赤い長靴と空色ランドセル(赤い靴6)

源公子

第1話 赤い長靴と空色ランドセル(赤い靴6)

 ぼくがお父さんと買ってきた、空色のランドセルを見たおばあちゃんは、突然泣き出した。

 小さな仏壇のまえで、片一方の赤いゴム長靴を抱えて、まぶたが腫れ上がって開かなくなるまで泣き続けた。ぼくには、男の子は泣くんじゃないって言うのに。

 ぼくは、おばあちゃんがあんなに泣いたのを初めて見た。


「六年分がまんしてたんだ。許してやろうよ、タッくん」とお父さんが言った。


 長靴は、死んだお姉ちゃんの靴で、中に“いわいはるか”と、マジックで大きく書いてある。お姉ちゃんの物はこれ一つしかない。それ以外はすべて3・11の震災のツナミに持ってかれた。町も、家も、アルバムもみんな無くなった。


 以来おばあちゃんとぼくは、お父さんの仕事先の東京で暮らしている。ぼくはその時まだ赤ちゃんで、その時の事は何もおぼえてない。


 写真は、たまたまお父さんが財布に入れてた、赤ちゃんのお姉ちゃんを抱っこした、若くて綺麗なお母さんのが一枚だけ。

 だから、ぼくのお母さんは写真の女の人で(ホントはもっと太ってたらしい)お姉ちゃんは、僕の中で赤ちゃんのままだ。でもあの時お姉ちゃんは、ぼくと同じかぞえで七歳だったんだ。


 おじいちゃんが早くに死んで、おばあちゃんは、女手ひとつでお父さんを育てた。でも本当は、女の子が欲しかったんだって。

 だから、初孫のお姉ちゃんが生まれて、すごく喜んで女の子色の赤ばっかり着せたんだ。でも、お姉ちゃんは、それが嫌だったみたい。


 だから、おばあちゃんと、ランドセルの事でケンカをした。お姉ちゃんは、赤いランドセルじゃなくて、ぼくと同じ空色を欲しがったんだ。


「おばあちゃん、赤ばっか選ぶんだもん。それに、何でもマジックで名前書くからカッコ悪いから、ヤダ」


 お母さんも、「はるかの好きなのを選ばせてあげて」と言ったので、おばあちゃんは怒って、お母さんを、ものすごく怒鳴ったらしい。いつもそんなだから、優しい気の小さいお母さんは、ストレスで食べ過ぎて太っちゃったんだって。


「おばあちゃんのバカ!大キライ」


お姉ちゃんはそう言って、お母さんと二人で、ランドセルを買いに車で、お店に向かった。スネたおばあちゃんが、家でぼくとお留守番をしてたとき、地震が起きた。


 午後二時四十六分。お祖父ちゃんの位牌とぼくを抱いて、高台に逃げたおばあちゃんと、単身赴任で東京にいたお父さんは、無事だった。


 でも、ランドセルを買いに行ったお母さんとお姉ちゃんは、車ごと波に連れてかれて、今も見つからない。

 お姉ちゃんの靴は、ガレキの中に片一方だけあったのを、知り合いの消防団の人が、拾って持って来てくれた。マジックの名前のおかげだ。


 おばあちゃんがどうしても嫌だと言うから、二人のお葬式はしてない。だからお墓もない。お姉ちゃんの長靴がお墓の代わりなんだ。

「みんなで岩手に行かないか?もう六年だ。区切りつけんとな」お父さんが言った。



 二○一七年二月十一日。ぼくは、ランドセルを背負って、おばあちゃんと一緒に飛行機に乗って、東京から岩手県にむかった。お父さんは一日遅れで来る事になってる。

 三月十一日に来たかったけど、どうしてもうまく休みが取れなかったので、一ヶ月早くしたそうだ。ほとけ様の事は、なんでも早めにするから、六年めなのに七回忌っていうらしい。


