エピローグ

 夏休みが終わろうとしている。

 今年の夏も長いようで短かった――と言いたいところだけど、お盆からこの二週間は死ぬほど長く感じた。

 

 あの日。

 あんず先輩を賭けてお兄さんとの勝負のリングに立った僕。

 まともに戦って勝ち目なんかないのは分かっていた。だから『あんず先輩を幸せにする』という条件に賭けて、試合の始まる前やラウンド間の休憩時間に料理のデリバリーを注文し続けた。

 

「くっ。まさか戦いながらもあんずの食欲を気に掛けていたとは!」

「どうですか、これでも僕はあんず先輩を幸せに出来ませんか、お兄さん!?」

「……仕方ない、あんずとの交際を認めよう」

「やったー!」


 僕の目論見ではこうなるはずだった。

 が、実際は。

 

「神聖な勝負を何だと思ってやがるんだ、お前はっ! がこんなずる賢い奴なんて、兄の俺が恥ずかしいわッ! そのねじ曲がった性根を俺が叩き直してやるッ!」


 と、お兄さんはたいそうお怒りになり、かくして僕は無理矢理ジムの練習生にさせられてしまった。

 おかげでここのところ毎日、やれロードワークだ、やれ縄跳びだ、やれサンドバックだと朝から晩までしごかれまくっている。

 地獄の日々だ。今も身体がいたるところで悲鳴をあげている。

 

「おーい、高梨くーん、こっちこっち!」


 それでもその代償として、お兄さんから『妹の彼氏』の称号を勝ち得ることが出来たのだから文句は言えない。

 今日もこうして花火大会でのデートを許してもらえた。

 まぁ、あんず先輩がしつこくお願いした上に、昼間、苛立ち気味のお兄さんが執拗に僕のお腹へメディシンボールを落としまくるのに耐えた結果の許可だったけれど。

 

「遅いぞ高梨、なにモタモタしてやがった!」


 しかもデートなのに残念ながら二人きりじゃない。

 あんず先輩に後ろから抱きつくような形でその肩に顔を乗せて、すでに夜空に何発も打ちあがっている花火を見上げていた羽後先輩が、僕を見て文句を言ってきた。

 

 この夏休みが始まる前、僕たちは先輩と後輩という関係でしかなかった。

 それが今、僕とあんず先輩は彼氏彼女の関係になり、あんず先輩と羽後先輩も彼女彼女の関係にある。

 そのことを知ったお兄さんはさらに頭を痛めたものの、僕とあんず先輩が行き過ぎた行動に出ないよう見張るのに羽後先輩はうってつけだと気が付いた。

 なので先輩は僕みたいな試練なしでその関係をお兄さんに認めてもらっている。

 ズルくない、それ?

 もっともそんな先輩の存在のおかげで、お兄さんから今日のデートの許しがでた。

 お邪魔虫だけど、感謝しなければいけないのかもしれない。

 

「いや、遅いって言うのなら羽後先輩も手伝ってくださいよ!」


 けれど感謝しなきゃいけないと言いつつ、こちらもつい文句が出るのは仕方がないと思う。

 だってひとりで買い出しを任されたのだから。

 焼きそばやら綿菓子やらりんご飴やら焼きとうもろこしやら、とにかく大変だった!!

 

「何言ってやがる、オレの可愛いあんずをひとりにしたらどこの骨とも知れぬヤローにナンパされちまうだろうが!」

「それは確かにそうですが、だったら代わりばんこで買いに行ってもいいじゃないですか! あと僕の可愛いあんず先輩です!」

「うー、ふたりとも喧嘩はやめてよぉ。あと、可愛いって言ってくれるのは嬉しいけど、こんなにいっぱい人がいるところだとあんず、恥ずかしいよぉ」

「恥ずかしがることはないぞ、あんず! だってあんずは可愛いんだから!!」

「そうそう、あんず先輩超可愛い!! どうぞこのたこ焼きをお納めください!」


 困り顔のあんず先輩の口に、僕は素早くたこ焼きを放り込んだ。

 あふあふ言いながらも、にんやりと綻ぶあんず先輩、チョー可愛い!!

