亜季と南の交際
「ねえ南くん、ひとつお願いがあるの」
それを聞いた僕は「えっ、なにかな? 僕にできることならなんでもするよ」と食い込み気味に答えた。
幾度となくアプローチをし続けて、ようやく僕からの交際の申し出を受け入れてくれた彼女。
クールで少し冷たいようにも思えるけれど、自分をしっかり持っているところに僕は惹かれた。
これまでの人生で、こんなに人を好きになったことなんてなかった。
彼女の望むことはなんだって叶えてあげたい。いや、叶えてやる。僕はそう心に決めていた。
実際、ここに漕ぎつけるまでに僕は何度も食い下がった。
僕の一目惚れから始まって、最初は話しかけても取り付く島もなかった彼女を懸命に口説き落とし、「付き合ってください」を繰り出しては「ごめんなさい」と一蹴されてきた。
彼女とすぐにでも付き合えると思っていた僕の焦燥感は、日に日に大きくなった。その動揺は彼女にも伝わっていたと思う。
おかしい。僕は彼女のことならなんでも知っているはずなのに。
きれい好きの彼女のために、今までおろそかになっていた身なりを整えた。彼女がひそかに応援しているらしい俳優を真似て、髪型まで変えたのだ。
この日も僕は懲りることなく、帰路につく彼女に一方的に話しかけ続けた。
そんな僕のことなどお構いなしに、彼女は前へ前へと突き進んでいく。
どうにも我慢しきれなくなった僕は、その後姿に向けて、日々考え続けてきた心からの疑問を投げかけた。
「僕のどこが駄目かな? 服装? それとも、髪型? なんでも君の好きなスタイルに変えるよ。なんだったら、顔だって整形してもいい」
僕の問いに対して、彼女が答えてくれるとは思っていなかった。
一方通行の会話だろうと無視されようと、僕は今、彼女に話しかけている。彼女と関わりを持っている。その事実に縋ろうとする一心だった。
けれども、その言葉を聞いて、初めて彼女の足が止まった。
彼女は深く吸い溜めた息を一気に吐き出して、それからこちらに背を向けたままで言った。
「わかった。そこまで言うのなら、彼女になってあげる」
「まじで? よっしゃあ! ありがとう!」
もうこのままのやり方じゃ望み薄だと諦めかけていたが、そんな絶望も一挙に吹っ飛んだ。ついに、彼女と付き合うという夢が叶ったのだ。
ふたたび歩き始めた彼女がさっきよりも少しペースを落としたので、僕は彼女の横に並んで、今しがた成就したばかりの恋の相手の横顔を見つめた。
鏡を見なくとも自分の顔がにやついているに違いないとわかる僕とは対照的に、彼女は笑顔のひとつも浮かべていなかった。
もしかして、新しい彼氏を前に緊張しているのだろうか。
どうやってこの場を和ませればいいのか頭を悩ませ始めた僕に、彼女は「ひとつお願いがある」と切り出し、その奇妙な望みを打ち明けた。
「あなたはわたしに対して、常に冷たい人であってほしいの」
「冷たい人?」
「そう、冷たい人。いちいち彼女の顔色をうかがうような、女々しいことは絶対にしないで。できるかぎりわたしに対して興味を持たず、馴れ合い過ぎない関係でいてほしい。わたしも、南くんがやることに干渉しないようにするから」
「えっ、でもそれって……」
それって、付き合っていることになるんだろうか。互いに興味を持たず、干渉し合わない男女は、カップルではなくてただの他人どうしなんじゃないか。
彼女の言葉を呑み込み切れないがゆえの戸惑いが、僕の胸の内で渦巻いた。
「南くん、わたしのこと好きって言ったよね?」
「もちろんだよ! 君は、僕が今まで出会ったほかのだれよりも魅力的だ。僕は君のためなら、なんだってできる」
「ありがとう。それなら、わたしにとって一番好みのあなたでいてくれるよね?」
僕の恋心を逆手に取ったような彼女の一言に
混迷を極める頭で反射的に思い出したのは、彼女が以前、ツイッターに書き込んでいた主張だった。
『今の時代、男も女も自立していなければ駄目だと思う。パートナーに何かをやってもらおう、助けてもらおうなんて考え、私は気に入らない。自分の人生ぐらい、自分で舵取りするべき。私はそうやって生きてきたし、現段階では恋人という存在を必要としていない。今後、結婚したとしても、家庭には入らない』
そのツイートを読んだ当初は、率直に言ってがっかりしたものだった。僕が想いを寄せる人は、恋人など不要だというのだ。
けれども、時間を置くにつれて、だれかに寄りかかろうとしない彼女の、ひた向きでたくましいところが好ましく思えてきた。
ある意味で僕は今、彼女に試されているのかもしれない。
彼女がこれまで大切にしてきた譲ることのできない人生の信条に、彼氏となった僕が寄り添うことができるのかどうかを。
それでなくとも、「なんでも君の好きなスタイルに変える」「君のためならなんだってできる」などと、僕は言ってしまったのだ。
しかし、これはチャンスでもあった。その口約束を実現することは、僕の誠実さと本気度、そして愛を証明することにつながるかもしれない。
「南くんが交際を求めてくる熱意に、わたしも少し譲歩することにしたよ。だから南くんも、冷たい彼氏になってほしい、というわたしの希望を尊重してくれないかな」
「わかったよ……亜季がそこまで言うのなら……」
「待って。冷たくドライな間柄なんだから、そんなふうに気やすく呼ばないで」
「ごめん。亜季ちゃんが言うなら」
「わたしの苗字知らなかったっけ? 木下亜季といいます」
「いや、知ってるよ。木下さん」
「うん、これからもよろしくね。南くん」
こうして僕は「冷たい彼氏」への第一歩を踏み出したが、ことはそう簡単ではなかった。
なにしろ僕は彼女のことが好きで好きで、付き合うことにしたのだ。
彼女が髪型を変えたり、新しい服を着ていたりしたら一番に褒めてあげたいし、落ち込んでいたらそっと寄り添って、仕事の愚痴のひとつでも聞いてあげたくなる。
けれども彼女は、そんな僕のコミュニケーションをことごとく不要だと言って払いのけようとするのだった。
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