第3話



 瞳いっぱいに涙を浮かべ、溢れた涙がぽつりぽつりと赤く染まった頬を伝う。


 麻奈美は泣き顔を見られたくないのか肩を持つ俺の手をやや強引に振りほどいてまた背を向けた。今の状況がまるで理解できず、とにかく泣かしたのは事実だと俺は謝罪を口にした。


「え、と。ごめん。なにか気分を害すること言ったか?」


 麻奈美にからかったと言われて頭に来たのは事実だが、少なくとも俺は麻奈美を馬鹿にするようなことは言ったつもりはない、おめでとうの言葉を少し強いケンカ口調で言ってしまったが麻奈美はむしろそういう事に対して食って掛かるタイプだったはずだ。

 とにかく、思いつくことを言葉にしよう、そう思い背を向けたままの麻奈美に声をかけた。


「えっと、折角のお祝いの言葉があんなケンカ腰の投げやりな口調じゃだめだよな。改めて言うから機嫌直せよ、心からちゃんと祝うからさ」


 俺の言葉にピクリとも動かない麻奈美、これじゃないのかと悩む俺は


「か、肩を掴んだ時痛かったか?ごめんな、なんか勢いで強く掴んでたかもしれない、痣になってないか・・?あと、えっと――」


 自分でも間抜けな事を言っているのは理解している、でも俺には答えを出せない。

 恐らく、いやきっとたぶん、もしかすると、こうすれば良かったのかもしれない、その答えはなんとなく浮かんでいるが、やはり出せない。


 出せないまま時間が静かに流れていく、一言の会話もなく。


 しばらくの無言の後、俺一つの答えを出すことにした。

 麻奈美は幸せと言った、そんな麻奈美を泣かせたのは理由は出せなくても俺だ。俺は幸せに泥を塗ったと言う事だ。


「ごめん。やっぱり俺、調子乗って帰ってくるべきじゃなかったんだな」


 そう言うと、麻奈美は慌てたように顔をこっちに向けてきた。意図は分からないが俺は続けた。


「麻奈美にあんな酷い事して傷つけて、なにが今更おめでとうだよな。人生で一番幸せかもしれない時に思い出させるような事してさ、俺ってバカだよな。俺をからかって馬鹿にしたくなるのも分かるよ」


 立ち上がり、頭を深々と下げた


「麻奈美が結婚するって聞いて勝手に、俺が犯した過ちがチャラになったって勘違いしてた。今なら会えるって、会っても許されるかもって馬鹿で甘い事考えてた、本当にごめん、許してほしい」


 スッと麻奈美も立ち上がるのが見えた、頭を下げているから顔は見えないが俺の言葉に少なくともなにか思うことがあるのだろう。このまま無言で部屋を出ていくかもしれないって不安もあったが、立ち上がっただけで動く気配はない。俺は少しだけホッとしてそのまま


「あとやっぱり言わせてくれ、不快なら聞き流してくれていい。結婚おめでとう、幸せになって――」


「もうやめてっ」


 麻奈美の声に最後まで言えず顔を上げると、泣き顔のまま怒った表情の麻奈美が俺を見ていた。


「やめてよっ!何度も何度もおめでとうって!」


「え?は?」


「なにそれ!?さっさと結婚してどっか行けって言いたいわけ!?」


 さっきまでのしおらしい泣き顔から打って変わって涙を流しながらも怒りが抑えきれない表情で俺を巻くしてて来る。


「いや、だって。結婚するんだろ。さっきも今は幸せだって言ってたじゃないか」


 俺の言葉に麻奈美はさらに声を荒げる、


「なんでわかってくれないのっ!?」


「なんでって、なにをだよ?」


「全部よ!!」


 ――全部?全部ってどういう意味だ?まるで分からないんだが


 全く分からず言葉に詰まった俺にさらに麻奈美は言葉を続けてくる


「5年離れただけでそんなに私の事忘れた!?私そんな軽薄だった?そんなに目移りばかりするような女だった!?」


「知ってるよ。だからこそ俺に勘違いさせるような真似するなよ」


「わかってないっ!もっと考えてよ!!」


 考えろと言われても・・。

 確かに、麻奈美は付き合ってから、いやそれ以前からずっと俺だけを見てくれていたのは知っていた。見た目と性格の良さから他の男子から何度も言い寄られたり告白されたことも知っている。明らかに俺より将来有望だろって男子だって何人もいた。それでも、麻奈美は俺だけを見てくれていた。

