第13話 証拠のない確信

 クレアとニコラス、双方無難にやり過ごしたその日の夕食後、自分の部屋に戻ったクレアは壊れてしまった髪飾りをテーブルに広げてその前に腰かけた。ゆっくり一人になれる時間に過去視魔法を試すつもりでいたのだ。


「ちゃんとあたしの所に戻ってきた……けど、まるで身代わりみたい」


 形あるものはいつかは壊れると言うが、こんな風に予期せずに失われるとは思ってもいなかった。


「はは、こんなとこまで贈り主に似なくても良かったのにね」


 見ていたらポタリと雫が落ちた。


(ブライアン、あたしはどうしたってあなたが好き)


 不器用な笑みも些細な過去も、彼との記憶なら鮮明に思い出せる。

 暫し見つめ続けていたがクレアは目元を拭った。仕切り直しのようにすんと鼻をかんで両の頬をパンと叩く。


「……ふぅ、もう沢山泣いたじゃないクレア・ローランド。さっさと行動しなさい」


 過去視は駄目で元々だ。だからこれは賭け。

 魔法を使う不安は勿論あるが、今は使わなければならないという直感もありそれに従う。

 大事な真実が秘められている気がしてならないのだ。

 クレアは丁寧過ぎる程に慎重に両手を伸ばして髪飾りに触れると、全ての破片ごと掌で優しく包み込んだ。


「お願い。あなたの上に降った時間をあたしに教えて」


 強く念じる。

 現れた逆行時計陣と共に、緩やかに彼女の意識はどこか過去の時間へと沈んでいく。

 賭けに勝ったのだ。


『――クレア、僕のこの過去を視てくれてるかな?』


(ニック兄様!)


 時間の指定をしなければランダムな過去があらわれる。一体いつの過去なのかと手掛かりを求め、クレアは辺りを見回した。

 煙の隙間から微かに見えるのは暁なのか黄昏なのか。そんないつかの濁った空の下、荒野には無数の野営天幕と焚き火が見える。

 戦場だ、しかも隣国アルフォとの国境の、とクレアは悟った。

 ニコラスは一人焚き火の前に腰かけて、何故か青薔薇の髪飾りに話し掛けていた。


(兄様ってば、他の人に見られたらどうしようもなく危ない人よそれ……)


 やはりこんな所でもニコラスはニコラスだった。

 閑散殺伐とした野営地の雰囲気とのちぐはぐさに彼女は思わず突っ込んでしまった。勿論ニコラスには聞こえていないのだが。


『本当に何の因果かな。弟が君に贈ったこの薔薇が僕の手元に届くなんて……。まあだけど、きっと君に伝えてくれると願ってる』


 過去視の中のニコラスは本当に想いよ届けと、万感を込めるように微笑んだ。

 長年クレアの親しんだニコラス・ウィンストンがそこにはいた。


(そっか、明日どうなるかもわからない戦場で、兄様はあたしの魔法能力を知ってるから、敢えてこんな方法で言葉を残してもくれたのね。でも……?)


『もしかしたらもう言えないかもしれないから、ここに内緒で告白します。ごめんね、なんて言わないよ。だからごめん。いつかクレアがこの過去の僕を見つけても、どうか気に病まないで』


 髪飾りの記憶の中のニコラスの声は懺悔のように静粛なのに、まるで朗々とした詩吟のようにクレアの意識に届く。


『実を言うと、ずっと前からクレアのブライアンへの気持ちは、クレア自身が気付かないうちから気付いてた』


(ええっそうなの!?)


『僕はクレアもブライアンもどちらも大好きで大事なんだ。ずっと特等席で二人を見てきた。だからこそ悔しいけど心から二人には幸せになってほしい。ブライアンを未来の旦那さんに選んでほしいな。あの子も望んでいるだろうから。まああの子の事だから時々酷く馬鹿げた愚行をやらかすかもしれないけど、悪気はないと思うから大目に見てあげてよ……なーんてね』


 わざと陽気に振る舞うニコラスはそれで少しでも湿っぽくなってしまう空気を軽くしたいと願ったのかもしれない。


『もし不幸にしてこの地で塵になったなら、祝福される二人の姿を見に行くよ。カラフルな花弁の沢山降るチャペルを通るそよ風にでも乗ってさ。クレア、兄として男として心から愛してるよ』


