第16話 魔法を解くのは

 家の中は過去視と同じく整然としてほとんど物がなかった。

 昼間なのでそこそこ明るい。

 クレアは入って早々、窓際の椅子に目深に魔女帽子を被って腰かける存在に気付いた。過去視時と同じく真っ黒い魔法使いローブを被っていていかにもな格好だ。ブライアンも魔女に気付いたようで隣で警戒を浮かべた。


「あの、確認しますけどあなたが森の魔女なんですよね」

「如何にも」

「なら単刀直入に言います。ブライアンを元の姿に戻してほしいんです」

「ほう、対価は高いぞ?」


 ブライアンが支払った対価は端的に言って彼の人生だった。何てものを差し出したのかと過去視の際は愕然としたものだ。彼は死んではいないが、ある意味では彼としての人生が無くなった。

 人一人の人生と引き換えにした姿を変える魔法。

 ならば、元に戻すにも誰かの人生が必要なのだろうか。


「今度は娘よ、汝の人生を差し出すのかの?」


 魔女の茶化すような口調には揶揄がある。半分だけ。

 もう半分は本気の響きが含まれていた。


「駄目だ。クレアには一切手を出させない」


 一度取引したからこそわかるのか、ブライアンは気色ばんでクレアを背に庇おうと前に出ようとしたが、クレア本人がそれを阻んだ。


「一人で危険の前に立とうとしないで」


 彼女は横から腕をぎゅっと絡めてブライアンの動きを封じる。

 不意の密着にブライアンは何故だかピシッと固まったが、彼女としては下手に前に出られるよりはマシだった。表情を引き締め魔女へと向き直る。


「ええとあのっ」

「汝の人生を差し出す覚悟ができてからまた来るがよいわ」


 魔女はにべもなく突き放すように言った。


「そんな……! お願いします。あなたが直接解かなくても、解く方法があるなら教えて下さい」

「何度も言わせるでない、無理なものは無理じゃ。帰れ帰れ」


 野良犬を追い払うような仕種をされさすがにムッとして歯噛みするクレアは無力な自分が恨めしくもある。


「お願いしますっ」

「くどい。不憫に思い入れてやったと言うに、追い出されなければわからんようじゃな」


 不愉快さを滲ませた声音に身構えていると、


「帰ろうクレア」


 ブライアンから背を促された。


「無理なら、もういい」

「ちょっとブライアン?」

「どんな姿であれ、俺は兄貴じゃないのは明白なんだ。周りを欺いた罪は消えない。白状して相応の罰は受けないとな」

「やめて、もういいなんて諦めないでよ。どうしてブライアンだけが割を食わないといけないのよ」


 魔女に解いてもらえないのなら自力で解くほかないが、簡単にはできそうにない。魔法に関してまだまだ全然勉強不足なのを痛感した。

 この時、クレアの中に一つの決意が芽生えた。


(あたし、もっともっと魔法を勉強しなきゃ。然るべき所で勉強したい。ブライアンのためだけじゃなく、自分のためにも)


「もういいんだよ。俺は大丈夫だから」

「よくないっ、一生その姿で過ごすつもり?」

「最悪、それでもいいんだ」

「物分かり良く受け入れないでよっ。魔女さん、あたしと取引しましょう。あたしの人生はブライアンと共にあるので差し出せないですけど、あなたの知りたいいつの過去でも視てきます。ですからどうかブライアンの魔法を解いて下さい」

「何言ってるんだよっ、無理難題を吹っ掛けられるに決まってるだろ! 俺はそこまでして俺の犠牲になってほしくない!」

「は? 犠牲? ブライアンがそれ言うんだ? 自分を棚上げして。全っ然嬉しくないわね。そもそもそっちが勝手に決めて現状こうなってるんだから、あたしだって勝手にさせてもらうわ」

