たとえ名もない花だとしても

桐生イツ

たとえ名もない花だとしても

 その年の卒業生で東京の声優事務所に入ったのは、あたしとカナコだけだった。

 クラスメイトの中でもカナコは群を抜いて演技が上手かった。キャラクターを何役も演じ分けて、しかも一人でキャラクター同士の会話までこなしてしまう。目をつぶって聴いていると、とても同一人物が演じているとは思えなくて感心したものだ。

 ただ、あたしとはそんなに親しかったわけではない。

 もちろんクラスメイトだから会話くらいはしたが二人っきりでどこかに遊びに行ったりしたことはなかった。授業で組を作るときでも一緒になったことはない。

 別に嫌っていた訳ではないのだが、ピンクのスカートが似合う女の子らしいカナコと、年中ジャージで通すあたしとでは並んだ絵面からしてそぐわない。そう思って学校にいる2年間、深くつきあうことはなかった。

 だから、カナコが東京で一緒に暮らそうと言ってきたときは意外だった。

「だって、同じ事務所に入るんだし。お金のことだって、その方が助かるじゃない?ね?」

 言い分は筋が通っている。事務所としても何かと都合がいいだろうし、東京の生活費は二十歳の女子一人のアルバイト代でまかなえるほど安いものではない。ただまさか彼女があたしとの共同生活を考えているとは思っていなかったので戸惑った。

「あたしはその方が助かるけど。知り合いもいないし…でも、カナコはそれでいいの?」

「もちろんだよ。ミサオちゃんと一緒だったらあたしも頑張れると思う」

 カナコは笑顔で言った。こうしてあたしたちの二人暮らしは始まった。


 東京での暮らしは思っていた以上に厳しかった。

 事務所に所属できたとはいえ一年目の新人にそうそう役が回ってくるはずもなく、バイトとレッスンを繰り返す日々が続いた。

 レッスンとはいうものの、実質は稽古や練習という意味ではない。ブームが大きくなるにつれ求められるハードルは高くなる。スタッフも見学に来る制作会社の大人も、みな即戦力を求めていた。毎日がオーディションのようなものだった。失敗や個性のなさは悪印象として記憶されてしまう。そして一度マイナスのイメージを持たれたら、振り向いてもらえることはほぼない。半人前には座る席どころか立つ場所さえない世界。プレッシャーに耐えられず、せっかく入れた事務所を辞めていく新人は、毎年何人もいた。

 あたしとカナコもその洗礼を受けた。

 あたしはキャラクターの弱さを指摘され何度も叱られた。

「人と同じことをしてどうする」

「誰かの真似を目指すな」

 学校ではうまく読めればほめられた。だが現場に立つとそれだけでは通用しない。

 オリジナリティとはなんだろうという疑問に深夜のバイト中も悩まされて、夏が過ぎる頃には5キロも痩せていた。

 カナコも苦労しているようだった。

 彼女はあたしと違って早朝からのバイトを選んだ。夜は眠らないと肌が荒れるというのが理由だったが、プロの厳しさはそんな配慮にも無頓着にカナコの肌と心とを痛めつけた。

 学校で抜きんでていると思った彼女の演技力も、プロの世界で目立つほどのものではなかった。所属した年度がひとつ上なだけでカナコ以上にキャラクターを演じ分けられる人が何人もいる。しかもそういう先輩たちですら大して注目されているわけではなかった。

 カナコは器用にはこなすのだが深い洞察力が足らず、その点をよく指摘された。叱られた夜は二人でグチりあった。カナコが叱られるときには、たいていそれ以上にあたしも叱られていたからである。

「ミサオちゃんはいいよね。長い文章でもすらすら読めてさ」

「でも棒読みっぽいってよく注意される。注意されたらすぐパニくってトチっちゃうし。カナコの演技力がうらやましいよ」

「えー、ナレーションできる方が絶対いいよ」

 共同生活の初めのころはそうやってお互いを慰め合っていた。余裕があったというよりもまだ危機感を感じていなかったのだろう。しかし、冬になり貯金が底をつきだしたころには、もう二人とも相手のグチがイラつきだしていた。

