第14話 暴かれる真実

 玄関先でニコラスの乗った馬車を見送ったウィンストン夫妻は、並んでゆっくりと屋敷の中へと戻る。二人としてもクレアが心配だったがオーリ王子が関わっているとなると介入してもいいものか判断が付かないでいたのだ。

 ニコラスが自らクレアを追ったのは些か予想外だったものの、どこかで安堵していた。


 二人共、今のニコラスならば不思議とクレアと居るのがしっくりくると感じてもいたせいだ。


 以前はそんな風には感じなかった。倅達はどうかと勧めた事もあったが、その時もニコラスではなく亡きブライアンがその中心位置にいたと言っても過言ではない。


「あなた、あの子達は大丈夫かしら」


 あの子達。ニコラスだけではなくクレアも含めての言葉だ。シシーはニコラスをまた国境付近へ向かわせるのを本心ではとても案じている。バートもそこは同じ思いを抱いているが、苦いものを堪えて息子の意思を尊重したからこそ止めなかった。

 クレアにしても、オーリ王子は冷たい人間だと聞いているので一緒にいて無理難題を言われて苦労していないか案じていた。

 加えて、クレアやニコラス、そしてオーリの間に何があるのか大変気にはなる。

 しかしバートは詮索しなかった。彼は妻にもやんわりと釘を刺しておいた。家族や友人とは言え、時には知らないままでいる方がいい秘密もあるのを彼は培われた人生の中で知っているのだ。例えば友人の亡き妻についてなどがそれに当たる。

 おそらくはクレアについてもそうなのだろうとバートは思う。

 自分達は彼らが疲れた時に安心して頼れる場所になれればそれでいい。


「まあ、彼女の事は息子が理解していればそれで」


 ポツリとした夫の呟きに、シシーは隣で怪訝そうにした。

 もうシシーは泣いて臥せってはなく、何らかの彼女なりの確信を胸に抱いてこの頃を過ごしているのをバートは知っている。


 よく昔焼いていた得意のケーキを焼こうとして大失敗しているようだが、何故だがそれをとても嬉しそうにして安堵すらしている。


 バートにはその理由がよくわからなかったが、最愛の妻が明るく笑っていられるのなら何度だって喜んで焦げたケーキらしき物の御相伴に与るつもりでいる。妻の手料理は不味くても美味いのだ。


 シシー・ウィンストンはきっと何かを待っている。


 バートはそう感じる。

 そして、シシーの抱えるその秘密はいつか自分が知ってもいいものかもしれないとも彼は思って、妻の口から語られる日を密かに待つのだった。






 王子オーリが突然現れて国境駐屯地の兵士達は一時あたふたと走り回った。

 ロイヤルなお茶のマナー本はどこだと男性兵士達が探す傍らでは、額に汗を浮かべて叩き上げ軍人たる現場の責任者がオーリに応対している。しかしオーリがすぐに出ると伝えると安心したようにした。

 崩落のあった崖に行くと伝えるとやや懸念を表したが、オーリは随行は不要だと告げ馬車でクレアとフラウだけを連れた。

 崖付近は予想通り現在一般には封鎖されている一帯だったものの、オーリの言っていたように彼がいれば顔パスだった。


(これならニック兄様を連れてきても同じだったんじゃない? その方が怖くないし気も楽だったわ)


 クレアは冗談ぽく考えるが実際的にはニコラスには頼めない。因みに馬車はフラウが操作してオーリとクレアは車内だったので、無言の続く二人きりの空間は試練の時だった。


 駐屯地からしばらく走って到着した隣国との戦場だったそこは、風以外に何もないと思わせる場所だった。


 深い崖の底からどのくらいかけてか吹き上がってきた風が今度は吹き下ろされる荒野。


「ここで……」


 風に殴られ乱れる赤髪を手で押さえ付け、クレアはぎゅっと風に乾く唇を引き結ぶ。

 ゴミなどが散乱しまだ戦いの跡が残る大地は無惨だ。

 ここが戦場だったと知らなくとも、どこか物悲しい気分にさせる場所だとクレアは思う。

 そんな彼女に近付く足音がある。

 誰かはわかっているのでクレアは振り返りもせずに口を開いた。


「ニック兄様は、確かにあそこの方に行ったんですね?」

「ああ、作戦通りの動きだったからな」

「ですがどうしてブライアンまで?」

「本人希望の飛び入りだったそうだ」

「飛び入り? できるものなんですか?」

「現場の隊長がよしとすれば不可能ではない。彼は学生の身分だが実力があったそうだからな」

「そう、だったんですか……」


(ブライアンは優秀だったのね。単なる筋トレ馬鹿じゃなかったんだ。何だ頑張ってたんじゃない)


