最終話 「人生」の幕開け
いよいよ、この時がやって来た。
今日は、トメラの卒業制作である舞台劇・本番の初日だ。
ここまでの道のりは本当に長く、険しかった。
トメラはこの舞台を書くために一年間、もがき、苦しみ、何度も挫折を経験してきた。
それに加えて、昨今のあのテロ襲撃事件があったので、彼の精神状態は尋常ではなかった。
しかし、今は違う。
トメラはこの作品のために心血を注ぎ、自らのベストを尽くして制作に励んできた。
彼のその高いクオリティーと熱意があってこそ、この舞台が出来上がったと言っても過言ではない。
舞台芸術にうるさいあのメスデランダ先生も、そういうトメラの頑張りを素直に認めてくれた。
あとはその舞台本番を、やり遂げればいいだけだ。
「いよいよだな、トメラ」
楽屋の中で、マドタがトメラに声をかけてきた。
彼の言葉に対し、トメラはビクッと反応する。
「いきなり声をかけないでくれよ。話しかけるなら、メイクが終わってからにしてもらえないか」
「あっ。いやぁ、ワリィワリィ」
トメラはアイシャドウを塗り終えると、マドタの方に向き合う。
「トメラ。いまの心境はいかがですか?」
マドタのかしこまった口調に、トメラは鼻で笑ってしまった。
「何だよ、いきなり敬語で話をして」
「いや、インタビューだよ。インタビュー」
「インタビューねぇ」
マドタは筒状に巻いた台本のマイクを、トメラに向ける。
「で、トメラ。率直な心境は?」
マドタの問いに対し、トメラはじっと腕を組んで考え出す。
「うう~ん。なんか、あっという間だったかな」
「あっという間」
おうむ返しするマドタに対し、トメラは「そう」と応じる。
「いつも頭を悩ませる日々だったけど、時が過ぎれば、あっという間だった。そういう気がするよ」
「ほう~」
マドタはニヤついた顔つきになり、トメラに急接近する。
「お前、あの時は充実してたもんな。俺たちから隠れて、女の子とデートしてたし」
「うるさいな、あの時は仕方なかったんだよ。何度説明すれば気がすむんだよ」
あははっ、と笑いだし、マドタは「ごめんごめん」と平謝りした。
開かれる引き戸の音。
楽屋中に、より一層の緊張感を際出たせた。
あまりの唐突さに、あの笑い上戸なマドタも引き締まった顔になる。
引き戸の向こうには、やけに朗らかな表情をしているメスデランダ教授がいた。
トメラはお伺いを立てるように、メスデランダ先生に声をかけた。
「おっ、お疲れ様です……。メスデランダ先生」
「うんっ」
メスデランダ先生のその明るい口調は相変わらずだ。
急いで自分の作業に戻っていく同級生たち。
トメラも再び自分のメイクに戻ろうと、鏡に向かい合った。
すると、その鏡の向こうから、メスデランダ先生の小顔がニョキッと出てきた。
「ど、どうかしたんですか、先生」
「うん。トメラに用事があって来たんだけど」
「何でしょう」
彼が強張った口調でそう先生に問うと、メスデランダ先生はとても嬉しそうな表情を浮かべる。
「差し入れをもらったよっ」
「えっ?」
メスデランダ先生はトメラの前に、お菓子の箱でいっぱいなビニール袋を掲げた。
振り向くトメラに、メスデランダ先生はますますニヤつきだす。
「キミの彼女さんから、クッキーの差し入れをくれたよ」
「ミチルが来てるんですか?」
うんっ、と頷くメスデランダ先生。
「それで、彼女はキミと話をしたいって言ってたけど。トメラ、どうする?」
「ええっ? いやぁ……」
トメラはふと、まわりを見回した。
すると、そば耳を立てていた他の同級生たちは、急に自分の作業を一斉に行い出した。
「行きなよ。本番まで、まだ2時間もあるんだから」
「いいんですか?」
トメラがそう問うと、メスデランダ先生は嬉しそうに頷いた。
「いいよ。そういう青春は、今できるうちにしておいた方がいいからね!」
「なっ、なに言うんですか、先生」
トメラの頬は、リンゴのように真っ赤になった。
そんなことを気に留めずに、メスデランダ先生は言う。
「いいから早くいってらっしゃいっ。これ以上、彼女を待たせちゃダメ!」
メスデランダ先生は、トメラの左手をぐいっと引っ張った。
そして、彼女はトメラを楽屋の外へ連れ出していくのだった。
楽屋の外へ出ると、その戸の向こうにはミチルがいた。
彼女は白い装束をまとっていて、相変わらず高貴な雰囲気を漂わせている。
「や、やあ……」
トメラがそう声をかけると、ミチルは顔を赤らめて天井の方を見つめ出す。
彼は後ろの方を一瞥すると、楽屋の引き戸がいきなりバタンッと閉められてしまった。
それはまるで、トメラに『しばらくは入るな!』」とメスデランダ先生から言われてるような感覚だった。
廊下には、トメラとミチルの二人ぼっちになってしまった。
しばらくの沈黙が続く。
「……来て、くれたんだね」
トメラは恥ずかしさを拭い取り、思い切ってミチルにそう聞いた。
すると、ミチルは大きくうなずいた。
「ええ。約束通り、来たわよ。この時間帯が一番、ちょうど良くて」
「ありがとう……。嬉しいよ」
そう言うと、ミチルは努めて、少しずつトメラと目を合わせ出す。
「わっ、私こそ……約束を守り抜いてくれて、どうもありがとう」
彼女の選び抜いたその懸命な言葉は、何ともいじらしい。
トメラは、ミチルとの距離をじっくりと縮めていく。
「正直、ここまでくるのに、すっごい大変だったよ。いろんな意味でね」
「うん……」
「でも、キミがこうしていてくれたからこそ、いまのボクがいるんだ。キミがあの助けてくれなかったら、いまのボクはなかったし、この作品はできなかった」
トメラは思い切って、ミチルの前に手を差し出した。
「存分に楽しんでよ。今日は、キミのための舞台だ!」
「……ありがとう!」
ミチルはその手を強く握り、トメラにいきなり抱きつく。
「ちょっ、み、ミチル! 何を……」
彼の戸惑いを気に留めることなく、彼女はいきなり、トメラの唇にキスを交わした。
トメラの頭の中に、明るく華やかな花が咲き誇った。
「トメラ……大好き!」
ミチルの必死なその言葉に対し、トメラも声を上擦らせて言った。
「ボクもだ、ミチル! 愛してる!」
そして、トメラは再び、ミチルの唇に口付けをしたのだった。
二人の新しい、「人生」の幕開けだ!
END
ウツクシ村のミチル 岡本ジュンイチ @okajun
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