最終話 愛情の伝え方

 私の質問に、悪魔は「知らない」と言った。

 契約でもしないと教えてくれないと思ったけれど、それ以前に知らない、と――。

 まあ、悪魔は万能、ってわけでもないしね。


「……地道に足で稼ぐしかないわけか……」



「ドロシー・ワークだね?」

「はい?」


 振り向くと、そこには小柄な少女がいた。


「早速だけど、死んでくれる?」


 言って駆けてくるが、手にはなにもない。拳を握り締めているだけだ。

 それで私を殺すつもり? 無理でしょ、ナイフでも持っているなら別だけど……、正体が魔女でもなければ――いや待て、彼女の容姿は、既視感がある。


 赤毛をベースに、毛先が黒くなっている。……私の逆だ。黒髪をベースに毛先を赤くしている私によく似ていた。

 姿は私とそのまま同じ……、写真でも見て真似たファンという気もするけど、そういうレベルではない気がする……。

 白いブラウスに赤いリボン、短めの黒いスカートに同色のタイツ……、そして魔女の帽子(これは魔女の世界のものではなく、人間界にある商品だろう)を被っている……。

 まるで幼い頃の私だった。


 そう言えば、昔は肩で揃えた短髪だったなあ、と考えていると、もう目前まで迫っていた。


 拳を受け止めず、斜めに逸らすことで流す。勢い余って転んだ少女が地面を転がった。


「ッ、避けるな! 先手必勝で迎撃しろよ!」


「……いや、まだあなたを敵と判断していないし……」


 だから三秒のシンキングタイムも発動していない。

 そもそも、私を殺す気がないあなたの生死を、選ぶわけないでしょ。


「あなた、なんなのよ……」

「トト・ブランク! あんたの娘よ!!」


「は……? 妹とか、姪じゃなくて……?」


 近親者が多い赤のジャンルの家系のどこかの子かと思ったけど……私、ですって……?


「え、父親は、誰……?」

「白髪の老人」


「してねえわ!!」


 私からすれば全然子供とは言え、さすがに白髪の老人と子供を作りたいとは思わないって!


「じゃあ、あっちの若い男……?」

「選択肢が多過ぎる……」


「あんたの遺伝子から作られたって、博士? が、言ってた」

「博士……? ああ、なるほど、あの二人か――」


 魔女を研究……、している科学者か。

 私に接触してきて開口一番、遺伝子が欲しいと言ってきた時は燃やしてやろうかと思ったけど、呪いのことが分かるなら、と調査を任せたのだった。

 結局、あれから数十年、音沙汰がなく、連絡を取っていないから実験に失敗でもして死んだのかと思っていたけど……、え、じゃあ成功したの?


 私の遺伝子で生まれたのが、この子……?


「娘……?」

「だからそう言ったじゃん」

「娘!?」


 思わず抱きしめそうになってしまったけど、考えてみればじゃあ最初の一言は、この子の苦悩をこれでもかと表現している。早速だけど死んでくれる? 

 ――彼女はあの科学者二人に、どれだけ酷い扱いをされていたのだろう……。


 どうして生まれたのだろう……、——私が遺伝子を提供したからだ。

 私さえいなければ、この子は生まれることがなかった。苦痛を受けることもなかった。別の体にその魂が入り、平穏な生活をし、幸せな毎日を送れたかもしれない。母親は私なんかじゃない……、たくさんの愛情をくれる、立派な母親に会えたかもしれないのに……。


「あんたのせいよ」


 彼女が取り出したのは刃こぼれしたナイフだった。道中で拾ったのだろうか、古くから放置されていたものだろう……、だけど充分、殺傷能力はあるはずだ。


「あんたが協力しなければ、わたしは生まれなかったのにッ!」

「…………うん」

「だから殺してやる……これは、復讐なんだからっっ!」


 再び、駆け出してくる少女――私の娘……トト。


 古く、ぼろぼろで、刃こぼれしているナイフを持ち、私に飛びかかってきた。

 明確に敵であると私は認識している……本能的に。

 だから、そうだ、時計の針が進む……三秒だ。


「……いらないわよ」


 三秒も。一秒さえも、一瞬だっていらない。


 だって。


 ――だって。


「娘を殺す親が、どこにいるの?」




 赤のジャンルの魔女たち――つまり私の家系だけど。

 近親者が多く、基本的には不仲に近い他人行儀な家族だった。直系の親子でさえ、会話はそうそうない。子であろうと姪であろうと、全てがフラットに対応される。

 ……それでも愛情表現の仕方はある。分かりやすく頭を撫でたり褒めたりはしないけど、我が子を生かすために命を懸けるところは、幼かった私でも母親の愛情を理解できた。


 私を庇い、死んでいった母親――。


 胸に大穴を開けても、最後の一言、褒めても、愛してるとも言ってくれなかったけど。


 それでも、命を捨ててまで私を助けてくれたことが、他の近親者とは違う『特別』だったのだと自覚することができた。


 だから、私にはこれしか愛情表現の仕方が分からない。外の世界に出て褒めたり愛を口に出したりする文化があることを知ったけど、言われたことがない私は、それがしっかりと伝わる愛情表現であるとは判断できなかった。

 だから結局、元に戻るのだ。


 教わったことを教える。我が子に。

 これが一番、私が感じた、愛情だったから――。



 どすん、という振動がきた。

 ナイフで肉を抉られた……わけではない。


 彼女……トトが、私のお腹に額をぶつけた振動だったのだ……。


「撫でて、よ……」

「え……?」


「頭っ、撫でてよ! 愛してるって、言ってよ! 言ってくれなくちゃ、分からないっ! わたしは、そういう愛情が欲しかっただけなのにっっ!!」


「トト……」


「復讐するだなんて、死んでほしいって言ってごめんなさい……っ、わたしは、敵意でもいいから、構ってほしかった……っ!」


 年齢や体格こそ、私とそう差はないけれど、やっぱり中身はまだ、小さな子供だ。


 母親に抱き着いて泣きじゃくるほどには、まだ幼いのだ。


「撫でることで、私の愛情は、伝わるの……?」

「伝わるよ……だって心が、ぽかぽかしてるから」


「そ、っか……」


 私には分からない感情だった……。

 でも、じゃあ心の中のこの温かさは、この子から貰っているものなのだろうか――。


「与えることで充実することもあると思うの」


 確かにそれは、私には分からないことだった。


「……トト、ごめんね。私のせいで、つらい思いをさせて――」

「ほんとにね」


 え、あれ!? そこはいいよって言う流れじゃないの!?


「でも、いいの。こうして生まれたことで、お母さんを助けられるから」

「助ける?」


「うん。わたしは後手必殺の呪いを受け継いでる。お母さんが迷って、先手必勝が使えなくなっても、あとはわたしの後手必殺で、お母さんを助ける――」


「娘に人殺しなんかさせられない」

「じゃあ迷わないでね」


 厳しい指摘だった。

 子供に人殺しをさせないためには、私が殺すしかない、と――。

 先手必勝の三秒間で、善悪を見抜き、殺すか生かすかを判断しろ……、でも、一人でいる時よりも、気分は楽になったかもしれない。


 子のためであれば、親はどんな悪魔にだってなれる。



 先手必勝と後手必殺――。


 二人が揃えば、もう、敵なんていない。

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先手必勝! ドロシー・ワーク 渡貫とゐち @josho

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