 しかしながらそれが前線に配置された理由であり、かえって彼のあだになったと言える。クレアはオーリから改めてブライアンに関する話を聞いた。


(でもオーリ王子だと思って姿を見て、それがニック兄様だと気付いたのはさすが兄弟の絆よね)


 クレアもこんな近距離でなら別人とわかるが、遠目で的確に気付けるかは正直自信がない。

 そんなニコラスによく似たオーリはクレアの横に並ぶと同じく風に吹かれた。フラウは少し離れた後方から馬車と共にクレアが何かやらかさないかと目を光らせている。無駄な労力を使っているなと彼女は内心鼻で笑ってやった。あの眼鏡とはいつまで経っても絶対に反りが合わないとも確信している。それは向こうも同じだろう。加えて、ある程度は事情を把握しているようだった。

 彼ら二人とこの地に来てまだ半日と経っていない。つくづく魔法とは便利な術だとクレアは思う。


(今回はテレポートの出口が固定されてるとは言え、王族がこんな長距離テレポートを使える身分なのはよくわかったわ)


 オーリの魔法ではない。王家が密かに所有しているレア魔法具の一つだ。もしもの時のために遠くに避難して命を長らえるための道具だろう。一度に数人しか運べないらしいが、大量に人員を運べてしまえば国同士の力関係もまた変わってくるのは子供でもわかる。魔法の発展にはそんなきな臭い側面も多々あるのだ。そしてその手の魔法具を作るのに必要な魔法の詳細を各国は秘匿してもいる。


(何はともあれ、早く知りたい)


 クレアは立ち止まっていた地点から歩き出し、その足を急がせる。一秒でも早く過去視をしたい。

 しかしオーリから腕を掴まれ止められた。


「どこまで行くつもりだ?」

「え? 向こうにですけど、でないと調べられないので」


 この場所からでは過去視魔法で兄弟の当時を視るのは不可能だ。能力的に未熟なのか能力そのものがそういうものなのかはクレア自身でもわからないが、現状広範囲を過去視はできない。

 多少危なくとも近付かなければ駄目だった。


「やめておけ。あの付近は先日の大崩落の影響で足場が脆くなっていていつ崩れるとも限らんからな。ここからでは本当に無理なのか?」

「今までの少ない経験から言えば、この距離じゃ無理です。ですが一度試しにやってみます。殿下も過去視魔法をきちんとじかに見たいですよね?」


 オーリの手からするりと腕を抜いてしゃがみ込むクレアを、オーリは今度は二の腕を掴んで制止する。


「無駄に魔法を行使するな。どんな弊害があるのかわかっておるのか? 時間魔法は総じて体に負荷が掛かる。お前のそれが同じく大きな対価を必要とするかは知らんが、早死にしたくないのなら極力使わん事だな」


 眉根を寄せる彼は本気で止めたいように見える。


(まさか、あたしの心配を……? なーんてまさかね。単にあたしの能力が使い物にならなくなるのを避けたいんでしょ)


 魔法には代償が伴う。クレアには自分のそれが一体何なのかまだわからない。


(代償がなかったりして? なんてわけはないよねえ)


 オーリはクレアよりも魔法の多くを知っているに違いなく、クレアとしてはもしかすると彼に詳しく見せる事で新たな発見があるかもしれないと実は淡い期待を抱いてもいた。どうせ弱味を握られているのだし使えるものは王子殿下でも使う的な投げ遣り感も少しある。


「弊害は、出た事はないです。疲れもしませんし」

「何もない、だと? 本当に?」


 クレアは尋問染みた声音に少し居心地が悪くなる。向こうにその気がなくとも普通にしていてこれなら周囲はやりにくそうだ。よくフラウはハイハイと喜んで付いて回ると感心すらする。


「はい。なので無駄でも何でも試させて下さい。何か少しでも探している過去を知れる可能性があるのなら、あたしは過去を視たいんです!」


 クレアはオーリを振り切って両手を大地に押し付けた。


「おいよせっ」

「お願い視せて!」


 金色が満ちる。

 魔法の時計が逆転を始めた。

 たとえオーリに途中で邪魔をされようと、一瞬でも構わないとクレアは願う。

 幻のようなものでも本当の二人に会いたかった。


(何が起きたにしろ、彼らのためにもあたしは全部視なくちゃならない!)


