詩人、狂気、皇帝、夢

宮﨑

詩人、狂気、皇帝、夢

 詩人はその物憂げな顔を隠そうともせず、門をくぐった。

 幾人かの衛兵が彼の顔をじろりと見、また彼のおぼつかない足取りを見て鼻で笑った

 彼は幼いときより歩行に難があった。さらに言えば、歩くこと以外においてもおよそ、理想的なローマ市民とはほど遠い身体と容姿をしていた。

 彼は生娘パルテニアスと呼ばれていた、と述懐したのは詩人の学友セルウィウスである。この渾名は詩人の内向的な性格に起因するとセルウィウスは述べているが、外見と内面的性質を同時に形容した揶揄であったと解釈するのが自然であろう。

詩人がその醜い容貌に関心を払っていなかった、というのは嘘になる。むしろ彼にとって相当のコンプレックスだったようで、くだんの衛兵が加えたような侮辱には、

「ろくな学識もなく、あるのは世俗の欲望と打算だけの、お前の頭を気にするほうが良いのではないか」

こういいかえした。

 しかし今回に限り、詩人は衛兵を睨みつけるだけで反駁することはなかった。

正確に言えば、反駁できなかった。

(前回会ったときは、これほど陰鬱な気分にはならずに済んだのだが)

 詩人はその心中に、悪態とも愚痴とも知れぬ不満を漏らした。かの男に会う——それを思うだけで彼の精神は陰鬱の海に沈んだ。それこそ、ただの悪口ごとき今の彼にとって問題にはなり得ないのである。

 詩人がかの男と初めて邂逅したのはちょうど十年前、男はそのときローマにおける有力政治家の一人にすぎなかった。

 十年前と言えば、英雄カエサルの死によってローマに無数の戦乱が吹き荒れた時分である。男はその混乱のなか、将帥として数々の武功を立てた。ところで、凱旋の指揮官がなすべきことは部下に褒美である土地を分配することである。しかし新興の将である男には、分配すべき満足な土地を持っていなかった。それで、北イタリアの農地を強制接収することになった。

 不運なことに。マントウァにある詩人の土地も接収の対象であった。

(人は、切羽詰まった状況ならば存外の力を発揮するものだ)

 土地を持たなければ人ではない、というのがこの時代の常識であった。言いかえれば、ローマの市民であるための偏狭な条件の一つに財産の所有があって、当の財産というのは所有地を意味する、ということである。

 いかに不遜な詩人といえども、市民権の傘から外れれば何もできない。配給のパンだけを糧に生きるか、奴隷にまで身を落とすか。土地は自由市民の権利そのものであった。同時に人間としての名誉でもあった。どちらにしても死んだ方がましだと詩人は考えた。であれば怖いものは何もなかった。それに、接収作業を指揮する若き軍団長のもとに出向き、頭を下げ、貢物を差し出すのは自死よりもずっと簡単な作業に思えた。

「土地を、取らないでくれ」

 そう訴えた。

 正直に言って、詩人にそのときの記憶はほとんどない。どうやって手練手管の政治家たちと、百戦錬磨の軍人たちを説得できたのか。

(きっと、私は狂えたのだ)

 詩人はそっと独言を吐いた。

 中途半端な理性というものは、切迫した場面では役に立たない。それでいて神のごとき完全無比な理性など、ただの人間が持てるはずもない。

 人は、狂うべきときがある。

 狂えなかったものは、何もできずに死んでいく。ただ、狂気というものは、意図して身につける類のものではない。

(若い頃は、狂えた)

 医学、弁論術、天文学、その他全ての学問を投げうって哲学にのみに没頭する狂気を、若い彼は持っていた。あるいは寝食も忘れ、ホメーロスを題材にした六韻脚詩ヘクサメトロスを四日五晩吟じ続けたこともあった。

 詩人の齢は既に四十を数える。そのような狂気は彼の奥底に眠って久しい。

(狂えていたなら、こんなところには来ない)