「クレア!」

「だって最善だと思ってやった結果でしょ! あなただけ辛いのは嫌よ!」


 ブライアンを睨み付ける目尻に不覚にも涙が滲んだ。彼はハッと息を呑む。


「悪い……クレアホントごめん、ごめんな? 泣くなよ……」

「なっ泣いてないっ! ……ってブライアン!?」


 羞恥にぷいっと顔を背けたら、ブライアンから抱きしめられてしまった。クレアがこの上なく狼狽していると、窓辺からはあ~あと呆れたような大きな溜息が聞こえてきた。


「ったく汝らはわざとのろけ寸劇やっとるのか? ええ?」

「のろけ!? そっそんなつもりはないですよ!」

「……これがのろけならどれだけいいか」

「ちょっとブライアン!」


 彼はとぼけた顔でしれっと言ってのけた上に腕を解こうとはしないので、クレアの動揺は治まらない。それを見た魔女はまた嘆息した。


「解除方法なら、汝らは既に聞いとるじゃろう、――あの晩に。よくよく思い返して頭を捻ってみい」


 やはり過去視での独り言のような発言はクレアに向けてのものだったらしい。魔女は気付いていたのだ。

 クレアはブライアンと顔を見合わせた。


「ブライアンは何か心当たりある?」

「さあなあ」


 二人で悩んだが、思い当たらない。

 それとは別に、クレアには一つ先程から気になってしまった事がある。

 最初、ニコラス戦死の報を受けた際、屋敷で聞いたシシーの泣き叫ぶ声がずっと思考の隅にこびり付いていた。

 シシーは嘘つきと詰っていた。

 その相手はもしかするとこの魔女なのかもしれない。


(てっきり森で迷ったブライアン達を助けてくれるように願って取引したのかと考えてたけど、実際のところは少し違うのかもしれない)


