第4話 勇者、やめてください

 次にティーネさんと会えたのは、二か月後でした。

 それまでの間に、僕は村長から彼女がこの村を何度も訪れている理由を聞きました。


 魔物の血には、悪いノロイが混じっているらしいです。

 ティーネさんは魔物をやっつけることで、その血を何度も浴びてるということでした。

 ノロイの血を浴び続けると、体がどんどん悪くなっていくと村長は言っていました。


 実は、村の奥にある泉で体を清めると、そのノロイがなくなるとのことでした。

 村長の説明を聞いて、僕はなるほどと思いました。

 そういえば、村に来るとき、ティーネさんはいつも汚れていました。


 きっと、魔物の血のノロイで体を悪くしていたんだと思います。

 だから泉で身を清めて、体を悪くするノロイを洗い落としていたのだと知りました。


 つまり、ティーネさんが魔王を倒すまで、まだ何回もここに来るということです。

 それは僕にとっては嬉しいことだけど、でも、心配なことでもありました。


 自分のにおいのことを言って笑う彼女の顔を思い出したからです。

 僕は、あんな風に笑うティーネさんの顏は、あんまり見たいとは思いません。


 だって、あの笑顔は痛くて悲しいです。

 悲しい笑顔だってことを、ティーネさんも自分でわかってると思います。


 だから僕は、彼女のあの笑顔は見たくありません。

 僕は、心の底から笑っているときのティーネさんが大好きだから。


 でも、次に村に来たとき、ティーネさんは最初から、あの悲しい笑顔だったんです。

 その日の朝、僕は今までと同じように村の入り口から外を眺めていました。


 森を切り拓いて作られた道に、ポツンと小さな影が見えました。

 僕は、それに気づいた瞬間、ティーネさんだとわかりました。僕は手を振りました。


「ティーネさん!」


 このときの彼女の状態を知りもしないで、僕は、のん気に手を振ったんです。

 でも、ティーネさんの様子がおかしいことにはすぐに気づきました。


 これまでと比べて、ずっとずっと、入り口に来るまで時間がかかったからです。

 遅かったです。とても遅くて、僕は、どんどん怖くなっていきました。


 もしかしたら、ティーネさんは村の入り口までこれないんじゃないか。

 このまま、倒れて死んでしまうんじゃないか。そう思ってしまったんです。


「ティーネさん、大丈夫ですか!」


 気がつけば、僕は走り出していました。

 村の入り口を越えて、ティーネさんの方に駆け寄りました。


「…………ぁ?」


 息を乱した僕が前に立つと、ティーネさんは小さく声を出しました。

 僕は、驚きのあまり口をあけてそこに棒立ちになりました。


 二か月ぶりに見るティーネさんの姿は、前よりもずっとずっと、傷だらけでした。

 額にも、頬にも、腕にも、足にも、数えきれないくらいたくさんの生傷があります。


 ティーネさんの目は虚ろで、僕を向いているのに、僕を見ていません。

 鼻からは鼻血と鼻水が垂れて、開きっぱなしの口からはよだれが垂れていました。


 三つ編みはほどけて、腰まで届く長い髪が額や首筋に張りついていました。

 そして、とても臭かったです。前のときよりも、ずっと。

 ティーネさんが歩くのが遅かった理由は、聖剣を杖代わりにしていたからでした。


 右腕はブランと垂れ下がらせて、左腕だけで剣を杖にして、歩いていました。

 それじゃあ、早く歩けるはずがありません。そんなことはいくら僕でもわかります。


「ティーネさん……」


 彼女は、ボロボロでした。

 鎧も服も血だらけで、きっと、やっつけた魔物のノロイの血なんだと思いました。


「……あ? ぁ、ああ、きみ、か」


 ティーネさんは、やっと僕に気づきました。

 何も映していなかった目に、少しだけ光が戻ったような気がしました。


「すまない、村長の家に……」

「頑張りすぎです!」


 言いかける彼女に、僕は、つい叫んでしまいました。

 だって、見ていられません。こんなボロボロになるまで頑張るなんて、おかしいです。


「…………。……うん、そうだな。わかっているよ」


 ちょっとだけ黙ってから、ティーネさんはヘラリと笑って、僕にそう言いました。

 またです。また、あの悲しくて痛い笑い方です。

 それをするティーネさんを見て、僕は胸の奥がキュウと締め付けられました。


