ブルー・スター
naka-motoo
花の傷口
今日も本業は暇だった。
けれども副業は忙しかった。
なんでもわたしがアルバイトしてる喫茶店の近くにある裏通りが封鎖されてそこで映画のロケをやっていたのだという。テレビを持っていないわたしでも知ってるバラエティ番組のMCがプロデュースしている映画らしい。
一応わたしもメジャーデビューしたバンドでギターを弾いている訳だからもし休憩時間にこの喫茶店にコーヒーでも飲みに来たならばそのMCに営業活動でもしないといけないんだろうけど彼は来なかった。
来たのは全員エキストラ。
「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりですか?」
「え…とね。ミルクティー。それからミックスサンド」
「あ、俺同じでナポリタン」
「あ、俺も同じでホットケーキ」
「俺は全部同じ」
「俺も」
「俺も」
腹が立ったのでまとめて復唱した。
「ミルクティー6つにミックスサンド6つにナポリタン5つにホットケーキ4つですね」
「…完全に間違ってるけどすごい記憶力だね」
わたしの本業は誰がなんと言おうとギタリスト。
「ああ、お腹すいたな」
喫茶店からアパートへは直線コースで帰る。無駄なエネルギーを消費したら余計にお腹がすくから。
でも途中でここだけは寄らないといけない。この最寄り駅では一番大きなショッピング・モールの中に入ってる、深夜まで営業してる食料品売り場。
今日はシフトが早上がりだからいつもみたいに真夜中ではなくてちょうど夕食どき。
「やった!いいの残ってる」
ギターケースを担ぐわたしはその反対の腕に保冷用のアルミシートが内側に貼られたエコバッグをぶら下げて、売り場の買い物カゴに『半額』札の貼られた惣菜を物色しては放り込んでほくそ笑んだ。
いつもの遅い時間ならば残業マンたちとの争奪戦になるかそもそも赤飯ぐらいしか残っていないのに、今日は白身魚の甘酢あんかけもあればわたしの好物のバッテラも十分な数取り揃っている。それがほとんど半額なのだからもうパラダイスに降り立った気分。
「今日はちょっと贅沢しようかな」
ひと缶100円の杏サワーをカゴに入れる。
気分がいい時はちょっとだけカロリーを消費してもいいかなと思い、モール内を歩いてみた。
時は師走でクリスマスも近いからみんなにっこりしてるのかと思ったけど全然だった。
暑すぎるぐらいの暖系コートを着たビジネスパーソンはその分厚い生地の上からでも猫背がわかるぐらいに俯いていて。
わたしと同じぐらい若いかなって思う女性はまるでおばあさんが乳母車にすがるようにしてカートを押して。
その娘さんだろうと思われる女の子は黒と白のチェックのデッキ・シューズのかかとを踏み潰していた。
だって、その子、多分3歳か4歳だよ。
「スレてるなあ」
思わず出たわたしのこの言葉は間違っていないと思う。スレるっていうのが具体的にどんな人を指すのか正確な定義はできてないけどなんとなく感覚は伝わると思うんだ。
もしここが道路で小石が偶然落ちていたならば、わたしは誰かに当たるとかいう躊躇をせずに蹴飛ばしていただろう。もうどうでもいいようなそういう感覚。
「ダメだダメだ」
まだ杏サワーを飲んでもいないのに酔っ払いのように小さな声で独り言をつぶやいてモールの吹き抜けの下に続く長いアーケード商店街みたいな通路の真ん中を歩いた。実はここが一番人にぶつからないから。
そしたらね、ぶつかった。
お姉さんに。
「失礼いたしました、大丈夫でございますか?」
「あ、はい。大丈夫です」
ぶつかったのはわたしの方なのにそのお姉さんは自分から謝ってくれた。それから一応成人女性のわたしが『お姉さん』っていう言い回しをする以上それ相応の年齢であるはずの彼女が年若のわたしに対して丁寧な応対をするのはわたしと同じお店屋さんの宿命なのかな。
花屋さんなんだ。
広さは一坪ほどしかない。ううん、店舗っていうよりはワゴンセールみたいな感じの小さなお店だよね。床に固定されてないけど一応そのスペースに屋根はついてる。
「あ…」
「どうされました?」
「いえ…安いですね…」
「あら。お分かりになられます?」
わたしには分かる。
花を部屋に飾ってくれ、っていう風な大好きな歌があるから。
「昔はよく花を買ってたので。なんとなく相場は」
「あら。相場なんてロマンのない言い方なさらないで」
ロマン、ときたか。
それにこのお姉さん、丁寧なだけじゃなくって、喋り方がファンタジーだな。
きっと昔はモテただろうな。
「これって半額ですか?」
「よくお分かりね」
「昔、かすみ草をよく買ってたので」
といっても花束をボン、と買うわけじゃなくって一輪挿しの小さな花瓶に生けられるぶんだけの花を、バラ売りみたいにしてくれる花屋があったんだよね。だから実際ナマモノだし相場みたいに値段は変動すると思うんだけど、感覚的に今でも合ってたみたい。
「いかがかしら?この組み合わせは」
