第15話 魔女の家

 欲しかった答えは手にした。

 だからこそブライアンは兄のようになろうと兄が学んだものを頭に叩き込むため読書や座学に励んでいたのだと、クレアの中にあった小さな引っ掛かりは解けた。


「状況は理解したけどねえ、感情面ですんなり受け入れられるかって言ったら別なのよ。そこわかってる?」


 クレアからの厳しい非難の眼差しが俯くブライアンには見えていないはずなのに、彼はつむじに目でもあるようにびくりと肩を揺らした。


「ご――」

「ごめんなんて謝ってもらってもしょうがないから。謝罪をされたところで事実は動かないし、あたしはあなたを詰る立場にないわ。騙されていたのに腹が立ったのは本当だからその点は誤魔化さないけどね。でもだからってあなたを責めるのは違うかなって思うから文句は封印するわ」


 クレアは鼻を啜った。

 その音にハッとしたブライアンが顔を上げたが、クレアがマジ睨みするとすごすごとまた下を向いた。

 クレアの本心では目の前の男を喚いて叩いてど突いて責めて、その上で溢れる好き、安堵、感激のままに抱き締めてやりたいが、その拍子に大泣きしない自信はないので堪えた。それに、この自分よりも余程弱って泣きたそうな男の前でみっともない姿を晒すのは気が引けたのだ。


(これがきっと昔からブライアンに可愛くないと思われる強情さなんだろうけど、変えられないものは仕方ないわ。そもそも大事な事を隠されてたのに、ホントあたしは馬鹿ね。それでも彼と居られるのが心底嬉しいだなんて。はー、これも惚れた弱味かあ)


 彼女は正面で俯く幼馴染みを眺め努めて気持ちを改めた。感情をぶつけるなら全部済んだ後だ。


「失礼、少し取り乱したわ。今は話すべき話をしないとね。森の魔女からは姿を元に戻す方法は聞いてないの? あたしはあなたのためにも周りのためにも、真実を明らかにした方がいいと思うわ」


 ブライアンは顔を上げないままに首を振った。


「必要ないと思っていたから、そんな話はしなかった」

「そう……」


 魔法の解除は掛けた当人にしてもらうのが最も簡単だが、他者がするしかないのなら解除方法を模索しなければならない。

 それが古の未知の魔法なら相当苦労するだろうし、場合によっては解けないかもしれない。

 もしも解けなければ彼をブライアンだと周囲に信じさせるのは至難の業だ。どこからどう見ても、声も、匂いでさえ、今の彼はニコラス・ウィンストンなのだから。

 クレアはほぞを噛む思いで両手を握り締める。魔法の知識を沢山勉強してきた自負はあった。なのに姿をまんま変じる古代魔法の理論は知らないし、その解除となれば尚更だ。


「……あたしは魔女なのに何もできなくてごめん」


 ブライアンは「魔女……」と呟いて何か重要な事でも思い出したように顔を上げる。


「クレアが謝るなよ。そうだったお前って魔女なんだよな。それ聞いた時はかなり驚いたんだからな。兄貴のふりしてたから下手にリアクションできなかったけど」

「そっか、まあ、そうよね」

「詳しくは知らないけど、火とか水とか出せるのか?」

「ううん、そういう物理現象系じゃなくて、あたしのは時間関係だから」

「時間関係? まさか止めたりできるのか?」

「あははまさか。ただそこであった光景を視るだけよ」

「じゃあ過去に戻って変えたりは」

「できませーん」

「ふうん、そういうものなのか」

「そういうものそういうもの」


 ここで彼は僅かな間を置いて声のトーンをやや落とす。


「……で、平気なのか? 魔法の代償とか」


 彼の双眸に不安の色が過ぎる。過労が元凶と言われたクレアの母親の話を聞いているからだろう。

 クレアは心配されて悪い気分はしない。どころかブライアンは変わらずブライアンなのだとわかって嬉しかった。過酷な戦場から生還して人が変わったようになったなんて話を聞いた記憶があるせいかもしれない。


 彼の場合は愛しい程に愚かにも姿を変えたのだけれど。


 そんなブライアンは一応はコンバートメント外の通路を人が横切る度に目を向ける。そうして特に何もなかったように視線を戻す。自分達の会話内容はあまり他人に聞かれたくないものなので気を遣っているのだ。今もそうしたのは、或いは、彼は何か心の準備のために一拍置きたかったのかもしれない。