「勢いだけになってるのよ。言葉の意味をもっと理解しなきゃ」

「棒読み聞かされたって面白くも何ともないじゃない。結局ミサオはさ、カッコつけてんのよ。失敗しないようにって変な力が入ってる。周りを意識しすぎなの」

「…それはカナコの方でしょ。いつも見学に来てる人たちにアピールしてるよね」

「それの何が悪いの?将来あの人たちと仕事するんだから、アピールするのって当たり前じゃない」

「そっちばっかりに気を取られてるって言ってんの。ウケばっかり考えてるから何かの真似になっちゃうのよ。オリジナルがないじゃない」

「偉そうなこと言わないでよ。じゃミサオのオリジナルって何?一生懸命やってますってだけ?甘いわよ。キレイごとじゃないそんなの」

「一生懸命やらないでどうするの?センスだけでやっていけると思ってるんならうぬぼれだわ」

 グチはお互いの欠点の言い合いに発展し、最後にはただの八つ当たりになった。それをわかっていながらもあたしたちは日頃のうっぷんをここぞとばかりにぶつけあっていた。朝が来るまで言い争ってカナコが怒ったままバイトにでかけることもよくあった。そんなときあたしは、読みかけの原稿もほったらかしてベッドにもぐりこみ、カナコと自分の情けなさをののしりながら目をつぶるのだった。

 

 上京して一年が少し過ぎた頃、カナコがデビューした。

 マイナーなゲームのキャラクターボイスで、予算がないため一人で何役もやらなくてはならなかったらしい。ギャランティーが割に合わないと、デスクがボヤいていた。

 ところがそのゲームが意外なヒットとなり、同時にカナコの演じ分けが話題となって、ちらほらと仕事が舞い込みだした。

 カナコはバイトを辞め、仕事がない日でもマネージャーに連れられてスタジオへ挨拶回りに行くようになった。

 それから半年ほど経ってようやく、あたしも初めて仕事をもらった。

 それはキャラクター物ではなく企業向けのナレーションで、専門用語がたくさん並んだかなり読みにくい原稿だった。バイトを休んでアクセントや単語の意味を調べ、前日は眠らないで練習していったが、結果は何度もリテイクを出した挙句、ようよう妥協のOKが出るというていたらく。スタジオの中では練習したことをすべて忘れてしまっていた。「まあ、新人さんだからね」とプロデューサーがこぼすのを耳にした。

 帰りの駅でマネージャーに叱られ、悔しくてみっともなくて涙がこぼれた。それがさらに情けなくなって、一人トイレにかけこみメイクが落ちるのも構わず顔を洗った。

 自分のミスが次々と思いだされる。専門用語の羅列に気をとられて、かまないようにしようとするあまり声をうまく扱えていなかった。デビュー戦を華やかに飾りたいと余計な力が入ってぎくしゃくしていた。

 カナコに言われたとおりだ。あたしはカッコつけていたのだ。仕事をするためでなくカッコつけるためにスタジオに行ったようなものだった。

 同じデビューでもカナコとはまるで違う。それが悔しかった。 

 このままでは終われない。

 あたしは改札を出るともう一度スタジオに引き返した。怖くはあったがそれよりも、ここでけじめをつけておかないとどこにも進めなくなりそうだという危機感がまさった。

 若い男性のディレクターが一人だけ残っていた。あたしが謝りに来たと言うと、新人が一人でそんなことするなんて珍しいと言って笑った。それであたしは少し心が軽くなった。

 その人はアズマさんといった。

 アズマさんはあたしのさっきの読みを覚えてくれていた。スタジオの隅で原稿を前に、自分の感じたあたしの短所と長所を説明してくれた。またそのほかにも現場での心構え、原稿を読む際の注意点など、色んなことを教えてくれた。自分で思っていたよりスタッフの受けは悪くなかったと聞いたときには、情けないけど救われたような気がしてまた泣きそうになった。奥歯を必死で噛みしめてこらえた。女子としてありえない顔だったが、アズマさんは原稿に目を落としたまま気づかないフリをしてくれた。

