第9話 疑惑
組織対策課からの情報で、ホワイトドリームの流通ルートに、成川が所属していたハングレ集団が関わっていることが分かった。
今は何でもいいから情報が欲しい青木は、静香と彼らの根城である六本木に向かった。
青木は運転しながら、峰岸の登場で聞き損ねた疑問を、静香に訊いてみようと思った。
「ところで、どうして鏡は仲間を欲しがってると思うんだ。シリアルキラーって基本的には個人で楽しんでるんだろ」
「まだそこに拘ってるの。まあいいか。根拠は二つあるわ」
「根拠があるのか」
どうしても理屈がつかないことから、もしかして静香の勘ではないかと疑っていたが、今の言葉で青木は心の中で白旗を上げる自分に気づいた。
二人の関係が続く限り、自分は一生静香の指示に従う。心地よい敗北を告げる風が心を吹き抜けた。
「まず、一つ目ね。彼が希望の光の主催者ってこと。それもかなり無理して会を運営しているのよね。殺しに関しては完璧に足のつかないスキルを持っているのに、会を運営するために足がつくかもしれない危険を冒している」
「分からないな。単なるカモフラージュじゃないのか。それに希望の光があった方が、殺すターゲットを見つけやすいし」
「違うわ。彼は自分が唯一絶対の存在でありたいのと同時に、自分に限りなく近い存在を欲している。そうやって自分という存在を一つの種族のようにしたいのよ」
一つの種族?
青木は久しぶりに頭が混乱した。
静香の言ってることがまったく理解できない。
「難しいな」
「あなたがもし、名刑事に成って、絶対的な捜査スキルを確立したとしたら、と考えてみて。絶対に自分と対等な存在に会いたくなるはず」
「その気持ちはよく分からんな。ただ本当に殺しをしながら人権弁護士の仮面をつけてるとすれば、鏡は人じゃあない。まるで聖書に出てくる悪魔じゃないか。ホワイトドリームという名の林檎で神に背かせ、人を裁きの場に立たせる。聖書と違って、裁くのが悪魔である鏡自身だが」
静香は赤信号で停車した青木の顔を両手で引き寄せ、柔らかい唇を押しつけてきた。業務中にとった静香の大胆な行動に驚いて、一瞬だけブレーキペダルから青木の足が離れ、車は少しだけ前に進んだ。
「危ない」
青木は慌てて再度ブレーキを踏み車を停め、静香の唇を見た。リップの扇情的な色が、ありきたりな注意をしようとした口を閉ざす。
明らかに動揺した青木の様子を確かめると、満足したのか静香は自分の興奮を収めるように前を向く。そんな静香の横顔を見て、青木も残念な思いに駆られながら、自分を鎮める。
「あなたのおかげで私も狂わずにいられる」
静香の独り言のようなつぶやきが、青木の心に深く刺さる。
「狂うってどういうことだよ」
青木は車を発進させながら、言葉の意味を訊いた。
「鏡は人なの。彼の行動はあまりにも人の本質に沿っていてゾッとするわ」
「どうして、俺には非人間的な姿にしか思えないぞ」
「彼はある意味、人として卓越した才能を持っている。人を思い通りに操り称賛され、一方で誰にも気づかれず殺人という最大の罪を犯す。そんな力を持ったら使わずにはいられない。彼の取っている行動は、人としてとても自然だわ」
静香の言葉が鏡の行動を肯定しているように聞こえて、青木は咄嗟に言葉が出なかった。
二人の間に沈黙が流れた。
気まずい思いを振り払うように、青木が口を開く。
「俺はそんな恐ろしい力を使いたいと思わないけどな。それに今の話は全て、鏡がネイルズマーダーという仮定の上での推測にしか過ぎない」
言ってから常識を振り払えない自分の凡人ぶりに自己嫌悪に陥る。
静香のような天才の前に、自分たちのような普通の人は、理解できない恐怖心から否定をすることしかできない。
青木の表情に後悔の色が滲んだのを見て、静香が微笑む。
「織田信長なんてそういう人じゃないかしら。天下統一に向かって人々の先頭に立ち、称賛されながらも大量殺人を行う。現代に彼が存在して、凡庸なリーダーとそれに従う人の姿を見たら、ネイルズマーダーに成ってもおかしくないと思う」
またしても静香の発想が飛んだ。
織田信長をそんな風に考えたことは、青木にはなかった。
どちらかと言えば理数系気質の青木は、歴史はそんなに得意ではない。
