休日

 彼女と付き合い出してから初めての週末、ショッピングモールで彼女と会った。


 会社が休みの日、彼女は午前中は家でゆっくりと過ごし、昼食は簡単な自炊で済ませて、昼過ぎから買い物に出かけるのがお決まりのコースだ。


 モール一階のエントランスホールで、小走りに近寄っていく僕の姿に気付いた彼女は、「南くん……」と一言だけ、小さく呟いた。

 そのぷるんとした唇の動きは、こちらが悶えたくなるほどに愛らしく、あたたかみさえ感じさせた。長く続いた冬も終わりが見えてきて、今日はほとんど春の陽気だ。


 彼女は平日の通勤時とは印象の異なる、肩を露出させたデザインのワンピースに身を包んでいた。淡いライトブルーが彼女のかわいらしさをいっそう引き立てている。

 膝丈のオフィススタイルと比べればスカート丈も短く、薄手のタイツを履いた太腿のシルエットが露わになっていて、なんというか……すごくいい。


「亜季……じゃなかった、木下さん。セクシーだね。君の白い肌にとってもよく似合ってるよ」


 彼女の方も、僕が好むような服装をしてくれるなんて、彼氏冥利に尽きる。


 冷たい人であってほしいとお願いされたときは耳を疑ったが、思い返してみれば、その直後に彼女は「わたしにとって一番好みのあなたでいて」と言ってくれたのだ。

 これほどの愛情表現が、ほかにあるだろうか。


 恋人を喜ばせるために相手の好むタイプに自分をつくり変えるというのは、真の愛で結ばれたカップルだからこそできる、極めて尊い営みなのかもしれない。


 そんな僕のおめでたい考えに釘を刺すように、彼女は素っ気なく言い放った。


「恋人の容姿とかファッションとか、そういうものには口を出さないものでしょう? 冷たい彼氏っていうのは」


 ほかにも言いたいことはいろいろあるように見えたけれども、彼女はそれ以上、なにも口にしなかった。

 あぁ、僕の彼女はなんと奥ゆかしいんだろう。


 僕からの褒め言葉に表立ってうれしそうにするようすは見せないが、言葉に出されなくとも彼女の気持ちはじわじわと漏れ出して、僕の中に沁み込んでくるようだ。

 あくまで自立した距離感を保とうとするその姿はいじらしくもあって、「そうだね、ごめん」とだけ、頬をゆるませながら僕は返した。


 それから僕たちは、ショッピングモール内で彼女のお気に入りの店を見て回った。


 と言ってもそこでも、女の買い物について回るようでは冷たい彼氏失格だと、彼女の申し立てが差し挟まれた。

 そのため僕は彼女が店に入るたび、店の前の廊下で手持ち無沙汰に待ちぼうけを食らうことになった。


 ショッピングに同行するのは今日が初めてだが、彼女が好む店舗はすでに全て把握している。好きな人の好きなものは、僕も無条件に大好きだ。

 心の底からそう思えることがうれしく、そんな自分が誇らしくもあって、彼女が店から出てくると、アピールするかのように聞いてみる。


「次はどの店に行く? FOWRYS LARM? それともLAJESTIC MEGON?」


「……」


 僕の完璧なエスコートに、なぜだか彼女は表情を歪めた。


 あっそうか。こんなふうに彼女の行き先に口を突っ込むのは、冷たい彼氏っぽくないな――。

 自分でそのことに気が付いて、束の間反省する。


 僕は元来、思ったことが考えるよりも先に口から出る人間なのだ。相当気を付けなければ、彼女が期待する冷たい彼氏にはなれそうもない。


 彼女は最初に「南くんも、自分の行きたい店でも見てきたら?」と言ってくれた。

 けれども、晴れて意中の人とカップルになったばかりの僕としては、彼女のそば以外に行きたい場所など、この地球上のどこにもあるはずがなかった。


 そんな僕の心中を知ってか知らずか、彼女はそれっきり僕に別行動を促してはこなかった。

 彼女の方でも僕が一緒にいることなど忘れたかのように、洋服店やアクセサリー店でのショッピングをじっくりと楽しんでいるらしかった。


 僕たちは彼女の望んだとおり、自立した大人の男女の休日を過ごしていた。


 寂しい反面、僕は、彼女にふさわしい彼氏としての務めを果たせているような気がして、まんざらでもなかった。

 店の中に入り込んでしまえば彼女の姿は見えなくなるけれど、愛しの人が楽しく充実した休日を過ごしていることを想像するだけで僕は幸せだった。


 店巡りが一通り終わると、ウニクロの肌着が入った袋を手に提げた彼女は、フードコートでチョコバナナクレープを注文した。彼女の好物だ。


 僕も、彼女の向かいの椅子に腰掛けた。

 彼女がクレープを注文している間に、セルフサービスの水をふたり分注いできて、彼女の前にひとつ置いたが、「余計なことを」とでもいうような目で一瞥いちべつしただけで、彼女が紙コップを手に取ることはなかった。


 数時間ショッピングモールを歩き回ったというのに、ブランド店はウィンドウショッピングで済ませ、低価格帯の店で必要最低限のものしか買わないのも彼女らしい。

 世の男どもからすれば、これだけ時間を費やしておいてほとんどなにも得ていないなんて、女の無駄な行動だと思われるかもしれない。けれども、僕は彼女のそういう堅実なところも良いと思っている。


 店から店へと移動している途中に、気を利かせて、買い物で増えた荷物を持つことを申し出たが、

「だから、そういう気を回さなくていいから。自分の荷物ぐらい自分で持つし」と、やはり人に頼るような弱さを、彼女は見せなかった。


 またひとつ、彼女の魅力を再確認したように思えて気を良くした僕は、この後のプランを提案した。


「今晩は木下さん、予定あいてるだろ? ちょっと奮発して、フレンチでも食べに行かない? それか、居酒屋で飾らない一杯を飲み交わす方が僕たちらしいかな? 家飲み……はさすがにちょっとまだ早い……よね……? あっ、別にその後の下心とかがあるわけじゃないからね~」


「……そんなに軽く誘うようでは、冷たい彼氏って言えないと思う。悪いけど、友達との先約があるから」


 彼女はそう言い残して、クレープの包装紙を手近なゴミ箱に押し込むと、せわしなく帰って行った。

 まだ夕方だというのに、友達との約束の時間が迫っているのだろうか。


 彼女は今晩、なんの予定も入っていないはずだったんだけどなあ。やっぱり、下心が透けていたかなあ。

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