逃さまいとする。切れ長の綺麗な目は夜の闇のなかでもはっきりと神父の姿を捉える。油断しきっているせいか、灰褐色はいかっしょくの尾を隠さずに静かに振っている。


オオカミおお、神よ。この町を降りかかる厄災から救いたまえ。どうか、慈悲と魂の救済を――」


 その言葉に反応し、先ほどまで他の人間と神父が話していたことを思いだす。この町の近くに賊が居座り、困っていると相談していたことを。

 少女は立ち上がり、ひと飛びで教会の屋根に飛び乗った。祈りを捧げる神父の邪魔にならないように音もなく着地する。高いところから、普通の人間とは比べることもできないほど鋭敏な鼻と目を使って、目当ての一団の場所を特定する。

 そして、今度はそちらに向かって走り出す。人間の足なら一刻いっとき以上はかかる距離を、十分の一くらいの時間で辿り着き、そこで野営している一団に声を掛けた。


「お前たちがこの近隣を荒らす賊か?」


 その言葉に一団は驚き、警戒をするが、声を掛けてきたのは小柄で華奢きゃしゃな少女なのだからすぐに冗談だと思い、笑い出す。そこで少女は数人を軽く殴り飛ばし、冗談ではないことを示す。反撃されても少女からしたら、彼らを撃退するのは羽虫を払うのと同等だった。

 ひと暴れしたら、頭目を呼び出し、用件を伝える。


「もし悔い改める気があり、ここで犬死したくないのであれば、降伏せよ」


 もちろん頭目は聞く耳を持たない。だから、もう一度、圧倒的な暴力と恐怖によって場を支配し直す。牙を折られ、圧倒的な力の差を見せられれば、動きを止め相手に従うのは人も獣も変わらない。


「もう一度問おう。悔い改める気はあるのか?」

「やり直せるなら、賊に落ちるなんてことはなかった。そんな場所も機会もないからこうやって……」

「ならば、その機会を与えよう。明朝みょうちょう、町に来い。そして、武装を放棄し、今、町にいる旅の神父に自分の罪を告白し、許しを請え。そうすれば、お前たちにも救われる未来があるやもしれない。その神父は慈悲深く、また人の心を動かすことができるほどの神聖性を持っている。彼の言葉に従え。それでも死にたいと望むなら、今この場で私が殺してやろう」


 しばらくの沈黙の後に、賊が口々に「人として生きれるなら、やり直したい」「まだ死にたくない」と心の奥底にあった感情を吐露とろし始め、それを聞いた頭目も覚悟を決める。


「俺たちは死ぬ場所を探すために戦っていたわけではなく、生きて帰るために、守るもののために戦っていた……それを見失っていた。――分かった、あなたに従おう」

「よろしい。もし、約束をたがえたときは分かっているな?」

「ああ、希望が見えたんだ。逆らう気はない。それより、あなたは何者なんだ? 普通の人間ではないようだが」


 その言葉に少女は慣れた口調で返答する。


「神の子に焦がれる狼だ」


***


 神父はその町にひと月ほど滞在し、賊たちの改心と、彼らと町人たちとの和解の手助けをした。

 本格的な冬が始まる前に神父は町を離れることにし、その旅支度をする神父に一人の帽子を被った若い娘が声を掛ける。


「神父様。このままこの町に腰を据えませんか? それでよろしければ私と夫婦に――」


 神父は手を止め、娘に向き直る。


「それはありがたい言葉ですが、私は神に遣える身なれば、救済を求める人がいる限り、旅を続けなければならないのです」


 そうはっきりと神父は断る。その言葉に娘はがっくりと肩を落とす。

 そして、娘は神父が旅に出るその姿を町人たちとは離れた場所から見つめていた。


「またダメだった……今度はどんな姿で声を掛けようか」


 娘は帽子を脱ぐとその下から現れた灰褐色の獣の耳が力なく垂れる。それはスカートに隠している尻尾も同様で。

 しかし、すぐに神父の後を音もなく追いかける。


 全ての始まりはただの気まぐれだった。森の中でお腹を空かせている神父に果物をこっそりと渡した。神父はそれを神に与えられた幸運と捉えたのだろう。食べ物を前に祈りを捧げ始めた。


おお、神オオカミよ。あなたの慈悲に、愛に深く感謝します。私はより一層、あなたに愛と信仰を捧げましょう」


 その言葉を狼、つまりは自分への言葉だと勘違いしてしまった。だから、今までもできる限りの力を尽くし、問題の解決を陰から手助けした。さすがに力で解決できない雨が降らなくて困っているなどは無理だったが、神父の神聖性は本物で祈りを捧げると数日で雨が降った。

 そうやって多くの町を巡り、折を見て何度か求愛をしたが受け入れることはなかった。




 奇跡をもたらすと後世まで語り継がれることになる神父と、そんな神父に想いを寄せる狼の旅に終わりが来る日はそれから――。

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