第5話 村人な夫と勇者の妻

 肥溜めは、村と畑のちょうど間くらいにあります。

 僕は、そこまで大きな聖剣を抱えて、何とか走ってきました。


 聖剣はすごく重くて、僕は、走りながら何度も落としそうになりました。

 僕は体が弱くて、走るのも一苦労で、肥溜めに着いたときには心臓が破れそうでした。


「待て、リオッタ! 聖剣を返せ!」


 肥溜めの前で足を止めると、すぐにティーネさんが追いついてきました。

 彼女はとても怖い顔をして僕を呼び止めました。僕は、聖剣を抱えたまま振り向き、


「そこから近づかないでください! 聖剣を、肥溜めに捨てますよ!」

「どっちにしろ、捨てるつもりだろう、君は!」


 その通りです。

 僕は、この聖剣を肥溜めに捨てて沈めようと考えています。


「何故だ! 何故、こんなことをする!?」

「だって、ティーネさんが苦しんでるのは、この聖剣があるからじゃないですか!」


 腹の底から、僕は叫びました。

 ティーネさんが勇者をやめられないのは、聖剣を使えるのが彼女だけだからです。

 だったら聖剣なんか、なくなってしまえばいい。僕はそう考えました。


「バカなことを……」

「そうです。僕はバカです。でも、勇者をやめないティーネさんも同じです!」


「なっ、わ、私の何がバカだと言うんだ、君は!」

「辛くて、痛くて、苦しくて、勇者なんかやりたくないのに、やめないところです!」


 イヤなことを続けるのは、とても苦しいです。

 ティーネさんにとって、勇者を続けることはただ苦しいことだってわかりました。

 それがわかってしまったから、僕は、彼女に勇者を続けてほしくありません。


「ティーネさんは、勇者をやったらダメな人なんです! だから僕は聖剣を捨てます!」

「捨ててどうなる! それで、私が勇者をやめられるワケじゃないんだぞ!」

「あっ」


 そ、そうでした。ティーネさんの言う通りです。

 僕がここで聖剣を肥溜めに投げ捨てても、彼女は勇者のままです。


「…………」

「…………」


 ティーネさんと僕は、少しの間、無言で睨み合いました。

 意を決して、僕は言いました。


「やっぱり、肥溜めに捨てます!」

「だから、何でだ! 捨ててどうなると言っているだろう!」


「す、捨てたら……」

「捨てたら?」


「捨てたら、拾うのが大変です! 肥溜めは、結構深いです! それに臭いです!」

「臭いのはわかってる。もう、今の時点で私の鼻はひん曲がりそうだ!」

「ご、ごめんなさい!」


 つい、謝ってしまいました。


「だが、どうしてだ!」

「え?」


「何で、君は私に勇者をやめさせようとする、君には関係のない話だろうが!」

「関係なくないです!」


「何故!?」

「勇者のティーネさんは悲しそうだからです。だから、僕も悲しいです!」


「そ、そこは『だから』で繋げていいところなのか?」

「僕は悲しいから、繋がります!」


 戸惑うティーネさんに、僕は言いました。

 僕は、彼女にちゃんと笑っていてほしいです。諦めの笑いなんて、いらないです。


「だから僕は、ティーネさんを悲しませる聖剣を、捨てます!」


 僕は、聖剣を両手で持ち上げて、肥溜めの方を向こうとしました。

 ティーネさんが顔を青くしながら、僕に向かって手を伸ばそうとしてきます。


「やめろ、やめてくれ――、お願いだからやめてよ!」


 彼女の物言いが変わりました。

 その変化にハッとなって、僕は反射的にティーネさんを見てしまいました。


「……どうしてよ」


 ティーネさんは、今度こそ泣いて、僕を睨んでいました。

 眉をいっぱいに下げて、細めた目から涙を溢れさせて、彼女は訴えてきます。


「どうして、こんなことするの? 私、何か恨まれるようなことしたの!?」

「……してないです」


 ティーネさんを泣かせてしまったことに、僕はショックを受けていました。