 詩人のぼろ家がまるごと入りそうな広間を通り、その奥に続く豪奢な回廊を抜けると、柔らかな日差しの差し込む大きな部屋がある。壁面には所狭しと書架が置かれ、数え切れないほどの石板や羊皮紙が整然と並んでいる。所々、見慣れないうす緑色の皮があって、やはり文字が刻まれていた。

(これは、たしか。そう、パピルスだ)

 背後から詩人のそれとは違う、はっきりとした、規則的で重厚な足音がした。振り返った詩人の双眸に、馴染みの顔が映った。アルプスの渓谷のように刻まれた詩人の皺が、幾分やわらいだように見える。

「ウェルギリウス」

 明朗な声が響いた。ただその調子には、確かな政治性が隠れているのも察せられた。

「これは、キルニウス=マエケナス殿」

 ガイウス・キルニウス・マエケナス。くだんの男の腹心である。主に外交だとか、内政だとかに関して助言を与える、コンサルタント兼アドバイザーであった。

優秀な策謀家であった彼だが、同時に文芸にも造詣が深く、ローマの有望な詩人・芸術家たちを集めて文学サロンを開いていたことで有名である。後援者を意味するパトロンの代名詞的存在で、ウェルギリウス以外では『風刺詩』のホラティウスや、『エレゲイア詩集』のプロペルティウスを支援した。

 そして、ただ支援するだけでなく上司に紹介したりもした。ウェルギリウスが男の邸宅、つまり、大ローマの執政官コンスル邸宅に招かれた理由もこれにある。

 マエケナスは微笑みながら、

「はは、キルニウス、だけでも良いのだぞ。友は皆そう呼ぶ」

と言った。ウェルギリウスはお辞儀をしたまま、

「お戯れを。閣下はパトロヌスで、私はクリエンティアだ。ローマ人の誠実ピエタスさを逸脱した行為はできませんよ」

と答えた。

「相変わらず頑固な男だ。そうして意外と保守主義者でもある」

「否定は致しません」

「昨今のローマの情勢も、憂き目で見ているのではないかな」

 マエケナスは探るように、というより試すように言った。

 昨今の情勢とは、他ならないかの男——執政官と、彼の養父であるガイウス・ユリウス・カエサルによってもたらされた。偉大なギリシア文明の後継者を自認するローマ人にとって、民族の誇りである共和政治が揺らいでいるのである。

(王が、生まれるのではないか)

 ここでいう王とは、オリエント文明圏に特有の専制君主のことである。古代ギリシア人は、特にオリエント風の専制政治を嫌悪した。代表的な例がアケメネス朝ペルシアであり、ペルシア戦争はギリシア人にとって民主と専制のイデオロギー戦争でもあった。

 そしてローマも似たような経緯を持つ。エトルリア人の王の支配を経験し、その後追放したローマ人にとって、王とは文化的にも歴史的にも極めて微妙な存在であった。だから、少しでも政治に興味のあるローマ市民は、みな王政の是非について考えた。無論。歓迎しているのか、憂慮しているのかは各人に分かれる。

 とうのウェルギリウスは、マエケナスが言ったように保守的であった。この場合の保守というのは、ポリス社会における自由な精神風土と政治体制を保持する、という志向を意味する。

 というより、詩人であって保守的でない人間などいるはずがなかった。

「私は愛しています。ローマと、その曖昧な政治体制を」

 詩人は慎重に、しかし正直に答えた。このような老練の政治家の前で嘘をつくなど、歴戦の剣闘士の前で剣を抜くようなものだと思った。曖昧、と形容したのはローマの共和政がただ共和政であって、民主政ではないことを表現する意図があった。ウェルギリウスとて共和政ローマを盲信しているわけではなかった。その理念はともかく、実務の面でアテネ民主政とはかけ離れていることを理解していたし、その弊害も感じてはいた。

 具体的にいえば、元老院、平民会、執政官の三権が混合した政体を構築している点において、直接民主制のアテネとは違っていた。さらに踏み込んでいえば、平民会も執政官も元老院の傀儡のような存在であったから、実際には数百人の元老議員による寡頭独裁といえる節もある。