 夜は、お父さんの友達の家に、泊めてもらう事になった。お姉ちゃんの長靴を拾ってくれたおじさんの家だ。娘さんが、お父さんと同じ会社の人なんだって。

 新しいその家は、丘の上にぽつんと一軒だけ立っていた。


「みんなツナミの後帰ってこない」

おじさんはさみしそうにいった。


 おばあちゃんと、お家のあった所へお花を持って行った。平らな白い雪の中に、家の形に石がポツリポツリと残ってるだけだった。

「何にもないね」ぼくが言うと、長靴を抱いておばあちゃんは、また泣いた。



 その夜、おばあちゃんと星を見た。満月がきれいだった。

 東京でもおばあちゃんは、いつも夜空を見上げていたけど、星はあんまり見えなかった。町の灯りが強すぎたからだ。

 今日は満月が明るくて、星は少し負けてるらしいけど、ぼくが今まで見た中で、一番きれいだった。まわりに明かりがなくて真っ暗だからだ。


 大ぐまのあしを きたに

 五つのばした ところ

 子熊のひたいの うえは

 そらのめぐりの めあて


 北斗七星を指しておばあちゃんが歌う。“星めぐりの歌”。おばあちゃんが、子供の頃歌った、宮沢賢治という人の歌だ。


「あの日の夜、高台の上で、怖くて寒くて、心細くて。ツナミに呑まれて、何もかもなくなってしまって、これから先、どうなるんだろうって。


 でも、空を見上げたら、子供の時に見た降るような星空……。

 なんてきれいなんだろうって思った。


 こんなに悲しいのになんで星はこんなにきれいなんだろう。

 人はこんなにちっぽけで、天は、こんなに大きくて、見てたら、だんだん気持ちが優しくなって。ひとつひとつの星が、がんばれーって言ってる気がして。

 そしたら、これ歌ってたの。あの日の事で、思い出すのは星がきれいだったってことだけ。


 本当はおばあちゃん、東京の生活、つらいんだ。岩手と違いすぎるんだもの。

 言葉ちがうし、知ってる人いないし、東京じゃ、星なんて見えない。

 

 帰っても何にもないのわかってても、それでも帰りたくて、いっつもイライラして、タッくんに怒ってばっかで本当にごめんね。

 みんな“もう六年”って言うけど、おばあちゃんには“まだ六年”なんだよ。

 あの時はるかと、ケンカなんかするんじゃなかった。お姉ちゃん、一度も夢に出てこないんだ。おばあちゃんの事怒ってるんだね」


 初めて聞く、おばあちゃんのツナミの話だった。

おばあちゃんは、決して、みんなが死んだと言わない。

 膝の上の片っぽだけの長靴を抱えこむ。


 おばあちゃんの声以外、しんと静かでぼくの吐く息が白い。

 声まで凍っちゃいそうだった。

 だから、ぼくのナイショの決心もますます固くなっていた。


「ほら、二人とも家に入りな。今夜は小正月の満月だからな、外出ちゃ行かんよ。雪女が出るからな」

おじさんが迎えに来てそう言った。


「雪女って何?」

 初めて聞く名前に、ぼくがそう聞くと、おじさんは教えてくれた。


「雪女はな、小正月の満月になると、雪ん子と一緒に月から降りて来て遊ぶんだと。昔っから十五夜の晩は雪女が出るから、遊んでないで早く帰れって言うのさ。

 悪さをするとは聞かんけど、雪女は子供が好きだそうだから、あっちの世界に連れてかれるかもしれんよ。さあさあ家に入れ、あったかい鍋作ったから」


悪さしないなら、平気だよね……ぼくの決心は固まった。



 夜遅く、みんなが寝たのを確かめて、ぼくはランドセルを背負って外に出た。

ランドセルの中には、お姉ちゃんの赤い長靴と、100円均一で買ったスコップが入っている。


 雪が固く凍って乗っても沈まないので、ぼくは滑りやすい道を歩かず、雪の上を真っ直ぐに、昼間行った家の跡地へと走った。


 昼間の花は、凍って霜の花になってた。ぼくはスコップで穴を掘り出した。雪も、その下の土も思ってたよりずっと固くて、汗だくになって掘ったのに、半分も掘らないうちに、スコップが折れてしまった。