 止めようとしていたオーリの声は、諦めたのかいつしか聞こえなくなっていた。

 戦場の喧騒がごく近くなる。


(うわっ、凄い音)


 クレアがハッとした時には辺りには轟音が響き渡っていた。傍にいたはずのオーリの姿はない。

 上空ではラクレアとアルフォ双方の国の魔法使いによる攻撃と防御が引っ切りなしに続いている。足の裏には地上に落ちた攻撃魔法や砲弾のだろう大地を伝わる振動を感じた。

 煙と動き回る兵士達の姿が遠くに近くにある。

 ブライアンとニコラスの姿は見つからない。


(二人は今どこにいるの?)


 ここでは駄目だと過去の中を彼女は駆け出した。もっともっともっと向こうに行かなくてはと。

 そんな強い気持ちが現実でも彼女の体を動かした。

 一歩二歩とクレアが立って歩き出したのだ。


「おいっクレア・ローランド! 止まれっ、おいっ、聞こえておらんのかっ?」


 意識のほんの端にオーリの声が聞こえたが、クレアの意識は……意思は前進を至上の命とでも言うように決めていて、歩みを止めない。


(あたしは視なくちゃ)


 とうとうオーリは腕で抱えるようにしてクレアの歩みを止めに掛かった。クレアが尋常な様子には見えず慌てて手伝おうとしたフラウはオーリから「来るな」と制されて不安そうに見守る。

 この状態でクレアに触れれば過去が暴かれるかもしれないのだ。それならば被害は自分だけでいいとオーリは考えての指示だった。詳細を問い質したわけではないが彼女の言動を見るに一番の重大な秘密を視られてしまっているようなので、その他はもう視られたところで大した影響はないと彼は考えていた。


 他方、過去視の中でも景色ごとの前進を阻まれてクレアは苛立って訴える。


「放してっ!」


 現実を見ていない目を見開いて大きく叫んでとうとうオーリに体当たりして駆け出した。


「クレア・ローランド!」


 背中の声にはもう注意を払わなかった。いつにない強い意思と共に行使したからかこんな過去視は初めてで、少し興奮していたのは否めない。過去世界を自由に動いて視られるのだから。幻なので人も銃弾も魔法も全てがクレアをすり抜ける。

 その先にとうとう求めていた景色を見つけた。

 地面に大きく亀裂が入るのがありありと視界に映る。

 その中に、彼らはいた。


「――ブライアン!」


 彼が放り出されるのを目の当たりにして、クレアは走りながら必死に手を伸ばした。これが過去の光景なのだとはすっかり忘れて。


「馬鹿者っ!」


 刹那、後ろから腰に腕を回されて強引に引き戻される。

 その間も彼女の目には過去が繰り広げられていた。


「おい聞いておるのかクレア・ローランド! いい加減正気に戻れ! 死ぬ気か!?」


 怒鳴り声に鼓膜が破れそうになってようやくはっとクレアは我に返った。

 後ろのオーリに寄り掛かるようにして二人で地面に尻餅をついている形だが、すぐ前、たったの数歩先には地面がないのを悟る。

 過去の光景では存在していた地面も何度か大小の崩落を起こして今は無くなってしまっていたのだ。

 それを逸早く認識し、クレアはゾッとして顔面蒼白になった。オーリに止められていなければ今頃は深い谷底へと吸い込まれていたに違いない。


 カタカタと小さく震えた彼女に気付いたオーリは更なる怒声を浴びせるのをやめて代わりに溜息を吐き出すとさっさと起き上がった。殿下~っと叫びながらフラウが走り寄ってくるやどこも怪我はないかと確かめる。オーリはそんな甲斐甲斐しいフラウを煩わしそうに脇に押しやった。