 彼はクレアを目の前にしているかのように幸せそうに微笑んで、祝福を与える天使のように髪飾りに口付けた。


(……っ)


 何て優しくて切ない告白だろう。ニコラスらしいと言えばそうだけれど。

 頬を伝うものにハッと我に返る。

 記憶断片の再生だったのか、急に現在に戻ってしまっていたクレアは涙を拭って髪飾りを見つめ下ろした。

 改めて知ったニコラスの気持ちに申し訳なさが湧く。

 彼はクレアの本当に好きな人を知るからこそ苦しんでいた。

 それなのにブライアンの方が死んでしまって、彼は自分のためだけではなく弟の分まで傍にと誓ったのだろうか。


(でもあたしは……)


 胸が痛い。


(それに、オーリ王子の言葉が引っ掛かってる)


 ――ニコラスを信用するなと去り際に彼は言っていた。


(単なる意地悪で掻き回そうとしたとは思えない。……ううん、万分の一くらいはあるかもしれないけど)


 皮肉げな笑みを思い出して何だかムカムカとしてきたところで、まだ髪飾りに触れていたからか予期せず魔法が展開されて、またもや過去の断片がクレアの視界に広がった。

 それは、どこかの天幕でオーリとブライアンが会っていた光景だった。オーリの事を考えたので彼の関係する場面が顕れたのかもしれない。

 そこでオーリはブライアンへと青薔薇の髪飾りを渡していた。


(いつの、場面……?)


 しかしクレアが戸惑っている暇もなく、次の過去へと映像が移っていく。

 クレアのよく知るウィーズの町から北の森へと繋がる道をブライアンが歩いている。騎士学校の制服を着ている彼は窶れ疲れ果てた顔をしていた。


(あんなブライアン見た事ない。いつの彼なの?)


 しかしまた過去視の時間軸が変化した。


(えっ? 今度はニック兄様?)


 ニコラスも同じ道を歩いていた。ブライアンと同じような表情をして。ブライアンとは逆方向に。服装は文学青年な彼に似合うものだった。

 森を出て来たのだろうか。


(でも、何のために森に? ブライアンもだけど、そもそもいつの?)


 二人からここ数年内は北の森に行ったなどという話を聞いたためしはない。

 しかし彼らの姿、とりわけ成長期のブライアンの姿から判断すれば一年と昔ではないはずだ。帰郷時のトレーニングコースだから言うまでもないと言わないでいたのかもしれないが、クレアはどこか腑に落ちない。ニコラスにしても地元の植物を調べようとフィールドワークに行くような格好でもなかった。

 彼女は他にも過去を眺めたが、髪飾りが壊れていたせいだろう、記憶は切れ切れで思うようには視たい部分を視られなかった。

 だからこそ、謎と疑念が深まった。


(オーリ王子が髪飾りをブライアンに渡したなら、どうしてブライアンの荷物に入ってなかったの? ブライアンが兄様に渡したって事……? でもそんな時間あったのかしら。あったとしても渡す理由がわからない。……何かがおかしいわよね)


 そんな時だ、ノックがあったのは。


「クレア、僕だ」


 廊下からの声にクレアはドキリとした。まさに疑惑の人がすぐ向こうにいる。腰を上げたクレアはやや急いで扉口へと向かった。


「どうしたの、ニック兄様?」

「今から少し話せる?」


 回りくどさを嫌ったのか彼女が扉を開けると彼は単刀直入にそう提案してきた。クレアは渋るでもなく承諾に頷いた。

 彼女にもニコラスに質問があったのだ。


「じゃあ庭に出ない?」


 そうは言ってもクレアはぎこちなくなってしまったが、相手の方は昼間の件もあって予想していたのか少し苦笑いした。


 ウィンストン家の夜の庭は真っ暗にならないよう一定間隔に照明を設けてあるので足元の心配はない。


 昼でも夜でも屋敷の庭を散歩するのは昔から珍しくない。子供たちだけで、時にはバートやシシーも一緒にしばしば歩いたものだ。最近はそんな気持ちになれずにクレアは見送っていたが、ニコラスはブライアンの分までとでも思っているのか、とりわけ元気のないシシーを連れ出して散歩する姿を度々見かけていた。優しいところは変わらない。