「バカ!」

ぼくは、折れたスコップをたたきつけて、座りこんだ。

涙と鼻水がとまらず、ホッペに張り付く。体がどんどん冷えていった。


「なにやってんの?」


 突然声をかけられて、びっくりして振り向くと、赤いヤッケを着た、ぼくと同い年ぐらいの、女の子が立っていた。


「きみだれ?」


「アタシ、近所に住んでるの。長靴無くしちゃって、探してるんだ。

でも、見つかんなくて。ねえ、手に持ってるその長靴、ちょっと貸してよ。

アタシの家に着いたら返すから。すぐそこなんだ」


 見ると、女の子は長靴を片方しかはいてなかった。寒そうにケンケンしてる。


「すぐ返してよ」

ぼくは、しぶしぶ靴をかした。


「サンキュー、こっちだよ」


女の子はサッサと雪の上を歩き出し、ぼくは後をついて行った。

お月さまが真上にきて、昼みたいになんでも見えた。

あとはサクサクって足音だけが聞こえる。


「ね、なんで穴掘ってたの? 宝物でも埋まってた?」


「ちがうよ、お墓掘ってたんだ」


「なんのお墓?埋めるような物なかったけど」


「その長靴、死んだお姉ちゃんのなんだ。お姉ちゃんのお墓作ってたんだ」


「もしかして、3・11の震災?」


「うん。でも、おばあちゃんは、死んだって絶対言わない。

お葬式もしないで、その長靴見て泣いてばっかりなんだ。

おばあちゃんは、ぼくよりお姉ちゃんの方が好きだから。

死んだのがぼくならきっとあんなに泣かないよ」


「えー? 何でそう思うの」


「だってそうだから。ぼくは、おばあちゃんの嫌いなお母さん似なんだ。

“男のくせに、泣き虫で、あの女ソックリだ”って。お姉ちゃんは、おばあちゃん似で、強かったんだって。ぼく、ずーっとお姉ちゃんがうらやましかった。


 だからお父さんから、お姉ちゃんが空色のランドセル選んだって聞いて、ぼくも同じの欲しくてねだって買ってもらった。

 そしたらおばあちゃん、泣いちゃって、あんなに泣くなんて思わなかったんだ。


 それで、お父さんが、“けじめをつけよう”って言いだした。

岩手に行って、お葬式して、お墓立てようって。

きっとお墓があれば、あきらめて、おばあちゃん泣かなくなるんだ。

でも、岩手にきたのに、まだ嫌だって聞かないんだ。


 だから、長靴無ければ、きっと泣かなくなると思って、それで長靴でお墓作れば良いって思った。うまくいかなかったけど」


「ふーん。おばあちゃんの事、そんなに好きなんだ」


「うん」


 なんで、知らない女の子にこんな事話してんだろ? 