 このような政体は破滅的な失策を防ぐことには長けるが、内政の諸問題に対して迅速かつ有効な対策を講じることに関しては弱い。その結果が内乱の1世紀であり、マリウスであり、スラであり、カエサルである。

(罰せられることはないにせよ、機嫌は損ねてしまうのではないか)

 ウェルギリウスは一応の心配をした。しかし無用であった。

 マエケナスは笑っていた。腹の底から、全ての呼気を吐き出そうとしているかのようだった。哄笑である。

 この時代の、特にローマの実務政治家にはこういうところがあった。ある種の陽気さ、豪快さとも呼べるもので、権謀や術数を重ねつつも、人間的な魅力を持っていなければならなかった。

 ローマの政治家は、パンとサーカスを民衆に与えるものだという。つまりは人気商売ということで、兵卒の一人一人にまで人気がなければならない。

 この点は元老院の世襲議員に欠けている資質と意識であり、あるいは元老院政治の終焉をもたらした遠因かも知れない。


 話がそれた。


 その後一通り雑談をしたあと、マエケナスは、詩人を部屋に置いて出て行ってしまった。

「今例の男を呼んでくるから、書でも読んで待っておけ」

 マエケナスは陽気な男ではあるが、冗談はあまり言わないことを詩人は知っていた。だから、彼の言葉を額面通り諒解することにした。


 書架には羊皮紙と、パピルスがあると述べた。

 前者は詩人にも馴染み深い。ローマ領であるペルガモン王国で特に生産が盛んで、ローマでの流通量も少なくなかったからだ。ただ、羊の生皮を洗い、研ぎ、削り、無数の工程を経て造られる関係上、必然的に希少である。要は高い。よって平民が手に入れられるようなものではなく、国の図書館が奪い合うようなものである。

 だから、詩人は驚いた。

(いかに執政官の邸宅とはいえ、いち政治家の邸宅にこれほどの書があるとは)

 詩人の驚きは、何も大量の羊皮紙を手に入れるための金銭的な面だけに起因しているのではない。学者でもない政治家(これは往々にして軍人をも意味した)が、これほどの書物を保持していること、そして、わざわざ書物の形態で保存していることに、驚いたのである。

(学問なら学者に、詩なら詩人に、朗読させればよかろうに)

 古代世界では、知識の世代間伝達の方法として、口伝というのが一般的であった。よって、テキストを暗唱する能力は、すなわち教養であると言えた。詩人の時代から六百年ほど下ると、中国王朝にて科挙という試験が行われるようになる。そこで受験者には、膨大な儒学の啓典の暗記が要求された。まさに書物を読み取れるだけでは能力として認められず、それを暗唱できなければならなかったのである。それは文学においても例外ではない。むしろ、詩人において顕著である。

 ギリシアで生まれたポイエーマという文化において、物語は詩人の口から、音韻をつけて即興的に詠われるものであった。

 有力者の家におもむき、宴の余興として悲劇や喜劇、活劇を吟ずる彼ら吟遊詩人は、特定の詩典を持たない。原型の物語を師匠である詩人から受け継ぎ、暗記しておく。そして、人前で披露するときには観客の反応に合わせて細かなアレンジを加えた。

 無論、書というものも大きな価値をもつ。暗記には限界があって、地中海世界においてはギリシア時代から続く膨大な学識の記録媒体として求められた。アレクサンドリアの図書館には十万以上の蔵書があったほどである。

 しかし、いずれにしても彼が、これほどの蔵書数を誇っていることをウェルギリウスは不思議がった。個人的にそのような印象を抱いていなかったのもあるし、マエケナスの評を聞いていたこともある。

(彼はあまり文学・学問に関心を持たぬというではないか)

 それに不思議なのはパピルスの存在であった。ナイル産のパピルス草からつくられるこの文字媒体を、ウェルギリウスはほとんど見たことがなかった。それもそのはずで、エジプト王家の専売物だったのである(パピルスの語源は「王家のもの」を意味するギリシア語、パペルアアである)。そのためローマにはほとんど流通していなかった。しかし紀元前一世紀、状況は変わる。産地であるプトレマイオス朝はプトレマイオス八世の死後、慢性的な内紛に苦しむようになり、最終的にはローマ軍がアレクサンドリアに駐留するにいたった。結果としてエジプトはローマの保護国となり、経済的にも従属するようになったのである。