 今夜はニコラスと二人きり。変な事をされるとは思わないがクレアはやはりどうしても微妙に緊張を感じていた。


 一方では昼間のオーリの言葉がトゲのように思考に刺さっている。


 それは正直に言えば、微かに微かに少しずつ少しずつクレアの中に積み上がっていたニコラスへの違和感にも通じるものだった。


 死んだブライアンと、死んだはずだったニコラス。


 今だって、ニコラスはニコラスにしか見えない。声もにおいも醸す空気も。


(なのに、あたしは兄様のふとした瞬間の表情、ふとした仕種にブライアンを重ねて見てるんだってわかった。ブライアンがしてたようなのだったから。浮かんだ考えも馬鹿げてる……――ブライアンが兄様に成り済ましてる、だなんて)


 彼の両親ですら気付かない。

 クレアにはそれが可能な実際的な方法があるかはわからない。あるとすれば魔法だろうが、ブライアンは魔法を使えない普通人だ。

 それにどうにか成り済ませたとしても動機が不明だ。ふざけてやっているとは思わないが、嘘が露見した際の周囲の理解だって難しいだろう。彼にメリットなんてないはずだ。


「クレア、昼間は突然告白なんてしてごめんね。クレアには僕の気持ちを知っていてもらいたかったんだ」


 つい考え込みそうになっていたクレアはハッとして今は彼との会話に集中しようと頭を切り替える。


「どうして謝るの? 兄様は悪くなんてないでしょ。ただ告白した、えっと、してくれた、だけなんだしっ」

「……ありがとうそう言ってくれて」


 お断りした気まずさからちょっとぶっきら棒な言い方になってしまったが、彼のほっとした笑い方がブライアンのそれと重なり、彼女は努めて動揺を押し込めた。

 もう会えないからこそ余計に恋しくて彼を思い出すのかもしれない。彼ら兄弟は似ていないようで似ている部分が多かったから。

 故に、あり得ないと否定してみても、一度抱いてしまった疑念は簡単には消えてくれない。


「兄様の話ってこれ?」

「あー、いや、これもだけど、もっとある」

「もっと? 何?」


 ゆっくりと隣を歩きながらニコラスの鼻筋の通った横顔は言いにくそうにやや俯けられた。


「兄様?」

「――謝っておいてあれだけど、結局のところ僕はとても利己的な人間で、ニコラス・ウィンストンという男の気持ちも簡単には投げ出したくないんだ。投げ出せない」

「それって……」

「うん、しつこいと思われて当然だと思う。だけど僕はそれくらい諦めの悪い程にクレアが好きなんだ。僕との交際をもう一度考えてほしい」


 クレアは返答を躊躇して視線を彷徨わせた。同日に二度も同じ相手を振るのはきつい。それが家族のように大切な相手なら尚の事。


(だけど、曖昧にはできない。相手が兄様だからこそ)


「…………ごめんなさい。昼間も言ったけど、気持ちには応えられない」

「どうしてもブライアンが好きだから? だけど、人の気持ちは全部じゃないにしてもいつか変わると僕は信じてる。クレアと僕ならきっと充実した日々を送れるだろうって」


 意外にも頑固な面を見せてきたニコラスにクレアは戸惑った。何となく何度断っても粘ってきそうな気がする。


「恋愛での好き嫌いは別としても、兄様をあたしの事情には巻き込めないって思うから。だからごめんなさい。気を悪くしないでね」

「事情……。クレアの事情になら何だろうと喜んで付き合うよ」

「兄様が大事だからこそ巻き込めないの」

「危険があるからって話なら知らないよ」

「兄さ――」

「――お試しでもいいんだ! せめて、一度付き合ってみてから結論を出すんじゃ駄目なのか?」


 そんな始まりも勿論あるだろう。しかし……。

 クレア、と情熱的に畳み掛けるようにニコラスは名前を呼んでくる。まるで普段の彼からは想像もつかない抑揚で。

 彼ではない、だが彼であるような眼差しで。


「あたし、は……」

「――ブライアンは」


 いきなりその名を出されてクレアは我知らずビクリとした。


(ああそうだ、ブライアンだわ――)


 未だ馬鹿げていると思うのに、困惑の波が引いていく。

 一方、ニコラスは暗さのせいかクレアの表情の微細な変化を見つけられなかったようで、真剣な目で彼の訴えを紡ぎ続ける。


「彼は、君と一緒にいたいと思っていた……とそう聞いた。だからこそ彼の分も僕は君を大切にしたい。過去も現在も未来も僕自身の全てを懸けて君を愛したい。だからどうか……どうか僕と結婚してほしい」


