第2話

 夕飯を食べ終え、風呂も終わらせて自分の部屋に行った。五年も前に家を出たのに未だに自分の部屋が残っているのが驚きだが田舎故に家は無駄に大きく部屋は余っているくらいなのだ。

 多少見覚えのない荷物があり、倉庫変わりにされてはいるが寝るくらいなら何の支障もない。


 用意された布団に寝転び、昼に公園で会えた麻奈美のことを嫌でも思い出す。

 思わずたじろぐ位に大人になっていた麻奈美、言動や態度は変わらないけどやはり時間の流れを感じてしまう。

 家を出てからも年に数回は電話で連絡を取り合っていたし時にはテレビ電話を使うこともあって外見に大きな変化はない位に思っていたのに、実際に会うとこんなにも印象が違うものか。


 時間を見ようと部屋の壁掛け時計を見たが、5年も利用されなかった部屋の時計は電池切れのまま放置されていた。仕方なく手探りでスマホを手に取り時間を見ると20時過ぎ。


 ふと、今頃婚約者の彼氏とよろしくやってるのかなぁ・・、なんてバカなことを考えた。


 布団に寝ころんでいた俺は、気疲れなのか知らないがいつの間にか眠気に襲われ虚ろになっていた。どのくらいその状況だったのか分からないが、呼ばれる声がして意識を呼び起こした。

 体を起こして軽く耳を澄ますと、1階にいるお袋が俺を呼んでいるようだった。

 なんだよ、そう思いながら階段を降りて行くと玄関のある廊下の照明が点いていて、お袋はその場にいなくそのかわり玄関に想定外の人がいた。


「やっほ良太、起きてた?」


 飲み物の入ったコンビニ袋を持ち上げ、明らかに風呂上がりで乾ききってない肩までの髪と完全なすっぴん、薄手のTシャツに短パン、素足にサンダル、とてもじゃないが夏とは言えラフすぎる格好の麻奈美に俺は昼と同様に言葉を失った。


 なんなんだこいつは――と。


 とりあえず、親父とお袋のいる1階の居間に入れようとしたが


「ええ?良太の部屋でいいよ」


“で”とはなんだ“で”とは。


 元々ある程度片づいていたし、そもそもここで生活しているわけではなかったのもあり部屋に入れるのは特に抵抗はなかった。しかし、それ以前の問題だろう、婚約者がいる身で何やってるんだよ!?

 とは言っても、居間よりは話しやすいこともあるのだろうと俺の部屋に入れた。

 部屋に入るなり、俺が寝ていた布団にドカッと座って持っていたコンビニ袋から中身を取り出す麻奈美。


「少しだけどお酒持ってきたよ、飲も飲も!」


 そう言って俺に缶ビールを渡し、麻奈美もすぐに同じ缶ビールを開けて軽く乾杯を交わした。美味しそうに一口目を飲む麻奈美を見て、ああやっぱり大人になってると実感する。


「おいしー!二人だけで飲むって初めてじゃない?」


「ん、ああ。てかお前・・婚約者がいる身でなにやってんの?」


「別にいいじゃん。私の方は気にしない気にしない!それよりも、良太は例の彼女はどうなったのかな?良太こそ付き合ってもう3年くらい?そろそろ結婚とかじゃないのかなぁ」


 ブッ!と飲みかけていたビールを吐き出しそうになる。それほどの不意打ちだったのだ。

 咽せる喉を落ち着かせ、できるだけ平静を装って


「彼女?ゴールデンウイーク前に別れたけど言ってなかったけ?」


「知らないよ、最後に良太に電話したの去年の年末だもん」


「そうか、そう言えば今年入ってからは一度も電話してなかったか」


「そうだよ。それどころか、この5年で良太から電話くれたの1回もないけどね」


 と、少しムスッとした顔で缶ビールに口をつける麻奈美。


 ん?そうだっけ?そこでハッと、昼の公園で麻奈美に電話をしようとしたことを思い出す。結構な回数を電話で話していたにも関わらず、電話帳からすぐに麻奈美を探せなかったこと、フルネームではなく名前だけで登録していたことを今更のように気付いたのは、5年も俺から電話をかけていなかったからだったのか。