「あなたの戸惑いは信長のような人間には理解できない。でも、もしあなたの内面を信長が理解できたら、きっと面白い化学変化がおきるでしょうね」
何だか馬鹿にされている気がして、青木は口を閉じた。静香に悪意はないことは伝わってくるが、彼女の思考を正確に理解するときは、自分には永遠に来ないだろうと思った。
それはどちらでもいいと、青木は割り切った。
今は事実だけを見る。
鏡が本当に今回の事件の黒幕なのか、それとも他に犯人はいるのか、そして自分と静香の間に存在する事実だけを。
疲れ切って眠りについた梨都の横顔を見ながら、愼也はささやかな幸福感に包まれていた。
今夜は久しぶりに梨都の手料理を味わい、二人きりの夜を過ごした。
梨都は卒業を間近に控え、愼也は希望の光で遭遇した冤罪事件に関わったことから、二人の間にはすれ違いが生じていた。
一年のときの野外フェス以来、愼也の愛情を疑わなくなった梨都は、弁護士に成るという明確な目標があることからか、二人で会う時間が少なくなっても特に不平は漏らさなくなったが、愼也の方はそうもいかない。
朱音の接近に加え、毬恵や綾の登場など、次々に目の前に新たな女性が登場し、生来の優しさと優柔不断さが影響して、梨都に対してどうにも申し訳ない気持ちが大きくなっていた。
それもあって、今夜は愼也の方から梨都を誘ったわけだが、肌を重ねて見るとやはり梨都が自分にとって一番であることを再認識し、ここ最近感じていたモヤモヤがすっきりした。
(今日は頭がクリアなようだな)
すっかり口数が多くなった信長だが、こうやって話しかけてくるのは数日ぶりだ。
(そうだね。やっぱり迷いは頭の回転を鈍らせるよ)
愼也は梨都への愛を再確認した嬉しさで、嬉しそうに答えた。
(ふっ、余には単なる生理的な問題の解消に思えるが、まあよい)
相変わらず信長は色事に感しては合理的な考え方を貫いている。
芸術への造詣が深く、政治や経済に感しては独自の理想を貫き決して現状に妥協しない信長であるが、こと男と女の関係については拘りを感じさせない。
(ところで鏡についてだが、あやつはお主に対し他の者に対してとは違う感情を持っておるようじゃ)
(違う感情って?)
(何と言えばお主に分かるのか見当がつかぬが、強いて言えば考えの違う兄弟に対するような感情か)
信長は珍しく愼也に理解させようと試みたが、やはりよく分からなかった。
(それで、その気持ちは僕に対していい感情なの、それとも負の感情なの?」
(そう簡単に割り切れるものではない。顕如を見てみろ。愛すべき対象である民に対し、幸福な人生を説きながら、平気で死を前提にした行動を強いている。それも強い信念を持ってじゃ)
信長は鏡を本願寺顕如のような男と評している。顕如は信長の最大の政敵で、天下統一の最大の障壁となった一人だ。敵でありながら、完全に抹殺できなかった男でもある。
それが影響しているのか、敵に対して感情的な嫌悪を示さない信長が、顕如にだけは感情のままを曝け出す。
(どうして鏡さんが顕如に似ていると言うのか、理由は分からないけど、僕は信用しているよ)
愼也が抗議をするかのように、鏡への信頼を口にすると、信長は満足げに霊体のまま頷いた。
(あの手の男には愼也のような人間が強いことは、この時代に来て分かった発見じゃ。まあしばらくは自分のやり方であの男と接してゆけば良い)
信長はそう告げると、後は愼也がどんなに尋ねても答えてくれなかった。
だが信長は愼也と顕如の関係を通して、人間の交わりについて新たな理解を得ようとしている。
それはもしかしたら、信長との別れにつながるかもしれない。
信長が消えれば、本来の寿命が削られることはなくなる。
早く去って欲しいと思いながらも、一抹の寂しさを感じる愼也だった。
続・信長の怨霊 シリアルキラー編 Youichiro @oldlinus
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。続・信長の怨霊 シリアルキラー編の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます