一章④
礼拝室から飛び出し、自室にこもっていたエミリアは、そのままベッドで
(……夜……)
目をこすり、上半身を起こした。開けたままのカーテンからは、
ローガンから
ということは、随分と長く自分は眠っていたことになる。
(……ローガン、どう思っているかな……)
思い返せば、随分と子どもっぽい態度をとってしまった、と、耳が熱くなる。
対話を一方的に
そっと立ち上がり、
居間を
よく
それに交じり、遠くから、夜八時を知らせる
音につられ、廊下にとられた窓の外を眺めた。
なだらかに続く
その中で、庭に、ぼやり、と
(……なんだろう)
窓に手と額をつけて
「ローガン……?」
(あんなところで何してるのかしら)
日中は過ごしやすい時季ではあるが、夜になるとだいぶん冷えてくるはずだ。それなのに、手燭を地面に置き、
しばらく見ていたが、まったく動きがない様子に、まさか寝ているのでは、と
「……
小さく
そんなところで寝たら風邪をひくよ、と、声をかけ、それをきっかけに謝ろう。
エミリアは庭に出るため、勝手口に向かう。
木靴の音を響かせ、
ぶわり、と
庭に
夜闇に、さくさくと音を立てながら長椅子に寝そべるローガンに近づく。
「……あ」
声をかけようとした
「どうした。腹が減ったのか?」
なんだそれ、とエミリアはおもわず
なぜ笑うのか、とローガンはきょとんと自分を見返していたが、次第にそれは苦笑に変わった。
「……元気そうで、安心した」
ぽつりと呟き、またエミリアに背を向ける。
「眠ってたの? 風邪ひくわよ」
カンテラを
「星を
「星?」
思いがけない返事に、目を見開く。
「なんだ。俺が星を観てたら悪いのか」
むすっとした顔で見上げるから、
「笑いたきゃ笑えよ」
許可が出た。
エミリアはお
「なにがそんなにおかしいんだっ」
「ほ、星……っ。星、観てたんだ……っ。
「やかましいっ」
「なんか、こんなときは、
「あんた、俺を何だと思ってるんだ」
目に浮かんだ涙を指で拭い、ローガンを見る。
ぶっきらぼうな声とは裏腹に、顔は存外明るかった。明るい、というより、ほっとしていると言った方が正確かもしれない。
「昼間は……、その。悪かった」
がしがしと
「私こそ、ごめんね。ちゃんと話もせずに……」
だからだろう。するり、と正直な言葉が
「その……。私は
つい、
「ねぇ、星座に
「……まあ、な」
ローガンがためらいがちに返事をする。意外だ。
夜空を見上げる。風が強いせいで、雲がない。満天の星だ。
「吸い込まれそう」
思わず呟き、ぎゅ、と足裏に力を入れる。
見つめ続けていると、星と自分との
「だろう? 春の星座が一望できる」
「座れよ」
「先代の団長に教えてもらったんだ。いいか、あの一番明るい星があるだろう? そこを中心に……」
ローガンが指をさし、エミリアは彼の声に耳を
春の有名な星座。その成り立ち。伝説。見える時間と位置。
彼の低い声は夜にとても似合っていて、エミリアは次第に彼にもたれかかるようにして夜空に見入った。
今まで気づかなかったが、意外に彼は話し上手だ。
「あ……っ!」
ふ、とローガンが話を切ったその瞬間、大きく流れ星が横切った。
「今! 見た!?」
興奮のまま首をねじると。
ふわり、と彼が笑うと、呼気が頬を
「星が流れたな。願いを言う間もなかった」
なんだか
「寒いのか?」
急に
「ううん」
慌てて答えるが、ぶわり、と正面から吹き付けた風に肩をこわばらせた。
「ほら」
もぞり、と隣でローガンが身じろぎをする気配がある。
反射的に顔を向けると、ばさり、と肩を
「い、いいわよ! ローガンが寒いでしょう?」
ローガンが軍服の上着を
「清潔だ。安心しろ」
素っ気なく言うと、ローガンは背もたれに上半身を預け、夜空を見上げている。
また、ひとつ風が吹き、自分を包む軍服から、ローガン自身の
彼がさっきまで着ていたからだろう。
ぬくもりがまだ残っていて、まるで背後から
「……もう少し待ってたら、また流れ星、観られるかな」
どきどきと高鳴る心臓に気づかないふりをして、エミリアはローガンに寄り
「さあな。何か願いたいことがあるのか?」
問われて、エミリアはしばらく夜空を無言で眺める。
「……えー……っと」
だが、大して思いつくものはない。
聖女としての資格は失い、もう第二王子
このまま静かにこのホーロウで暮らせばいい。自分の願いはかなったようなものだ。
「……なんだろうなぁ」
「もう少し
「欲って……」
ちらり、とローガンを見るが、目が合ったので慌てて
「……欲とか、願いとか……。持ったら、つらいじゃない」
ふと、本音がこぼれ出たのは、ローガンのぬくもりに守られていると感じていたからだろうか。
「どうせ、かなわないんだもの」
誰かの特別になる、とか。何かの役に立つ、とか。
そんなことはきっと自分には永久に訪れない〝役回り〟だ。
だとしたら、最初から何も
希望も、願いも、
そんなことを考えていたら、思いがけず、
「ああ。じゃあ、ローガンが出世しますように、って願うわ」
「……ねぇ」
次に流れる星を探しながら、エミリアはそっと声をかける。
「なんだ」
「王都にいた時は、こんなに
視線だけ動かすと、ローガンが驚いたように少し目を見開く。
「そうか?」
「身体的距離、というか、そもそも心の距離があった気がする。だって、『この人、いっつもけんか
くすり、と笑うとローガンはつまらなそうに鼻を鳴らした。
「あんた、メイソン王子の
今度はエミリアが驚く番だった。そんな
「……今、あんたが考えていることがなんとなくわかるよ」
「顔に出てたならごめん」
小さく
「それに……。けんか腰だったのは、あんたの本音を引き出したかったんだ」
「……本音?」
オウム返しに問うと、黒い
「王都じゃ、いつも周囲に合わせて生活してただろう。本当は、何を感じて、何を思って、何を大切にしているのか……。いろいろ、知りたかったんだ」
思い返せばそうだったのかもしれない。エミリアはただ、黙って彼の顔を見つめる。
「だけど、あんた変わったな。王都にいたあんたより、ホーロウにいるあんたの方が断然
不意に、ローガンが目元を
その表情に。言葉に。今、ようやく気付いた彼の優しさや心配りに。
一気に顔が熱くなった。
「……な……っ」
何か言い返してやろうと思うのに、舌がもつれたように動かない。ぱくぱくと口を開閉し、結局、「ふんっ」とばかりに顔を背ける。
そんなエミリアの頭を、大きな手が、くしゃりと撫でた。
「あんたはもう少し自信を持て」
そっと
「あんたは自分が考えるほど無価値な人間じゃない」
彼はしっかりと自分を視界に
「
おずおずと
「あんたの信念と経験が、あの
ローガンの呼気が、夜風と共に
「
その言葉は形を持ってエミリアの胸を押した。心に入り込み、身体中に
あんたに何がわかるのよ、とは言えなかった。彼が間近でいつもエミリアを見ていてくれたことを知っていたからだ。
「あ、……ありがとう」
再びそっぽを向いて、できるだけ平静を装った。そうじゃなければ、
「ごめん。もうしばらく、ここにいていい?」
ローガンはエミリアが落ち着くまで、ただ
◆ ◆ ◆
続きは本編でお楽しみください。
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