「なあ、クレア、今更だけどさ」

「なに?」


 一度クレアを見て問い掛けておいて彼は下を向いた。

 はー、と息をついてからもう一度クレアを見る。


「そのな……魔女だって件、どうして兄貴にだけで俺には打ち明けてくれなかったんだよ」

「ブライアンを面倒に巻き込みたくなかったからよ」

「何だよ、それ……俺は頼りないか?」


 彼は少し落ち込んだようだった。


「そうじゃないわよ。オーリ王子みたいな怖い人も関わってたから危険かもって案じたの。だけど今は巻き込めば良かったとまでは言わないけど、あなたにも伝えておけば良かったかもって思う。変に誤解されなかっただろうし」


 ニコラスの求婚には相応の理由があったのをブライアンも知っていればまた違った形になったのかもしれない。


「ああそうそう、一応確認しておくと、あなたがニック兄様のふりしてた時の告白は、だから無効って事になるわよね?」

「クレアそれは……」


 ブライアンは言葉に詰まった。ニコラスの気持ちはクレアにあるが兄の気持ちを勝手に持ち出したのは事実だ。

 一方、クレアはクレアではたと大きな事実を悟る。


(ちょっと待ってちょっと待ってちょっと待ってえええーっ!? あれあれあれっ? あたしってばブライアンを好きだからニック兄様ごめんなさいってしたのよね。よりにもよって中身がブライアン本人だとは知らずにっ。まだあの時は完全にはおかしいと思ってなくて兄様だと信じてたから……っ、あーーーーっやだどうしようやらかしたーーーーっ!!)


 急に頭を抱え込んで唸るクレアをぎょっとしたようにブライアンは見つめる。


「お、おいクレア?」


 彼女の耳が真っ赤になっているのに気付いて彼は少し怪訝にしたが、次の瞬間彼も真っ赤になった。直前までの会話からクレアの心境を察したのだ。


「えっと、その、あたしの告白は気にしないで。それこそ無効にしてもらっていいから。まだ魔法の解き方もわからなくてごちゃごちゃした現状だし、気まずくなるのも嫌だからっ、ね!」

「…………」


 ブライアンは何故か失望したように瞳を翳らせる。


「はは、もしかしてあれ、断るための方便で、本気じゃなかったとか?」

「え……?」

「兄貴は俺なら諦めるって思ってさ」

「はあ? そんな不誠実な嘘つかないわよ失礼ね! ……迷惑なら、そう言えばいいのに」

「そっそんなわけあるか!」


 ブライアンは席から身を乗り出すようにした。


「俺だってクレアが好きだっ。兄貴のふりをしたまま食い下がったのは、誰のためとか言う前にホントは俺がお前とそうなりたかったからなんだよ!」

「――っ」


 みるみるクレアの顔がまた熱を帯びていく。

 顔はニコラスなのに焦った時の飾らない表情の作り方はブライアンなのだ。


(好き……ブライアンもあたしを……。泣きたいくらいに嬉しい。でもまだ喜んでばかりじゃいられないわ)


「ありがとブライアン。なら余計に魔法を解くヒントでもいいから今はゲットしないとね。そうだ、オーリ王子に頼んで、魔法書を片っ端から読ませてもらうとか? うーんでもあの男にこれ以上の借りを作るのは気が引けるわ。だけど背に腹は代えられないし……」


 ブライアンは自らの胸をトンと親指で叩く。


「クレアの魔法は過去を視るんだろ? なら俺は実際に魔女の家に行って魔女本人に会ったし、その時魔女は俺にはよくわからない独り言みたいなのを呟いてたんだよな。何かそこからヒントが得られないか試しに視るのはどうだ?」


