吸血鬼はいつ『給仕長みたいな格好』をするようになったか

宮田秩早

第1話

 今回は吸血鬼のファッションについて振り返ってみたいと思います。

 『給仕長みたいな格好』(※)というのは1979年の映画『ドラキュラ 都へ行く』の一節で、共産党の支配するルーマニアを出国し、憧れのシンディ嬢のいるニューヨークへやってきたはいいものの、いろいろ失敗続きだったドラキュラ氏が、従僕のレンフィールドに漏らした台詞です。

 曰く「七百年、ずっと給仕長みたいな格好をしていなければならなかった」。

 給仕長みたいな格好……ちょっと高級志向のホテルのディナーの席なんかに現れる、まあ、黒のスーツに白いシャツ、白のベスト、蝶ネクタイそんな感じの格好の人ってことですね。

 いやいや、ちょっと待ちなさいよ。

 七百年って、あなたのその装いが『紳士の服装』とされたのは19世紀のことですよ?!

 七百年前、すなわち14世紀頃には絶対、違う格好をしてたはずですよ?

 あなたのご身分はその当時から伯爵だったとしてもですよ??


 映画の台詞にいらんツッコミを入れるのはこのくらいにして、ここでふと思うわけです。

「じゃあ、吸血紳士たちは、実際にはいつ頃から『給仕長みたいな格好』をしてたんでしょうかね??」


 まあ、給仕長、給仕長というのもなんなので、ここでひとつ『吸血紳士あるあるスタイル』を描写してみたいと思います。



 襟の折り返しの艶も美しい漆黒の燕尾服に、白蠟の如き蒼冷めたウィングカラーのシャツ。

 シャツと揃いの白のタイ、ダブルブレストのウェストコート、鍔の反りも美しいシルクハット、白真珠のカフリンクス、白の革手袋。

 象牙の握りのついた黒檀の杖を持ち、一点、鮮やかな深紅のポケットチーフを胸に飾ったその姿は、非の打ちどころなく貴顕紳士そのものだ。

……自作『Halloween Night』より


 自分の作品に使った描写を引っ張り出してくるところ、厚かましいことこの上ないのですが、この描写に漆黒のマント……裏地が紅い……を付け加えて、それを着る者の容姿が美形とすれば、「あるある的」に完璧なんじゃないかと思います。


衣装としての注目点は

①シルクハットと外套、燕尾服、ベストといった衣装

②黒・白・赤の色のイメージ

ですね。


①シルクハットと外套、燕尾服、ベストといった衣装

 ここに着目すると、その服装が紳士の服装とされだしたのは19世紀初頭から20世紀初頭に限定されてきます。


 ここで、このころの有名な吸血紳士の登場する作品を挙げてみましょう。

A ジョン・ポリドリ作「吸血鬼」(1819年)小説

B ジェームズ・マルコム・ライマーほか作「吸血鬼ヴァーニー」(1845~47年)小説

C ブラム・ストーカー作「吸血鬼ドラキュラ」(1897年)小説

D 「ノスフェラトゥ」(1922年)映画


Aは1816年ディオダティ荘の怪奇談義として後世に伝わることになる出来事のあと、ポリドリによって書かれた作品。ポリドリが主治医を務めていたバイロン卿を彷彿とさせるロンドン社交界に出没する吸血鬼ルスヴン卿の物語。

 ルスヴン卿の外見的特徴の描写はあまりありません。とはいえ、ロンドン社交界に顔を出していた設定なので、当時の貴族的な衣装を身に纏っていたのは間違いないでしょう。

 要は「当時の貴族の典型的」な格好をしていたと考えて間違いない。

 そのほかの特徴としては、顔立ちは整って美しい。死人のような灰色の目をして、寡黙ではあるがいざ口を開けば話し上手……そんなキャラクターとして描かれています。

 つまり①は満たしている。

 当時のスタイルとして燕尾服、シルクハット等は当てはまるのですが、気になるのはその色です。19世紀初頭の紳士服は、黒のものも多いのですが、ベストなど、意外にカラフルでオシャレです。

 ルスヴン卿が特にどんな色の衣装を好んだなどの描写もないため、はっきりとしないのですが本作は出版当時作者がバイロン卿そのひとであると間違えられたほど、ルスヴン卿はバイロン卿が自分自身をモデルにしたのではないかと思われていたようです。

 とすると、読者はバイロン卿を思い浮かべながら読んだとも考えられ、さまざまな衣装で肖像画に描き残されているバイロン卿を思えば、②の「黒・白・赤」のイメージはしっくりときません。


Bについては、私は断片的な知識しか持っていません。17世紀に人間の生を生きた人物で、吸血鬼となって19世紀の夜に跳梁します。物語の骨格の一部は1966~71年のテレビドラマ『ダーク・シャドウズ』に採用された模様。

 断片的に翻訳されているところからは彼の衣装の好みなどは伺いしれませんが、本作を研究した論文などを読んでも、彼の衣装が後世に残した影響などの指摘は(いまのところ)見当たらない。(吸血鬼ヴァーニーがストーカーの「ドラキュラ」に与えた影響などを論じた論文などがあります)

 本作については歯切れの悪い表現になってしまいますがそのうち作品を通読して確認する、ということで暫定的に「衣装的な影響はなさそうである」としておきたいと思います。


Cでドラキュラ伯爵がどんな格好をしているかというと……「黒ずくめ」これに尽きます。

たとえば丹治愛訳完訳版「吸血鬼ドラキュラ」31ページでは「なかには背の高い老人が立っていた。長く白い口髭を残して髭はきれいに剃られ、服装は頭の上から爪先まで黒づくめで、それ以外にはなんの色も見えなかった」とあります。

