第58話 熱く眠る
戦況に戦慄が走る。黒い死神の正式な弟子である巌斎妃伽がヴェノム状の赤い謎の物体に襲われたかと思えば力なく倒れてしまったのだ。
先ほどまでモンスターを何体も狩猟していたというのに。それに救われた狩人も多い。そんな彼女が倒れたのである。狩人達は動きを変える。モンスターを狩猟する動きから、妃伽を守る方へと。恩人は見捨てない。言葉なくとも考えが一致した。
誰かが指示を出すことなく、数人の狩人が陣形を組みながらその場を離れる。エルグリットを呼びに行くためだ。その他は急いで今襲ってくるモンスターを退け、妃伽を囲むように陣形を組んだ。1人は彼女の安否を確認するために声を掛ける。
「黒い死神の弟子!大丈夫か!?聞こえるか!?」
「…………………………」
「返事がねぇ……てか、これは……っ!」
「おいどうした!死んでるとか言わねぇだろうな!?」
「ち、違う……──────熱い。弟子さんの体が尋常じゃない熱を持ってやがる……っ!」
「熱か!?」
「いや……そんな域を超えてる。体温計がないから正確な体温はわからないが……触った感じだと60度は軽く超えてる」
「なっ、はぁ!?ありえねーだろ!?」
「事実だ!額に触れてるだけで手のひらが焼けちまいそうだ……しかもどんどん上がっていきやがる……っ!早く冷やしてやらねぇと……でもここじゃァ……」
妃伽の隣に膝をついて額に手を当てた狩人は、彼女の持つ体温に息を呑んだ。人体ではあり得ない超高温である。何が起きているのかわからない。自身が怪我を負うので応急処置くらいはできるが、外傷はない。ただ体温が熱いのである。
口の中を覗き込んでも、飲み込んでしまったヴェノム状の赤い物体は見当たらない。もう胃に到達してしまっているのだろうと察し、ここでそれをどうにかする術はない。どうすれば……と思っているとき、モンスターの断末魔が近づいてくる。
正体はモンスターを鞭で斬り刻みながら接近してくるエルグリットだった。その表情は真剣そのもので、老若男女が見惚れる微笑みは鳴りを潜めている。ゴクリと誰かが生唾を飲む音が聞こえた。いや、もしかしたら全員息を呑んだのかもしれない。それだけの気迫を感じたのだ。
エルグリットは妃伽とその周囲でモンスターから守っていた狩人達のところまで来ると、鞭を振り回してドーム状の斬撃の結界を張ると、鞭を振りながら何が起きているのか聞いてきた。それに嘘偽りなく、ありのままを話した。彼女は事の顛末を静かに聞いており、話が終わると頷いた。
「経緯はわかりましたわ。わたくしが来るまで妃伽さんを守ってくださりありがとうございました。あとは引き受けますわ」
「で、でも、この娘はどうするんです……?早く医者に見せないと……」
「壁外に医者は居ませんわ。それに中にはモンスターが引くまで開けない決まりになっています。それは誰であろうと例外はありません。モンスターが中に入るリスクを犯すわけにはいきませんもの……なのでモンスターが引くまで、わたくしが妃伽さんを守ります──────わたくしの命に代えても」
「──────っ!?」
特上位狩人はたった4人しか居ない。それだけに超重要人物。1人でも欠けることは人類側の多大な損失となる。それを理解していながらの発言。聞いていた狩人達は仰向けに寝かされている妃伽に目を向けた。
現特上位狩人のエルグリット・ディ・アクセルロッドにそこまで言わせる少女。実力とポテンシャルをある程度は認めているということ。恐らく黒い死神の弟子で、預かっているという身でもあるのだろうが、それでも不用意な発言は絶対にしない。
エルグリットは一旦斬撃の結界を解除した。そして範囲外へ出るよう狩人達に言いつけた。1人で守るつもりなのだ。その考えに否定を入れる者は誰1人居なかった。特上位狩人にとっては、最上位ランクの狩人であろうが足手まといにしかならないからだ。むしろ離れてくれている方が好都合なのである。
「手に余るモンスターが居た場合はわたくしのもとまで誘導を。それ以外はいつものように狩猟してくださいませ。わたくしのことは気にしなくて結構ですわ。来るもの拒まず、わたくしは等しくお相手してさしあげるだけでしてよ」
そう言って鞭を振るい、一度に数十のモンスターを惨殺しながら宣言した。モンスターが引くまでの数時間。エルグリットは宣言通り結界を張ったことでついた地面の円の亀裂から内側に、モンスターを一度も入れることはなかった。