「で、その彼女と別れたのって、振られたの?振ったの?」


「なんでほじくり返すかな、別れてからまだ2ヶ月ちょっとで傷も癒えきってないってのに」


「あー、と言うことは振られたんだ?」


 意地悪そうにニヤニヤと笑いながらオレの顔をのぞき込んでくる、こんな感じで来る時の麻奈美は結構本気で楽しんでいる時だ。


「そうだよ、こっぴどく振られたよ」


 と、今度は俺がムスッとした顔になって3分の1ほど残っていたビールを顔を上げて一気に飲み干した。

 飲みきって顔を下げると麻奈美はニヤニヤ顔のままさらに俺に近づいていて、思わずぎょっとした。


「こっぴどくねぇ、と言うことはさぁ・・」


「あ?」


「少しは私の気持ち解ったかなぁ?」


 ぐっ・・、と言葉に詰まる。ニヤニヤと楽しむと言うより嘘をつく俺を正論で追いつめる時に見せる意地悪に近い顔をしている麻奈美を見ると観念するしかないと諦めに近い心情になる。


「わ、悪かったよ・・。あの時の俺はどうかしてたよ・・」


 麻奈美は両手を下につけて四つん這いのような姿勢でさらに俺に近づき、俺は上半身を後ろにのけぞって顔をそらす。


「どうかしてたってだけで済まされてもねぇ。私がどれだけ深く傷ついたと思ってるのかな?」


 また一歩近づく麻奈美とさらにのけぞる俺。


「本当、ごめんて。その、ごめん」


 どういいわけを考えても何も浮かばず謝るしかできない、あの時の俺は本当にどうかしていた。


 俺と麻奈美は幼い頃からの文字通り幼なじみでなにをするにも一緒だった、言い過ぎではなく本当にそう言いきれる位に一緒だった。

 そんな俺たちは中学に入った頃には互いに異性として意識し、3年生になる前の春からは正式に付き合うようになった。その付き合いは俺たちが高校を卒業し、俺が都内の専門校に行くために上京するまで続いた。