 このようにしてローマにおけるパピルスの流通量は増加したが、貴重品であることに間違いはなく、また個人が蒐集するようなものではなかった。そのパピルスが、一介の政治家の家に大量にあるのである。


 奇妙であった。

 奇妙といえば、ウェルギリウスがそこにいること自体が奇妙である。

(ローマにおいて最大の権勢を誇るときの人が、私のような詩人に何の用があるのだろうか)

 彼の疑問は、つまるところそこに集約される。

(まさか、牧歌の件か)

 彼の代表作である「牧歌」はまさに例の男によってマロー家の農地が没収されかけた騒動のなかで詠まれた詩であるのだが、その第一歌と第九歌は土地の没収について扱ったものであった。ともすれば、執政官批判と捉えられてもおかしくはない。しかし、土地の没収を題材にしたのは彼にとってそれが衝撃的な出来事であったから、という一点につき、批判の意図はなかったのである。それはあまりに保身に関して無頓着だったと言わざるをえない。が、それは弱点でもあり彼の美点でもあった。

(まあ、それで殺されることもあるまい。もし殺されるなら、それはそれだ)

 ウェルギリウスは目先のことに対し大いに悲観的である。しかし、大局的な視点で言えば楽観的であった。ラディカル・オプティミストと表現してもいいかもしれなかった。

 歴史において何かをなすには、ひたすら楽観的な木偶ではいけない。しかし、常に神経を張り巡らせた厭世家というのも、また大成しないようである。大事なのはそのバランスであり、その均衡すら保たれれば、楽天と悲観のどちらを日常に優先するかという違いのみが生じる。ウェルギリウスのような楽天家に加え、普段楽観的で、大局的には悲観的なラディカル・ペシミストというのも想定できるであろう。

 いずれにせよこの根本的な楽天主義は、かのルネサンス最高峰の詩人ダンテが、ホメロスではなくウェルギリウスを彼の地獄の案内役に選んだ最大の理由であったように思われる。


 閑話休題。


 やがて人がきた。

 マエケナスと、噂の執政官である。幼名をガイウス・オクタウィウス・トゥリヌスといい、現在はガイウス・ユリウス・ディヴィ・フィリウス・カエサル・オクタウィウスを名乗っている。

「この男か」

 後世の歴史家にオクタウィアヌス(オクタウィウスであった者)と呼ばれた男は、悠然として詩人の前に立った。

 一方のウェウギリウスはうつむきながら驚いていた。

(これが、かのユリウス・カエサルの養子か)

 容姿というものは人の内面について何ら決定するものではない。しかし人に与える印象についてはその多くを決めるものである。この点において、オクタウィアヌスの外見から得られる印象はその地位や事績にそぐわぬものであったと言える。上背がローマの成人男性にしては小さく、また身体は痩せていて威厳を与えるものではなかった。また顔の印象は屈強というより軟弱さを彷彿とさせるものであり、権力者というよりはその小間使いのように見えた。しかしその眼は、異様に炯々としている。

「私は」

 前置きもなく、オクタウィアヌスは切り出した。

「私は、お前の作品を読んだぞ。たしか選歌、とかいったかな」

 突拍子もない発言に、詩人はただ沈黙するしかない。ウェルギリウスは権力者が自作を知っていることを安易に喜ぶような男ではなかった。しかし、この沈黙はオクタウィアヌスの意図を計りかねて思考が停止している、と言った正確に表現できるであろう。

 オクタウィアヌスは少し待って、

「つまらなかった。説教臭く、歌ごとにまとまりがない」

そう暴力的に評した。

 ウェルギリウスは再び沈黙し、やがて怒りが湧いてきた。

(文芸を解せぬ武人が、何をいうか)