「これ、お姉さんが?」
「あら」
わたしはココロの中で思ってたとおりに『お姉さん』と呼んでしまったが思った以上に彼女は喜んでくれた。
「嬉しいですわ。そんな風に呼ばれたのは久しぶりだから。それでいかがかしら?このお買い得の花束の組み合わせは?」
白いかわいらしいかすみ草に橙色のスプレーマム。
それから珍しい黄色のリンドウに時期はずれの鬼灯。
どれも綺麗だったけど、わたしの目が、そのいくつもの花の中に見つけてしまった。
考えずに訊いていた。
「この、青い星みたいな花は?」
「ふふ。その通りですわよ」
ブルースター。
当てずっぽうが当たっちゃった。
「ほら、きれいな青でしょう」
「うーん…」
なんて言えばいいんだろう。
これが完全な状態のこの花の色なのかわからなかったけど、顔を近づけてみると花弁の縁取りはほとんど白に近い青で。花びらの中心のあたりの青もやわらかでやさしい青だった。
「水に揺蕩う感じでしょう?」
「たゆたう?」
「そう。揺蕩う」
わたしもバンドで詩を書いた曲がいくつもあるから言葉の選び方にはこだわりを持ってる方だとは思ってたけど、『揺蕩う』を現実世界で口にするひとがいるとは思ってもいなかった。でもこのひとのひとことで一気にそれが現実味をおびた。
「花ぐらいは美しくないとね」
ほんとうは知ってるんだ。
花だっていつも美しいとは限らない。
枯れて焦茶色に煤けて、まるでまだ咲いてる花の影みたいにかろうじて立ってる花もある。
それだけじゃない。
満開なのに、美しくない花がある。
醜い花がある。
そうしたらそのひとは、またわたしのココロをえぐりこんで来た。
「ブルースターは血を流しますのよ」
え?
ち?
彼女は一本、中指と親指とで花の茎を持って、その茎の下側を鋏で切った。
ちちのようなちが滲んだ。
「この乳白色の液体はね、空気に触れると固まってしまいますのよ。血が凝固して傷口をふさぐみたいに」
「傷口…」
「切られて売られるんだから。美しくしてあげないと」
わたしが選んだのはかすみ草とブルースターの組み合わせ。
彼女はどの花もきっとそうするんだろう、脱脂綿に水を含ませてふたつの花の傷口を潤してくれた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
アパートに帰ってドアを開けて、でも杏サワーで唇を湿らす気にはなれなかった。
代わりにわたしはギターケースを開けて、わたしの青い花を取り出す。
ブルー・ギター
わたしが高校の頃からずっと使い続けている青いギター。はっきり言って安物だ。
でも、文化祭のステージから始まって地元のライブハウスやコンテストのステージもこのギターで戦ってきた。
木造モルタル築数十年のアパートの大黒柱に一旦ギターを立てかけて押し入れの引き戸を開ける。ずっと使っていなかった、なんの装飾もないオリーブ・オイルの瓶みたいな一輪挿しの花瓶を取り出して、背の低い冷蔵庫の上に置いた。
そうして花屋のお姉さんが教えてくれたみたいに、ブルースターの茎を、ほうれん草を洗うときのように水の中でふり洗いして、花瓶に生けた。
そうしてわたしは窓を開け、月影の光がちょうど当たるように花瓶の位置を微調整する。
ブルースターだけでなく、かすみ草も青く光っている。月影が実は青いっていうことの証明だ。
わたしは月と花を結ぶ光線の上に、ギターごと割って入った。
ブルー・ギターは、演奏や誰かを殴った…こともあった時についた傷に月明かりが乱反射して、ブルースターと同じような青に輝く。
お姉さんが丁寧にくるんでくれた花束の、息するための空気孔のセロファンのシェードにやわらんでほんとうに水の中に揺蕩っているような青だったさっきまでの色を、今度はギターが出してくれる。
アンプに繋ぎもせず、ピックもつまみもせず、わたしは素の指で、弦にふれる。
弦は少し錆びて赤が浮かんでるけど、透明なマニキュアを塗った中指の爪で、スプリングをギュル、って引っ掻くようにして、それを合図にそのままに引いてみた。
わたしの影が、花瓶のネックにゆれ動く。
ギターのネックもわたしに合わせて揺れる。
花に傷口があるように、ギターにもわたしにも傷口がある。
多分、聴いてくれるひとたちには、もっと。
「できそうだ」
わたしは連呼する。
「できる。できる。あと少しでできる」
アンプなどいらないほどに音がはっきりと響き、わたしの指は擦れて血が少し流れ始めた。
明日、バンドのみんなで集まろう。
どんなにバイトで忙しくても。
みんなでジャムれば、5分もあればできあがる。
だから一緒に、花たちも、連れて行こう。
お姉さんがしてくれたみたいに、脱脂綿でくるんであげて。
そうしてわたしの青いギターのネックに刺して、連れて行ってあげよう。
ブルー・スター naka-motoo @naka-motoo
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