 クレアは息を呑んだ。

 誰も自分の過去を視られていい気分はしないだろうに、彼は自ら申し出てくれている。


「えっと……過去を覗かれるの嫌じゃないの? 怖いとか気味悪いとか気持ち悪いとか、思ったりしないの?」

「まあその、恥ずかしいって気持ちはあるな」

「恥ずかしい?」

「俺の情けないところもだけど、俺がどれだけお前を好きかって知られるだろ」

「……?」

「まっまあいい気にしないでくれ。ああいや、ホントは意識してほしいけどな……って、とにかく、みっともない俺がいても笑うなよ?」

「笑わないわよ。むしろ、距離を作らないでくれてありがとうブライアン。敬遠されてもまあしょうがないかなって思ってたから」


 彼はハハハと軽やかに笑って、たぶん意味はないのだろう力こぶを作るポーズをする。


「知ってたか? 俺はクレアになら俺の全部を差し出しても構わないんだぜ?」

「きっ急に何変な事言うのよ!」


 赤面するクレアはそっぽを向きつつ片目を瞑ってブライアンを見やる。彼に冗談の気配はなさそうだが、そこが逆に心臓に悪いったらない。

 彼女は気を取り直ようにぱんと頬を叩いた。ブライアンが驚いて目を見開く。


「じゃあ、視るわ。本当の本当のほんとーーっにいいのね?」

「いいよ」


 彼は何だか可笑しそうに苦笑を浮かべた。その表情にクレアの無駄な力みはすっかりほぐれた。


「で、俺はどうすればいいんだ?」

「手を握らせて。あと、あたしがぼーっとしてても声を掛けないで待っててよね」


 差し出された掌にクレアはそっと自分のそれを重ねる。


(ブライアンが魔女の家に招かれた時の事を視せて!)


 いつものように、逆行時計陣が出現しクレアを時の彼方へといざなった。





『――後悔はしないんじゃな?』


 決して広くはない薄暗いどこかの室内で、聞いた事のない女の声がクレアの鼓膜を打った。


(ここが魔女の家? 何か……シンプル)


 見る限りでは椅子やテーブル、書棚や食器棚、生活必需品を収めてあるのだろう小さなチェストの他には余計な物がないように見える。


『ああ、この先も彼女が笑ってくれるなら』


 他方、女の問いに答えたのはニコラスになる前の正真正銘のブライアンの声だ。


 彼の視点からなので鏡でも見ない限りは姿を見れないのをクレアは少し残念に思った。

 正面に佇む古の魔女は尖がり魔女帽子の奥からじっと底光る金色の目でブライアンを見つめている。


(ええと何だろう、何だか……)


 目が合っているのは過去のブライアンのはずなのに、クレアはまるで自分と直接目が合っているように錯覚しそうになった。

 ただ、クレアがどう感じようと過去は進み、魔女はブライアンと取引を進めた。

 既に未来がわかっていても、彼の決断する場面は辛いものがあった。


『――よく聞くがよい』


 一人胸を痛めていたクレアは目の前で手を叩かれたかのようにハッとする。

 既にニコラスの姿へと変じたのだろうブライアンへと魔女のやけに印象的な声が掛けられる。


『全ての物事には陰と陽があり、それは魔法も例外ではない。この選択が陰ならば相殺する陽を実現すれば全ては無に帰するじゃろう』


 ブライアンは意味不明だったのか怪訝な声を出していたが、クレアは彼の視点から魔女をひたと見つめる。

 魔女は見えた口元をあたかもクレアに対するようににんまりとさせた。

 妙に獣のように犬歯が目立つと関係ない思考までをクレアは抱いてしまったが、最後に魔女はこうも付け足した。


『悪い魔法は、得てして真実の愛に打ち負かされるものじゃしな?』


 金色に底光りする一対の瞳が意味深に細められ、クレアは我知らず息を呑む。

 湧き上がる。直感する。

 この魔女は、と。


(まさか、あたしが――)


 はたと気付けば、列車のコンバートメント席だ。


 向かいにはニコラスの姿をしたブライアンがいて、少し心配そうにクレアを見ている。クレアは現実を味わうように瞬いた。


「ただいまブライアン、視てきたわ」

「クレア!? ああ良かった戻ってきたんだな! それで、どうだった、何かわかったか?」


 クレアはゆるゆると首を横に振った。

 明確な方法はわからなかった。


(だけど……魔女はあたしを認識していた……?)


 ブライアンは魔女が独り言を口にしていたと言っていたが、もしクレアの存在に気付いていたとすれば納得だ。古き魔女ならそのくらいの芸当はやってのけそうだ。


「結局俺は役に立たなかったな」


 クレアが一人考え込んでしまっているとブライアンががっかりしたように溜息をついた。


「あのねえ、卑下する必要ないでしょ」

「そうは言っても始めたのは俺なんだしさ。クレアは、魔法を解いてうちの屋敷の皆に白状するべきだって思うんだよな? 今は俺もできるならそうして、騙していた事を謝って責めを負うのも甘んじるつもりだよ。でも、無理そうなら俺はこのまま兄貴のふりしてもいいんだ。両親に混乱を与えたくない」