 遠距離になっても大丈夫なんて息巻いていたのに、就職したら結婚しようかなんて言っていたのに、上京して2ヶ月で麻奈美を捨て振ったのは俺だ。

 言い訳じゃないが田舎の地元と違ってあっちは刺激が多く強すぎた。麻奈美とキスまでしかしていなかった耐性のない俺はあっさりとのだ。


 すっと、体を元の位置に戻した麻奈美はコンビニ袋からまた缶ビールを取り出して俺に差し出してきた。


「ま、5年も前の話だし。今更謝られてもねぇ」


 内心、お前が振ってきた話だろうと思ったがこれ以上この話を続けるの俺の精神衛生上良くないと思い、話題を変えて攻勢にでることにした。


「その話は俺が悪かったから、今度は麻奈美の話を聞かせろよ」


「私?今、幸せだよ、以上」


 プシュッと麻奈美も2本目の缶ビールを開ける、表情はどことなく楽しそうな嬉しそうな顔に戻っていた。


「そうじゃねぇよ。そりゃ幸せだろうよ、結婚するんだから。お前の彼氏の話をしろって」


 そう言うと麻奈美は指を顎にあて少し上を見るような仕草をして


「んー、すっごく良い人だよ。優しいし、気が利くし、品があるし、そこそこイケメンだし、けっこうな地主さんの息子だし、将来は会社の社長さんみたいだし」


「そ、そりゃ随分なパーフェクトマンだな・・」


 まぁ、でも昔から頭も見た目も良くて皆から好かれる麻奈美にはそのくらいの男の方がお似合いだな。

 麻奈美の相手がまともなのを聞いてホッとした反面、なぜか俺は諦めるような気持ちになってしまっていた。


「だよねー、なんで普通のOLやってる私なんか選ぶんだろうね。私んちなんかも普通の一般家庭だし」


「肩書きで相手を選ぶ人より良いじゃないか、彼氏にとって麻奈美自身がそれだけ魅力的なんだろ?実際、俺も麻奈美と久々に会って改めて素直にそう思ったよ」


 そう言うと、キョトンとした顔になり再び俺に近付き、すぐにでも手の届く距離で意地悪にニヤリと笑い。


「へぇ、あんなあっさりと捨てたくせに?」


 そう言われると言葉が出ない。

 今となっては人生最大の誤った選択だったのではないかとさえ思えてしまう、もちろんそんな事を言う資格がない事くらいは自分でもわかってはいる。

 わかってはいるが――


「あー、もう勘弁してくれって。久々に会ってあの時別れた事を後悔し始めてるんだからさ」


「後悔してるの?本当に?」


「まぁな・・てか近い!結婚が決まってる女が勘違いされるような事すんな」


 俺は腰を上げて大きく後ろに下がり麻奈美から距離を取り直そうとするが、下がった分だけ寄ってくる


「誰も見てないよ」


「そういう問題じゃないって」


 狭い部屋では逃げ場などたかが知れている、俺はあっさりと壁まで追いやられた。

 お酒で赤らんだ顔と潤んだ瞳、髪から漂うシャンプーの香り、小さな息遣いが聞こえる至近距離に思わず手を出してしまいそうな俺は麻奈美を直視することができず、ただ戸惑い視線を大きく顔ごとそらす。


 ・・・どのくらいの時間が経過したのか分からないが無言のままその状態が続いた。恐らく長くても数十秒だったのかもしれない、だけど俺の精神は数時間分削られた気分のなるほど疲弊した。

 その内、小さいため息が聞こえたと思ったら、麻奈美が離れ最初の元の位置に戻って行った。


「良太ってさ、もっとどうしようもないくらい軽くていい加減で後先考えないバカな奴かと思ってたけど案外真面目なんだね。それともただのヘタレかな?だとしてもあの時はあっさりだったけねぇ」


 飲みかけの缶ビールを片手にまるで呆れるような顔をしながら突然暴言を言ってくる麻奈美に、さすがにカチンとくる。


 なんだよ、それじゃまるで俺に手を出せと言っているみたいじゃないか――


「お前、何言ってんだよ、俺はむしろそういうの気にするの昔から知ってるだろ?お前だってそんな簡単に軽率な行動をだな」


「知ってるよ、だからからかったんじゃない」


 麻奈美は俺から完全に俺から顔を背けてそう言った、


「は?」


 それって完全に遊ばれていたと言う事!?

 こっちは結婚が決まったと聞いてからモヤモヤして急遽休みまでとって、祝いの言葉を直接伝えようと思って来たのに!?奇麗に送り出そうとしたのに!

 あーそうですか、もういいよ。いいですよ。五年前に俺が麻奈美にしでかしたことにを考えれば些細なことだ。さっさとお祝いの言葉をぶつけて麻奈美の事なんか綺麗サッパリ忘れてやるよ!


「とにかく結婚おめでとう!今が幸せならそれで良かったよ。もうこうやって2人で会うこともないだろうし理由もなくなるけど彼氏さんと末永くお幸せになっ!」


 顔を背けたままの麻奈美に思うがままの言葉を強めの口調でぶつけた。本気の罪悪感があったからこそ遊ばれたのが嫌だった。謝って許されるとは思っていないが、こんな時だからこそバカにしてくるような事を麻奈美にはして欲しくなかった。


 俺は二本目の缶ビールを飲み干し立ち上がって、何も言わないままの麻奈美に言った。


「もう十分からかって楽しんだろ?俺は伝えたいことは伝えたし、これ以上遅くなる前にもう帰れよ」


 そう言っても麻奈美は何も言わず、それどころか背けたまま片手を顔に当てて肩を震わす有り様だ。


 こいつ、俺が怒ったのを見て笑いを堪えてんのか?いくら何でも馬鹿にしすぎだろ。

 お前は結婚が決まってて幸せ絶頂かもしれないけど、こっちは不幸のどん底の気分なんだ。

 頭に血が上った俺は麻奈美の肩を掴みやや強引にこっちを向かせた


「おいっ!いい加減に――」


 麻奈美の顔を見た瞬間、俺は今日一番のパニックに陥った


「え?は?・・な、なに泣いてんの・・?」


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