最終話 薄氷の上で愛を奏でる

「何かを返せていたか?」


 ミライが俺の言葉を拾った。その答えを聞くのが怖かった。みんなの表情を見るのが怖かった。目を背けないと決めた一方で、逃げ出したくなる気持ちに足が震えるのは止められなかった。


「……居場所は作れることを知った、ことかしら」


 少し考えこんだ後、マヨがポツリとそう言った。


「世界が広がったかな」


 ハルはいつもの余裕の態度でそれに続いた。


「……誰かに否定されても『明日を信じよう』と思えた」


 コウは少し照れ臭そうに笑った。


「自分に誇りを持てたよ」


 そしてミライが優しく微笑むから、それだけでもう言葉にならなかった。




「私たちに興味すら持たない、気づいても見て見ぬふりをする、あまつさえ攻撃してくる人が、この世界にどれだけいると思う? そこを一歩踏み込んで、歩み寄ってくれただけで十分だと思うわ」


 マヨの声音はとても優しくて、温もりにあふれていた。


「前にも言ったと思うんだけど、同情するやつならいくらでもいるんだよ。でも、同じ目線に立ってくれる人は本当に少ない。俺は、ユウがいてくれて良かったって心から思う」


 コウの言葉に、今までの出来事を思い出した。もしかしたら一番本音をぶつけ合ったのは、コウなのかもしれない。


「ってかさ、ユウはそろそろ自分が当事者であることを認めたほうがいいよ」


 ハルがいつもの余裕のある笑みを浮かべてそう言った。


「当事者?」


 しかし、俺はその言葉に納得ができなかった。俺のどこが当事者なのだろうか。俺はマジョリティで、そのことにずっと苦しんできた。結局、選択肢があるということはそれだけで特権だ。以前ヤマトが言っていたように、俺はいつでも『やめた』と言える。楽な悪の道の方を選べるのだ。でも、ミライたちは選べない。当事者であるがゆえに、自由に選べる選択肢が存在しないから。


「なんでそんなに苦しんでんの?」


 ハルは質問を変えた。俺は改めて頭の中を整理しながら言葉を紡ぐ。


「俺は当事者じゃないから、みんなが何に苦しむのかわからない。いつだって教えてもらう側で、後ろを歩いているだけだ」


 そこで一度言葉を切って、深く息を吐いた。


「……でも本当は、隣を歩きたい。与えてもらうばかりじゃなくて、何かを返したいんだよ。ちゃんと仲間になりたいんだ」


 気付いたら、今までずっと言えなかったことが、言えていた。


「だからさ、もう仲間じゃん」


 そんな俺に、ハルはまたしても俺の言葉を否定するようにそう言った。どうしてハルはそんなことを言うのだろう。俺の言いたいことは伝わっているはずなのに。俺はその言葉に若干の困惑といら立ちを覚えた。


「私たちのために、私たちと一緒に、悩んだり、傷ついたり、怒ったり。それが仲間じゃなくて何なの?」


 すると、穏やかにマヨが語りかける。


「後ろを歩いているとか、与えてもらってばかりだとか、俺だって同じことを考えてた。だけど、与えているものはあっただろ。さっきの俺たちの言葉を嘘にしないでほしい」


 コウが切実な声でそれに続いた。


「当事者じゃないからわからないっていうけど、当事者でもわからないよ。結局みんな、わかるのは自分が知ってる自分のことだけ。私はパンロマンティックでポリアモリーを自認してるけど、パンロマンティックの代表でも、ポリアモリーの代表でも、ましてやLGBTQ+の代表でもない。共通することはあるけど、すべてじゃない。ユウが日本人でも、すべての日本人の気持ちを代弁できないのと一緒だよ。だから、対話するんでしょ」


 ミライが言った。そこでようやく理解した。線を引いているのは自分の方だったということに。居場所はここにあったのに、勝手に入る資格はないと思い込んでいた。それでもみんなは手を広げて待っていてくれた。それが、この上なく嬉しい。




「まるで薄氷の上を歩くようだと思ったんだ」


 俺は呟くようにそう言った。


「薄氷の上?」


 マヨが不思議そうに聞いてくる。


「まだ知識がそんなにない頃、あ、いやもちろん今だって十分とは言えないけど。とにかく、勉強を始めた最初の頃はさ、悪意のない些細な一言が相手を傷つけているかもしれない。そう思うと怖くて。少しでも気を抜けば、冷たい水の中に落ちてしまう、薄氷の上を歩いているみたいだって思ったんだ」


 すると、間髪入れずにハルが突っ込む。


「むしろ逆でしょ。氷の上に立っているのはこっち。安全な陸の上から石を投げ込んで、俺たちが氷の下に落ちても気づかない」


 ハルの物言いは少しきついけれど、言われてみれば、まったくその通りだと思った。


「でも、ユウは安全な陸の上にいることもできたのに、自分も落ちる危険を顧みないでこっちに来てくれたんだね」


 ミライが笑ってそう言った。差別や偏見に、一緒に悩んだり傷ついたり怒ったりするのは、もう氷の上に来たからだ。


「だけど、一方でさ。シスジェンダーだったり、ヘテロセクシュアルだったり、"男"であることは、それ一つ一つが防寒着なんだよな」


 同じ場所に立っていても、体感する温度は違うかもしれない。俺はたくさんの衣服で身を守れる。それに比べてみんなの装備のなんと心許ないことか。


「いろんな人がいるから。氷の池があることに気づいても無視する人もいる。知ってて石を投げ込む人もいる。陸から氷の上に来た人に、『お前は防寒着を着ているだろう』って追い出そうとする人もいる。でも、『ここは氷の池だから石を投げ込むのはやめよう』ってさ。俺たちが言っても聞く耳を持たないやつが、同じ服を着ているユウが言ったら聞いてくれるかもしれない。ユウはそういう存在になれるんだよ」


 コウは優しく諭すように言った。


「ユウは防寒着を着ているかもしれないけど、結局何を着てようが落ちたら冷たいじゃない。それを共有できるだけで十分でしょ」


 マヨがいつもの凛とした態度でそう言うと、ハルが少しおどけた感じで言葉をつなぐ。


「それに、陸にいる人たちは、きっとスケートの楽しさを知らないよ」


 それに俺は思わず笑ってしまう。


「確かに」


 すると、ミライが少し考え込みながら話す。


「う~ん、でもせっかくなら5人だからこそできることがいいよねぇ」


「例えば?」


「そうだなぁ……。あ、バンドとか!」


 わざわざ薄氷の上でバンドとは。流石ミライは発想が違う。


「いや、でも俺楽器なんて何も弾けないけど」


 笑いながらそう言うと、ミライは即座に反応する。


「だったらユウはボーカルだね。ミライはタンバリン」


「タンバリン!?」


 俺が驚きを露わにする横で、マヨがしれっと主張する。


「なら私は三味線で」


 すると、ハルもノリノリで応じる。


「自分はトロンボーンかなぁ。小学生の時にちょっとやってたんだよね」


 みんな思い思いに自分の奏でる楽器をあげる。予定調和なんて言葉は俺たちの間には存在しない。


「俺はピアノ」


 最後にコウがそう言って、ついに俺たちのバンドは出来上がる。




 ピアノとトロンボーンと三味線とタンバリンと歌。

 きっと、奏でられるのは雨上がりにかかる虹のような旋律だろう。

 テーマはもちろん、『愛』。


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最後までお読みいただきありがとうございました。

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薄氷の上で愛を奏でる 神原依麻 @ema_kanbaru

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