 しょげたフラウは八つ当たり的にキッとクレアを睨む。


「貴様のせいで殿下まで御陀仏になるところだったのだぞ! 意味不明に走り出して何事かと思えば、自殺願望があるなら貴様一人で死ぬなり寝るなりしろっ! このお方を巻き込むなっ!」


 凄い剣幕だった。ただ、フラウの言葉なのに全く腹が立たないのはまさにその通りだからで、一歩間違えていたら自分だけではなくオーリまで共に落ちていた。反省の言葉しかない。

 立ち上がったクレアは反論も文句も言わずに頭を下げる。


「そうよね。あたしの不注意でした。ごめんなさい。助けて下さりどうもありがとうございました! これからは専属魔法使いとして精一杯働きますので、何卒宜しくご指導ご鞭撻の程を賜りたく存じます!」


 場違いで大仰な宣誓にカッカとしていたフラウはさすがに微妙な顔でクレアを見つめた。こいつ頭大丈夫かと顔にもろに書いてある。


「ま、まあ反省したならいい。よし、殿下の御ために馬車馬のように働くんだぞ」


 オーリの方はどこか探るような眼差しだ。


「もう、済んだようだな」


 さすがは察しがいい。


「はい。知りたい事は概ねは」


 クレアは逆に少しの罪悪感を胸にじっとオーリを見つめた。

 大地の過去の他に奇しくもまた流れ込んできた彼の過去には、やはり母セレナがいたのだ。


「何だ?」

「いえ、ゆくゆくは殿下をお護りするための魔法を見つけられたらな、と」

「ほう?」


 クレアは視たのだ。セレナはオーリを一人の人間として尊重し大切に護っていた。彼に向けられていた笑顔からそれが窺えた。


(母様が誠心誠意で仕えていた相手なら、きっとこの人は悪い人間じゃないんだわ。……随分性格が歪んじゃったみたいだけどね)


 オーリは何故だかふっと可笑しそうに笑った。


「年下の小娘如きに心配されずとも、私は揺るがん。要らぬ思考でその小さい脳みそを無駄に消耗するな」

「なっ……!」


(ホントいちいちカチンとくるわね。ガードを緩めたあたしが愚かだったわ)


 公的にはこの男のために働けど、プライベートでは踏み込まないし踏み込ませないと固く決意する。


「用事が済んだなら戻るぞ」


 憎たらしい程の長い脚で踵を返して歩いていくオーリにフラウが従う。クレアもやや遅れて付いていく。

 途中、彼女は最後に一度崖の方を振り返った。

 ここでは他にも命を散らした者達がいる。

 瞑目し、前を向く。


(彼に会わなきゃ)