 詩人としてある種の正当な防衛反応であった。そして同時に、文学に籍を置く全ての人間が対峙せねばならない葛藤でもあった。

「そう、凡百のローマ市民ならいうであろうな。なあ、キルニウス」

 オクタウィアヌスは左後方に控える重臣に問いかけた。

 マエケナスの表情には驚くほど変化がなかった。政治的な微笑を保ったまま、

「仰せの通り。大半の市民たちにとって、彼の詩作は、そうですな、世襲議員の弁舌にも等しい」

 これもまた言葉の暴力だった。剣で肩口から躰を切り裂くような威力があった。

 詩人に対し、お前の書く詩は空虚だ、そう言ったのである。

 ウェルギリウスは憤激した。そうしなければならなかった。自らの生命と詩人という存在意義をかけて、眼前の政治屋どもにその矜持を見せつけようとした。

 が、政治家の方が一足早かった。計算し尽くされた話術だった。少し口調も優しげになっている。

「お前たち詩人はみなホメーロスやヘーシオドスを参考にすると聞いた」

 相手を激怒させ、かつその感情を表明するまえに話題を転換してしまう。そうすれば彼は感情の発露する対象を失い、その思考を停止せざるを得ない。

 ウェルギリウスは見事にはめられた。

「……は、古の名作に倣う。それが詩作の基本にして、傑作に至る唯一の道でありますゆえ」

「そうか。ではなぜローマにホメーロスやヘーシオドスが生まれないのか」

 オクタウィアヌスの問いは簡潔を極めた。それでいて鋭い。

「それは」

「散文においては我が父、あるいはかのキケローがいる。しかし詩文においてラテン語はとことん弱い。なぜかわかるか?」

 ウェルギリウスにはその理由が痛いほどに分かった。しかし即答はできない。一拍置いて、

「模倣。我らはギリシアを模倣するほかないゆえです」

 ウェルギリウスは臓腑を吐き出す心地がした。それほど苦しかった。

 彼らの詩作において、偉大な先駆者を追従しなければ生まれるのはただの駄作である。少なくともそうとしてしか評価され得ない。だから真似をするしかない。一定の枠組みのなかでその模倣の精緻さを競うしかない。ローマの文学において、独創性は愚作にのみ存在するのである。それはローマの詩人のみならず、何かを生み出そうという人間についてまわる普遍的な苦悩かもしれなかった。

「そうだな。しかし、私は模倣という創作の手法を否定するつもりはない」

 ウェルギリウスは思わず頭を上げ、オクタウィアヌスの顔を見た。彼は口の端に微笑を浮かべていた。

「模倣は人に許された唯一の学びだ。我々は神ではないからこそ、虚無から有をつくれない。しかし有からさらに優れた有をつくることができる」

 オクタウィアヌスは歩みを再開した。呆然と立ちつくす詩人の左側面に回り、

「そこでお前は問うだろう。では、どうすればそのようなことができるか、と」

そう囁いた。

 ウェルギリウスの背筋を冷たいものが走った。

「時代」

 その一言のみが続いた。

 劇的な効果というものをオクタウィアヌスは好んだ。彼は自分が演劇の主人公であると定義して、その設定を他者に押し付けつつ問答した。そうやってつくられた劇場の主人公となる資質を彼は持っていた。