(余談ですがここに連続する描写で尖った耳というのも特徴に挙げられています)

 また、190ページでも「黒い服の男性」とだけ描写されています。

(189ページには衣装ではなく彼の容姿の描写があり、「鷲鼻で黒い口髭と先の尖った顎髭をした背の高いやせた男性」「あまり良い顔ではありませんでした。厳しく、残酷で、好色そうでした。」とあります。この描写はミナの手記です。のちの映画などでは時空を越えた恋人役にもなるミナですが、原作でのドラキュラへの印象は散々です)

 ほかにも300ページでは「黒い服をまとった長身のやせた男」とあり、このシーンでは自分の胸に傷をつけてミナ・ハーカーに無理矢理血を飲ませる描写があるところから、彼が「シャツ」(色は不明ですが普通に考えて白じゃないかと思われます)を着ていることが分かります。

 彼はジョナサン・ハーカーの衣装を盗んでそれを身に纏い、ルーマニア周辺に出没します。ハーカーの衣装だと、紳士は紳士でも労働者階級のそれですね。

 名優ヘンリー・アーヴィングをモデルとして書かれ、アーヴィング主演で舞台にもなったらしいのですが、その舞台についての情報は見当たりません。

 アーヴィングは1890年代から深刻な病気を患っていたらしく、俳優としては引退していたそうですが……(1905年没)

 舞台が大々的に上演されたのは1920年代で、ヘンリー・アーヴィングの没後です。

 見当たらないことをもって後世に影響がなかった証拠はなく、研究書などを読んでも、「アーヴィングのドラキュラの演技・性格付けは後世の作品の影響を与えた」とあるので、衣装についても影響があった可能性があります。

 ただ、ブラム・ストーカー「ドラキュラ」には「イギリス社交界に出没するシーン」がないのです。

 なので、ドラキュラにわざわざ燕尾服・マント・シルクハットと言った「立派な紳士」の服装をさせる必要がない。

 善悪の対比の描写から言っても、演劇などの演者の表情だけに頼れない作品は、衣装においてもはっきりと善悪の分かるようにあえて英国紳士風でない衣装をドラキュラに着せた可能性が高いように思うのですが。


Dは映画です。ブラム・ストーカー「ドラキュラ」の映画化ですが、版権が取れなかったので題名は「ノスフェラトゥ」。吸血紳士の名前はオルロック伯爵になっています。

終始、ドイツの軍人のような黒服を着ています。禿頭で爪は長く、前歯が鼠のように尖っている……実は、オルロック伯爵のスタイルもいまでも時折見かけるスタイルではあるのですが、すくなくとも①にはまったく当てはまらないと考えられます。


 さて、ここまで見てきたわけですが、現在の吸血紳士のスタイルの源流となると言っていい「これだ」という決定打がありません。

 ここで、Cの情報を振り返ってみます。

 1920年代に舞台上演されているのですね。

 これはブラム・ストーカー(1912年没)の遺族によって認められた公演でした。

 ハミルトン・ディーン脚本

 この脚本では演出の都合上、作品の大枠を室内劇に変更し、ドラキュラを東欧からやってくる紳士の皮を被った怪物として描くことで成功を収めたのです。

 そう、紳士。①ですね。

 舞台から忽然と姿を消す演出の都合上マントは必須だったようで、その演出のために襟を高く立てていた模様。マントの裏地は赤だったようです。

 つまり②も当てはまる。

 ここに、吸血鬼と①②が融合し、そして次の作品の大ヒットを迎えることになります。


 トッド・ブラウニング監督・ベラ・ルゴシ主演「魔人ドラキュラ」(1931年)

 ハミルトン・ディーン脚本の舞台のヒットに目をつけたアメリカのユニヴァーサルスタジオは映画化を目論みます。

 ストーカーの遺族から映画化権を獲得し『魔人ドラキュラ』を撮影。(本作はほぼ舞台版のシナリオと演出が踏襲されているとのこと)

 これが大ヒットを飛ばすことになります。

 モノクロの映画ゆえにドラキュラ伯爵が赤を身に纏っているかどうかは分かりませんが(モノクロでは黒の表地を際立たせるために裏地は白を使用している。フィルム外の版権写真などで裏地が赤のマントを身に纏っていたものがあるかどうか記憶にない)完璧な英国貴族の身なりをした人外の怪物……舞台と違ってフィルムは末永く残ります。

 そして比較的安くで視聴できる。

 ハミルトン・ディーン脚本の舞台を嚆矢とし、『魔人ドラキュラ』を起爆剤として、いまではおなじみの吸血紳士が人間界に姿を現したのです。


最初の命題に戻りましょう。

吸血鬼はいつ『給仕長みたいな格好』をするようになったか

すなわちそれは1920年代のハミルトン・ディーン脚本舞台に生まれ、1931年『魔人ドラキュラ』によって定着したスタイルだったと言えるでしょう。


 しかし、『魔人ドラキュラ』のベラ・ルゴシは素顔は美形の範疇ですが、『魔人ドラキュラ』ではそんなに「美形」ではありません。

 ただ、ルスヴン卿のモデルとされたバイロン卿や美しい吸血姫カーミラ嬢の下地もあり、吸血鬼が美形となっていくのには、そう時間はかからなかったのです……

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吸血鬼はいつ『給仕長みたいな格好』をするようになったか 宮田秩早 @takoyakiitigo

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