 正面のいつになく情熱的な青い瞳がクレアの心臓を射抜く。

 クレアだって普通の女の子だ。こんな熱い告白をされては胸だってときめく。


(でも確信してしまったからこそ、反面、とても苦い……)


 彼の瞳の奥から滲み出るオリジナルの気配は隠し切れない。

 それは唯一と向けられたクレアだからこそわかるのだ。


「本当を言うと、戦場からここに帰ってくるまで僕は、クレアはきっと僕を好きだって、そう思っていたんだ」


(あたしが兄様を好き……。ああ、だからこの人は……)


 利己的と言っておきながら、その実彼は利他的と言っていい。或いは献身的とも。


(明確な証拠はまだ何もないけど、何て、何て――……馬鹿なのよ)


 クレアはややもすれば俯きそうになる顎をぐっと上げた。


「ごめんなさい。ニック兄様の気持ちには応えられない。この先何度告白されても揺るがない。あたしはブライアンが好きだから」


 暫しの間、痛い程の沈黙が続いた。

 ニコラスがようやくオイルを差されたブリキ人形のように身じろぎする。


「クレア、だけど、ブライアンはもうっ――」

「――やめて兄様っ、兄様はいつまで……っ、いつまで……」

「クレア……?」


 いつまで隠すつもりなのか。隠し通せると思っているのか。


(このあたしに)


 クレアは問い詰めてやりたい気持ちを何とか抑えた。しなかったのはまだ証拠がないからだ。こんな複雑な真似をした彼が素直に認めるとも思えない。


「一体何があったの?」


 代わりにそう口にした。何かがあったからこそ彼はクレアの目の前にこうして立っているに違いない。大きな決断をさせる程に衝撃的な何かが。


「ええと、何の話?」

「戦場で、兄様とブライアンとの間に何が起きたの?」


 クレアからのやや強い眼差しと口調のせいだけではないだろう、ニコラスは予期せぬ追及を受けたかのように一瞬全身で強張った。

 そんな様子にクレアの方がハッと我に返って表情を硬くする。

 彼へと腕が伸びるところだったのも寸前で堪えた。情報を求めるあまり浅慮にも彼に触れて過去を覗き見ようと一瞬考えてしまったのだ。勝手に人の過去を暴くなど最低以外の何物でもない。


「ごっごめんなさいいきなり。軽々しく訊くような内容じゃなかったわ。戦場での事なんて特に」


 慌てて言い繕いながらクレアは自分の無神経さに自己嫌悪だ。言葉にできないからこそのこの現状なのだろうから。


「あ、いや、辛い体験ではあったし、語りたくないものもあるにはあるけど、そんなに気にしないでよ。いつかクレアにも話せる事もあると思うし。僕こそ何かごめんね」

「ううん、もう謝らないで。こっちこそ気が回らなくてごめんなさいなんだから」

「クレアこそ、もう謝らない」


 彼から少しおどけたように言われて思わずふっと小さく噴き出してしまった。肩から余計な力が抜けて雰囲気がだいぶ軽やかになった。


(だけど、知らないと何も変えられない)


 戦場での出来事は知りたい。だけど、と自然と目線を下げてしまったクレアは、足元を見つめてはたと閃いた。


(そうだわ、地面、――大地よ!)


 がばっと顔を上げた時に危うく心配したのか覗き込もうとしてきたニコラスの顎を頭突きしそうになり、仰天して目を丸くしてしまった。

 以前似たような事があった。ブライアンと。あの時は激突したが。


「ふっははっ、あはははっ、んとにもう はふふふっははっ」

「え、どうしたのクレア……?」


 ニコラスは気掛かりそうにしたが、クレアは暫くこの馬鹿げた笑いを止められなかった。終いには目尻に涙が滲む。


(あたし、決めたわ、この歪んだ現実を本来あるべき形にできるなら、やれるだけの事をしようって。一時的には彼は非難されるかもしれないけど、もうこれ以上の偽りは必要ないもの)