 それが縁であたしはたびたびアズマさんと会うようになった。スタジオで原稿の練習につきあってもらうこともあれば、喫茶店で他愛ない話をすることもあった。

心が穏やかになったせいか、単に慣れただけなのか、録音に挑む際の緊張感も少しずつほどけていった。アズマさんとの練習で感じたことを本番で試してみる余裕もできた。ポツポツと、短い原稿ではあるものの名指しの仕事が舞い込むこともあった。

自分の成長を感じることができてあたしは嬉しかった。充実していた。

 練習終わりでアズマさんとおしゃべりする時間に、上京以来初めて、あたしは楽しさを覚えていた。


 その年のクリスマス・イブ、あたしは生まれて初めて男の人へのプレゼントを買った。

 小さなオルゴール。子どもっぽいと思われないか不安だったが、無理に大人びた品物を選んで失敗するよりはいいと自分に言い聞かせたのだ。

 アズマさんに連絡すると仕事終わりなら時間が取れるという。さりげない風をよそおって誘い出した。もちろんプレゼントのことは黙ったままだ。

 待ち合わせた駅前は大勢の人でにぎわっていた。少し離れた小さな広場でベンチに腰掛けて待っていると、周りの人たちに聞こえるんじゃないかと思えるくらい胸がドキドキ鳴っていた。

 辺りが薄暗くなった頃、改札を抜けてくるアズマさんを見つけた。向こうはまだこちらに気づいていないらしくキョロキョロと周囲を見まわしている。声をかけようとすると、ふとアズマさんが何かに気づいたように手を振った。あたしとは別の方角に向かって。

 その先を目で追った。女の子がいた。カールした髪がふわりと風に舞う。ピンクのスカートに見覚えがあった。

「カナコ…?」

 自分の目が信じられなかった。そこにいたのはカナコだった。

 随分長いこと見つめていたように思うが、実際は数秒に過ぎなかったのだろう。しかしその間、体は岩のように固まり、身じろぎひとつも、視線さえ動かすことができなかった。アズマさんに手を振り返していたカナコがその視線に気づいた。あたしを見て驚いたように目を見開く。

「ミサオ…?まさか、約束の相手って…」

 アズマさんがカナコの名を呼んだ。下の名前を呼び捨てで。それを聞いた途端、体から急激に力が抜けていった。手からプレゼントの袋が滑り落ちた。中でオルゴールが流行りのラブソングを奏でだした。


 日付けが変わってからカナコは帰ってきた。

 あたしはベッドにもぐりこんだまま動かなかった。カナコも何も言わず、しばらくすると電気が消えて真っ暗になった。

 ちっとも眠れる気がしなかった。何かいろんな考えがぐるぐる頭の中を巡っていたが、結局何を考えているのか自分でもよくわからなかった。

「…ごめん」

 カナコがささやいた。

「知らなかった。ミサオがアズマさんと知り合いだったなんて。友だちがいるから一緒にご飯食べようって言われて…」

「…つきあってんの?」

「…うん」

「いつから?」

「3ヶ月くらい前から」

 あたしがアズマさんと出会った頃だ。

「ミサオは…好きなの?アズマさんのこと」

「…わかんない。でも、たぶんそうだったような気がする」

「そう」

 言葉にするととたんに切なくなった。でもみじめにはなりたくなかったので精一杯涙だけはこらえた。

「…あたし、部屋出るね」

 カナコが言った。

「…うん」

 そうなるような予感はしていた。悲しくはなかった。ここが二人の限界なのだという気がした。カナコは部屋を出てどこに住むのだろう。もしかしてアズマさんと一緒に暮らすのだろうかとも思ったが聞けなかった。