中央都市メディウムの中で一番大きな診療所。その一室のベッドに妃伽は寝かされている。体の周りには袋に入った氷水がいくつもあり、それらはすべて急速に温められている。妃伽本人の体温がいじょな熱を発しているからだ。袋についた水滴が肌に触れると、熱せられたフライパンに落とされた水のように音を立てて蒸発する。
その光景を4人の特上位狩人と担当医となった都市1番の医師が見守っている。モンスターが引いて数時間。すぐさま診療所に通された妃伽。特上位狩人はエルグリットから端末に連絡が入り次第駆けつけた。
一度に、それも一室に特上位狩人全員が集まっているのは凄まじい光景だ。担当医の医師は長年医者をやっていてこんな状況はなかなか味わえないものだと感嘆としながら、妃伽の容態について説明していった。
「──────つまり、原因はそのヴェノム状の物体であるが、体内にそれらしきものは見当たらなかったと?」
「はい。精密な検査をしましたが異物の反応はなし。採血して調べましたが数値などにも異常は見られません。健康体そのものです。この、発せられる熱以外は」
「妃伽ちゃん大丈夫なんですかコレ……オレ見たことないっすよ」
「うぅむ……俺も皆目見当がつかん」
「巌斎。おい、聞こえるか、返事をしろ。……意識は戻る気配がない。俺もこんな状態は聞いたこともない。ましてや今や体温は70度を超えている。冷やしているにもかかわらずだ。常人ではありえんし、説明もつかん」
「申し訳ありませんわ。わたくしが居ながらこんなことに……」
「お前のせいではない。タイミングが悪かっただけだ。恐らく、別の者でもこうなっていたかもしれん。それに過ぎたことを悔いても始まらん。俺達はやらねばならんことをやるだけだ」
「……そうっすね。『大侵攻』はまだ終っちゃいないんですから」
妃伽が倒れて心配なのはみんな同じ。しかしそれにかまけて大勢の命が失われたでは目も当てられない。龍已達は『大侵攻』に於いての要なのだ。居なくなるだけでどれだけ被害が大きくなるかわからない。
彼等は頷き合い、もしなにかあればすぐに妃伽を診るよう担当医に頼んでから部屋を後にした。それから少し、面会を唯一許された虎徹が妃伽が眠る部屋へやってきた。ベッドの横に椅子を持ってきて座ると、力なくベッドに投げ出された手を優しく取り、悲しそうな表情で手の甲を撫でた。
「妃伽ちゃん……早く起きてね。それで僕の料理を食べて美味しいって笑ってよ……せっかく仲良くなれたのにまたあんな思いするのはイヤだよ。君はあの黒い死神の弟子なんだよ?こんなところで倒れてる場合じゃないよ」
「…………………………」
「……修行も狩猟もいっぱい頑張ってたもんね。たまにはゆっくり休んだ方がいいのかもね、ふふ。……でもね、ごめんだけど、僕がさびしいから起きてほしいなぁ」
妃伽の体温は70度を超える高温。触れていれば熱さで反射的に離してしまうぐらいの熱なのだが、虎徹は気にした様子もなく彼女の手を取り手の甲を撫でていた。まだ少女と言える年齢なのに重なるモンスターの狩猟と修行で硬くなった小さな手。その手が握り返してくれることを期待したが、眠った彼女にそんなことはできない。
仕方ないか……と思いながら寂しげに微笑み手を離してベッドの上に優しく置いてあげた。早く目を覚ましてほしいなと呟きながら、額にかかった金髪の髪を撫でるように払い、頬を優しく撫でた。
「それじゃあ、また来るね。おやすみ、妃伽ちゃん」
「……………………」
『──────黒圓様。お頼みされた資料の洗い出しが終了しましたのでご報告します』
「あぁ」
夜。暗闇が辺りを覆い隠す中、龍已は中央大都市メディウムの聳え立つ壁の上に居た。他には誰も居ない1人で、自身の狩人カードを使い交信している。相手は狩人協会本部の受付である。特上位狩人の特権を使用して最優先で繋いでもらったのだ。
内容は妃伽について。狩人登録は済ませているので、本部も黒い死神の正式な弟子ということ、加えてつい先日未登録のモンスターの狩猟の報告が上がっていた事から妃伽の存在は認知されていた。そして今回、正体不明の物質によって倒れたことで、何か知らないかと問い合わせたのだ。
膨大な知識を保有する龍已でも聞いたことがないものだった。赤いヴェノム状の物体は生物なのかどうかすらわからないので、設立されてから全てのデータを保有する狩人協会本部に力を貸してもらおうという考えだ。
問い合わせて少し立つと、カードの方に折り返し連絡が入った。龍已は壁上で黒いローブを風で靡かせながら内容を聞いた。それはさすがの彼と言えど、沈黙してしまうものであった。