鼻水すすりながらぼくは不思議だった。

そのくせ心がなんだか軽くなっていた。


「ほら、ここアタシの家」


 いくらも歩いてないのに、家についた。

昼に見たとき、この辺に家は無かった気がしたけど……。


「ほら、入って」

女の子はさっさと家に入った。


「長靴返してよ、ぼくもう帰るよ」


 玄関でランドセルを下ろして、ぼくは手を差し出した。

女の子はにやっと笑うと、ぼくのランドセルを取り上げて、ひょいと背負った。


「にあうでしょー?」


「何すんだよ、返してよ!」


「取り返してごらん」

 女の子は、さっと廊下の向こうへ消えた。


あわててぼくは追いかけた。

それから後は、もう鬼ごっこだ。

家中逃げ回る女の子を必死で追いかけた。

おかげで冷え切った体が、すっかりぽかぽかしてきた。


 不思議な家だった。夜中に子供が騒いでるのに、大人が誰も出てこない。

そして、とても古い感じがする。おじさんの家は新品だったのに。


 そのせいか、どの部屋もどこの空気も、とても安心できて、幸せな匂いがした。

 南向きの縁側。ソファーと、おっきなTVと、ストーブのあるリビング。

 片っぽ目玉のダルマさん、水戸の偕楽園のハガキ入れ。

 重くてすごく大きい食器棚の上の、干支の置物はうさぎ。

 カレンダーは二○一一年の三月(あれ?)。


 台所の下の物入れには、梅干しと、梅酒がたくさん入ってて、上の方に神棚。

 隣の部屋は、仏壇のあるおばあちゃんとおじいちゃんの部。

 昔、おじいちゃんが取った、ゴルフのトロフィーと、賞状。コタツがあって……(へんだなぁ、どうしてぼく知ってるんだろう?)。


 階段上がると、右がお父さんとお母さんの部屋。

 左が……お姉ちゃんの部屋。

 あの子はそこにいた。


「みーつけた!」

 ぼくはあの子の手を捕まえた。

 でも、そこに手はなかった。

 何も無かった。


「残念、お終いかぁ。タッくんに捕まっちゃった」


 途端に家が消えて、ぼくはもとの家の跡地の、掘りかけの穴のところに戻ってた。


 家の石の内側の雪に、ぼくの足あとだけが、グルグルと回って着いていた。

ランドセルも、何もなかったみたいに、もとどおりぼくの背中にあった。


 女の子の服と、体が白く透きとおっていた。


「ランドセル貸してくれてありがとね。私、一度も背負えなかったの。お店に着く前に津波にのまれちゃったから」


 女の子は赤い長靴をぬいだ。

 両方に“いわいはるか”とマジックで書いてあった。


「これで、お墓作ってね。迎えが来たから、アタシもう帰るね」


 気がつくと、白い、沢山の女の人と子供達に、ぼくはかこまれていた。

雪女と雪ん子達だった。そのうちの一人が、ぼくの方へ、滑るように近づいて来た。


 連れてかれる、どうしよう!


「タッくんは、連れてかないでください」


 別の雪女が割って入った。あの写真の顔の女の人だつた。体は、激しくぽっちゃりだったけど。(ぼくは、父さんが昔の写真を、大事にしてた訳がやっとわかった)

 

あの雪女は、残念そうにゆっくり下がって行った。


 そのうち雪女たちは、月の方へ向きを変えて歩き出した。

あのぽっちゃりの女の人も、いわいはるかちゃんも。


「タッくんバイバイ」

はるかちゃんが、白い手をふる。


「お母さん、お姉ちゃん……行かないでよう」


 涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりなから、ぼくはおばあちゃんのように長靴を抱きしめて大声で泣き続けた。


 ぼくを探しに来たおじさんが、その声を聞きつけて、見つけてくれてもまだ泣き続けた。ぼくはおばあちゃんの泣く気持ちがやっとわかった。


 ぼくの目も、次の日まぶたが腫れあがって、開かなくなった。



 ぼくの話を聞いて、おばあちゃんは、ぼくの見た家は、3・11でツナミにさらわれた、ぼくの生まれた家だと教えてくれた。

 ぼくは家も幽霊になるのかと、おどろいた。


 次の日、遅れてやってきたお父さんは、おじさんの娘さんと一緒だった。

 二人は初めから示し合わせて、おじさんに結婚を許してもらうために今日来たのだ。


「何が『区切りをつけんとな』だよ」 


あきれ果て、おばあちゃんはへたり込み、ぼくもビックリしすぎて、涙が引っ込んでしまった。


 おばあちゃんは、やっとみんなのお葬式をあげて、納骨壇という、小さなお墓を買い、お母さんの写真とお姉ちゃんの長靴を、そこに納めた。

東京の仏壇には、新しく位牌が二つ増えて、おばあちゃんは、毎日ナムナムと線香をあげてる。


 あれから二年。僕は空色のランドセルを背負って、毎日学校に通ってる。新しくきたお母さんは、今九ヶ月で、お腹が大きくてすごく大変そうにしてる。


「また男なのかい」

とおばあちゃんはため息をつくけど、ぼくは来月、弟に会うのがたのしみだ。


 お父さんは、産まれてくる弟のため、タバコとお酒をやめた。

お母さんが、「赤ちゃんを岩手で育てたい」と言ったから、お金を貯めてるんだ。

イロイロあるけど、いつか岩手に帰ろうと、みんなで頑張ってる。


 おばあちゃんは今でも、夜に星を見上げて、ツナミに消えたみんなの事を思い、ぼくは、お月様を見て、お母さんとお姉ちゃんを思う。


                 了


              


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赤い長靴と空色ランドセル(赤い靴6) 源公子 @kim-heki13

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