第3話 村人リオッタと勇者ティーネ
四季が巡って、一年が経ちました。
僕は相変わらず、カルリの村で第一村人の仕事をしています。
去年、ティーネさんに会ったあとで、父から勇者について教えてもらいました。
世界には魔王というすごい魔物がいて、勇者はそれをやっつける仕事だそうです。
聖剣というものが魔王をやっつける武器で、それを使って戦うのが勇者だ。と。
そんな話を、父は僕にしてくれました。
ティーネさんが見せてくれた大きな剣が、魔王をやっつける聖剣だったのです。
そうか、ティーネさんは綺麗なだけじゃなく、とってもすごい人なんだ。
と、頭の悪い僕でも何となく理解することができました。
あれから、僕はボ~ッとすることが少なくなりました。
来る日も来る日も、ずっと村の入り口を眺めながら、仕事をしていました。
ティーネさん、来ないかな。
僕は毎日、そうお祈りしながら村の入り口を眺めていたのです。
「あ」
僕のお祈りが通じたその日、ティーネさんが村にやって来ました。
季節は夏の始まり。強い陽射しの下で、そろそろ蝉が鳴き始めた頃のことでした。
「ティーネさん、ようこそ!」
村の入り口までゆっくり歩いてきた彼女に、僕はすぐに近づいて声をかけました。
すると、口を半開きにしたティーネさんが焦点の定まらない目で僕を見ました。
「…………」
彼女は、少しの間ボ~っとして僕を見つめました。
「……あ。ああ、君か」
数秒くらいして、やっとティーネさんは僕のことがわかったみたいでした。
よく見れば、彼女の姿は去年よりもさらに傷が多くなっていました。
鎧は傷だらけどころかベコベコ、下に着てる服も褪せた茶色の汚れが目立ちます。
あとで聞いたことですが、その汚れは血の跡らしいです。
ティーネさんの肌も浅黒く焼けて、見えている部分の傷の数も増えていました。
村まで歩いてくるのも、歩くというよりは体を引きずるようで、大変そうでした。
夏の熱い空気を介して、鼻を衝く異臭が伝わってきます。
放置した肥溜めのような、牛舎のにおいを煮詰めたような、そんな感じです。
「匂うだろう、私は」
ティーネさんが笑って言いました。
異臭は、彼女からでした。
今、ティーネさんが浮かべる笑みは、僕が前に見た笑顔とは全然違ってました。
見ているこっちが、何故か悲しくなってしまう。
そんな、心にズキリと痛みが走ってしまうような笑顔です。
「少し前まで、魔物の群れと戦っていてね。すまない。こんな格好で」
ティーネさんはそう言って、体を引きずりながら僕の前を過ぎようとしました。
もう、三度目の来訪になります。第一村人の僕の案内も必要ないのでしょう。
そうすると、僕にできることはありません。
仕事がないので、このままティーネさんを見送ればいいだけです。
「…………」
「ん? 何だい?」
「あれ?」
ティーネさんが、僕を見ていました。
僕も、僕の手を見ていました。
何故か、僕の右手がティーネさんの頭の上に置かれていました。
「……えぇと、この手は?」
まばたきをしながら、ティーネさんが不思議そうに僕に問います。
それに咄嗟に答えを返せず、僕はティーネさんの頭に置いた手を動かしました。
つまり、ティーネさんの頭を撫でました。
「リオッタ、な、何を……?」
撫でたら、ティーネさんの体がフルフルと震えだしました。声も同じです。
僕は、さらに彼女の頭を撫でながら、言葉を探し続けました。
「えっと、えらいえらい、してます?」
「私に尋ねるな。君が私にしていることだろう!?」
「あ、そうですね、ごめんなさい」
僕は手を放しました。
「な、何なんだ、一体……」
「だってティーネさんは魔物をやっつけたんでしょう? すごいです。えらいです」
「称賛は嬉しいが、何故頭を撫でるんだ。私を幾つだと思っている!」
「え、ティーネさんの年齢……?」
ついつい、見た目から僕より年下かと思って撫でてしまいました。
しかし、言われてみれば確かに、僕はティーネさんの年齢を知りませんでした。
「私は今年で、19だ」
「僕は18です」
「君の方が私よりも年下じゃないか!」
ああ、怒られた。またやり方を間違ってしまいました。