「あの、少し話は変わりますけど、もし良ければシシーおば様と交わした取引の内容も教えてもらえませんか?」

「……聞いてどうするのじゃ? 単なる好奇心か? 部外者が知ったところで何も変わらんぞ?」

「推測通りなら、希望が増えるかもしれません」


 クレアがきっぱり答えれば、魔女は見えている口元をにやりとさせた。可愛らしくも犬歯が目立つ。他方、横のブライアンは不思議そうにする。


「ふむ。まあ、特別教えてやろうかの」


 そうしてクレア達は魔女の口から取引内容を聞いた。


 ――シシーより先には息子達は死なない、と。


「なっ、それじゃあつまり、兄貴は……!」


 どこかで生きている。


「けど生きてるならどこにいるんだよ!? どうして姿を現さないんだ!?」

「魔女さんは兄様の所在を把握してるんですか?」


 急いた若者二人の様子を見る魔女は口元を満足そうににんまりとさせた。


「しとる……が、まだ帰してやらん。何しろニコラスちゃんはわしと外国旅行している最中なのじゃ~!」

「「は?」」

「ふふはっ、ハネムーンとも言えるのじゃ!」

「「ハネムーン!?」」


 全く場違いな言葉を聞かされ揃って目を点にするクレアとブライアン。


「やっぱりあなたはニック兄様を好きなケーキさんでもあるんですね」

「は!? 何だってえええ!? お袋じゃなくて!?」

「実は黙ってようと思ったけど、おば様の名誉のためにも話そうと思うわ。そもそもあなたじゃないんだからおば様は好んでムキムキしないでしょ」

「あー……だな」

「きっとおば様はケーキ作りの才能を魔法の代償にしたのよ。ですよね?」

「如何にもじゃ」


 故にこそケーキの店のケーキはシシーの味なのだ。

 加えてケーキはニコラスぞっこんラブだ。クレアは勿論、ブライアンも魔女のもう一つの顔を知り魔女の言動に激しく合点した。


「しかしなあ、ハネムーンとはまたどうしたわけだよ。まさか兄貴……あんたに魔法でいいように操られてるのか?」

「じゃかしいわっ! 全く、人を勝手に悪者にするでない!」


 怒る魔女だったが、スッと表情を鋭くする。


「まあ、ハネムーンと言うのは冗談じゃが、落下途中に怪我を負っていたのでな、療養させとるのじゃ」

「そんなっ、兄様は怪我を!?」

「具合はどうなんだ!?」

「大事ない。崖の出っ張りに腕が当たってポッキリと骨折しただけじゃ」

「骨折って、大事あるだろ! 助けたなら魔法で治せないのかよ!」


 ブライアンは食って掛かるようにして魔女を睨んだが、魔女の方はしれっと冷ややかな雰囲気だ。


「ニコラスの命はシシーとの約束なので助けたが、忘れられては困る。魔法は無制限無制約ではないのじゃ。怪我を治すにも対価が必要じゃ。……まあ、例外はあるようじゃがな」


 魔女はクレアを一瞥してまたブライアンへと視線を戻す。


「あそこではもっと酷い怪我を負った者もおる。ニコラスは骨が接げれば済むのじゃから運の良い方じゃよ」


 確かに、命を救うだけならずっと寝たきりや意識のない状態だってあり得たのだ。


「……悪い、あんたを責めるのは違っていたな」


 ブライアンは思わず激昂したのを恥じるように後は黙り込んだ。幾分辛気臭い空気になりクレアは慰めようとブライアンの腕を撫でるようにして手を添えてやる。

 魔女はふんと鼻を鳴らした。


「わかればよいのじゃ。大体な、汝がその姿では彼も帰るに帰れんじゃろうし、療養させて留め置いておいて正解じゃろ。感謝せいよ?」

「じゃあ、俺が取引しなかったなら、兄貴は今頃大手を振って帰って来れていたってわけかよ」

「まだ大きく手は振れないがのう」


(ああもう、魔女ってば一言多いのよ!)


 ブライアンは本当に馬鹿をしたと後悔に項垂れる。


「いっそ俺がここを去ってひっそり暮らせば、すぐに兄貴は戻れるはずだ。そうすれば屋敷で療養できる」

「あのねえ、どこか行くつもりなら噛み付いてでも付いてくから」

「噛み……って、あはは、サンキューな。その気持ちだけでもういいんだ」

「よくないわよ。ブライアンといるためならあたしは逃亡だってして人生を懸けるわ」

「そこまでしなくていい」


 クレアは弱く笑うブライアンのそんな様を見ていられなくなった。


「ああもう何よ何よ何よっ、解けばいいんでしょ解けば! 魔法を解くために過去を視て視て視て視まくってやるわよ! 森の古き魔女さん、あなたのもね!」

「ほうほうそんなにも息巻いて威勢のよい娘じゃな。そういうのは嫌いではないが、過干渉や煩わしいのは御免じゃ。この程度を自力で気付けぬ者に答えを教えてはやらん。……が、二人でこの家の中を好きに調べるがよい。ヒントが転がっとるじゃろうからな、それではな、二人で宜しくするがよいわ。ニコラスちゃんの方は心配するでないぞ。頭のてっぺんから爪先まできーっちりお世話するつもりじゃからの~むふふふ~~」