「何でよっ、ブライアンはブライアンの人生を生きるべきでしょ! ニック兄様の人生はあくまでもニック兄様のものだもの、これ以上勝手に更新したら駄目よ。あたし、絶対にあなたの魔法を解くわ」


 もしも魔女の台詞がヒントなら、何か進展を望めるはずだとクレアはやり取りを反芻する。


(陰と陽とか難しい理念も口にしてたけど、要は魔法もプラスマイナスで相殺されるって意味よね。悪い魔法は愛が云々ってのは抽象的でわからないけども)


 もしもクレアが恋愛小説を好む女子だったなら、ここでとてもロマンチックな方法を思い付いたかもしれない。しかし生憎そうではなかった。

 小難しい顔付きでこめかみを押さえて低く唸るクレアはもう細かく考えるのは一旦やめにする。


「よおーっし、あたし駄目元で北の森に行ってみるわ。やっぱり本人に解いてもらうのが一番だもの。まあ、果たして会えるかはわからないけど」


 敢えてわざわざブライアンには言わないが前回は不発だった。それでも何でもいい、可能性のある事は全て試したい。できる事はしたいのだ。


「やめとけ、もし行くなら俺が自分で行くよ」

「は? 何言ってるの、遭難したら危ないわ」


 今度彼に何かあったらクレアは正気を保っていられないかもしれない。


「ならお前が行くのだって同じだろ。なあ、また魔法で俺の過去を視て調べられないのか? 一応はこの足で歩いて行ったんだし」

「うーんあなたが辿った道のりはめちゃくちゃだろうし、あなたの視点からだとどこ通ってるのかわからなくなりそうだもの。森の過去を視て客観的に位置を把握したいの。きっと大丈夫よ、オーリ王子よりも危ないものは出ないと思うから」

「……」


 ブライアンは同意すればいいのか同情すればいいのか判断が付きかねた。


「なら二人で行くか。な」

「あ……そっか、うん」


 彼を護りたい一心だったせいか一緒にとは思い付かなかったクレアだ。

 何が起こるか未知数なのはお互い様。それが二人の妥協案だった。


 ウィーズに着くと真っすぐに北の森へと向かった。途中親しい誰かにバッタリ会ったりしなかったのは幸いだ。

 二人並んで森の入口を入る。


「どうするつもりなんだ?」

「がむしゃらに歩くよりは、過去に魔女の家まで行っただろう誰かの足跡を辿ろうかなと。ほら、駄目で元々だし?」

「なるほど」

「よしじゃあやるわよ~!」


 クレアは張り切ってその場にしゃがみ込む。


(森の大地よ、お願い、古き魔女の家へと招かれた過去人の誰でもいい、でも確実に辿れる誰かがいたなら、その人の足跡を視せて!)


 魔法が展開する。

 傍のブライアンは消え、クレアは一人いつの過去かの森に立っていた。


(木々の成長具合からすると、現在とあまり変わらない気がするわね)


 元々成長した木ばかりなので辺りを見回しても直前との大きな差異はわからない。

 少し歩いてみようとした矢先、前方の木の間を誰かが通り過ぎた。何かを叫びながら。

 クレアは、驚きが大き過ぎて思わず凍り付いていた。

 何故ならその人は――


(――シシーおば様!)


 今も十分に若いが、見えた顔は更に若くまるで少女のようだ。おそらく十年くらい前のシシーだろうとクレアは見当を付けた。

 どうして彼女がここにと疑問は湧いたが、クレアは慌ててシシーの後を追いかける。魔女探しなのに知り合いを追っている。


(けどきっと無駄じゃないんだわ)


 この森の大地がクレアの要望に応えて導き出してくれた視るべき過去なのだ。


 途中案の定範囲外には行けずに過去視が途切れたが、国境地帯での経験を思い出し、もし魔法中に歩き出したら木などの障害物を避けるように支えてほしいとブライアンに頼んでもう一度過去視を再開。上手く行ったようでクレアは再び見つけたシシーをどこまでも追っていけた。


 一言で言って、シシーは憐れなくらいに無惨だった。


 森の道なき茂みを掻き分けていく彼女の服は葉の汁や泥などで汚れ、髪は乱れ顔は涙に濡れ目は真っ赤だ。果たして彼女の身に何があったのか、クレアは息を呑んでただただ見失わないようにするほかない。


『あの子達を見つけなきゃ、助けなきゃ、森は怖い所だともっときちんと教えておくべきだったのにっ。ああ、どうしましょう、どうしたらいいの、ニコラス、ブライアン、どこなの!?』


 追い詰められた必死の形相で独り病的に延々と言葉を繰り返しながら森の奥へと歩いていくシシー。


(これって兄弟二人で森で行方不明になった時の……?)