 やりすぎてしまったんだと、わかりました。

 ごめんなさいと謝っても許されることではありません。僕は、悪い人間です。


「でも」


 でも、それでも僕は、やっぱり言うことにしました。


「僕は、ティーネさんに勇者をやめてほしいです」

「イヤよ!」


 だけど、ティーネさんは僕のお願いをきっぱりと断ってきました。


「私は勇者をやめないわ! だって――」


 涙をポロポロ流しながら、彼女は叫びます。


「勇者じゃない私なんて、何の価値もないもの!」

「え……」

「私にあるのは、勇者として戦うことだけ! それ以外には、私には何もないの!」


 僕は、自分でもはっきりわかるくらい、目を丸くしてしまいました。

 目の前の女の人が何を言ってるのか、全然わかりませんでした。


「聖剣を使えることだけが、私の取り柄なの。それ以外、私には何もないの!」

「そ、そんなことは……」


「どうして、わかるのよ? 私のことなんて何も知りもしないクセに!」

「ごめんなさい……」


 言い返そうとしても、ティーネさんの形相に気圧されてしまいます。

 僕は、彼女を本気で怒らせてしまったようです。

 そして始まったのは、大きな怒鳴り声でのティーネさんの独白でした。


「私はね、生まれたときにその聖剣が反応したの。聖剣が、私を選んだの」

「そうなんですか……」

「そうよ。生まれたその日に、私は勇者になることが決まったのよ。そんな大きいばかりの鉄屑のせいで、私は夢も見れなくなったのよ! 勇者になるしかなくなった!」


 それから、彼女は語りました。

 家が聖剣を伝える家系であること。そして、勇者として厳しく育てられたこと。


「私が生まれたのと同じ頃に、魔王も現れたわ。私は魔王を討つために生まれたんだからって、父も母も、祖父も祖母も親戚も、誰も甘えなんて許してくれなかった」

「そんな、ひどいです……」

「ひどいと思うわよね。でも、それが当たり前だったの。だって私は勇者だから」


 勇者を名乗るティーネさんの目は、血走っていました。


「そう、どこに行っても、私は勇者。何をしても、私は勇者。勇者、勇者、勇者! 聖剣を使って魔物を倒して、自分を鍛えていつか魔王を倒す。私はそれだけの存在なのよ!」


 目を見開いたまま、まばたきもせず、体をガクガク揺さぶって。

 ティーネさんは、笑っていました。泣きながら、あの諦めの笑いを浮かべていました。


「――私に比べたら、あなた達は気楽よね」


 そして突然、声の調子を落として、ポツリとそんなことを言い出しました。


「第一村人ですっけ? 楽なお仕事だわ。村の入り口に立って、ただ、案内するだけ。簡単で、誰でもできるお仕事。毎日、さぞヒマをもてあましてるんでしょうね」

「ティーネさん……」

「お城にね、行くの。魔物を倒したあとで、報告とかに行くときがあるの」


 僕の声は、彼女には届いていないようです。

 ティーネさんの震えた声での独り語りを、僕はそのまま聞き続けます。


「そこで、本物のお姫様に会ったりもするわ。生きてるのが楽しそうなの。すごく楽しそう。お金もあって、苦労もなくて、甘やかされて、欲しいものも手に入れられて」


 彼女の語りが、そこで途切れました。

 次の瞬間、ティーネさんの顔が歪みます。グシャリと、歪んだのです。


「……ずるいわよ」


 その声は、とても激しい恨みに染まっていました。


「私だって、色んなものが欲しかった。気楽に生きたかった。甘えたかった。でも、私は勇者だから、勇者として生まれてしまったから、そんなもの望めない。私は、勇者だから!」


 恨みと、僻みと、苦しみばかりが、彼女の声にあるものでした。


「いつか魔王を倒しても、その先に待っているのどこかの貴族との望みもしない婚姻でしょうよ。そして子を産むの。勇者の血をひいた子を。それが私の役割で、唯一の存在意義なの。勇者じゃない私はただの小娘で、そんな小娘には何の価値もないのよ!」