 魔女はそう言うやフッと姿を掻き消した。


「え……ええっ!? ホントに行っちゃったの!?」

「み、みたいだな」

「はあ!? じゃあどうするのよーっ!」


 慌てふためくクレアとは裏腹にブライアンは室内を見回す。


「ここにヒントがあるって話していたよな。とりあえず探してみるか、まあ駄目元で」

「何よ、何だか焦ってないって言うか落ち着いてるわね」

「あーまあ、方法が見つからなくてもクレアがくっ付いて来てくれるんだろ? それだけで俺の人生勝ちだなって」


 クレアは軽く肘鉄を見舞ってやる。


「人の気も知らないで」

「えー? ははっ、それはこっちの台詞だと思うけど」


 ブライアンは腹を押さえて退避しつつ魔女の本棚から書物を一冊手に取って眺めたが、口笛でも吹きそうに機嫌が良さそうだ。

 一方、クレアはふと魔女のいた窓辺の椅子横のローチェスト上に置かれた本が目に付いた。


「これは、子供向けの絵本?」


 魔女が読んでいたのだろうか。いやそれ以外にないのだが、些か意外だった。タイトルはクレアも小さい頃にはよく読んでいたお姫様の童話だ。パラパラとページをめくる。

 姫に掛けられた悪い魔女の魔法を、心から姫を愛する異国の王子が解くというよくあるものだ。


 真実の愛、キスによって。


「まさか……?」


『悪い魔法は、得てして真実の愛に打ち負かされるものじゃしな?』


 過去視での魔女の言葉を思い返せば、結構かなりそれっぽい。

 急激にカッと頬が熱くなった。


(キス、かあ)


 ブライアンを盗み見る。ちょうど横顔が見えてその唇にズームアップ。唇だけだとニコラスの姿だとかそんな部分は関係ない。


(嫌じゃないけど、どう切り出せって言うのよね。何やかやと理由を付けてキスしたい女みたいに思われたら、恥ずかしさで死ねるわ!)


「クレア? 何かあったか?」


 視線に気付いたブライアンが彼女の正面を向いて期待するようにする。


「や、えーっと、あるって言えばそうかもしれないけど、ないって言えばそうかな~?」

「んん? もしかして手に持ってるその本が何か?」


 的確に誤魔化しを察して寄ってきた彼はひょいと彼女の手元を覗き込む。


「あっこれは関係ないと思うっ、からっ!」


 クレアは慌てたが、開かれたページを彼もバッチリ見ただろう。


 子供向けの絵とは言え、姫と王子がちゅっと可愛らしくもキスをしている場面を。


 ブライアンは無言で一歩下がると口元を隠すようにした。彼もクレアと同じ想像に至ったのは明白だ。耳がとても赤い。


「まっまあ、こっこれも一つの可能性ではあるわよね! 一度は試してみるつもりだけど……もっ勿論他に方法がなさそうな時にね!」


 汗を滲ませ愛想笑いを浮かべるクレアをブライアンはじっと見つめる。


「一度だけか? しかも試すためってだけの?」

「へ? 解除するには一度でよくない?」

「そうじゃない。俺は解除とは別にクレアにキスしたい。どんな理由を付けてでもお前にキスしたいよ。ずっとそう思ってた」

「なっ……」


 不意打ち的な思いの丈の吐露にクレアの頭の中は大混乱だ。


「あっあなたねえ、随分ストレートになったわよね」

「そうかもな。変に照れ隠しして後悔するのはもう嫌だったから。それにもうクレアには隠し事なんてしたくないからかもな。とにかく今のが俺の偽りない気持ちだ。好きだよクレア」

「……何だか兄様のふりしてるうちに、甘くなったんじゃない?」


 小さな声で不満のようにぶつくさ言うクレアへと、彼は苦笑する。彼女はしかし本当はブライアン程の優しく甘い男は他にいないのではないかと思っているが、少し癪なので口にはしない。


 キスが魔法を解く鍵……なんて物語の中だけのように今までは思ってきた。


 クレアもブライアンも。


 まだ他にも家の中には手を付けていない書物や開けていない棚がある。

 けれど二人はどちらからとなく向き合った。


(本当はね、ブライアンだとわかってからあたし、ドキドキしっ放しだったんだから。今だって)