「名作とは時代性を孕まなければならない。時代とはそのときどきの民族、文化、哲学を体現するものであって、例えばホメーロスでいえば鮮やかな感情表現である」

 オクタウィアヌはみごとな文芸論を展開した。むろん、彼だけの意見ではなく、マエケナスの講釈をもとにしている。

「人間感情の自然な発露の表現は、ギリシア時代の自由と人間性を愛する文化に由来するものだ」

 さらに彼は言う。

「しかしこれらは当時であったからこそ輝いたもので、ローマにおいてはまた別の時代を作品に込める必要がある」

 インペリウム、ということばがある。日本語に訳せば「采配」であろうか。   

 このことばには天に定められた権利、権力、使命といった意味があるのだが、オクタウィアヌスによればローマ人には固有のインペリウムがあるという。

「従うものは許し、逆らうものは平定する」

そうしたあとで、

「諸民族を統一して平和の基礎モーレースを築く」

というものらしい。

 ギリシア人のように学問芸術に勤しむ才能はないが、彼らを支配する役割があるのがローマ人であるというのである。事実、ローマの歴史はそのように展開した。

「私はその運命に従う。逆賊アントニウスを討ったのち、初代ローマの王となろう。それはただの王ではない。王の中の王。諸族の王をすべる王となる」

 オクタウィアヌス劇の最高潮だった。

 不遜なこの男は、あろうことか共和国ローマの王になるという。近代風にいえばクーデター宣言である。主君の悪癖に慣れているマエケナスでさえ、眉をひそめたほどであった。

 保守主義を自称するウェルギリウスがいかに驚いたかは想像にかたくない。

 無礼を失念し、おもてを上げ、オクタウィアヌスのまなこを凝視した。

「そのためには」

 オクタウィアヌスは詩人の視線に応えるように、腰をかがめ、顔をぐいと近づけた

「私だけがそのインペリウムを理解していても意味がない。ローマの民ひとりひとりが自覚し、実行しなければならない」

 ギリシアとはそこがちがう、とオクタウィアヌスは断言した。

「自由な気風のもと、学問や芸術にいそしみ、気まぐれな英雄たちの物語を紡ぐ時代は終わった。これからのローマ人は、法と秩序のもと、社会的責任のなかで生きなければならない。ローマのインペリウムを実行する歯車にならねばならない。君主たる私でさえ」

 そう、ローマの市民すべてに「ローマ人」たれ、とオクタウィアヌスは要請している。大ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥス。彼はまさに啓蒙家にして革命家であった。もし大言が許されるのであれば、時代錯誤な用語で、こう表現してもいい。彼はローマ帝国とローマ人をゲゼルシャフトあるいはネイションとしてまとめようとしたのだと。

「そこで必要なのは建国神話であり、国家的叙事詩だ。まさしくギリシアにおけるイーリアスとオデュッセイアのように、民族の歴史と誇り描く文学は、物語に込められた国家のインペリウムさえ浮き彫りにさせる」

 ウェルギリウスはようやく諒解した。その事実自体は数分前にはわかっていたのだが、沸騰した頭がそれを拒んでいた。

(この男は、私にローマにおけるホメーロスたらんと要請している)

 彼はその要求の荒唐無稽さを笑おうとした。しかし笑えなかった。

 身体が勝手にふるえていた。汗がとまらなくなった。顔が熱くなった。

 熱病にうなされる病人のように目線を移ろわせた。視界の隅でマエケナスが笑っていた。

(私は、罠にかかったのか)

 気難しい詩人に、果てしもない大役を担わせるために仕掛けられた罠。むろん狩人は目の前の政治家の二人である。気軽に断ったり、あるいは引き受けたうえで中断したり、諦めたりすることも防ぐ、周到な罠であった。

 しかしウェルギリウスは罠に身を委ねることをよしとはしかなった。湧き出す衝動のまま、必死にことばを絞り出した。

「お言葉ながら、閣下は文学を誤解しておられる。詩は政治の道具ではございませんぞ」

 オクタウィアヌスは表情を変えなかった。むしろその微笑を深くした。

「ほう。それはなぜだ。なぜ政治の道具ではないと言い切れる」

「それは」

「それが伝統だから、か?」

 図星であった。ウェルギリウスは返答に窮した。

「ではなぜ伝統は守らねばならぬ」

 伝統を守る。そこに確たる理由はない。むろん、過去の成功例に倣うことによるリスク軽減の効果を期待する面もあるが、総じていえば旧守を好む人情の結果としかいいようがない。そして革命家はいつの時代もその脆弱性を攻撃してきた。