 少なくとも、誰かを大切に思えば絶対に他の男に色目を使うような奴でもないし、むしろそういう軽薄な事が大嫌いな性格で言っちゃえば


 だった


 そう考えればまさかとは思うが、こんなに俺に都合の良い話なんてないと思うが、麻奈美はまだ俺の事を・・?

 いやいや、それでも結婚すると決めた相手がいるなら大切な相手はすでに俺ではないはずだ、そう言い切れる。だとしたらこの状況はなんだ・・?


 頭をフル回転させながらチラッと麻奈美の顔を見ると潤んだ目でまっすぐ俺を見て答えをじっと黙って待っている、その目は5年前から変わらない強い意志を持った瞳だ。

 俺は、この目が大好きであると同時に怖くもあった、ただただ俺を想ってくれるその瞳は俺のすべてを見透かすようで、まだ子供だった俺にとってそれは強烈なプレッシャーになることも多々にあった。

 言い訳になるが、当時の俺はそれから一度逃げたかったのかもしれない。


 その瞳を見た俺は考えるのを止め、今なら少しはそのまっすぐな瞳を受け止められるかなと、見つめ返した。真剣な目でジッとその瞳を見つめると、ピクッとわずかにたじろぐような仕草をした。

 さらに見つめると麻奈美の潤んだ瞳が僅かに揺れるている事に気付く、それと同時に自然と口が開いた。


「麻奈美、お前なにか隠しているか嘘をついてないか?」


 ビクッと肩を震わす麻奈美


「な、なんで、そう思うの・・」


「5年空いたとはいえ散々見てきたまっすぐな目がそんなに揺れていればなにかあると思うさ」


 麻奈美はもう目を見られたくないのか俯いてしまった。


「そのなにかを教えてくれないかな、怒らないからさ」


 最悪、色目で俺を騙そうとしているのかもしれない、からかいの延長なのかもしれない、だけどもうなにを言われても良い、そう思って聞いた。

 意外にも麻奈美は、そのかがあることを誤魔化そうとはしなかった


「わ、悪気はなくて・、でも良太の気持ちが知りくて・・」


「気持ちって・・」


「私の事を一切気にしない良太の気持ちを知りたい、教えて。教えてくれたら本当の事を話すから」


 俺は大きく息を吸ってゆっくり吐いた。

 俺の気持ちか・・、なんと伝えるかな。


「うーん、そうだな、麻奈美に会いに戻って来た事を後悔しているよ」


 えっ、とその一言の一瞬で麻奈美の顔が不安一杯の顔になる、涙すら溢れんばかりの顔に


「俺はきっとこれから一生、麻奈美を捨てたことを後悔して生きることになるなって。久しぶりに会ってやっぱり麻奈美の事が一番好きだったって気付いたからさ。もちろんそんな事言う権利無いのは解ってる、だからさ、その一生の後悔は贖罪なのだと甘んじて受けるしかないなって、そう思ってる」