「兄様、もう戻りましょ」

「うん、そうだね。でも僕はやっぱり諦めたくないから、クレアに好きになってもらえるように猛アプローチするつもりだから、覚悟して」


 あくまでも強気に攻めてくるのには少しだけ呆れてしまって、同時に嬉しさで切なくなった。必死に隠し通したけれど。

 ここが明るい部屋の中ではなく庭先でよかったと、やや火照った頬をさりげなく夜風に冷ますクレアは心底思う。


「そっちこそ、辛くても覚悟してね」


 クレアからの布告に彼は怪訝さも示した。失恋だけに言及したのではないのかもしれないと思ったからだろう。勘がいい。


 その後自室に戻ったクレアは遅くまで考え事をしていた。

 窓辺に佇んで溜息をつく。


「はあ、国境沿いって言っても広いから具体的な場所がわからないし、そもそも封鎖もされてるだろうし、一応は監視もしてるだろうから、あの王子様の協力は欠かせないわよねえ……はーーーーあ、超絶嫌だわー。でも頼むしかない、か」


 クレアは翌日王都のオーリへと手紙を送った。とは言え必要なら直接出向くのも致し方ないと考えてはいる。


 どうにかして、ウィンストン兄弟二人のいた戦場に行きたかった。


 そして、そこの大地の過去を視る。


 現地に欲しい答えがあるだろう。

 返信を待つ間、クレアは魔女がいるという北の森にも行ってみた。

 ニコラスもブライアンも魔法使いではない。王都の彼らの知り合いにも魔法使いはいるかもしれないが、高度な魔法を使える相手は極々限られるとの見解を持っていた。


 そこで身近な所で他にはないような魔法を使える存在と考えて浮かんだのが、実在の真偽は自分でも定かではなかったものの、北の森の魔女だったのだ。


 ただ、ウィンストン兄弟がそれぞれ森への道を歩いていた過去を視なければこの発想も浮かんではこなかっただろう。その姿が真実本人かどうかは別として。


 まるで髪飾りが味方になって手掛かりへと導いてくれているみたいだと、彼女は思ったりもした。


 この想いが運命となるのかどうかはクレア自身に懸かっているとも。


 結果を言えば、森での収穫はなかった。何故か妨害されているように森の奥では過去視ができなかったせいもある。


 森の古い魔女は実在し、今も尚陣地たる森に魔法を掛けているのだろうかとクレアは不思議な気持ちで想いを馳せた。

 余談だが、森にはタヌキが多かった。

 歩いていても、浅い所では可能だった過去視の中でも。

 因みに、クレアは昔母親が言っていたように森の大きな木を探して過去視をした。母親はそういう木は物知りだからと言っていたが、今ならその理由もわかる。大きな木程大概は多くの時間を秘めている。