「分からぬか。当然だ。伝統とはそういうものだからな」

 オクタウィアヌスは語気を強めた。

「ギリシアこそ最優の文明である。ローマに王は居てはならぬ。文学は政治に関与してはならぬ。ある種の人間曰く、それらは伝統だという。なるほど、伝統が真に歴史であるならば、それに倣うことに利益もあろう。しかしどうだ? 奴らは全て伝統を歪曲し、都合のよい解釈のみを貪り食っている。曰く蛮族であるはずのペルシアの効率的な行政はどう説明する? ペリクレスは王ではないとでも? なぜアテネはマケドニアに負けたのだ?」

 ことばの怒濤がオクタウィアヌスの口から溢れ出た。

「異文化を尽く否定し、自文化を盲信し、文芸には抜きんでながら政治的に幼児であり続けた結果が独立の喪失なのだぞ。ギリシアの伝統は、学ぶものであって墨守するものではない。時代が変われば最良も変わる。私の思想とて、時が経てば時代遅れとなろう。さらに時代が変われば復活することもあるだろうがな」

 ウェルギリウスははたと気づいた。オクタウィアヌスは単なる権力の狂信者ではない。彼は時代の狂信者なのだと。時代が彼に与えた使命を実現しようとする冷徹な機械人形なのだと。他の数多くのローマ人と同じ、帝国という巨大機構の歯車の一つたらんとしていると。

「お前は良いのか? 肥え太り豚のように快楽を貪ることしか知らぬ貴族たちに、猿真似の詩を書き続ける一生をよしとするのか? 学の分からぬ市民たちに、詩人であるだけで生涯蔑まれて生きてゆくのか?」

 もはやウェルギリウスはオクタウィアヌスの虜になっていた。その鋭い視線が彼の躰を貫いて、床に縫い付けてしまったかのようだった。

「私と来い、ウェルギリウス。そうすればお前の作品は帝国の手によって民衆の手にあまねく渡るであろう。私はそのためにあらゆる書物の形態を網羅した。どのような媒体が適しているかを探究したのだ。石板は重い、羊皮紙は良質だが高価だ。あるいはパピルスという手もある。アントニウスを打倒し、エジプトを手に入れた暁にはパピルスの専売権さえ手中に納めることができるのだ」

 オクタウィアヌスは両手を目一杯広げた。もちろんその指の先には大量の書架がある。

詩人は羊皮紙のみならず、パピルスも置かれていたわけをいま理解した。

こうして考えると、アントニウスとクレオパトラの同盟すらオクタウィアヌスの意図したところであったように思われる。実際には偶然を含めた様々な要因が絡みあった結果なのであるが、彼にはそれすら計算のうちに入れているように見せる演技の才があった。

「あるいはこれも候補ではある」

 オクタウィアヌスはトーガの懐から白く、薄い何かを取り出した。

「はるか東方にあるチンの国の宮廷官吏がつくっている、文字を刻む薄布だ。かなり優れた品だが如何せん製造法は秘術らしく、詳細が分からん。チンを征服するまでは使いものにはならんな」

オクタウィアヌスは豪快に笑った。


 独裁者にもし種類があるとすれば、それは三つある。

 一つ目は権力を使う者である。これは世襲君主に多く、長じれば明君に、そうでなければ暗君になる。

 二つ目は権力を手に入れる者である。総じて権力奪取に異様な才能を示すが、その後の権力行使に支障をきたし、往々にしてその身を滅ぼしていく。

 そして三つ目は権力を演じる者である。

天佑神助をすべて含め、あらゆる事象を自らの権力の功と演出できる才覚を持ち、後世の歴史家を困らせるのである。

 どこまでが、彼の行いであったのか。どこまでが、彼の目論見であったのか。人生の全てが劇場であり、彼の治世はまさに劇的なものになる。それでいて本人に自覚があったのかは全くもってわからない。

 オクタウィアヌスという男は、そういう権力者であった。

 であるから、以後のウェルギリウスの行動や感情の変化について、どこまでがオクタウィアヌスの意図したところであるかはわからない。後世の人間がわかっているのは、ただ一つ、この不遜な政治家と頑固な詩人とのあいだになんらかの交友があったという事実のみである。

「なあ、ウェルギリウス。想像してみよ。眼前に波打つ大観衆を。その熱気を。私とお前の前には百万のローマ市民が歓呼し、服従した世界中の王たちが跪く。幾万の兵が大通りを闊歩し、軍団長はお前に敬礼するだろう」

