冷たい彼の手懐け方

布原夏芽

真理奈の見た南

 彼のことは、そういう性格の人なのだと思っていた。

 なにを言っても眉ひとつ動かさず、生返事だけをよこしてくる。根本的に他人には興味がないのだろう。


 たまたま彼の運命に組み込まれた私がどのような行動を取ろうと、彼にとってはどうでもよいのかもしれない。

 今の彼の立場に成り代わって考えてみれば、その行動原理は十分に頷けた。


 自慢じゃないけど私は、初めて会った人間の性質を概観するのが得意だ。顔を突き合わせて、何往復かの言葉を交わせば、だいたいの人はその人となりを勝手に開帳してくれるものだ。

 今の職に就いてから、この能力によりいっそう磨きがかかったと自負している。


 だけど今回、当初の私がとらえた彼の人間像は、彼が過去にやってきたこと、送ってきた日々を知るにつれて、大きく揺らいでいくことになる。


「真理奈さん、僕はこれからどんな僕でいたらいいかな? 遠慮なく言ってほしい。そのとおりに振る舞うから」


 最初はまったく会話の成り立たなかった彼が、あるときを境に心を開いた。

 彼があまりにも自分の人生に向き合おうとしないもんだから、しびれを切らして「とりあえず私に付き合って」と言ってしまってからだ。


 私のことを下の名前で呼んできたところから考えると、どうも彼は「私付き合って」と言われたものと勘違いしているようだ。

 その誤解は追々解いていくとして、彼の言葉は私を当惑させるに十分だった。


「え? どういうことですか?」


 彼は私の喉から出された場違いに甲高い声がさも心外だとでもいうように、黙って視線を床に落とした。

 この人、こんなふうに他人から言われたことに反応するタイプだったっけ。


「ごめん、君は彼女とは別の人間だよね。彼女と別れたばかりだったからさ、取り違えてしまったよ」


 唐突に差し挟まれた「彼女と別れた」というフレーズが、彼の精神状態の乱れを雄弁に語っていた。


 核心へとつながる扉が目の前に開かれているのを、私は強く意識した。

 あせりは禁物だ。順を追って事実関係を確認しなければならない。まず取っ掛かりとして聞くべきことは……。


「『どんな僕でいたらいいか』というのは、どういう意味ですか?」


「そのままの意味だよ。僕が君の恋人になるからには、君にとってもっとも最適な挙動をするべきだろう。それが一緒に過ごす人への最低限の礼儀だと、僕は……」


 やはり混乱した彼の精神のうちでは、私は彼の恋人ということになっているらしかった。


 というか、そんなことを考えて生きてきたのか、この人は。

 事前に聞いていた情報では自己愛と身勝手さばかりが際立っていたが、単に人生が不器用な人なのではないかと思えてくる。


「……身をもって知った」


「えっ?」


「だから、一緒に過ごす人が望むように振る舞うことが、その人への最低限の礼儀だって、僕は自分の身をもって知ったんだよ」


 どうやら、彼が固執しているこの信条こそが、この人のほの暗い過去を解き明かす鍵のようだ。

 思えば、この頑なさが、私が初めて垣間見た彼という人間の本質だったのかもしれない。


「南さん、あなたは『どんなあなた』でいることを、要求されたのでしょうか。なにがあったのか、話してくれますね?」 


 私が話の続きを促すと、彼は今までの支離滅裂さが嘘のように、滔々とうとうと語り始めた。

 彼が彼女に出会って、付き合うことになり、そして起きたことを。

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