第246話 お地蔵さんが…… ⑧

 ちょうど、草壁と恵も映画を出て、夕食軽く食べていこうか?ということで手ごろなファミレスでもないかと探していた頃のこと。




 波多純一とその妹と長瀬ゆかりの3人もとある洋風居酒屋に居た。




 3人ぐらいで二口三口ぐらいつまめる量の一皿が1000円前後で出てくる店なら、値段的にも雰囲気的にも通いやすそうなお店だろう。いかにも喫茶店みたいな喫茶店とかバーみたいなバーじゃなくて、ちょっとしたスイーツが評判みたいな、町の小さなカフェみたいな外観で居酒屋という、微妙な雰囲気のズレがちょっと洒落た感じ。



 お店のことを知らないと前を素通りしてしまいそうな小さな間口構え。


 4席のカウンターの向こうに二人掛け、三人掛け、四人掛け……といずれも、大きさも形も違う木目の鮮やかなテーブル席が、並んでいるというより散らばっていた。


 アルコールランタンの灯りのような琥珀色した照明の下で、生成りの白シャツを輝かせてフライパンを振るまだ若そうなシェフと、お揃いの恰好でデニムの前垂れを腰締めにしてテキパキと料理をサーブする奥さんらしき人で切り盛りしている店。



 ところどころに飾ってあるアンティークなランプや、マントルピースにちょっとした時代演出を感じるが、喫茶アネモネのような垢抜けない感じとはちがってこちらは、シック。


 純粋にお茶を楽しむようなカフェの雰囲気も漂わせる落ち着いた店内。


 雰囲気というのは大事に違いない。黙っていても、大声で騒ぐ客やお子様なんかは絶対に寄せ付けない雰囲気。そう、波多純一が長瀬ゆかりに感じたような雰囲気はどんなものにも大事なのかもしれない。




「すごい!こんなお店ちゃんと知ってるんですね?これおいしい」


 熟成肉が売りらしいこの店のローストビーフを箸でつまんでゆかりが言った。


「ううん。全然知らない、今日初めて――ね、甘味がこんなに出るんですね。おいしいお店でよかった」


 


 相槌を打つ純一だが、おいしいのは分かるがそれ以上味のことを言わなかった。


 聞かれれば料理の説明を詳しくしてくれる店のマダム。だが彼女はあまり口数多く料理の説明はしなかったせいでもある。なんとなく、この3人組の正体を掴みかねていた。男は二人いる片一方の女子をほったらかしで、もう一人にばかり話しかける。しかも妙に熱のこもった目つきで。無視されている様子の女、普通は不機嫌になるだろうが、別にどうでも良さそうに次から次へと料理を頼んでは、こちらも男は基本無視で、もう一人の女性に一言二言話しかける。口説かれているっぽい綺麗な女子はというと、これも男が好きでも嫌いでもないような曖昧な調子で平然としていた。


 そういう客の場合、あんまり出しゃばらずに、そっとしておくのが良しと踏んでのことだった。


 ややこしい事情でもあって店の中で痴話げんかでもされた日には、せっかくのお店の雰囲気が台無しだし。


 


「そうなんですか?」


「だって今はいろんな情報、すぐにゲットできるじゃないですか?」


「けど、その店が良いか悪いかなんて、口コミだけじゃよくわからない。なんてことないんですか?」


「僕、フリーのウェブデザイナーやってるんですよ」


「それが、どうしましたか?」


「そこのお店のウェブページをみたら、おいしいお店かどうかなんか一発でわかります」


「今、作った嘘でしょ?」


「バレました?」




 ま、ほっといても勝手にやるってるみたい。




 純一たちが入店したころにはカウンターにカップルが割と静かにワイングラスを傾けているだけだったが、そのうちテーブル席も2つ埋まる。が、常連ばかりみたいな客たちは、みんな大人しい。気が付いて見たら発泡酒とかビールもあるにも関わらず、全員ワインを手にしている。



「今ピアノの先生してるんですか」


「小さな子供相手にのんびりやってます」


「ところで、こんな質問していいですか?」


 純一の眼が探るようにゆかりを伺った。わざと相手の方へ顔を突き出してさあ、今から大事なことを聞かせてもらいたいのですがと言いたげに。撒き餌とでも言おうか?こちらの様子をまんざらでもなさそうにしているなら、手ごたえはありかもしれない。


