第6話 酒に対して当に謳うべし
何気なく街を歩いてみても北風が骨身に染みる時期ともなると、どうしても温かい飲み物が欲しくなってきてしまう。
いや、夏の盛りでも燗をつけ、すき焼きをやるような人間からすれば気温など言い訳に過ぎない。
さて、一杯いただいて帰ろうかと行きつけのバーに寄って頼むのはのっけからホット・ウィスキーである。
丁字などのスパイスの味わいに、レモンの風味が乗った珠玉の一杯は、とても家で雑に湯で割ったウィスキーとは異なる。
だからこそ書く時には「ウィスキーお湯割り」という表記にこだわるのだが、この一枚板の木目を眺めているとそのようなことはどうでもよくなってくる。
一つだけ据えられたボックス席の向こうに佇む朽ちた神殿の絵を眺めていると、まるで遠くへ旅に出た気分となれるのだが、そのような気障な思いは突き出しのスープと共に湯気の中へと消えていく。
バーでも流派によって食事へのこだわりに差があると聞いたこともあるのだが、それよりもよく煮込まれた茸の旨さにそのようなことはマスターに任せてしまおうと何とも無責任な思いがしてくる。
そのようなことを考えているうちに、他の方が現れ、店の中がその声で満たされる。
酒をいただくと饒舌になる私だが、それを遥かに凌ぐ話ぶりは見事なものであり、良き賑わいを与えてくださる。
久し振りに訪ねた嬉しさが水のように溢れるのだろうと、時に相槌を打ちながら楽しませていただいた。
だからこそ、話の流れである一本のウィスキーが出てきた時、私は思案に暮れてしまった。
昔はよく飲まれたものの、今はほとんど姿を消している瓶を目にしたお隣さんがそれを頼んだのである。
時代のついた黒いラベルと装飾に息を呑む。
その一本にまつわる話を伺いながら相対すると一杯いただきたくなるのが人情である。
実際、その物語に惹かれて口にしたウィスキーも多いのであるが、それと同時に残りの量を見て少し考え込んでしまった。
酒は飲み物である。
いつかは消えていくものであり、後生大事に仕舞い込んでも良いのだが、やはり口にして真価を発揮する。
だからこそ飲むこと自体に本来抵抗はないのだが、そこに愛好者の姿が重なると少し気がひけてしまう。
私自身もその一本を好むのであればよいのだろうが、果たして興味本位だけでいただくのはよいのだろうか。
そのような逡巡を珍しくしているうちに、その一本は戸棚の奥へと戻っていった。
仲冬の風が頬に心地よく、束の間の夢であったかと店の外で思う。
果たしてあの一本はどのように飲まれていくのか、その問いに私の頭はお隣さんの満ち足りた顔で答えた。
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