『赤いヴェノム状の物体。体内に入り込み、その後宿主が異常な発熱。お調べしましたところ、過去に事例が3件報告されていました。その内の2件は宿主がモンスターです。最後の1件は人でした』
「寄生された後はどうなる」
『黒圓様が仰られた通り、異常な発熱を起こしています。モンスターは寄生後暴れて死亡。人の場合ですと熱で苦しんだ後意識が覚醒。しかしその後、頭痛・目眩・吐き気・幻覚・幻聴・倦怠感に襲われています』
「……………………」
『宿主となった方は様々な体調不良を訴えていましたが、特筆すべき特徴がありました』
「それは?」
『──────寄生される前と後で明らかに運動能力に違いが生まれているのです。落ちていません。むしろ、考えられない程に上がっていました。その変わりようは、まるで年端もいかない子供が黒圓様の運動能力を手に入れた……くらいのレベルだそうです』
「寄生後の能力の向上があからさまに高いな。体調不良を訴えていてそれか」
明かされた内容は凄まじいものだった。寄生された宿主となったモンスターは暴れた後に死んだが、人間の場合だと体調不良を訴えるくらい。しかも、そんな体調が不調にもかかわらず運動能力が爆発的に上がっていたらしい。
それだけならば体調をどうにかすればいいと思われるが、話には続きがあった。寄生された人物に頼み運動能力のテスト実験をしていたところ、動いて少ししたら更なる体調不良を訴えたかと思うと体温が爆発的に上昇した後、人体の自然発火によって絶命してしまったのだそうだ。
「死因は体温が熱くなりすぎたことによるものか……」
『はい。ですのでもしかしたら、動けば動くほど体温を上げ、最後は燃えてしまう……そんな代物なのかもしれません』
「それだけの物体が何故本部のお前達が管理していない?実験を行っていたならば確保もできただろう」
『報告書によれば、まるで意思を持つがごとく勝手に動いていつの間にか逃げているそうです。そして恐らく寄生を繰り返しては宿主を殺している……私には適合者を探し回っているように感じます』
「寄生無しでは生きられない……ということか。だがそれにしては適合しなかった場合のデメリットが大きすぎる。取り出す方法はないのか?」
『確認できていません。推測ですが、宿主の体と一体になってしまい、我々の技術では分離させることは現在不可能とされています』
言外に助けられないと言っている。直接言わず遠回しに言われなくてもわかっていた。一番いい腕を持つ医者が体のどこにも赤いヴェノム状の物体を確認できなかったと言っているのだ。もはや肉体と一体になってしまっていると考えるのが普通だ。
ヴェノム状の物体はモンスターなのか否か。わからないが手っ取り早く調べる方法があった。それが龍已の手に着けられている
『黒圓様ならば、もうすでにお考えになられているでしょう。モンスターではなく、その他の生物のどの分類にも当てはまらない。適合さえしてしまえば恐らく絶大な力を手に入れられる謎の物体』
「……あぁ。やはりそうか」
『はい。結論を申し上げますと──────
「赫の人器……か」
妃伽が飲み込んでしまった赤いヴェノム状の物体は、龍已達が持つ人器に匹敵する代物。しかしそれは適合者を選ぶもの。選ばれなければ壮絶な体験をその身で味わうことになるのだそうだ。
妃伽はまだ、目を覚まさない。
──────────────────
巌斎妃伽
赤いヴェノム状の物体を襲われる形で寄生されており、一体となってしまっているため切り離すことができない。以前寄生された人物は少し動いただけで人体発火現象を起こし死亡している。
天切虎徹
妃伽が心配で付き添っている。赤いヴェノムが人器に匹敵するものであることは知らない。龍已の友人ということもあり、他の特上位狩人からも認知されている。もちろん武器を作っていることも。そのため面会謝絶の妃伽の病室に入ることができている。
黒圓龍已
自分の知識の中でも妃伽の状態になってしまったという例がなかったので狩人協会本部に問い合わせて調べてもらった。だがまさか人器に登録されるかもしれないものが出てくるとは思わなかった。しかしある程度は予想していた。
死神の銃声に喝采を。その御手から撲滅を キャラメル太郎 @kyaramerutarou777
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