一章④

 礼拝室から飛び出し、自室にこもっていたエミリアは、そのままベッドでねむっていた。

(……夜……)

 目をこすり、上半身を起こした。開けたままのカーテンからは、やみしのび込んでいる。まぶたが重いのは、れているからかもしれない。しばらく真っ暗な室内でぼんやりとしていたら、次第に視界が慣れて来た。

 ローガンからげ出したのは、まだ正午前だったと思う。

 ということは、随分と長く自分は眠っていたことになる。

(……ローガン、どう思っているかな……)

 思い返せば、随分と子どもっぽい態度をとってしまった、と、耳が熱くなる。

 対話を一方的にち切るなど、大人がとる態度ではなかった。

 そっと立ち上がり、木靴サボいて部屋を出る。

 ろうは部屋と同じうすやみしずんでいた。

 居間をのぞいたが姿は見えない。丸テーブルの上に置かれたカンテラを手に持ち、ちゆうぼうに向かおうと再度廊下に出た。

 よくみがかれた廊下を歩く。自分の足音だけがひびいた。

 それに交じり、遠くから、夜八時を知らせるかねの音が聞こえて来る。

 音につられ、廊下にとられた窓の外を眺めた。

 なだらかに続くきゆうりようはもうとっぷりと夜に沈み、小麦畑も月に照らされ白く見える。

 その中で、庭に、ぼやり、とだいだい色の火がれていることに気づいた。

(……なんだろう)

 窓に手と額をつけてさらに目をらす。

「ローガン……?」

 とう製のながそべる彼の姿がおぼろげに見えた。明りはしよくによるものらしい。

(あんなところで何してるのかしら)

 日中は過ごしやすい時季ではあるが、夜になるとだいぶん冷えてくるはずだ。それなのに、手燭を地面に置き、あおけにぼんやりと何をしているのだろうか。

 しばらく見ていたが、まったく動きがない様子に、まさか寝ているのでは、といぶかしむ。

「……鹿風邪かぜひかない、って言うけど」

 小さくつぶやき、いきらした。

 そんなところで寝たら風邪をひくよ、と、声をかけ、それをきっかけに謝ろう。

 エミリアは庭に出るため、勝手口に向かう。

 木靴の音を響かせ、きしみ音がひどい扉を開けて庭に出る。

 ぶわり、とき付けてきた風は、やはりすこし冷える。ぶるり、とかたを震わせ、思わずカンテラの火を見る。さすがにほやの中にある火は無事だ。

 庭にみ出すと、靴の裏で草を踏む音がした。

 夜闇に、さくさくと音を立てながら長椅子に寝そべるローガンに近づく。

「……あ」

 声をかけようとしたしゆんかん、いきなり彼が上半身を起こして振り返る。片手で手燭を。片手でこしはいけんを押さえたローガンは、だが、エミリアを確認して、ほ、と息を吐いた。

「どうした。腹が減ったのか?」

 なんだそれ、とエミリアはおもわずき出す。

 なぜ笑うのか、とローガンはきょとんと自分を見返していたが、次第にそれは苦笑に変わった。

「……元気そうで、安心した」

 ぽつりと呟き、またエミリアに背を向ける。

「眠ってたの? 風邪ひくわよ」

 カンテラをたよりにローガンのとなりに立ち、エミリアは彼の視線をたどる。遠くの景色をながめているうちに眠ってしまっていたのだろうか。

「星をてた」

「星?」

 思いがけない返事に、目を見開く。

「なんだ。俺が星を観てたら悪いのか」

 むすっとした顔で見上げるから、あわてて首を横に振りながらも、『星を観るローガン』という姿に、次第に笑いがこみあげてくる。だが、さすがに笑うのは失礼。それは失礼だ、とくちびるをひきしめて肩をふるわせていると、じろりとにらまれた。