 その後再び国境警備軍の駐屯地に戻ったクレア達は、そこからまたオーリの魔法具でテレポート。


「えええっ、どうしてウィーズじゃなく王都なんですかっっ!」

「あそこにはテレポートの終点としての座標は設定されておらんからな」


 王都のしかも王城の庭で、しれっとオーリはのたまった。

 何でも、彼の持つテレポート魔法具は、始点は自由だが出口は固定されているらしい。どこにどれくらい出口があるのかは王家の人間しか知らないそうだ。


「ふ、不便な……」

「貴様何だその言いぐさは! 貴様が泣いて懇願したから殿下が連れて行って下さったのだぞ!」

「はああ!? これは立派な取引よ!」


 大体にして泣いていないとクレアがフラウを睨み付けていると、オーリが神妙そうな顔で彼女を見下ろした。


「ところでクレア・ローランド、何故ここが王都とわかった?」

「え……と? え、もしやここは王家の庭じゃないんですか? あたし勘違いしてました?」

「いや、王家の庭で当たりだ」

「ならここが王都なのは当然だと思いますけど?」


 王家の庭は王城にあり、王城は王都にある。

 ただし、この庭は王城でも内城にある。


 普通は立ち入りが制限されている王族専用の区画に。


 勿論クレアは訪れた事はない。


 そこに思い至って彼女は「あ……」と言葉に詰まった。たらーりと嫌な汗が垂れる。

 オーリは猫のように目を細めて身を屈めるとクレアの耳元で囁く。


「私の過去を視た中にあったか」


 図星だ。故に王都と断言してしまったのだ。猛烈に気まずい。


「申し訳ありませんっ、母様といたから気になってずっと覚えていたみたいでっ」

「母親……」


 今度は反対にオーリが口を閉じた。沈黙したまま意外にもクレアから目を逸らすとそのまま歩き出す。


「今日はここに泊まれ。賓客として部屋を用意させる」

「えっ、泊まらないとならないんですか!?」


 空はそろそろ夕暮れを映すが遅い列車で帰れない事もない。


「この庭を自由に歩いて構わない」

「庭を……?」

「昔よく友と話した場所だ。セレナと言う名の、な」

「――!」


 オーリは暗にこの庭での過去視をしたければしろと示唆しているのだ。クレアの弊害はないとの証言を信じたのかもしれない。

 もう彼は回廊へ上がる浅い階段に足を掛けている。フラウもクレアも急いで彼の後を追う。その際目が合ったフラウからはお決まりのようにフンと睨まれた。





 オーリはクレアがセレナの娘だとは既に調べて把握していた。

 だからこそその事実を意識する時、言い様のない自責を強く感じる。

 当時、セレナは過去の魔法の研究をしているだけではなく、オーリの学問の講師の一人だったので頻繁に顔を合わせていた。


 しかし講義以外でも話をするなど、彼が心を開いたのはセレナにだけだった。


 表面ではへつらってにこにこしていた講師達はオーリ王子は難しい子供だと陰口を叩いていて、彼はそれを知っていたから余計に溝が広がってそうなった。


 セレナはオーリを特別扱いしなかった。無論王子として丁重には接していたが、王都の街中の子供と同じように一人の人間として平等を与えてくれ、望めば王都の遊びや流行を教えてくれた。

 冷たい王城にはなかった安堵と温もりをくれたのだ。

 年齢は親子程に離れていたが、気の置けない友人だったのだ。


 だが、セレナはオーリのために死んだ。


 体調の悪化は魔法の使い過ぎだとセレナは周囲へは告げたが、本当のところは解毒方のわからない未知の毒を盛られたからだった。


 ――本来はオーリが飲むはずだった毒を、代わりに口にした。


 裏で糸を引いていたのは隣国アルフォだった。

 王族であるオーリがメインだったようだが、時間魔法を使う厄介な存在たるセレナが飲んでも敵国としては万歳だったのだ。

 オーリは当時は解毒は自分の魔法でできるかもしれないとセレナへ訴えたが、彼女はそれを許さなかった。それをしてしまえばオーリが魔法使いであると知られてしまうからだ。


 しかし、あの時無理に魔法を試していたならどうなっていただろうかと、彼はふとした瞬間に考えてしまう。

 庭からフラウと共にクレアが付いてきているのを肩越しに確認し、小さい頃から魔力を封じるために着けている黒手袋を無意識に撫でた。


 オーリがアルフォを憎む理由はそこにある。


 そんなわけで、彼はセレナに大きな借りがある。ひいてはクレアにも。

 クレアの魔法は彼にも不明な点はあるが、セレナに代わって彼女を護るのが償いになるだろうと彼は思ってもいた。

 この先の彼女の待遇も含めて彼には一つ考えている事があるのだが、それはもう少し先の話だろう。






 その夜は賓客扱いと言っていたように豪華な部屋を案内され、クレアは不自由なく快適に過ごせた。もうオーリもフラウも顔を出す事はなく、彼女がウィーズ行きの列車に乗るチケットさえ、彼女の世話を命じられた年配の執事が手配してくれた。

 駅のホームで列車を待つ間、ウィーズに帰ったらまずするべき事に順序を付ける。


「最初はやっぱり――」


 幾本もある線路の一つには先程一便の列車が入ってきていた。王都が目的地か乗り換えの客達が降りてホームを歩いているのが向こうに見えている。


「えっ」


 クレアは思わず一歩前に出た。


「ニック兄様!?」


 思った以上に彼女の素頓狂な声はホームに響き、歩いていた者達はちらと視線を向けてくる。


 クレアが見つめる金の髪をした青年もその一人だった。


 向こうもクレアを見てすぐに悟って足を止めた。びっくりしたのは彼の表情から明らかだ。しかも彼は、他の列車がいないのをいい事に線路に飛び下りると颯爽と駆けてくる。


「なっなっ何やってるのよニック兄様!?」


 危ない上に駅員に大目玉を食らうのは疑う余地もない。

 度肝を抜かれるクレアの真ん前では華麗な走りでやってきたニコラスが最後の難関たるホームへの上がりも脚力とホームに着いた手の力で難なくクリア。ニコラスにしては人知れず筋トレでもしているのかよく鍛えられている。