「なんです?」


 隙は見せないゆかり。二コリともしない。確率50パーセントも見込めそうもないと、純一は思った。


「お付き合いしている人いるんですか?」


 静かに首を振るゆかり。



 するとそこで妹がスモークサーモンを切り分けている手を止めて会話に入ってきた。


「ゆくゆくは決まった人と結婚するんでしょ?」


 ああ、そうか前の女子会のとき自分が微妙な言い方したからフィアンセがもういるみたいに思っている訳か……。ゆかりは軽く笑って否定した


「決まってるのは婿養子をとることだけ。この人っていう許婚はいないのよ」


「そうなんだ……」



 なるほどと。お嬢様だということを耳にしていたが、金持ちの家というのはとかく金以外にも背負い込むものが多いらしい。純一にしてみれば今日出会った女性と結婚まで考える必要もない。まだお付き合いできるかどうかもまったくの未知数。


「ということは今はフリーなんですね?」


 ただ、そこははっきりさせて置きたかった。



 するとゆかりは軽く笑いながら


「ですけど、そう遠くないうちにお婿さんとるから……」


 『とるから』なんだとは話を続けなかった。が、その言葉尻を即座に純一は引き取った。


「あなたみたいな綺麗な人が、そんなこと言って恋愛のひとつもしないなんて勿体無いですよ」


 目は口ほどにものを言う。若輩ながらフリーランスで培った交渉術。威圧感のない説得力。あえて表情すくなく言葉のトーンも落とし気味で、手持ちのカードを相手に預けるつもりで、おだやかに見つめる。


 


 少し無表情にも見えるところが、なんか地蔵っぽい表情でもあった。


 


 そんな顔で、ゆかりをジッと見つめてみた。


 もう一体の地蔵にとくに変化はなかった。




 ただ一人、熟成鴨ロース肉の皿に黙って手を伸ばす純一の妹だけが、白け切った顔を浮かべていた。



(実の妹がいる前で、よく女を口説く気になれるよね?このひと……)




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 店を出た3人はそろって駅まで歩いた。この兄貴の色ボケぶりに呆れながらも、妹のほうは気を使って純一とゆかりが肩を並べて歩く数歩後を黙って追った。つまりはこの3人組は二人組と、その後ろを赤の他人が一人歩いているだけのようになっていた。



 手ごたえは弱いと思いながらも純一は自分の連絡先の書いてある名刺をゆかりに手渡したりして、時に二人の両肩は触れそうに近づきつつあったそのとき。



 駅の表通りのファミレスの前でも、食事を済ませた草壁と恵の二人の姿。


 隠れ家的なさきほどの洋風居酒屋を出た純一たちも、裏路地から表通りへと出てきた。



”演奏会での失敗談”なんていう実にくだらないゆかりのエピソードを聞きながら、にこやかに語り合う純一とゆかりの二人はまるっきりデート最中の恋人同士に見えた。両者ともクラッシックコンサートに行くつもりのそれなりの服装だったりするわけで、それが余計に二人のカップル感を演出している。


 


 このまったく見知らぬ、しかしながら結構なイケメンと笑いあって肩寄せあって歩いてくるゆかりの姿を見た衝撃で、草壁の思考は飛んだ。



”ゆ、ゆかりさんこんな男と一緒に楽しげに歩いている。まさか、これ俺の知らない本命彼氏?”




 一方のゆかりも、草壁が恵が一緒にいるのを見て優しく声かけるわけもなく、敢えて彼とは目を合さずにさっさと純一と並んで通り過ぎた。



 やや遅れて、純一の妹が呆けたような顔で突っ立っている草壁の横を通り過ぎる。彼女をさきほどの関係者だとは、誰も気づかない。




(何、今のピアノ。結構いい男と二人で歩いてたけど……お兄ちゃん、さては知らないな)



 と動かない草壁の隣でお付き合いで突っ立っている恵も、歩み去るゆかりと純一を目で追いながら思うのである。なぜなら



(今度は、お兄ちゃんが地蔵になってる……)




 そして、ゆかりたちの姿が人込みに消えていったころ、やっと恵は無表情に突っ立っている草壁に声をかけた。


「先輩、私たちも行きましょうよ」



 すっかり地蔵顔の草壁が、力なく「うん」と返事をして、一歩足を踏み出したそのとき、彼はそばに転がっていた缶コーヒーに足を取られて片足上げに地面に転がり落ちた。



 思わず恵が呟いた


「あっ、お地蔵さんがこぉろんだ」




第49話 おわり

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しあわせのコード ~ a tiny fantasy ~ 高任陽一朗 @y_takatoh

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