 俺がそう言うと、向かい合わせて立っていた麻奈美はゆっくりと俺に近づいてそっと俺の胸に額を当ててきた。


「ありがとう、聞けて良かった・・」


「いや、いいんだ。麻奈美の事が未だに好きだって本音が言えて少しすっきりしているくらいだ」


 でも気持ちを伝えるのが遅過ぎた、逃げずにもっと早く麻奈美に会うべきだったんだ。


 俺は麻奈美の両肩に手を乗せて優しく俺から離し言った。


「俺の気持ちは言ったぞ、教えてくれ隠している事を」


 目を瞑り、小さく深呼吸してから口を開く麻奈美を見つめた


「私・・、結婚なんてしない」


 それは、想定外と言えばややうそになるが、可能性としてはほぼゼロくらいに考えていたパターンだった。


「は?え?・・だって、え?」


「ごめん、最初に言えば良かったんだけど・・、私が結婚するって聞いて来てくれた良太が本当の事を知ったらすぐに帰っちゃうんじゃないかって思って・・」


 目を丸くする俺と、うつむき目線を合わせてくれない麻奈美。


「そ、そうなのか・・?」


「うん、それにその・・、からかうつもりなんて本当はなくて今なら良太の気持ちが聞けるかもって思ったら言い出せなくなって。そしたら、おめでとうおめでとうって私を突き放すような事ばかり言って、私の事なんかどうでもいいんだって・・」


「そりゃ、お前、どんなに想う人でも結婚するのが決まっている人に手を出すほど非常識じゃないって――。いやまて、それじゃ結婚って話はなんなんだ?まさか意図的に仕掛けたとかじゃないよな?」


「それはない!今年の最初の方に会社の上の人にお見合いを勧められて、無下に断れないし付き合いで承諾したんだけど、その相手の人にプロポーズされたってだけ、それも3回食事に行っただけで」


「プロポーズはされたのか・・」


「うん、それを一応お母さんに伝えてたんだけど、たぶん良太のお母さんに話してその時に結婚するってねじ曲がったんだろうね。ただ、まだ返事はしてないの、相手が相手だから即答で断って機嫌を損ねてもあれだったし・・」


「断るのか?条件だけ聞けばいい人そうじゃないか、少なくとも中小企業で平の会社員をしている平凡な俺なんかよりずっとな」


 俺は少しからかうように軽く笑みを浮かべながら言ってみた。


「もう、なによそれ。そんなの聞かなくてもわかるでしょ?」


 俺はとぼけるような態度で返す


「いやぁ、分からないなぁ」


 麻奈美は俺にからかわれている事と俺が何を求めているか理解しているようで少しムスッとした顔をして口を開いた


「仕返しのつもりなんでしょ?もう、そういう所昔と変わらないんだから」


「それは失礼」


 麻奈美は深呼吸をしてグッと強い眼差しで、でも自然な笑みを浮かべた


「私は昔から変わらず一途に良太が好き、もちろんプロポーズは断る。だから、良太はちゃんと責任とってよね」


「いいのか?またやらかすかもしれないぞ」


「あれは一時の気の迷い、ただの寄り道、そう思うようにしてきたから。だってこうやって私の所に帰ってきてくれたじゃない」


 俺は今度は本当に呆れた、病的に一途なのは知っていた、だけど、だからといって


「お前、いくらなんでも俺を甘やかしすぎだよ」


「もちろん許すのは一回だけ、次やったら一緒に天国で幸せになろうね」


「ははは・・。安心しろ、もうそんな事しないよ」


 麻奈美は向かい合って立つ距離を無くして、俺の背中にギュッと手を回して体を寄せた。ほとんど身長差のない俺と麻奈美は至近距離で見つめ合う形となる。


「信じる・・、帰ってきてくれてありがとう・・大好き」


「待っていてくれてありがとう。やっぱり俺は麻奈美が一番好きだ」

  

 そうして俺たちは五年振りに唇を重ねた。五年という空白の期間を埋めるように、長くそして深くお互いを確かめ合った。


 ―――――――


 今回の帰省は俺にとって想定外の結末を迎えた。


 麻奈美を裏切った五年前から今に至るまで逃げることしかできなかった俺を、ただひたすらに待ち続けてくれた麻奈美にはもう一生頭が上がらないだろう。でも、たったそれだけのことで麻奈美と一緒にいられるなら安いものだ。

 これからは麻奈美のためだけに尽くす、一生かけてこの五年間でできた空白を埋めてやる。


 真奈美の安らかな寝顔を見ながら俺は誓った。


 ――――――――




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