「笑いたきゃ笑えよ」

 許可が出た。

 エミリアはおなかかかえて笑う。カンテラの火が、ぐらぐらと派手に揺れた。

「なにがそんなにおかしいんだっ」

「ほ、星……っ。星、観てたんだ……っ。黄昏たそがれてたんだ……っ」

「やかましいっ」

「なんか、こんなときは、りとか……、けんすいとか、水泳とかしてるのかと……」

「あんた、俺を何だと思ってるんだ」

 目に浮かんだ涙を指で拭い、ローガンを見る。

 ぶっきらぼうな声とは裏腹に、顔は存外明るかった。明るい、というより、ほっとしていると言った方が正確かもしれない。

「昼間は……、その。悪かった」

 がしがしとかみを強くく。彼のくろかみが闇にけ、ふわりと揺れた。

「私こそ、ごめんね。ちゃんと話もせずに……」

 だからだろう。するり、と正直な言葉がつむぎだされた。

「その……。私はだれかに期待されるような……、そんな何かじゃないのよ」

 つい、ちよう的な言葉が漏れる。ローガンの視線をほおのあたりに感じ、彼が何か言おうとするより先に、強引に話題を変えた。

「ねぇ、星座にくわしいの?」

 たずねて夜空を見上げる。

「……まあ、な」

 ローガンがためらいがちに返事をする。意外だ。

 夜空を見上げる。風が強いせいで、雲がない。満天の星だ。

「吸い込まれそう」

 思わず呟き、ぎゅ、と足裏に力を入れる。

 見つめ続けていると、星と自分とのきよかんが分からなくなる。細かな金砂が降ってきそうだ。

「だろう? 春の星座が一望できる」

 うれしそうな声に視線を下ろすと、ローガンが目を細めてこちらを見ていた。

「座れよ」

 うながされ、エミリアは彼の隣に座る。カンテラは、迷った末に足元に置いた。

「先代の団長に教えてもらったんだ。いいか、あの一番明るい星があるだろう? そこを中心に……」

 ローガンが指をさし、エミリアは彼の声に耳をかたむける。

 春の有名な星座。その成り立ち。伝説。見える時間と位置。

 彼の低い声は夜にとても似合っていて、エミリアは次第に彼にもたれかかるようにして夜空に見入った。

 今まで気づかなかったが、意外に彼は話し上手だ。れんの末に星座となったふたりの物語には胸がまり、天にのぼってもまだかくとうを続けているえいゆうの話には心がおどった。