「ごめんね、ミサオ」

「謝ることなんかない」

「うん…。でも…ごめん」

「謝んないでよ…謝られたらもっとみじめになるのがわかんないの?」

 あっさりとあたしは泣き出してしまった。みっともないと思ったが止められなかった。一度泣き出すと際限なく涙が流れた。

「あんたのことなんか一度だって好きじゃなかった。自分勝手でわがままで、人の気持ちなんか全然考えないくせに。あたしがあんたの笑顔をどんな気持ちで見ていたか知ってるの?あたしのほしいものは全部持ってって。なんなの?なんであたしと一緒にいたのよ?あたしはあんたの何だったの?」

 せきを切ったように言葉がほとばしった。自分がこんな風に考えていたなんて自分でも知らなかった。勝手に口が動いてあたしじゃない誰かがしゃべっているようだった。カナコがどんな顔をしていたのかは暗くてわからなかった。

 長い沈黙が続いた。夜だけがしんしんと濃くなっていった。このまま朝なんて来ないんじゃないかと思えるくらいだった。やがて、カナコがこう言った。

「…あたしは、ミサオのこと、親友だなんて思ってなかったよ」

 何かを断ち切るような声だった。二人の道を分かつための言葉に聞こえた。

「…わかってるわよ、そんなこと」

 これ以上言い返す気力はなかった。とにかく早く一人になりたかった。

 カナコは朝になると荷造りを始め、年が変わる前に出て行った。


 それから数年が経った。あたしは相変わらずナレーションの仕事をつづけていた。

 カナコとは一度も会っていない。連絡もなかった。アズマさんとはあれからすぐに別れたらしいと聞いた。

 彼女は事務所を移籍し、しばらくは有望な新人として注目されていたが、いつのまにか名前を聞かなくなった。

 それでもあたしは常にカナコの影を意識していた。

 ナレーションをしながら緊張してくると、自然とカナコの声が思い出されて力を抜くことができる。たまにキャラクター物の仕事があるときでも、カナコならどう演じるだろうと考えてやるとたいていうまくいった。

 派手で大きな仕事は一度もなかったが、それでもあたしの読み方を気に入ってくれて仕事を回してくれるスタジオがいくつかできた。そういう人たちが褒めてくれるのは、決まってカナコがあたしに指摘していた部分なのだった。情けないことに、あたしはカナコがいなくなって初めてカナコの存在の大きさに気づくことになった。

 秋が深まりかけたある日、仕事先のスタジオでカナコの話題を耳にした。

 そのスタジオに何度かカナコと仕事をしたスタッフがいて、その人によると、なんとカナコはもう声の仕事を辞めたという。事務所との折り合いや体調不良などが重なって、最近は仕事がまったくできない状態だったらしい。驚くあたしに、その人はカナコからのメールを見せてくれた。今までのお礼のあと東京を離れることにしたと書いてあった。あたしは目を見張った。メールに書かれた出立の日は、今日だった。

