第七話 それはまるで星のようで

 に戻るため、寿樹と二人で非常階段を上りながら、ふと気になった事を口にする。


「なあ、寿樹コトホギ

「何だい?」


 寿樹は階段を上りながら、振り返らずに聞いた。


「さっきの推測、もし間違ってたら?」

「ん、その時はその時。また考え直しよ」

「…………」

「心配しなくても、一つ一つ調べるような事はしないよ」


 寿樹が明るい口調で言った。


「ならいいけど……。あー、あとさ、」

「何?」

「その、手、さ。さっきから繋いでるんだけど……私のを、寿樹が」

「えっ?」


 寿樹が振り向き、手がある方を見る。

 私と寿樹は手を繋いでいた。正確には、寿樹から手を繋いできたのだが、彼女の表情を見る限り意識の外側にある事象だったらしく、


「あっごめん、つい!」


 そう言って、慌てて振り払うように手を離してきた。


「……あの、嫌だった?」

「いや、嫌では、ないけどさ。何で急に?」

「え……ん……んー……昔の癖?」

「何じゃそりゃ」


 歯に何かが挟まったような返答に、私は小首を傾げた。


「覚えてないか……」

「え?」

「あいや、何でも。ほら、いつの間にか連れ去られてた、みたいな事があったら嫌だし」

「あー……それは、怖いな」

「でしょ? ……ど、どうする? もっかい繋ぐ?」

「……じゃあ」

「うん」


 寿樹が差し伸べてくれた手を、私はもう一度繋いだ。


「あ、手、振り払っちゃってごめんね」

「いや、謝る事じゃないって」


 私がそう言うと、寿樹は意外そうな表情になって、


「それもそっか」


 苦笑しながら、小さく首を傾げた。

 それからは何事もなく、目的の四階に辿り着いた。

 私はふと不安になり、何度も周囲を見渡して、


「……さっきみたいな化け物、出てこないな。あれっきりだったのかな」


小声で呟いたのだが、寿樹には聞こえていたようで、


「いや、いるよ。あちこちに」


 そんな答えが返ってきた。


「え?」

「ほら、そこ」


 寿樹が懐中電灯で通路の隅を照らす。

 そこには、大型のハムスター程の大きさの黒い塊がいて、光を浴びて蠢いていた。


「…………」

「な? いたろ?」


 〝影を圧縮した澱み〟とでも表現出来そうな何かを見て絶句する私を見て、寿樹が言った。


「……これ、化け物がって話をしたのは、まずかった?」

「ううん、大丈夫。こっちを見てはいるけど、襲う気もなければ、その力もないらしい」

「そっか……あのさ、さっきからずっとこうだった?」

「いや、階段にはいなかったよ。何でだろうね──さて、着いたぞ」


 会話を終えると同時に、私達は、最初にいた部屋に辿り着いた。


「先に入る。カードキーを」


 寿樹に言われ、頷いてからカードキーを手渡す。


「行くぞ。覚悟は?」

「……出来てる」

「よし、開けるぞ──」


 互いに確認をし、ドアのロックを解除し、部屋に突入しようとして、


「う……!?」

「むっ──!」


 ほんの僅かに開けられたドアの隙間から、が噴き出して来た。


「…………っ、」


 異様な気配に充てられて、ぐちゃぐちゃに絡まった何かが身体の内側から吹き上がる。立っていられなくなり、片膝を突いてへたり込んでしまう。


「大丈夫か!?」


 寿樹がドアを閉めながら聞いてきた。


「う、ぐ……大丈夫じゃないけど、大丈夫……」


 ゆっくりと深呼吸をする。ぐちゃぐちゃに絡まった何かが、ほんの僅かにだが薄れた。


「分かった……どうやら、大当たりらしいな……」


 寿樹がドアを、その向こうにあるであろう空間を睨んで呟く。


「……行こう、寿樹」

「ちゃんと動ける?」

「……出来る」

「──よし、行こう」


 寿樹が再びカードキーをドアノブ上部のカードリーダーにかざし、ドアのロックを解除し、


「突入!」


 そう言いながら一気に押し開け、部屋の中に押し入った。

 寿樹の後に続く。先程と同じように異様な気配が部屋の中から噴き出してくる。不快感は全く変わらなかったが、と判っている以上、幾らかは我慢出来る。


「どこだ──?」


 寿樹が周囲を見渡すのを後目しりめに、ちらりと机を見る。私が確かに残しておいた、私の字で書かれた書き置きがそこにあった。間違いなく最初の部屋という訳だ。

 念のため、報告しておこう。

 