 ホームに立ち上がった彼を見つめ、まだ唖然としていたクレアは何を言えばいいのか思い付かない。注目だけが集まって内心居心地が悪いのに、向き合ったニコラスを促してその場を移動するなんて思考も湧かなかった。

 何しろ不意討ちの再会なので心の準備ができていない。

 そんな気など知らないニコラスはクレアの肩に手を置いてハーッと深い息をつく。


「ああクレア良かった無事で。何も嫌な事はされていないね?」

「それは、大丈夫、だけど、兄様こそどうしてここに?」


 顔を上げたニコラスは弱い笑みを浮かべる。


「クレアを追って国境まで行くつもりだった……んだけど、予定変更だね。……本当に心配したよ」

「兄様……」


(へえ、心配……ね。嘘じゃないんだろうけど、でも)


 クレアは後ろに下がってニコラスからやや離れると、あからさまに睨み付けた。


「ク、クレア?」


 困惑と動揺をその綺麗な顔に浮かべるニコラスは今にも彼女がくるりと背を向けて走り去ってしまうのではないかと危惧したように、手を伸ばした。

 クレアは彼へと初めて向ける鋭いその眼差しで彼の動きを封じる。彼が躊躇うように腕を脇に下ろすと、彼女は低く声を放った。


「ウィーズに帰ったら話をしましょ、――ブライアン」

「――っ」


 驚愕した彼は心底とても動揺したのだろう。


「な、んでわかっ――あ、いや…………」


 ボロを出した。苦い顔付きで無言で俯く相手へと、クレアはひたと向けた目を離さなかった。


「あたしは、本当のあなたとちゃんと話したいの」


 これからする会話では誤魔化さず誠実に応えてほしいと願う。二人はホームで言葉もなく見つめ合う。

 こんな状況は、彼が見知らぬ王都民からオーリ王子ですかと声を掛けられやっと転換した。人違いですと対応した彼はやれやれと嘆息してから改めてクレアの正面に立つ。

 腹を決めた眼差しでゆるりと瞬いた。


「そうだな、帰って話をしよう、クレア」


 彼は眉尻を下げ観念した笑みも浮かべた。

 二人の間には最早否定や取り繕いは要らなかった。

 駅員にはこってり絞られた。


 クレアの予想に反してウィーズに着く前に、ウィーズ行きの列車のコンバートメント席、二人の他に相乗りのいないそこでニコラスの姿をした男――ブライアンは、彼の辿った道のりを語ってくれた。


 クレアが崖上で視たものをも含めて。






 ブライアンは、どうして戦場に兄ニコラスがいるのか、どうして兄は慣れない戦いに身を投じるのをよしとしたのかを知りたかった。だから同じ隊に加わろうと思い立ったのだ。

 オーリ王子の影武者なのは兄がオーリ王子を名乗っていたので最初からわかっていたが、途中から自分達は囮なのでないかと薄々感じていた。

 何故ならあたかも敵を挑発して誘導するシナリオに乗っかっているようで、ギリギリ違和感を持たれない線で必要以上に敵と近い。作戦は順調なのかもしれないが、このままでは危ないかもしれないとブライアンは肌で感じた。


 単に不慣れな身内を過剰に案じてのものか、兵士としての直感かはわからない。


 この隊の面々は命知らずの集まりなのか、と自らを棚に上げて考えるブライアンは知らなかった。彼らには魔法使いでなくとも使える汎用化されたテレポート魔法具が与えられていた事を。


(いい加減もう退路を確保した方がいいんじゃないか?)


 敵を崖際に引き付けるならもう十分役目は果たしている。

 きっと援軍が現れるはずだ。

 案の定そのすぐ後に援軍が現れ敵は動揺し始めた。

 この好機に乗じてこちらは退路を確保していけば勝利すると見通したブライアンは少しの安堵を抱き、その時ようやく兄のニコラスも自分がいるのを悟ったのを悟る。


 ブライアン! どうしてここにいるんだ!