『――私の願いを聞いてほしいの、何でもあげるから、お願い森の魔女さん』


 シシーはそんな気になる台詞も叫んでいた。彼女も魔女に会おうとしていたのだ。


(ま、さか……会えたからこそ、二人は無事だった?)


 クレアの推測を裏付けるように、とうとう木々の向こうに小さな灯りが見えた。

 シシーはその家にふらふらとしながらも入っていく。


「――クレア家だ……そうだ、確かあの家だ!」


 意識の片隅に聞こえたのはブライアンの声。現実のブライアンにも同じものが見えているのだろう。


 その悟りが呼び水にでもなったように、クレアの意識は現実に戻っていた。夜の森からまだ昼の森へと。過去視とは違い家の中に灯りは見えない。昼日中なのだから当然だ。


「あの中に森の魔女がいるのね? 行きましょブライアン!」

「お? 戻ったのか、ってうわちょっ、わかったから引っ張るなって転ぶからっ」


 気が急くクレアにぐいぐい引き摺られるようにして、ブライアンも小さな木の家へと近付いた。


「あのねブライアン、あたし、シシーおば様を追いかけてここまで来れたの」

「何だって?」

「たぶんだけど、あなた達兄弟が森で迷ったのをおば様も捜しに来て、これもあたしの推測だけど、あなたとニック兄様の無事と引き換えに、魔女に何らかの代償を払ったんじゃないのかしら」


 ブライアンは暫く絶句していたが、やがて彼は浮上した何かの閃きを深く掘り下げようとするように顎に手を当てると「まさか、だよな……?」と魔女の小屋をじっと眺めて考え込んだ。


「……あの、な、あの時――俺が取引した時、魔女は案外親切だった。クレアも過去を視たろ?」


 彼は何を言い出すのかと思えば全然関係のなさそうなそんな感想を述べた。クレアは拍子抜けする。


「ブライアンふざけないでよ」

「ふざけてないって。持て成しを受けたんだよ。その時の茶葉が高級そうだったのはともかく、出されたケーキがミス・ケーキの店の味だったんだ」


 生憎クレアはその場面までは視ていなかった。


「それって、森の魔女もミス・ケーキの店で買い物をするって事? 隠れ住んでるわけじゃないのかしら」

「実を言うとあの時は俺、懐かしいお袋のケーキの味だと思ったんだ。更に言えばミス・ケーキのケーキはお袋の味に似ているってもんじゃない。そのものだってずっと思ってた」


 シシーはケーキを作れない。


 ――何故なら、魔法の代償として森の魔女にその才能を差し出したから。


 その答えに思い至ったクレアは合点すると同時に胸が痛くなる。ただ、シシーは選択を後悔していないだろう。彼女がケーキ作りについて話してくれたのを思い出せば何となくそうだとわかる。

 ケーキをもう作らないのではなく作れないのを息子達には内緒にしたかったシシーだが、ブライアンはもうすぐ真実に辿り着くだろう。


「俺思うに、もしかしたら――お袋はミス・ケーキなのかもしれない。ほら、魔女に姿を変えられる術か何かを掛けてもらってさ」

「…………」


 クレアはひたすら遠い目をするしかなかった。


「うん、まあね、全っ然違うと思うわよ」

「えっ――」


(あたしの推理が正しければ、ケーキさんこそが森の魔女ね)


 この点を告げてやるべきか悩んでいると、家の玄関扉がギギイィィ、と独りでに開いた。


「うおっ、びっくりした、何だよ魔女のお招きか? 入れって?」


 ここでクレアは、今日は先日のように道を惑わされたり過去視魔法への妨害がなかったのは魔女の意向だったのだと理解した。


(でもあたし達を招き入れて、一体何が目的? 魔法を解いてくれるつもりなの?)


 クレアは眦を決してぐっと顎を引いた。


「だったらお招きにあずかって入りましょ。魔法を解いてもらうためにも会わなきゃならないんだしね」


 そうして、クレア達は魔女の家へと踏み込んだ。

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