 もう、見ていられませんでした。


「ティーネさん、ダメです」

「ダメ? 何がダメなの? あなたも、私に甘えるなって言うの?」


 違う。違います。

 僕がダメだって思ったのは、そういうところじゃないです。


「ティーネさん、みんな、頑張ってます」

「……は?」

「僕は、きっと他のみんな程頑張れてないですけど、でも、他の村の第一村人だって、お姫様だって、頑張ってます。他のどんな仕事をしている人も、みんな頑張ってます」


 畑を耕すのは、大変です。鍛冶仕事で農具を作るのも、大変です。

 よくは知りませんけど、王様の仕事も大変で、お姫様の仕事も大変だと思います。


 頑張ってないお姫様がいるなら、それはその人が頑張ってないだけです。

 お姫様だから頑張ってない、ということではないはずです。


「お仕事は、みんな大切で、みんな大変で、だからみんな、頑張ってます」

「それが、何だっていうのよッ!」


「自分が苦しいからって、他の人が何も苦しんでないと思うのはダメです!」

「――――ッ!?」


 ティーネさんが、ハッと息を飲み込んで、体をのけぞらせました。


「勇者以外のお仕事をしてみるといいと思います。きっと、同じくらい辛いです」

「アハ、ハハハハ、何を言いだすかと思えば……!」


 提案する僕に、ティーネさんは長い髪を振り乱しながら叫んできました。


「私には勇者の道しかないって言ったでしょ。本当に、何度言わせるのよ!」

「僕も何度も言います。ティーネさんは、勇者をやめるべきです!」

「この……ッ!」


 のどの奥で唸るティーネさんを、僕は真っ向から睨み返しました。


「ふざけないでよ。私のことなんて、何にも知りもしないクセに!」

「知ってます。知ってることは少ないけど、僕は、ティーネさんのこと、知ってます!」


「じゃあ、言ってみなさいよ。あなたが私の何を知ってるっていうのよ!?」

「ティーネさんが、本当は笑うととっても綺麗で可愛いことを、知ってます!」


 何度も夢に見たあのときの笑顔を思い返して、僕は、言いました。

 すると、ティーネさんはとても狼狽えました。


「な……、ぇ?」

「ティーネさんは、可愛いです。綺麗です! 僕はそれを、知ってます!」


「う、嘘! 私が、綺麗なんて、嘘よ……!」

「嘘じゃないです。僕はずっと前から、そう思ってます!」


 僕が重ねて言うと、ティーネさんはたじろいだように後ずさりしました。


「適当なこと、言わないで。そんなの、絶対嘘!」

「嘘じゃないです。ティーネさんの笑ったところを、僕はまた見てみたいです!」


「そんなの、あり得ない。だって、私の頬にはこんな大きな傷があるのよ!」

「……それは、おかしいんですか?」


 傷なら、僕の指先にもあります。

 兄の料理を手伝おうとして、ナイフで切った傷の跡です。


「おかしいでしょ、女の顔に傷があったら、普通はおかしいの!」

「え、じゃあ、男の僕の顔に傷が無いのはおかしいんでしょうか? 僕、変ですか?」


「何で、そうなるのよ!」

「ごめんなさい! 男の人と女の人じゃ、逆かなって思って!」


 怒られてしまいました。

 僕は、また間違ってしまったみたいです。色々と難しいです。


「…………本当に、私の傷、気にならないの?」

「はい。だって初めて会ったときにはもうありましたし、別に」


 他の男の人は、そこを気にするんでしょうか。僕にはわかりません。

 傷があろうとなかろうと、ティーネさんは変わらず綺麗だし、可愛いと思います。


「…………」


 でも、どうやらティーネさんにとってはそれは驚くべきことだったようです。

 さっきまでの激怒はどこへやら、口をあんぐり開けて僕を見ています。


「ね、ねぇ……」

「はい。何でしょうか」


「私って」

「はい」


「か……」

「か? 何でしょうか?」


 そこから、ティーネさんは少しの間、「か、か、か」と言い続けました。

 僕はその分、首をかしげ続けました。


「か、か……、可愛い、の……?」

「可愛いですよ。綺麗です」


 何か、普通のことを聞かれたので、僕はそう答えました。


「でも、頬の傷……」

「綺麗です」


「でも、髪の毛もこんなにほつれてて……」

「可愛いです」


「でも、においだってキツくて……!」

「気になりません」


 彼女の声が、少し大きくなりました。


「でも! 着てるものもボロボロで!」

「それだけ頑張ったんですよね、すごいと思います」


 声はもっと大きくなっていきます。


「でも! 女らしさなんてどこにもなくてッ!」

「僕からしたら、綺麗な女の人にしか見えません」


 声は震えて、しかも徐々に濡れてきているように感じました。


「じゃあ、教えてよ」