「うーん、あそこって実は隠れたタヌキの里があるのかも……?」


 シシーの焼いたケーキを食べにやって来たという森のタヌキの話を思い出し、クレアはくすりとしてしまった。

 慌てて口元を押さえる。

 現在彼女は放課後、これまでの通りの日課としてウィーズの町の図書館に来ているのだ。

 終館時間にそこそこ近いためか利用者は疎らだが一応は気を遣う。


 その時、背後からふっと吐息のような笑いが聞こえた。


 いや、明らかにクレアを嘲笑ったものだった。


「予期せぬ独り言がタヌキとは、お前の思考回路は相当おかしな配線になっておるのだろうな」


 聞き覚えのある嫌味な声にクレアは鼻の頭にシワを寄せて振り返る。


「オーリ殿下。お久しぶりですね。ついでに眼鏡の人も」

「ついでに!? 相変わらず失礼な娘だな!」


 そこには手紙で頼み事をした相手オーリ王子と彼のお付きたる軍人フラウが立っていた。図書館の利用者達は困惑顔でクレア達三人を眺めている。クレアは意識して声を低めた。


「わざわざ来て下さったんですね」

「ああ、悪い提案ではないからな。お前が私の専属になるのなら、過去を手中に収めたも同然だろう?」


 正確には専属魔法使いと過去の魔法、と彼は言いたいのだろうが、どこにスパイが潜んでいるかわからないので不用意な発言を避けて敢えてぼかしたのだろう。


「ええ、こちらの条件を満たして下さるのでしたら」


 オーリは彼らしく冷ややかに笑む。


「容易い事だ。ではさっさと出発するぞ」

「はい? どちらにですか?」

「戦場跡に決まっている。行きたいのだろう?」


 クレアは目を点にした。


「え、ええそうですが、許可証か何かを発行して頂けるのではないのですか? ご多忙な殿下に現地までご同行頂かなくてもあたし一人で行けますので」

「許可証? 私と来れば顔パスだろうに、わざわざ刷る必要が? 手間と紙とインクの無駄だ。早くそこの荷物を纏めろ。出発するぞ」

「えっ、あの、ですが」

「貴様、殿下はたった今貴様の言ったようにご多忙なのだぞ。つべこべ言わず支度をしろ!」

「必要な物は現地で調達すればよい」

「いえあのですが家に連絡を……」

「安心しろ。ウィンストン家には既に遣いをやった。行方不明者扱いになる心配はない」


 しれっとそう言うオーリは行くぞと再度急かして先に歩いて行ってしまった。フラウも早くしろ的に鼻を鳴らしてオーリの後を追っていく。


「え……ちょっと……」


 取り残されたクレアは唖然とした。まさかのアポなし来訪かつ即日出発、しかも強制なのには本当に開いた口が塞がらない。実に勝手過ぎる強行軍だ。


(んもうっ、相手の都合なんて一切考えない……っ)


 オーリは過去視魔法を生で観察したいに違いない。きっとだからこそこの町にまでやってきてクレアを拾いにきたのだ。もう従うほかないと観念した。


(連絡は行くとは言えさすがに皆心配するわよね。ごめんなさい)


 この件は悩んでいても解決しない。クレアはテキパキと荷物を纏めるとおそらくは外で待っているだろうオーリ達からの文句を軽減させようと早足になった。館内は走らないようにの注意書きの横を通る際だけは後ろめたくてやや速度を緩めた。


 こうしてこの日、クレア・ローランドはウィーズの町から国境へと発った。天敵同然の男と共に。






「――何だって!? クレアがオーリ殿下と!?」


 オーリの遣いから連絡を受けたウィンストン家では、晩餐の席でようやくその事実を知ったニコラスが激しくテーブルを叩いて立ち上がった。

 ニコラスにしては滅多にない感情的な行動に、クレアがどうして王子と、とただでさえ困惑していた伯爵夫妻はより戸惑った様子で互いの顔を見合わせる。

 ニコラスはハッとしてばつの悪い面持ちになると椅子に腰を下ろした。


「食事の席で取り乱してすみません。驚いたもので。それで、いつその連絡がきたんですか?」

「夕方の早いうちだったかな。たまたま庭仕事を終えて玄関に向かっていたら遣いが来たんだよ。オーリ殿下は移動に魔法を使ったらしく、遣いの者が自分がここに着く頃には彼らは既に町を出ただろうと言っていたから、晩餐の席でもいいかと判断してしまったのだけど、お前には早く伝えておけば良かったようだね。済まない」


 父親からの言葉にニコラスは「いえ」と首を左右に振った。


「仮に早く知っていた所で、移動に魔法を使われていたのなら何もできませんでしたし。ところで、クレア達はどこに向かったんですか?」

「それが、どうやら先日戦場になった国境の方に行くようだよ」

「国境の……?」


 ニコラスは怪訝な顔付きになる。

 オーリは軍務関係で現地を訪れる理由があるのかもしれないが、クレアには何もないはずだ。


「クレアちゃんはオーリ殿下とは知り合いらしいね」


 父親の言葉についついニコラスは微妙な不愉快さを顔に出す。知り合いなのは確かだろう。その関係が良好か否かはさておくとしても。


「そうだオーリ殿下と言えば、お前とオーリ殿下とはとても良く似ているそうじゃないか、実際に会ったのだろう? どうだった?」


 父親は影武者の件を知らない。だからこそ興味津々にしているのだ。母親も同様だ。二人が周囲から知らされる時がくるとしてもなるべく遠い未来にしてほしいと、ニコラスは今はまだそう思う。


「うーん、確かに顔のパーツの配置とかは近いですけど、家族から見たら別人なのは一目瞭然かなと。そんな話より、クレアの事です」


 真剣な様子というか、ただならない雰囲気さえ醸す息子へと両親は食事の手を無意識のうちに止めている。


「明日、僕も現地に向かいます。無論、クレアを迎えに」


 もしもすれ違いになったら無駄足になる、とは二人は言わなかった。ただ二人共まさかそこまでするとは思っていなかったように目を丸くして彼らの息子の姿を見つめていた。

 そうして翌日の早朝、ウィーズの町からまた一人国境へと発った。

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