 クレアはさっき彼が下がった分二歩近付いて距離を無くす。


「えーっと、じゃ、思い立ったが何とやら、で先に試しましょ。駄目元で」

「駄目元で、か」

「そう、駄目元で」

「ぶっちゃけ俺は確信してるけどな。解けるって」


 ふ、と余裕そうに吐息で笑って、しかし照れた顔を隠し切れないブライアンへクレアも「本当はあたしもそうよ」と囁く。


 互いに身を寄せ息の絡む近さで一度ピタリと動きを止めた。


「大好き、ブライアン」

「俺も、クレア」


 その日、魔女の家の窓から魔法の解ける光が漏れた。






「ああ、やっと帰ってきたね。どこに行っていたの?」


 陽光に金の髪を輝かせ、ニコラス・ウィンストンは微笑みを浮かべた。

 まだ包帯で吊った片腕は動かせないが、部屋からバルコニーに出るくらいは普通にできる。


 ここは異国のホテル。


 何故かニコラスは気付いたらこの部屋に寝かされていた。咄嗟に動かしてしまったせいで腕に激痛が走りかえって現実を思い出したものの、どういう経緯でこの部屋にいるのかはとんとわからなかった。手当てはされているが誰によるものか不明だった。

 最悪敵国アルフォに捕われた線も覚悟しておかなければと彼は密かに心にしたものだ。オーリ王子だと勘違いされて手当てまでされているのかもしれないと。オーリ王子なら人質の価値があるからだ。


 しかし、目覚めたニコラスの目の前で部屋に入ってきたのは全く予想外の相手だった。


 尖がり帽子に魔女ローブの魔女だった。


 敵国の魔法使いかもしれないと身構えていると、彼がベッドに起き上がっているのを見た魔女は、何と奇声を上げた。


 そして更には、ポンッと小気味の良い音と共に化けた。


 いや、今なら化けていたのが解けたのだと理解しているが、とにかく姿を変じたのだ。


 タヌキへと。


 ニコラスは人生でもなかなかない精神的衝撃を味わったものだった。


 あの時、魔女は驚きと喜びのあまりうっかり本性のタヌキに返ってしまったのだ。


 だが気を取り直してすぐにまた人間の女の姿になった。

 この魔女は実際に太古から生きる存在だ。元は単なるタヌキだったのが、偶然稀に魔力を持ち魔法使いに化けた固体だ。


 獣の魔法使い、と魔女は自分のような存在は世間ではそう呼ばれているのを知っている。


 単なるタヌキを装ってシシーのケーキを食べに行き、その才能を取引し、そしてニコラスをとても気に入っているそんな獣の魔女は、ホテルに戻って早々ニコラスから尋ねられ妙にそわそわした。


「う、うむ、ちょっとな」


 まだクレア達が魔法を解いたかはわからないので、彼に告げるのは早いかもしれないと思い詮索されるのを恐れたせいだ。


「ああ、ブライアン達の所? どうしてた?」

「……はあ、ニコラスちゃんは鋭いのう。そうじゃよ。彼らの問題はじきに好転するじゃろう、じゃから安心せい」


 尖がり帽子を脱いだ古き魔女は降参の苦笑を浮かべた。

 人間姿だが、タヌキ時の毛皮と同じく茶色い髪の毛の間からタヌキ耳がぴょこりと出る。今はリラックスしているので尻尾も。

 ニコラスにだけはもう正体がバレているのでこの姿なのだ。


「もしかして、僕はそろそろ家に帰らないといけないのかな?」

「いや、そこはまだゆっくりしていて問題ないのじゃよ。気持ちの整理ももう少ししたいじゃろう?」

「そう、かもね」


 ニコラスはバルコニーからの景色を眺める。


「まあそれに、この国をたっぷり観光しておいて損はないかなとも思うからちょうどいいよ。何しろ随分と海を越えた場所のようだし?」


 彼の前には目にも眩しい白い玉葱形のドーム屋根が林立している。建造物からしてラクレア国やアルフォ国、その周辺国家のある大陸とはがらりと趣が異なり、また違った華やかさがある。