 ティーネさんが、僕に向かって声を荒げました。


「私なんかのどこが可愛いのか、教えてよ!」


 何という簡単な質問でしょうか。

 僕は、僕が知っているティーネさんの可愛いところを教えてあげることにしました。


「まず、笑顔が綺麗です。見ているこっちが笑いたくなる可愛さです」

「く、詳しくは、どの辺が、なのかしら……?」


「大きな瞳が細まって、本当に嬉しそうに見えるところです」

「へぇ、そう、なんだ……」


「はい。それに、柔らかいほっぺが少し吊り上がるのも、可愛いです」

「う、そんなところまで、見てるの?」


「見てます。当たり前です。……あれ、ティーネさん、顔が赤いですよ?」

「……いいの、いいから、続けて!」


「はい。ほっぺが吊り上がるのも可愛いし、にっこり笑う唇も素敵だと思います」

「う、うぅ……、そ、そんな感じ、なのね……」

「笑顔だけじゃないです。驚く顔とか、話すときの仕草とかも本当に――」


 今度は、僕が一人で喋り続けることになりました。

 ティーネさんは最初は反応していましたけど、少しするとそれがなくなりました。


 彼女は顔を真っ赤にして、ずっと下を向いたままでした。

 僕は、また何か間違えたのかと怖くなりましたけど、でも止まりませんでした。


 知ってほしかったんです。

 自分には何もないっていうティーネさんに、自分がどれだけ魅力的なのかを。


「……ねぇ、リオッタ」


 やがて、下を向いたまま、ティーネさんは僕に話しかけてきました。


「もしかして、本当に、もしかしてなんだけど……」

「はい」


「あなたは」

「はい」

「あなたは、勇者としての私じゃなくて……」


 ゆっくりと、ティーネさんが顔を上げて僕の方を見ようとしてきます。

 その顔は、耳まで真っ赤になっていました。

 でも、不安そうな顏でもありました。大きな瞳が、また涙で潤んでいます。


「ティーネとしての、素の私を、ずっと見てくれていたの?」


 何かを考えたわけじゃないんです。

 ただ、泣きそうになっている彼女を見た瞬間、体が勝手に動いたんです。

 気がつけば、僕はティーネさんを思い切り抱きしめていました。


「好きです」

「え……」

「僕は、ティーネさんのことが好きです」


 二度、伝えました。

 すると彼女は、僕の腕の中で一瞬身を固くして、


「それは、私が勇者だから――」

「違います。勇者とかそういうのは、知りません。ティーネさんが、好きなんです」


 三度目の告白。

 ギュッと抱きしめると、ティーネさんも僕を抱きしめ返してきました。


「う、ぁぁ……」


 そして、彼女は震えながら泣きだしました。

 僕の腕の中で、僕の胸に頭を擦りつけて、大きな声で泣き出しました。


「うあああああ、あああああああああ……、ああああああああああああああ!」


 ティーネさんがこれまでずっと溜め込んできたもの。

 勇者だからと、我慢し続けて、一度も外に出せなかったもの。


 それを一気に吐き出して、彼女は大声で泣いて、泣いて、泣き続けました。

 そんな彼女を僕は、泣き止むまでずっと、抱きしめ続けていました。


 実は、僕もつられて泣きたくなってました。

 でも何とか我慢してティーネさんを抱きしめていたんです。

 こういうのが、母が言っていた男の甲斐性というものだと思ったからです。


 どれくらいの時間が経ったでしょうか。

 泣き声は聞こえなくなってからも、しばらく僕は彼女を抱きしめていました。


「……あのね」

「はい、何ですか?」


「変なこと、聞いていいかな」

「はい。何でも聞いてください。わからないこと以外は、何でも答えます」


 僕は頭が悪いから、わからないことは答えられません。

 でも、ティーネさんのためです。頑張って答えようと思いました。


「えっと」

「はい、何ですか?」


「私、も……」

「はい」


「あなたのこと、好きになって、いい、かな……」

「可愛いです」


 あ、つい、思ったことが声に出てしまいました。


「やめてやめてやめて! なし、今のなし、なしなんだからッ!」

「ごめんなさいごめんなさい! 僕のこと好きになってください。僕は好きです!」

「う~~~~~~~~!」


 ティーネさんが、僕の胸に頭をグリグリしてきます。

 どうしよう、胸がさっきからドキドキしています。顔がすごく熱いです。


 色々と、驚いたり喜んだりするべきなんだと思います。

 でも、頭の中は真っ白で、まるで夢を見ているかのようです。どうしよう。


「ねぇ、リオッタ?」

「は、ひゃい、何でしょうか!」


 声が裏返ってしまいました。

 だけど、ティーネさんは気にした様子もなく、僕を見上げてきます。