 ウェルギリウスはふたたび震えた。

 一度目のような、動揺から来るものではなかった。

 それを一言で形容するなら、狂気であった。

 恐ろしいまでの激情が喉元にせり上がり、制御を失った口腔を通じてほとばしる。それは欲望である。しかし打算ではない。

 詩人という職種ゆえ、ウェルギリウスは世間から冷遇を受けてきた。まともな人間として扱われなかった。そこで堆積した鬱憤は、いまや彼を突き動かす燃料となって燃え盛っている。

「閣下に一つ問いたい。そのときに私の詩を読んでいるのは、たった百万のローマの民のみなのでしょうか。私の詩が流通しているのは、イタリア半島だけなのでしょうか」

 こんどはオクタウィアヌスが震える番だった。彼はやけつくような恐怖を覚えた。詩人の眼が怪物のそれに感じられた。

 しかしオクタウィアヌスには権力者としての矜持がある。幾分もかからずに平静を取り戻し、

「ローマの民とは血統で決まるものではない。自覚によって定まるものだ。帝国が広がればローマ人は増える。砂漠の南へ、ドナウの東へ。インドを越えて、チンの国、その先に広がる海さえも。あるいはイスパニアの西、大洋を渡った先にあるという未知の大陸にさえ」

 オクタウィアヌスは天を指さした。

「帝国はこの星に止まらぬ。この空を突き抜けて、未だ知らぬ宇宙の民さえ平定しよう。それが私のアルテースであり、ローマの平和パクスであり、お前の運命ファトゥムであるのだから」

 ウェルギリウスの体内に眠っていた獣が目覚め、胎動し、火を吐いて彼の迷いを焼いた。

 信奉していた伝統は彼のなかで崩れ去った。彼を支えてきた基礎部分が破壊され、詩人ウェルギリウスという建物は崩壊寸前の状態にある。今それを保持するのは彼が幻視した未来だった。あるいは野望である。大帝国ローマ建国の詩人として称揚され、後世に渡って無数の人々に影響を及ぼす自らの姿のみを見つめ作動する歯車に、ウェルギリウスはなりつつあった。

 名誉を求め、評価を求め、未来を求め、理想と羞恥と憎悪と歓喜の折衝点にいる彼を突き動かすのは狂気である。古い自分を否定され、新しい自分を求められた人間の行き着く終着地である。

 それは同時に始発点でもある。彼はすっくと立ち上がり、オクタウィアヌスとマエケナスを置き去りにして部屋を出ようとした。

 さすがの両名も唖然とした。マエケナスは慌てて呼び止めた。

「どうしたというんだ」

 ウェルギリウスはゆっくりと振り返った。四肢が脱力しているようなのに、そのまなこは異様に爛々と光っている。マエケナスにはおよそ通常の精神状態とは思えなかった。当然の帰結として、彼はウェルギリウスが、二人がかりで追い詰めた結果として発狂してしまったのだと思った。主人の機嫌をとりつつ、哀れな詩人を労ってやらねばと思い、

「オクタウィウスさま、彼は」

と言いかけて沈黙した。


 オクタウィアヌスが笑っていたのである。

 彼は詩人の前に悠然と立ち、

「書くか」

とだけ言った。

「書く」

 ウェルギリウスは答えた。その双眸は狂気に光っていた。しかしただの狂気ではない。言うなれば、詩人の狂気であった。

 オクタウィアヌスは満足げに頷き、

「よし」

とだけ言った。いうや否やウェルギリウスは歩き出していた。彼は今や本能のみで動く。それは詩人の本能である。詩をつくる、ただそれだけに向かう衝動である。

「最後に一つ」

 足早に去りゆく詩人の背をめがけ、のちの皇帝が問うた。

「何を書く」

 曖昧な質問であった。しかし十分すぎる答えが返った。



アエネーイスアエネーアースの物語



 

 


 

 

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詩人、狂気、皇帝、夢 宮﨑 @il_principe

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