「あ……っ!」

 ふ、とローガンが話を切ったその瞬間、大きく流れ星が横切った。

「今! 見た!?」

 興奮のまま首をねじると。

 ずいぶん間近にローガンの顔があり、大きく心臓がねた。

 ふわり、と彼が笑うと、呼気が頬をで、首筋を落ちていく。

「星が流れたな。願いを言う間もなかった」

 なんだかゆうな顔でそんなことを言われて、エミリアは顔を背ける。自分だけ顔が赤いのがくやしい。

「寒いのか?」

 急にうつむいてだまり込んだエミリアに、ローガンが声をかける。

「ううん」

 慌てて答えるが、ぶわり、と正面から吹き付けた風に肩をこわばらせた。

「ほら」

 もぞり、と隣でローガンが身じろぎをする気配がある。

 反射的に顔を向けると、ばさり、と肩をおおわれた。

「い、いいわよ! ローガンが寒いでしょう?」

 ローガンが軍服の上着をぎ、エミリアに羽織らせたのだ。おどろいて返そうとするのだが、そもそもせまにふたりで腰かけているせいで、思い通りに動けない。

「清潔だ。安心しろ」

 素っ気なく言うと、ローガンは背もたれに上半身を預け、夜空を見上げている。

 また、ひとつ風が吹き、自分を包む軍服から、ローガン自身のにおいがい上がる。

 彼がさっきまで着ていたからだろう。

 ぬくもりがまだ残っていて、まるで背後からきしめられているようだ。

「……もう少し待ってたら、また流れ星、観られるかな」

 どきどきと高鳴る心臓に気づかないふりをして、エミリアはローガンに寄りかる。

「さあな。何か願いたいことがあるのか?」

 問われて、エミリアはしばらく夜空を無言で眺める。

「……えー……っと」

 だが、大して思いつくものはない。

 聖女としての資格は失い、もう第二王子にもならなくて済んだ。

 このまま静かにこのホーロウで暮らせばいい。自分の願いはかなったようなものだ。

「……なんだろうなぁ」

 つぶやくと、あきれたようなため息が隣で聞こえる。

「もう少しよくを持ったらどうだ」

「欲って……」

 ちらり、とローガンを見るが、目が合ったので慌ててらす。近い、近い。また頬が赤くなる。

「……欲とか、願いとか……。持ったら、つらいじゃない」

 ふと、本音がこぼれ出たのは、ローガンのぬくもりに守られていると感じていたからだろうか。

「どうせ、かなわないんだもの」

 誰かの特別になる、とか。何かの役に立つ、とか。

 そんなことはきっと自分には永久に訪れない〝役回り〟だ。

 だとしたら、最初から何もいだかない方がいい。

 希望も、願いも、よくぼうも。

 そんなことを考えていたら、思いがけず、ちんもくが長くなった。

「ああ。じゃあ、ローガンが出世しますように、って願うわ」

 ふんを変えるようにはしゃいでみせたが、視界のすみのローガンはこちらを見ようともしなかった。

「……ねぇ」

 次に流れる星を探しながら、エミリアはそっと声をかける。

「なんだ」

「王都にいた時は、こんなにきよ、近くなかったでしょ」

 視線だけ動かすと、ローガンが驚いたように少し目を見開く。

「そうか?」

「身体的距離、というか、そもそも心の距離があった気がする。だって、『この人、いっつもけんかごしだなぁ』って私、思ってたわよ」

 くすり、と笑うとローガンはつまらなそうに鼻を鳴らした。

「あんた、メイソン王子のこんやく者だったしな。護衛とはいえ、近づきすぎて変なうわさでも立てられたら……。めいわくだろ」

 今度はエミリアが驚く番だった。そんなはいりよが出来る男だったとは。

 げんが悪かったとか、興味がなかった、というわけではないらしい。

「……今、あんたが考えていることがなんとなくわかるよ」

「顔に出てたならごめん」

 小さくき出して笑う。ローガンも苦笑いした後、ぎしりと音を立てて上半身を背もたれに預けた。

「それに……。けんか腰だったのは、あんたの本音を引き出したかったんだ」

「……本音?」

 オウム返しに問うと、黒いひとみを向けられる。

「王都じゃ、いつも周囲に合わせて生活してただろう。本当は、何を感じて、何を思って、何を大切にしているのか……。いろいろ、知りたかったんだ」

 思い返せばそうだったのかもしれない。エミリアはただ、黙って彼の顔を見つめる。

「だけど、あんた変わったな。王都にいたあんたより、ホーロウにいるあんたの方が断然い」

 不意に、ローガンが目元をゆるめ、笑みをかべる。

 その表情に。言葉に。今、ようやく気付いた彼の優しさや心配りに。

 一気に顔が熱くなった。

「……な……っ」

 何か言い返してやろうと思うのに、舌がもつれたように動かない。ぱくぱくと口を開閉し、結局、「ふんっ」とばかりに顔を背ける。

 そんなエミリアの頭を、大きな手が、くしゃりと撫でた。

「あんたはもう少し自信を持て」

 そっとうかがうと、ローガンがゆっくりとした口調で言う。

「あんたは自分が考えるほど無価値な人間じゃない」

 彼はしっかりと自分を視界にとらえて断言した。

りよう院で、あんたが平民のために必死で食い下がった時のこと、覚えているか?」

 おずおずとうなずく。もちろんだ。一生分の勇気をしぼって、調合にちがいがないかどうか神官に意見したのだから。

「あんたの信念と経験が、あのかんじやを救ったんだ。それがあんたの価値だ」

 ローガンの呼気が、夜風と共にほおを撫でた。それほど近くで、彼はエミリアを見ていた。

だれかのために戦える人間が、無価値なはずがない」

 その言葉は形を持ってエミリアの胸を押した。心に入り込み、身体中にわたっていく。

 あんたに何がわかるのよ、とは言えなかった。彼が間近でいつもエミリアを見ていてくれたことを知っていたからだ。

 くやしさや、情けなさや、みっともない思いをしながらも。それでも、そこからげずにった王都での日々を。

「あ、……ありがとう」

 再びそっぽを向いて、できるだけ平静を装った。そうじゃなければ、なみだごえになりそうだ。

「ごめん。もうしばらく、ここにいていい?」

 ふるえる声でたずねると、素っ気なく「ああ」と応じただけだったが。

 ローガンはエミリアが落ち着くまで、ただだまってとなりに座ってくれていた。


  ◆ ◆ ◆


続きは本編でお楽しみください。

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