 果てしない砂漠とオアシスの国だ。


 自分は獣の魔女のテレポート魔法で遥か遠いこの地までやってきたのだとニコラスは魔女本人から聞かされて知ったが、どうしてこんな遠くなのかは魔女もうっかりしていたかららしい。


『突然じゃったのでな、テレポート先を少~しばかし誤ったのじゃ』


 本当ならもっと近い場所へ移動していたらしかった。


「うう、ミスって悪かったのじゃ。なので特別にテレポート魔法を使ってもよいのじゃぞ?」

「あはは、そこは必要ないよ。ただ、できればそのうち家族に僕がここで無事な事を伝えられるとありがたいかな。国には船で帰るし、テレポート魔法の代わりにそれでもいい?」


 彼からじっと見つめられ、少し赤くなって魔女はうっとたじろいだ。ややあってふぅと息を吐き出して首肯する。


「わかった、それでよいならな。……船で、のう。全くニコラスちゃんは真面目じゃのう」


 ニコラスはくすりとする。


「君の庇護に甘えて観光三昧を宣言したんだよ? 十分不真面目だと思うけどなあ」


 果たして彼がウィンストンの屋敷に帰るのは、数ヶ月、或いは半年、もしくは年単位先になるのかもしれない。

 いつになるのかそれは彼の心次第なので魔女にもわからない。

 それでもいいかと魔女も笑みを浮かべる。

 シシーと取引した時は、正直人間順当に歳を重ねていけばシシーが息子達よりも先に逝くのは当然で、魔法など必要ないだろうと思っていた。それがまさかこんな事になろうとは。

 長く生きて魔法に優れていても未来はわからないとつくづく身に沁みる。


(あの、時に愛されし娘はどのような道を歩むのか、見守るのも一興じゃな)


 ただ、もうしばらくはニコラスに付き合ってのんびりしていようと、魔女は砂漠の空の高さに満足げに金の双眸を細めた。







 国内唯一の魔法学校たる王立魔法学校前で、クレアは高い塀と重厚な正門を見上げていた。


 一般学校とは異なり、ここは警備が徹底して厳しい学問所として有名だ。仮に面会を希望しても、面会者の身元がきっちり証明されるまでは校内には決して入れてもらえないという。


(ここでお父さんと母様は出会ったのよね)


 魔女だった母親は当然としても、普通人の父親が魔法学校に在籍していた過去があるのは知ってはいても実際の学校を見るとどこか不思議だった。


(今日からここがあたしの学び舎かあ)


 クレアはオーリにどうせ王都で専属魔法使いをするなら魔法学校に通いたいと申し出ていた。幸いオーリからは反対はされず魔法学校に通える手筈となった。意外だったのは編入にあたっての推薦状を書いてくれたのは他でもないオーリ本人だった点か。魔法をより学びたいと思っていたクレアはそこは素直に感謝していた。

 父親からの許可も得ている。

 もうクレアは小さい頃から着けていたような特別なアクセサリーはしていない。

 あれは御守りと言われていたが、実はクレアが時間魔法を使うのを阻止するための物で、もう抑えていられないようなので必要ないのだそうだ。魔女だと一部の者に知られてしまったというのも理由ではある。因みに魔力を隠すためのアイテムでもなく、アクセサリーには母親がクレアのために見つけてくれた古代魔法が施されていたと、父親からそう聞いた。


 そんなわけなので、不思議にもクレアは魔力測定では相変わらず魔力無しだ。


 おそらくは現代では廃れてしまった魔法や魔力の一種をクレアはレアにも有しているのだろうと、父親もオーリもそんな見解を寄越していた。彼女に魔法疲労がないのがその証拠だとも。


 とは言え、魔力無しは魔力無し、在籍する生徒の種類としては父親と同じ括りに入った。


 つまりは魔法使いではない一握りとして。


(何か不思議な気持ちだわ。まっどうなるにせよ、前進あるのみよね)


