第7話 フードエッセイストの定義
普段おちゃらけた話をしている分、時には真面目に話をしてみようと思ったのだが、よくよく考えると既にウィスキーのお湯割りを二杯は飲んでいるためいささか怪しい。
ひとまずさ湯をいただきながらのんびりと過ごしているのだが、果たしてこのような中で用いた定義という言葉は何やら格好つけのように思えて恥ずかしい。
きっと酔いが足らぬのであろう。
そういえばウィスキーを電子レンジで温めて出した女の子もいたなと思い出しながら、もう少し飲酒を重ねて正気を取り戻すこととしたい。
フードジャーナリストやラーメンコラムニストなど似たような肩書を持つ先達の方は一定程度いらっしゃるようであるが、私のとても及ぶところではないと思っている。
ジャーナル、すわなち報道については言うを待たないのであるが、コラムでさえも外行きの格好をしているようで、名乗るだけでも気恥ずかしい。
そもそも私が食に関してそれほどの造詣を持っているわけでもなければ、立派に語れるほどの腕前を持っているわけでもない。
ただただ日々安穏と暮らし、その中で一粒の白米に感謝するのが精いっぱいの人間である。
個人的な趣味となっているそば打ちに関しても、以前であれば山のように講釈を垂れて大上段に構えられたのであろうが、今は日々精進を重ねるよりほかにないと反省しきりである。
そのような者が果たして「報道」というものを笠に着て筆を執ることができるだろうか。
少なくとも、今の私は四杯目のホットウィスキーを作ろうと電気ケトルに手を伸ばす飲んだくれでしかない。
コンビニで買い求めた肉団子の意外な酸味に目を細めたところで続けていくと、報道やコラムには一定の批評性が必要である。
その批評性がどこに向けられるのかと言えば、店やその商品に対してである。
最近は所在地確認や営業時間確認以外にはとんと用いることのなくなったグルメサイトの口コミも客観性の濃淡こそあれ似たような特徴を持っているのかもしれない。
ある時期までは私もその「批評」を面白がって見ていたのであるが、独り暮らしが長くなるにつれて、そのような向上心らしきものをどこかに忘れてきてしまったようである。
今はもっぱら、一杯の酒、一杯の飯の奏でる音楽を楽しむことに集中している。
これがある意味では私が「フードエッセイスト」なる奇妙な肩書を用いる源泉になっているのかもしれない。
では、私の思うその姿は……ということを書こうと思ったのだが、もう酔いが回ってしまってどうにもならない。
恥ずかしながら白湯を一杯いただいて、また改めて語ることとしよう。
幸せ食事計画~フードエッセイストの百物語 鶴崎 和明(つるさき かずあき) @Kazuaki_Tsuru
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