 少し遠くの馬上からそう彼の目が言っていた。

 ブライアンも騎乗していたから互いの姿はよく見えた。こんな所々大岩の並ぶ場所では馬が適している。

 彼はさりげなくブライアンの近くに来ようとしていた。


 その最中、地面に亀裂が入ったのだ。


 あっ、と思った時にはブライアンは馬からも地面からも放り出されていた。ここは崖の端、いつ崩れてもおかしくはない危険地帯。


『ブライアン!』


 ニコラスが叫ぶ。


(くそっ、俺、死ぬのか――クレアと仲直りもできずに……っ)


 悔恨を抱いたところで誰かに腕を引くように掴まれ、何かを握らされた。


『なっ、兄――』

『――愛しているよ、ブライアン』


 ニコラスは幸運にも無事だったのだが、何を考えたのか崖上から弟目掛けて飛んだのだ。兄弟揃って落下する。


(何考えてるんだ兄貴っ!? 二人で心中なんてどうしようもねえだろがーっ、家族は、クレアはどうするんだよ!!)


 一秒にも満たない思考で詰ってみても現実は変わらないのはもう理解している。自軍も敵軍も被害は出そうだが、よりにもよって兄弟二人で戦死する羽目になろうとは思いもしない。

 ただ、ブライアンが解せないのは兄のどこか満足そうな顔だ。


 まるで、間に合って良かった、みたいな。


(兄貴は一体何を――)


 弟の掌に押し込めたのか、との疑問を確認する暇もなく周囲の景色が薄れ、彼がはたと我に返った時には地上だった。

 まだ戦場ではあるが、崖からは離れた地点に立っていたのだ。


 タタンタタンと列車の音がする。

 然程混んでいない便なのか、幸い誰も二人のコンバートメントには入ってこなかった。


「――兄貴は俺にテレポートの魔法具を使ったんだって、他の兵士達がテレポートしてきているのを見てすぐわかったよ」


 クレアの向かいの座席に項垂れ、あの時は参ったとブライアンは独白する。


「そこから何日と、やけに現実味が薄くてさ」


 自分を庇って兄は死んだ。命は救われたが救いなどない。絶望に打ちのめされドン底で這いつくばっている気分だった。よく言う絶望の淵とは当時の自分の立っていた場所だ。

 崩れた地面ごと底の見えない深い谷間に落ちて遺体もないなど、天には慈悲も何もないのかと憎みさえした。


「ブライアン……」


 彼の後悔や自責の念はクレアにはきっと計り知れない。


「だから俺はクレアを不幸にしないって誓ったんだ。兄貴の遺言を、願いを、俺自身の醜い望みをも叶えるために。俺はお前は兄貴を好きだと思っていたから、俺は俺を殺して生きようとしたんだ。兄貴になろうとした。どんな形ででもお前の傍に居たかったから」


 この上なく歪んでいて、それでいて純粋な想い。

 目の前に跪くも同然の男の懺悔に耳を傾けるクレアは悲しさと嬉しさに泣きたくなって、彼の膝で握りしめられた震える両手をその上からそっと握った。


 それから彼は密かに一人ウィーズに戻り北の森に向かったのだと言う。


 北の森。そこには古き魔女がいると言われる。

 クレアは目を瞠ったが大きな驚きはなかった。そんな考えが既に胸にはあった。


「何日も彷徨って必死に森の奥で叫んで願ってへとへとになって、それでも俺を兄貴にしてくれって頼んだ。どうかしてるよな。森の魔女なんて眉唾だと思って生きてきたくせに。で、死ぬならここで死んでもいいなんて思ってたら魔女が現れた。深く帽子を被った顔もわからない魔女だった。小屋に案内されて、そこで取引した」


 彼のこの姿が古の魔女によるものならば納得だ。現代人の知らない魔法をきっと沢山使えるのだろう。


 そうしてブライアンは死んだ兄の姿を手に入れてニコラス・ウィンストンとして生きていくはずだった。


 たとえ惨めになろうとも、不幸になろうとも、何もなければそうだった。

 他の誰かが気付いても、クレアが気付いてしまわなければそうするつもりだった。

 だが、喜べばいいのか嘆くべきなのか、そうはならなかった。


 結局、彼はクレアを最後までは欺けなかった。

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