 王都にはブライアンもいる。

 ニコラスはまだ異国にいる。

 ブライアンが彼本来の姿で帰宅し、ニコラスもどこかで生存しているはずだと知らせた日のウィンストン家はドンチャン騒ぎも甚だしかった。

 シシーはやっぱりそうだったと僥倖を一身に受けたように夫バートに抱き着いて全てを打て開けていた。

 その後ニコラスから遠隔魔法で声と幻の姿が届き、屋敷はやっと本当の意味で元の明るい姿を取り戻した。


 ニコラスはいつ帰るのかは不明だ。それに加えてクレアもブライアンも王都へ行く。クレアは魔法学校に編入し、ブライアンは騎士学校に復学する。


 伯爵夫妻や使用人達は寂しそうにしていたが、温かい言葉で送り出してくれた。


 ブライアンとはウィーズにいた時よりは会える時間が増えるだろう。

 大好きな恋人と沢山王都デートをするのがクレアの当面の恋愛面での目標だ。ブライアンはモテるのでヤキモチ焼きになりそうでもある。

 そんなどこにでもあるような未来を想像するだけでクレアの心は満ちる喜びに跳びはねる。

 どこにでもあると言えるのはとても幸せなのだ。

 この幸せな時間を護るためにも、クレアは自分にできる限りで過去視をしてより良い国になる手助けをしていきたいとそう思う。


「さーてと、行きますか」


 荷物鞄の持ち手を心なし強く握り締めると彼女は待ち受ける正門へと確かな一歩を踏み出した。






 念のためこっそりと通路を覗き込んで誰もいないのを確認して、クレアは古い擦り切れた魔法書を閲覧机に広げた。魔法学校の図書館は既に閉館時間だが、オーリから特別に入館許可を得ている彼女はいつでも入れるのだ。

 そういう生徒は他にもいるが、ほとんどは個室で自分の読書や調べ物優先なので他の生徒とは基本的に関わらないし干渉もしないときている。クレアとしてもその点は有り難かった。

 まあそうは言っても極力誰かに見られたりしない方がいいので、細心の注意を払っている。

 クレアの運んできた魔法書は保存状態がとても悪く、最早文字の読めない部分の方が多い。

 辛うじて判読できるのは「修復・修繕」という文字だ。

 このページはその手の魔法についてが書かれていたのだ。


 今では誰も読めないが。


 しかし、クレアは違う。


 過去視魔法がある。


 彼女は人知れず、記されていた過去のページから修復魔法を視てくると。何度かそれを繰り返し一晩掛けて正確かつ詳細なメモを取った。

 オーリ王子へと渡すメモを。

 この魔法に関し、彼とは小さな取引をしている。

 対価として彼にこの魔法を使ってもらうのだ。クレアにはやっぱり変わらず普通の魔法は使えないからだ。


「ふふっ、これで髪飾りが直るわ」


 砕けてしまった青薔薇の髪飾りをクレアは小箱に入れて御守りのようにいつも携帯している。ブライアンは別に買うと言ってくれるがクレアはこれがいいのだ。

 魔法書を戻すと外に出て薄く白んできた空の下で一人背伸びをする。

 まだ誰も歩いていない魔法学校の図書館前だ。


「ふう、今日は折角の休みなのに、忍耐の時間になるんだわあぁ~」


 オーリ王子との対面に些か気の進まない彼女だが、やっと髪飾りが直ると思えば心は躍った。直ったそれをブライアンに見せる時を想像すればもっと気持ちは弾むのだった。






 その後、ラクレア国は世界の古の魔法の復刻と、それらの応用、更には発展に最も貢献した国と言われるようになる。

 そんな栄光の裏には鬼主君の下で涙ぐましい努力と忍耐を重ねた一人の魔女の働きがあったという。

 因みにその魔女は早くに結婚していたが、軍人の夫とはとても熱々な夫婦だったそうだ。

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復刻の魔女~魔法を解くのはキスを待って~ まるめぐ @marumeguro

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