 あたしは急いでタクシーに乗った。

 駅に着くと次の新幹線まではまだ少し間があった。待合室をのぞいてみたが見つからない。もしかしたらという気持ちでホームに上がった。

 ホームの真ん中あたりにベンチがあって、そこに見覚えのあるピンクのスカートが座っていた。あたしは迷わず駆け寄った。

「カナコ」

「…ミサオ?どうしてここに?」

 久しぶりに見るカナコは随分やつれていた。カールを巻いていた髪もショートになって、もうふわふわと踊ることはなかった。

 あたしは偶然知ったことを説明した。

「そうなんだ。運命なのかもね。始まりと終わりの両方がミサオと一緒だなんて」

 そういってカナコは嬉しそうに笑った。

「帰るってほんとなの?もうこっちには戻ってこないの?」

「ん。ちょっと疲れちゃったしね。この辺が潮時かなって」

「あたし、あんたがこの仕事辞めてたなんて全然知らなかった…なんで教えてくれなかったのよ?」

「教えてどうなるの?助けてって言えばよかった?」

「そりゃ…でも、だって…」

「変わんないね、ミサオは。よく聞くわよ、あんたの声。あの生命保険のCM、あれあんたでしょ?すごいよかった」

「あ、ありがと」

「昔より自然な感じの読み方で、言葉を届けようって想いがすごく伝わるの。あの声聞くとすごく安心する」

「カナコ、どうして連絡くれなかったの?そりゃあたしの方だって同じだけど、でも…こんなことになるまで」

 カナコはしばらく黙ってあたしの目を見つめていた。雪の結晶のようにきれいな瞳だった。あたしはなぜかたじろいでしまった。

「…あたしね、ミサオにだけは甘えたくなかったの」

「ど、どうして?」

 あたしの問いに、カナコは少しだけ考えるような表情をして言った。

「あたしたち親友じゃないもの」

「そ、それは…それはあのときはあたしも怒ってたけど、でもそこまで…」

「違うの。そういう意味じゃないの」

 アナウンスが流れた。列車が近づいてくる。

「これに乗るわ。ありがとう、来てくれて。最後に会えて嬉しかった」

「カナコ」

「ミサオ、厳しい世界だけどね、あんたなら頑張れると思う。あたしとは違うから」

「カナコ…」

「最初、一緒にいてくれて嬉しかった。辛いときに当たったり、グチを言い合ったり…ふふ、今考えたらバカみたいだったけど、全部あたしにとって大切な時間だった。ねえ、知らなかったでしょ、あたし、ずっとあんたのことが好きだったんだよ」

「え…だって…」

「ミサオは違ったもんね。あんたは一度もあたしの方を向いてくれなかった。ずっと自分の行く道ばかり見つめてた。でも…それでよかったの。そういうあんたがとても好きだったから」

「そ、そんなの…そんなのあたしちっとも…言ってくれれば」

 あたしの言葉をさえぎってカナコは首を振った。

「言葉でつくろってどんな意味があるの?あんたは…あたしたちはプロなのよ。心のない言葉で話すべきじゃない」

あたしたち、とカナコは言った。雪の瞳が少し微笑んだように見えた。

「だからあたしはね、親友にはなれなくてもせめて戦友でいようと思ったの。同じ場所で同じ夢を見つめながら一緒に戦おうって。助け合うことはできなくても、いることだけで支えになるような。ミサオにとってそういう存在でいようと思ったの。そう思うことで頑張れたの。…一人じゃ無理だったよ、ミサオ。あんたがいてくれたからなのよ」

 あたしはしきりに首を振った。思いはこみあげてくるのに言葉が出てこない。何も気づいていなかったのはあたしの方だ。必要としていたのはあたしの方だった。

 いつの間にか列車が到着していた。ホームの乗客たちが次々乗り込んでいく。カナコもその列に続いた。

「ねえ」

 カナコが扉の前で振り返った。

「どんなに小さな花でも生きてるじゃない。あたしたちのことを世界の誰も知らなくったって構わないと思わない?だってあたしたちが知ってるもんね。ずっと覚えてるもんね」

 カナコの目から涙があふれていた。驚かなかったのはあたしの方がとっくに泣いていたからだ。

「カナコ、あたし…」

「がんばれ、ミサオ!負けるな!」 

 チャイムが鳴ってドアが閉まる。カナコは涙を流したまま変な顔で笑っていた。

「カナコ!あたしもそうだった。あたしだってあんたがいなかったらここにこうしていなかった!あたしたちは戦友だったよ。間違いなく一緒に戦っていたよ!」

 ようやく絞り出した声が聞こえたかどうかわからない。ただ最後に、カナコは何度もうなずいていた。

 列車が見えなくなってもしばらくあたしはその場に立ちつくしていた。

 

 あたしたちは花だ。誰も見向きもしない小さな花だ。強く風が吹けばたやすく散ってしまうかもしれない。

 それでも精一杯咲こうとするのだ。笑われても傷ついても咲くことをあきらめない、そんな花だ。

 いつか散る日は来るのだろう。それまでに一瞬でも咲くことができたなら。    

 あたしはその美しさを誇るだろう。

 あなたのその強さを称えるだろう。


 たとえ名もない花だとしても。

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