「この前、君は言ったな。疲れたら、誰かに替わってもらうといい、と」


 ティーネさんはボソボソと、とても小さな声で話します。

 とろけるようだったその声は低くかすれていて、今の彼女の疲れ具合がわかります。


「はい、言いました。お仕事、休めばいいじゃないですか」

「休めないんだよ、残念ながら」


 悲しい笑顔のままで、ティーネさんは首を横に振りました。


「私が休んでしまえば、それだけ世界が救われる日が遠くなる。それは、許されない」

「何ですか、世界が救われるって。どういうことですか」


 意味がわからなくて、僕は聞き返してしまいました。


「……そうか、こんな平和な村に暮らしていたら、わからないだろうな」


 悲しい笑みが、ますます深まっていきます。


「だけど、外は大変なんだ。斬っても斬っても、魔物は湧く。魔王のせいだ。魔王がいる限り、外の世界に平和は来ない。だから私は、戦い続けるんだ。魔王を倒すまで」

「お休み、できないんですか?」

「できないさ。できるはずがない。誰もそんなこと、望んでいない」


 また、ティーネさんは首を横に振ります。


「何故なら、聖剣の力を引き出せるのが私だけだからだ。魔王は聖剣でしか倒せない。だから、私がやるしかない。私が戦って、強くなって、魔王を倒すしかないんだ」

「でも、ずっとずっと頑張ってたら、体がおかしくなっちゃいます」


 僕が言っても、ティーネさんは「いいんだ」と返してきました。


「私が戦うだけ、誰かの苦痛が薄れる。それは私にとって何にも代えがたい報酬だ。それに、金銭も得られる。名声だって。私が勇者であるからこそ、得られるものだよ」


 そう語る彼女の顔は、ずっとずっと、笑ったままです。

 僕の心を突き刺して痛くさせる、あの悲しい笑みが、さっきから消えていません。


「だからいいんだ。私は、これでいいんだ」

「……納得、してるってことですか?」

「そうだとも。私は納得して戦っている。だから、そろそろ通してくれないか?」


 ティーネさんは、笑みを消して、面倒くさそうに言いました。

 彼女にそう言われて、僕はドキリとしました。悪いことをしたんだと思いました。


「ごめんなさい」


 僕は、いつものように頭を下げて謝りました。


「心配してくれたのは、嬉しいよ。それじゃあ、私は――」

「勇者、やめてください」


 頭をあげて、僕ははっきりと大きな声で、ティーネさんにそれを伝えました。

 彼女は、ポカンとなっていました。


「……君は、今、何て?」

「ティーネさんは、勇者をやめた方がいいと、僕は思います」


 聞き返されたので、僕も言い返しました。

 だって、おかしいです。絶対におかしいです。ティーネさんの言ってること。


「な、き、君は自分の言っていることの意味が、わかって……!?」

「ティーネさん、全然、何も納得できてないです。ただ、諦めてるだけです」


 僕に説明したときのティーネさんの表情を、僕は知っています。

 それは、治らない病気になった母が時々見せていたものと同じです。諦めの顔です。


「納得した人は、そんな顔しません。そんな、悲しくなる顏、しません!」

「言わせておけば……!」


 ギリ、と、ティーネさんの口から音がしました。

 奥歯が軋んだ音だって、すぐにわかりました。彼女はとても怒っていました。


「諦めだと? ああ、諦めているさ。だって仕方がないだろう!」

「何が、仕方ないんですか?」

「聖剣は私にしか使えない。私が勇者になるしかないんだ!」


「それでも、疲れたら休めばいいじゃないですか。休んじゃいけないんですか?」

「ダメに決まっている! 私は勇者だ、誰もが、私に期待をかけているんだぞッ!」


 ティーネさんの怒鳴り声が、僕はすごく怖かったです。

 彼女は僕を睨みつけて、全身からピリピリとした感じを漂わせていました。


 でも、やっぱりおかしいです。

 彼女の言っていることはおかしいって思えて、僕は、納得できません。


「魔王をやっつけるお仕事は、きっとすごく大変なお仕事だと思います」

「そうだよ、大変だ。だから私は戦い続けているんだ!」

「それが、おかしいです。どうして一人でやってるんですか。何でですか?」


 大変な仕事は、みんなでやるもんだって、父が言っていました。

 新しい畑を作る仕事も、家を建てる仕事も、たくさんの人に手伝ってもらいます。


