第2話 勇者のティーネ

 季節が二つ巡って、年の半分を過ぎた頃。

 ユーシャさんはまた、カルリの村にやってきました。


「すまない」


 僕が近くの森の方をボ~ッと眺めていたら、後ろから声をかけられました。


「はい? はいはい、ここはカルリの村ですよ。ようこ――、あれ?」


 慌てて振り返っても、そこには誰もいません。

 視線を左右に巡らせても、誰もいません。あれ、あれ、と僕は辺りを探しました。


「…………私はここだ」

「あ、ごめんなさい」


 僕は、半年前と同じように彼女に気づくのが遅れました。

 彼女はちょっとだけプリプリしていました。それと、前より傷が増えていました。


「えっと、フーシャさん?」


 半年前のことは覚えていたので、名前を思い出そうとしましたが、間違えました。


「風車ではない。勇者だ」

「あ、間違えました。ごめんなさい」


 眉根を寄せるユーシャさんに、僕はペコリと頭を下げました。


「いや、いい」


 と、ユーシャさんは言ってくれましたが、目つきは険しいままです。


「……怒ってます?」

「別に、怒ってはいないが。どうしてだ?」


 聞き返されてしまいました。


「えっと、ものすごく怒っているような顔だったから、怒ってるかと思いました」


 僕は、ユーシャさんに思ったことを正直に告げました。


「私は、怒っているように見えるか?」

「はい。すごく」


「すごくか」

「はい。ものすごく」


「ものすごくか」

「はい。とってもものすごく」

「…………」


 ユーシャさんは腕を組んで黙り込んでしまいました。


「あ、ごめんなさい」

「ん? 何故、君が謝るんだ。君は何もしてないだろう?」


「でも、ユーシャさんが黙っちゃいました。きっと僕が悪いことをしたからです」

「おいおい、何でそうなるんだ?」


 ユーシャさんはわからなそうに首をかしげています。

 僕は、悪いことをしていなかったのでしょうか。わかりません。


「ごめんなさい、僕は頭が悪いから、自分が悪いかどうかも、わかりません」

「……そうか。じゃあ言うが、君は悪くないよ。何も悪くない」


 僕が正直に言うと、ユーシャさんはそう言ってくれました。


「私が怒っている風に見えたのは、少し前まで魔物と戦っていたからだよ」

「マモノ、ですか」


 魔物については、兄や父に少しだけ聞いたことがありました。

 狼や毒蜂よりも怖いものだって、兄は言っていました。

 僕は会いたくないと思いました。


「ユーシャさんは、マモノをやっつけられるんですね。すごいです」

「ああ、まぁ、それが私の仕事みたいなものだからな」


 ユーシャさんは少し笑って、背負っている大きな剣の柄を軽く掴みました。


「仰々しい武器だろう? これは聖剣と言って、私にしか使えないんだよ」

「セイケン、ですか」


 このときの僕は、聖剣がどういうものかも知りませんでした。

 ユーシャさんに見せられても、『持つのが大変そう』としか思いませんでした。


「じゃあ」


 僕は、ユーシャさんに言いました。


「ユーシャさんは、セイケンを使ってマモノをやっつけるお姫様なんですね」

「…………んん?」


 ユーシャさんが、キョトンとなってしまいました。


「あれ、何か間違いましたか? ご、ごめんなさい……」


 また悪いことをしてしまったのかと思って、僕は慌てて謝りました。

 ユーシャさんは「いやいや、違うから」と手を振って、僕に教えてくれます。


「君は何も悪いことはしていない、が、何故私をお姫様、などと……?」

「え、違うんですか!?」


 逆に、言われた僕がびっくりしてしまいました。


「こんな格好をしたお姫様がいるものか!」

「ひぅ、ごめんなさい。……だって、村長がユーシャ様っていってたから」


 ビクリと震えて説明すると、ユーシャさんはまた目を丸くしてしまいました。


「……つまり、私が様付けされていたから、お姫様と勘違いした、と?」

「え、はい。そうです。間違えてたなら、ごめんなさい」


 僕がまた謝ると、ユーシャさんは少しの間そのまま固まって、


「――ップ」


 突然、笑いだしました。


「そうかそうか、様付けされてたから私はお姫様、か! ハハハハハハハ!」


 ユーシャさんは両手でおなかを抱えて、体をくの字に曲げて大笑いしていました。

 そのときの彼女はとても楽しそうに見えて、僕もなんだか嬉しくなりました。

 でも――、


「……本当に、お姫様だったら楽だったんだがな」


 笑い終えて、涙を拭うユーシャさんが、声を低くしてポツリと呟きました。

 僕にはそれが、何だかとても印象に残りました。


「お姫様じゃないんですか?」

「違うよ。前回も言ったと思うが、私は勇者だよ」


「はい、ユーシャさんですよね」

「その通り、私は勇者だ」


「ユーシャさんは、お姫様じゃないんですか?」

「いや、だから勇者だと言ったろ?」


「はい、聞きました。ユーシャさんはユーシャさんですよね?」

「うん。私は勇者だよ。当代の勇者であるティーネだ」


「え?」

「ん?」


 僕が初めて彼女の本当の名前を聞いたのが、このときでした。


「……ユーシャさんじゃないんですか?」

「だから、そうだと。私は勇者だと、何回も、……いや、待てよ」


 そこで、ティーネさんは腕を組んだまましばし視線をさまよわせて、


「もしかして君は、私の名前がユーシャだと思っていたのか?」

「えっ、違うんですか!?」


 僕はびっくりしました。

 人様のお名前を、間違えて覚えてしまっていたみたいです。とても悪いことです。


「ごめんなさい、ごめんなさい! お名前、間違えてました! ごめんなさい!」

「アハハハハハハハハハハハ! 何てこった、面白すぎる間違いじゃないか!」


 顔を青くして謝る僕に、ティーネさんはまた大笑いしていました。

 僕はすごく恥ずかしくて、顔が焼けるように熱くなったのを覚えています。


「おお、勇者様! またいらしていただけるとは!」


 そこに、ティーネさんの笑い声を聞きつけたらしい村長が、走ってきました。


「これ、リオッタ! 勇者様がいらしていたなら、何故わしに報せないのだ!」

「あ、村長。ごめんなさい! えっと、ユーシャさんがティーネさんだったから……」

「何だそれは……?」


 僕がしどろもどろになって説明すると、村長はちんぷんかんぷんという顔なりました。

 それを見て、またティーネさんが大笑いしていました。


「はぁ、ひぃ、こんなに笑ったのは久しぶりだ……」

「おお、勇者様。申し訳ございません、ウチのリオッタがとんだご無礼を」

「いえ、村長殿。大丈夫です。楽しませていただきました」


 二人が話している間も、僕はずっとアワアワし続けて、頭を下げていました。

 それから、ティーネさんは村長の家に行くことになりました。


「君は、リオッタというのか。覚えておくよ」


 去り際、ティーネさんは僕にそう言っていきました。

 そのときの微笑みを見て、僕は一つ、思い出しました。


 僕があの人をお姫様だと思った理由。

 それは、ティーネさんがすごくすごく、綺麗な人だったからです。


 今日初めて見たティーネさんの笑顔も、本当に可愛かったです。

 そう思った僕は多分、もう、彼女のことが好きになっていたんだと思います。


 でも結局このときは、それを彼女に伝えることはできませんでした。

 僕が次にティーネさんに会うのは、それから一年以上経ったあとでのことでした。

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