 

「しかし、これまたいっぱい買ってきたなぁ、高梨」

「なんせあんず先輩ですからね、買いすぎるぐらい買うのが正解ですよ」

「まぁそりゃそうか。てかおい、食いもんばっかで飲み物を買ってきてねーじゃねぇか!」

「あ、しまった!」

「バカ! とっとと買ってこい!」

「いや、それがですね、実はもう腕が限界で。見てくださいよ、これ」


 買ってきた食べ物が入った袋を地面に下ろし、僕はぷるぷると震える両手を羽後先輩に見せる。

 勿論、買い出しによる疲労じゃない。昼間のボクシングトレーニングのせいだ。

 

「情けねぇなぁ、おい」

「そう言うなら先輩も一度うちのジムに来るといいですよ。この世の地獄って奴を見せてあげますから」

「……遠慮しとくわ」


 さすがの羽後先輩でも二の足を踏むか。

 

「仕方ねぇ。オレが買ってきてやる」

「さすが羽後先輩!」

「いいか、俺が離れている隙にあんずと変なことをしたらただじゃすまないからな!」


 何を言っているんだか。

 そんなこと……するに決まってるじゃないか!

 

 だって最近はずっとジムで鍛えられるばかりで、あんず先輩とふたりきりになれるチャンスなんて全然ない。

 そりゃあ先輩は毎日ジムへ応援に来てくれるよ。でも、お兄さんの目が光っているから何かしたくても出来ないんだもん。

 僕たち、恋人同士になったのに!

 

 羽後先輩が飲み物を買いに離れている今がチャンスだった。

 変なこと……と言っても、こんな大勢の人の中で出来ることなんて限られている。

 でもその限られた一歩は、僕にとってはとても大きな一歩でもあった。自然と緊張する。

 

「あ、あの……あんず先輩」


 声がうわずってしまった。

 

「ん? なぁに、高梨君?」


 あんず飴を舐めながら夜空の花火を見上げていたあんず先輩が、にこりと笑って僕を見つめ返してくる。

 色とりどりの光がその笑顔を飾り立てて、とても綺麗だった。

 

「あの、ですね……先輩はキスの味って知ってます?」

「キスってお魚の?」

「そうそう、フライにすると美味しいですよね……じゃなくて、口づけの方のキスですよ!」

「んー、知らないよ?」

「……知りたくありませんか?」


 言いながら、ごくりと唾を飲み込んだ。

 見るとあんず先輩の頬が唐突に赤く染まり……口元をぽかんと開けている。

 と、その口元からたらりと涎が一滴零れ落ちたかと思うと。

 

 次の瞬間には、あんず先輩の口が僕のを塞いでいた。


 夜空には大きい花火が上がっていた。

 きっと僕の頬も赤く染められていることだろう。

 

「……ぷはっ」


 どれだけそうしていただろう。まるで永遠にすら感じられる時間の果てに、あんず先輩が口を離した。

 初めての口づけの感触は不覚にも覚えていなかった。

 先輩とキスをしたという多幸感が体中を支配したから――そして重ねた唇と同時に押し付けられたおっぱいの感触の方が刺激が強かったからだ。


「えへへ。どうだった、あんずのお味?」


 だからあんず先輩にそう問いかけられてもすぐには答えられず、慌てて唇を舐める羽目になった。

 

「あ、えっと、その……あんず先輩の味がします」


 正確にはあんず飴の味だったけれど。

 

「美味しかった?」

「はい、とても。先輩はどうでした?」


 返答を促す僕にあんず先輩はにっこり笑って、そしてやっぱりいつものフレーズを口にした。

 

「うん! 高梨君のお味、とってもおいしい!」


 おしまい。

 

 

  

 最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。

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教室ではぼっちな僕だけど、たゆんたゆんな美少女先輩の餌付けに成功したので勝ち組確定ですヾ(≧∇≦*)/ タカテン @takaten

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