「ティーネさんは、ずっと一人だけでお休みもしないで頑張ってるようにしか見えないです。何でですか? 大変な仕事なら、誰かに手伝ってもらえばいいのに」

「……それが簡単にできるなら、私はこんな風にはなっていないよ」


 またです。

 また、ティーネさんが、あの悲しい笑いを浮かべました。


 やっとわかりました。

 それは、諦めの笑いです。彼女の中にある諦めが、表に顔を出してるんです。


「手伝ってもらえないんですか?」

「当然だ。言ったろう、誰もが私に期待をかける。私に、弱音なんか許されない」


 笑みを消して、ティーネさんはそう言います。

 それって、期待なんでしょうか。この人に、こんな辛そうな顔をさせるものが?


「いい加減、通してくれ。こんなところで無駄な問答をしている時間も惜しいんだ」

「どうしてですか?」

「だから無駄な問答は……、まあいい。これまでのよしみだ、説明くらいはしてやる」


 ティーネさんは小さく息をついてから、僕に説明をしてくれました。


「魔王の居城に乗りこめそうなんだ。やっと、そこに通じる道を見つけた。だから、カルリの泉で身を清めて呪いを浄化したら、すぐにまた戻らなければならないんだ」


 頭の悪い僕では、彼女がしてくれた説明の半分も理解することができません。

 ただ、ティーネさんがこれから大事なお仕事をしようとしていることはわかりました。


「それは、誰かに手伝ってもらえないんですか?」

「無理だ」


 彼女は、きっぱりと僕にそう言いました。


「私も勇者として、様々な国から支援は受けてはいるが、それはつまり、私に厄介な仕事を押し付けるための対価でもある。どこの国も、他の誰だって、そんなモンさ」


 ああ、また。

 またティーネさんが笑いました。諦めの笑顔です。とても辛い笑いです。

 それを見るたびに、僕は胸が痛くなって、苦しくなります。


「君だって、私に勇者をやめろと言うが、私に替わってくれるのか?」

「それは、無理です……」


 僕はうなだれました。

 体が弱い僕では、魔物の相手なんてきっとできません。戦いのやり方も知りません。

 ティーネさんを手伝おうとしても、邪魔になるだけに決まっています。


「ほらな」


 彼女は、うなだれる僕を見てハンと鼻で笑いました。


「私以外になれる者もいない。手伝ってくれる者もいない。……だったら、私がやるしかないじゃないか。だから私は勇者をやっているんだ。私の本音など、些細な問題だ」


 そう言って、ティーネさんは肩を落としました。


「だから、もういいだろう?」


 そう言って僕を見るティーネさんは――、泣きそうになっていました。


 瞳には光が揺れて、頬は引きつって、唇は震えていました。

 溜まった涙を一滴も零さないよう、彼女は、必死に我慢して堪えていたのです。


「君が私を心配してくれているのはわかったよ。それは嬉しいよ。ありがたい。……でも、やめられないんだ。私は勇者であることをやめられないんだよ、だから」


 そんな顔を見せられて、僕には、もう何も言えませんでした。

 でも、その表情から伝わってきたこともあります。


 やっぱり、ティーネさんは勇者をやりたくないんです。

 心の底では、彼女は勇者でい続けることを嫌がっているんだって、わかりました。


「…………」

「もう、いいようだな。私は行くよ」


 ティーネさんが、剣を杖にして体を引きずって進んでいきます。

 最初から最後まで諦めの笑いをその顔に張りつかせて、変えることもないまま。


 ……僕は、許せませんでした。


「ごめんなさい、ティーネさん」

「何だ、いきなり?」


 僕の横を通り過ぎようとする彼女から、僕は、聖剣をバッと取り上げました。


「え、な……!」

「ごめんなさい、僕、この聖剣を村の肥溜めに捨ててきます!」

「はぁ!!?」


 聖剣を両手に抱えて、僕は村へと走り出しました。

 僕は、許せなかったんです。

 ティーネさんを泣かしかけた僕自身と、勇者っていう仕事が、許せませんでした。


「ま、待て! やめろ!」

「ごめんなさい、ごめんなさい! でもイヤです! 捨てます!」

「やめろってばァ――――ッ!!!!」


 朝のカルリ村で、僕とティーネさんの追いかけっこが始まりました。

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