フライングのキセキ
nikata
「だ、だだだからこれからも僕と饂飩とそそ、蕎麦を半分こしていください!」
「クリスマス前の限定商品なんだって、これ」
コンビニから帰ってきた僕は、クリスマス色にパッケージングされた焼きプリンを袋から取り出し、彼女にそう教えた。炬燵の上にプリンを置くと、「わーい。ありがとー」と子供のようにはしゃいで、彼女が炬燵布団から這い出てきた。周りからは『しっかりした彼女さんで羨ましい』とよく言われるけど、二人暮らしのアパートに居る時は大体こんな感じだ。まあ、僕もさして彼女と変わらないのだけど。
「外寒かったよね? ささっ、どうぞどうぞ」
そう言って彼女は炬燵の右端に身体を寄せて、手で小さくポンポンと炬燵マットを叩く。『隣に座って』という合図だ。僕は彼女の左側に出来たスペースに身体を潜り込ませる。
「ありがと。あー、生きかえる」
炬燵の中で両手を擦りながら、ありきたりな感想を口にする。
「十二月でこんなに寒かったら二月あたりは外に出たくなくなりそうだね」
僕は言う。思えば毎年同じことを言っているような気がする。でも毎年そう思うのだから仕方ない。
「でも今年も雪降らなそう」
プリンの蓋を剥がしながら彼女が言う。
「そうだね。最近は全然降ってないからなー」
この街に最後に雪が降ったのっていつだっけ? 思い出せるのは一〇年前のクリスマスイブ。彼女と付き合い出したあの日だ。
もしかしてあれ以来降ってないんじゃないか? 元々積雪の少ない街だからか、彼女は学生の頃から雪に対してある種の憧憬を抱いている。僕も十代の頃はそうだった。
「雪降ると会社に行くのに困りそうだなー」
「えー。夢がないなー。また雪合戦しようよー」
不服そうに頬を膨らます彼女。それを見て僕は苦笑する。
「雪合戦か」
一〇年前のイブの朝、記録的な積雪にはしゃいだ僕は近所の公園まで散歩した。そこで同じクラスだった彼女と偶然出会い、雪合戦をし、僕らは恋人になった。まだ高校生の頃だ。
それから毎年冬になると、彼女は雪合戦がしたいと口にした。でも学生の頃ならいざ知らず、今さら雪合戦もなあ……。この歳になって雪合戦なんてしてたら、周りからイタいカップルだと思われないだろうか。プリンを頬張る彼女を横目に、そんなことを考えた。
☀☀☀
「クリスマス楽しみだなー。早くケーキ食べたいね」
プリンを食べ終わったばかりだというのに彼女が言う。明日に迫ったクリスマスイブ。それを楽しみにする彼女を見るのも今年で一〇度目だ。大人になっても彼女がクリスマスを楽しみに思う気持ちはあの頃と変わらないように見える。けれど、近頃はクリスマスにイルミネーションを観に行ったりなんてことはめっきりなくなってしまった。少なくとも、同棲を始めてからのこの四年間はクリスマスを部屋で過ごすことが普通になってしまっている。プレゼントだってお互いに『何が欲しい?』と聞いてから用意するようにしているぐらいだ。お互いにサプライズで驚かせてやろう、みたいな感じでは無くなってしまった。予約したケーキを想像して目を輝かせている彼女に言う。
「とりあえず、ケーキのことはお昼食べてから考えようね」
☼☼☼
「饂飩と蕎麦、どっちが良いー?」
台所でお湯を沸かしながら彼女に呼びかける。社会人になってからは昼食を簡単に済ませることが多くなってしまった。まさに今日がそれだ。
「どっちでも良いよー」
脱衣所の方から彼女が返事する。ちょうど乾燥機に掛けた衣類を取り出してくれているところだ。
「じゃあ半分こにするー?」
再び僕が呼びかけると、「するー」と嬉しそうな声が台所に近づいてきた。彼女の言う『どっちでも良い』には二種類ある。本当にどっちでも良い場合と、二つとも良い場合。今回は絶対に後者だ。そのあたりはこの一〇年で分かるようになった。台所に姿を現した彼女は二人分の洗濯物の入った洗濯カゴを抱えてニコニコしている。この表情を見れば僕の予想が正解だったと分かる。お湯を注いだ二つのカップ麺を炬燵に持っていくと、出来上がるまでの三分間、二人で手早く洗濯物を畳んだ。
☀☀☀
「いただきまーす」
緑のたぬきに彼女が手を合わせる。三分きっかりに蓋を剥がした彼女はきっとお腹が空いていたのだろう。さっき食べたばかりのプリンは別腹なのだ。
「お先にどうぞ」
僕は言って、箸で天ぷらをほぐす彼女の横顔を眺める。彼女が緑のたぬきを食べ、僕が赤いきつねを食べる。半分を食べたところでそれぞれ食べ物を交換する。そういう取り決めがなされた。三分でできる蕎麦とは違い、饂飩のほうは出来上がるまであと二分かかる。その間、彼女が食べている姿を眺めながら考える。
コンテストどうするかなー。僕は締切が目前に迫った小説サイトのお題を思い浮かべる。『赤いきつね』と『緑のたぬき』を使ったショートストーリー。正直、ホラーやミステリーなら書けないこともない。ただ、今回はそのあたりのジャンルは対象外だ。故に何も思いつかない。思いつかないくせに、最近はコンビニなんかで東洋水産の商品を見かけるとつい手にとってしまうようになった。上手いこと術中に嵌っている感がして悔しいが、気になるものは仕方ない。いっそのこと今回は投稿を諦めて読み手に回るのが正解なのかも知れない。そんなことを考えていると、こっちを向いた彼女と目が合う。