「ごめんなさい。もう、許してもらえないかもしれないけど」


 それから、僕は初めて、ティーネさんに謝られました。


「私、あなたのお仕事にひどいこと言っちゃった。ごめん、ごめんね……」

「大丈夫です。あれは、苦しいから出た言葉だって、僕は知ってます」


 また泣きそうになる彼女の背中を、僕はポンポンしました。

 人は苦しくなりすぎると、どうしても心が濁って悪い方に傾きます。


 僕も、母が病気で死んだときに、目に見えるものを全部恨みました。

 それと同じことだと思います。ティーネさんは、悪くないです。


「私、やっぱりもう少しだけ、勇者を続けるわ」

「え、それは……」


「違うの、聞いてリオッタ。もう、さっきまでみたいなことは言わないから」

「はい。わかりました」


 そこから、ティーネさんは僕に教えてくれました。

 押し付けられた役割でも、魔王は倒さなきゃいけないと考えていること。

 でも、魔王を倒したら、そのあとはキッパリと勇者をやめること。


「約束するわ、リオッタ。私、絶対にここに戻ってくるから」


 そう言って、ティーネさんは笑いました。

 吹っ切れた彼女が見せた笑顔。

 それは紛れもなく、僕がずっと見たいと願っていた、あの心からの笑みでした。


「ティーネさんは、綺麗なだけじゃなくて、かっこいいんですね!」

「ねぇ、本当にやめて? 恥ずかしくて、死んじゃうから!」


 そうして、僕はティーネさん――、いえ、ティーネに聖剣を返しました。

 彼女は泉で身を清めて、またすぐに旅立っていきました。


「勇者をやめたら、別のお仕事をしてみたいわ。そのときは教えてね?」

「はい、僕もちゃんと教えられるように、誰かに教わっておきます!」

「何それ。……でも、リオッタらしい」


 それが、村を出る直前の、ティーネと僕との会話です。

 そしてまた季節が二つ巡って、年の半分が過ぎた頃、噂を聞きました。


 ――勇者がついに魔王を討った、という噂でした。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 今日もまた、僕は村の入り口に立って、そこから伸びる道を眺めています。

 明日は来るかな。明後日かな。そう思い続けて二週間目の、今日です。


「あ」


 僕は、すぐに気づきました。

 真っすぐ伸びる道の向こうに見えた、赤い影。それは彼女の髪の色です。


 僕の心は浮き立ちました。

 この半年の間に、僕はがんばって第一村人以外の幾つかの仕事を覚えました。


 それを、彼女に教えてあげるんです。

 勇者をやめた彼女に、僕が、お仕事を教えてあげるんです。


 道の向こうで、彼女も僕に気づいたようでした。

 彼女が、僕に向かって手を振っています。

 いてもたってもいられず、僕は走り出してしまいました。


 すると、彼女も同じように駆け出しました。

 どんどんと、僕の目に映る彼女の姿が大きくなってきます。


 彼女は、いつも持っていた大きな剣を持っていませんでした。

 鎧も着ていませんでした。長い髪を三つ編みにもしていませんでした。


「ティーネ!」

「リオッタ!」


 僕は、帰ってきたティーネを抱きしめました。

 ティーネも、僕の名前を呼んで、抱きしめ返してくれました。


「おかえりなさい、ティーネ」

「ただいま、リオッタ。私、もう勇者じゃないよ」

「はい!」


 そして、僕達は結婚しました。

 父も、兄も、村のみんなも、ティーネがお嫁さんになることには驚きました。

 すごく驚いていたけど、みんな、彼女のことを歓迎してくれました。


 それが、僕とティーネの馴れ初めです。

 他にも一年くらい王都で暮らした話や、復活した魔王の話なんかもあります。

 でも、それを語るのはまた別の機会にしたいと思います。


 ごめんなさい。

 このあと、ティーネとお散歩をする約束なんです。


「リオッター、どこー?」


 ほら、彼女が僕を呼んでいます。

 僕の大好きな、僕の自慢の奥さんが。


 だから、ごめんなさい。

 僕は彼女とちょっとお散歩に行ってきますね。


 え?

 今、幸せかって?


「どうなんでしょう。ティーネが幸せだって思ってくれてたら、嬉しいな」


 あれ? 何か間違えましたか?

 ごめんなさい、ごめんなさい。僕、頭が悪くて、間違えてしまいました。


「リオッター?」


 あ、ティーネが近くに来てるみたいです。僕、行きますね!

 それじゃあ、また!

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村人な夫と勇者の妻 楽市 @hanpen_thiyo

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