「ごめんなさい、ごめんなさい! 僕、頭が悪いので……」
「頭が、とかそういう問題ではなくてだな……」
ティーネさんがハァ、とため息をついて肩を落としました。
「何故、頭を撫でたりした。私は、そんなにも褒められたそうだったか?」
「違います。ティーネさんは頑張ってる人だから、撫でてあげたいなって思って」
死んだ母が、僕や兄が頑張ったときによく頭を撫でてくれました。
撫でられたときはすごく嬉しくて、だから、撫でたら喜んでくれるかな、って。
それをティーネさんに伝えたら、彼女は唇をもごもごさせていました。
「そんなことを言われたら、叱るに叱れないじゃないか……」
「ごめんなさい。怒らせちゃいましたよね。本当にごめんなさい」
「怒ってはいない。……困りがしたが」
やっぱり、僕は悪いことをしていたようです。
勇者っていうすごい仕事をしているティーネさんを、困らせてしまいました。
「いや、それはいいんだが。そろそろ離れたらどうだ?」
「え、何でですか?」
「何でも何も……、言っただろう、今の私は臭いんだ」
「はい、臭いです」
「――正直且つ、率直且つ、剛速球だな」
あれ、また僕は何か悪いことを言ってしまったのでしょうか。
「臭いとわかるなら離れてくれ。君にまでにおいが移るぞ」
「移るのは悪いことなんですか?」
ティーネさんの言っている意味がわからず、僕は思わず問い返してしまいました。
「…………」
すると、ティーネさんはものすごくびっくりしたような顔になっていました。
「あ、ごめんなさい。変なこと言いましたか?」
「いや、その、君は私のにおいが気にならない、のか……?」
「臭いです」
「それは聞いた。だが、君はそれが、気にならないのか?」
「え、何でですか? お仕事を頑張ったから、においがついたんでしょう?」
畑仕事を頑張った父も兄も、仕事が終わると大体臭いです。
それは汗臭さであり、肥料のにおいだったりします。
他にも、鍛冶屋のおじさんもいつも鉄臭いし、村長もインク臭くなります。
みんな、頑張った分だけ臭くなるものだと、僕は知っています。
だけど僕だけはいつも、においが薄いです。
きっと、僕は楽をしているから、においがつかないんだと思います。
「ティーネさんは、臭いです。すごく臭いです。つまり、すごく頑張ったんですね」
彼女は、そのにおいを嫌っているように見えます。
でも、僕はすごくいっぱい頑張った彼女を、とても尊敬できる人だと思いました。
「……私は、すごく頑張った、か」
フ、っと、ティーネさんの顔に笑みが浮かびました。
それは、さっき見せた悲しくなる笑みじゃなくて、前に見た綺麗な笑顔でした。
「でも」
「ん、何だい、リオッタ」
「今のティーネさんは、すごく疲れてるように見えます。頑張りすぎです」
「それは、まぁ、そうかもしれないな。……痛いところを突く」
ティーネさんは、そう言って下を向いて、軽く苦笑していました。
「頑張り過ぎたら、体に悪いです。疲れたら、誰かに替わってもらうといいです」
「誰かに替わってもらう? 勇者の仕事をか?」
「はい。父も、兄も、病気になったりケガをしたら、そうしてます」
僕が言うと、ティーネさんは「そうだな」と言って顔をあげます。
「リオッタ」
「はい?」
「……いや、何でもないよ」
何かを言いかけたティーネさんはかぶりを振って、言葉を止めてしまいました。
ただ、そのすぐあとに、
「誰かに替わってもらえるなら、替わって欲しいさ、こんな役割」
小さくそう零したティーネさんの表情は、前に会ったときと同じでした。
前に、お姫様なら楽だったろう、って言ってたときの表情と。
「ティーネさん……?」
「長居をしてしまったな。すまない。そろそろ村長の家に行くよ」
「あ……」
僕が尋ねる前に、ティーネさんは行ってしまいました。
「ティーネさーん、またお話ししましょうねー!」
遠ざかるティーネさんの背中へ、僕は大きく声を出して手を振りました。
ティーネさんからの返事は、ありませんでした。
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