「五分経ったよー」
彼女が教えてくれたおかげで気づく。彼女にお礼を言い、饂飩に向かって手を合わせる。蓋を剥がすと湯気と共に空腹を刺激する出汁の匂いが鼻先に立ち上る。買った時は『また買ってしまった……』と思うくせに、こうして香りを嗅ぐと買ってきて良かったと思うのだから不思議だ。箸で饂飩をすくいズズッと啜る。啜りながら彼女をチラッと見る。食べ始めて二分ほど経ってはいるが、猫舌の彼女は蕎麦にふうふうと、口で風を送りながらゆっくり食べている。猫舌なのに熱い食べ物が好きなんてと思ったけど、彼女曰く熱い食べ物が好きになったのは僕の影響らしい。
「「ねえ」」
二人同時に言った。次いで、
「「先に言って良いよ」」
とまたも声が揃った。最近じゃよくあることだ。互いに顔を見合わせて笑う。
「天ぷら全部あげるから代わりに油揚げ貰って良い?」
僕が提案すると、彼女から「やったー」と返ってくる。
「私も油揚げあげるから天ぷら食べて良いか聞こうとしたんだー」
嬉しそうに彼女が笑う。僕は彼女が小エビを好きなことを知っているし、彼女は僕が油揚げを好きなことを知っている。僕は充分に出汁を吸ったジューシーな油揚げに齧りついた。口の中に油揚げから滲み出た汁がジュワっと広がる。どうしてこの出汁は普通に飲むより油揚げから染み出したもののほうが美味しく感じるんだろう? それをテーマに何か作品を書いてみるか? ……いや。それを題材にしても僕の場合ミステリーとかになりそうだ。油揚げを平らげ、麺もおよそ半分を残した状態まで食べ進める。隣に座った彼女を見ると、まだ熱い蕎麦をふうふう吹きながらゆっくり味わっていた。僕の視線に気づいた彼女が、あっ、という顔をする。
「ごめんね。もうちょっと饂飩食べてて良いよ。それかもうお蕎麦と交換しちゃう?」
そう提案する彼女に僕は首を横に振る。
「ゆっくり食べていいよ」
そう言いながら軽く彼女の頭を撫でる。彼女は嬉しそうに「ありがとー」と言ってまた熱い蕎麦と格闘し始めた。その姿を眺めながら、明日の記念日について考えた。
❅❅❅
「雪降らないかなー」
食事を終えたあとで、窓辺に立った彼女が外を見ながら呟く。
「雪ねー……」
炬燵に入ったまま、僕は窓の向こうを見ながら思い出してみる。
降り積もった雪の中で嬉しそうに雪玉を投げてくる彼女。学生時代にはしゃいでいた少女が、今の大人になった彼女の姿と重なる。
今さら雪合戦か。そう思っていたけど、想像してみれば意外と楽しそうでもある。なんなら明日雪が降ってくれれば最高の記念日になりそうな気もする。ただし、この街に雪が降る確率なんて一〇年分の一の確率だ。奇跡と言っていい。でも、
「もし、雪が降ったらさ、本当に雪合戦する?」
そう訊ねると彼女が振り向く。その顔が晴天の空から差し込む陽射しできらきら輝いてみえる。彼女が優しく微笑む。
「約束だよ?」
その顔を見て僕は頷く。そして、心を決める。
明日、彼女にプロポーズする。
付き合い始めは子供だった僕らも気付けばいつの間にか大人になっている。
周りの目を気にして雪合戦をすることを躊躇うほどには僕も大人になったし、今後も僕らはもっと大人になっていく。
そうして何気ない毎日を過ごしながら一緒に歳を重ねていく。
でも僕の気持ちは一〇年前のあの日、君と公園で雪合戦をした日から変わっていない。
だから、だからこれからも饂飩と蕎麦を半分こしていこう!
……いや、なんか違うな。途中までは良かったのに。さっき食べたからか、つい饂飩と蕎麦が浮かんできてしまった。でも、よくよく考えてみると、これからも饂飩と蕎麦を半分こしようと言う台詞はおしどり夫婦みたいで意外と良いかもしれない。これも東洋水産の策略か? だとしたら恐るべき企業だ。でも饂飩と蕎麦じゃ締まらない気もするしなー。やっぱ最後は『結婚してください』か。あとはシチュエーション的に雪が降ってくれたら最高なんだけど、それは流石に奇跡すぎるよなー。嘆息して、窓の外を見る。
「あ」
僕は思わず声をあげた。僕の視線に気づいた彼女もつられて外を見る。
晴天にも関わらず、はらはら舞う雪の花びら。
「見て……雪だよ」
彼女が口元に手をあてて呟く。
雪が降ればと思ったけど、まさか今日だとは……。聖夜には一日早いんだけどな……。僕は立ち上がる。一〇年ぶりの奇跡がそうさせる。
雪合戦するほど積もるかは分からない。けれど、こんな一日が僕らの軌跡として刻まれるのも悪くないと思う。ちゃんと言えるかな。
「あのさ、聞いてほしいんだけど――」
その日、せっかちな神様に背中を押されて、僕たちはフライングした。
フライングのキセキ nikata @nikata
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