「寿樹。この部屋、確かに最初の部屋みたいだ。私が残した書き置きがあった」

「そうか、ありがとう」

「〝合わせ鏡〟、見つかった?」

「いいや。金庫とかクローゼットとか、ベッドの下も見たけど全然。まだ見てないのは、あそこだけ」


 寿樹が指差した先──私の背後を見る。バスルームだ。


「この部屋の、鏡がある場所ド本命か……」


 寿樹は頷き、バスルームのドアの前まで移動する。私もその後に続く。


「開ける」

「ああ」


 寿樹がバスルームの電気を点け、ドアを押し開けた。

 バスルーム内は、ドアと向かい合うように洗面台が設置されていて、洗面台の上には当然のように鏡があって、


「な──」


 その鏡に被るように、〝合わせ鏡〟が浮いていた。


「本当にいた!?」

「見つけたぞ……!」


 私が驚くのと同時に、寿樹が半身になって構えた。

 〝合わせ鏡〟が私と寿樹を映す。

 直後、〝合わせ鏡〟に映る鏡像の世界から深紫ふかむらさき色の気体とも液体ともつかない、〝見ていると心がざわつく何か〟が溢れた。

 その〝何か〟が床に触れる。

 瞬間、バスルームの角や影になっている場所から、先程廊下で見たような〝影を圧縮したような澱み〟が噴きこぼれるように生え、こちらへ向かってきた。


「うわ!?」

「ちょヤバっ、外出て、外!」


 寿樹が私を押し戻しながら叫んだ。

 部屋の出入り口のドアに手を伸ばし、体重を掛けながら押し開ける。自分達が通れる分だけのスペースが出来たのと同時に廊下に出る。


「走れっ‼」


 寿樹の叫びに従って走り出す。寿樹が私の後に続く。 

 床や壁、天井からどす黒い何かが染み出て来る。

 私でも解る。解ってしまう。染み出ているのは〝影を圧縮した澱み〟で、数え切れない程いて、先程まで感じなかった明確な敵意を────


「うわっ⁉」


 考えながら走っていたためか、盛大に転んでしまった。


「綾音っ──⁉」


 寿樹は転んだ私を追い抜き、そしてすぐに立ち止まった。私の側まで戻ってくると、


「ごめん!」


 そう言いながら私を担ぎ上げて走り出した。

 別にどこか痛めてる訳でもないし全然走れるのだが、とても言い出せる雰囲気ではない。


「どうすんだよこれ!?」

「迎え撃つ! 一旦距離を────っ!」


 地図でいう左右の部屋の間にある円形の広間に差し掛かったその時、寿樹が息を呑んだ。

 向かう先を見ると、背後から迫るモノと同じように影が沸き立ち、私たちに突撃を始めていた。

 これでは挟み撃ちだ、逃げられない。


「っ、ぁあもう仕方ねぇ! ここで迎え撃つ!」


 寿樹は吠えるように宣言して一気に減速し、


「壁よ出で、塞いで防げ!」


 しゃがみながら叫んだ。その瞬間、向かう先の広間と通路の境目に薄雲を彷彿とさせる膜のようなものが出現した。背後を見ると、同じように膜が張られていた。


 影のように見える何かたちが広間に雪崩込もうとして、膜のようなものに激突して止まった。それでも激突する回数を、量をも増やしているのか、膜が徐々に内側へ膨らんでいく。


「綾音、目と耳塞いで壁向いてしゃがんで! いいって言うまで動かない喋らない!」

「え、あっ、おう!」


 綾音に床に降ろされながら言われて慌てて応え、その場で伏せて目を瞑って瞼に力を入れ、同時に両耳に人差し指を限界まで捻じ込む。視覚と聴覚を今出来る最大限にシャットアウトする。言われなかったけど念のため口も閉じる。

 すぐ側の気配──寿樹が立ち上がるのを感じた。足を踏み締めたのか、ドンと衝撃が伝わってきた。


「──我等に迫る何ものか共よ!」


 耳を塞いでいるのに、寿樹の鋭利な声が何故かはっきりと聞こえてきた。

 それはまるで、頭の中で直接響いているようで──


「遠からんものは音で聞け! 近くに寄るな、目を凝らせ!」


──え何か違くない!?


 思いっきり突っ込みそうになって、寸前で踏み止まる。


「我、日の出から日暮れにかけ地上をあまねく照らすものより、この道行きをことがれた者である! 汝等、影より出でて我等に牙を剥くならば、悉く、物陰諸共照らしてやろう!」


 直後、閉ざされた視界の端が白み始めた。

 寿樹は何をしているんだ?


「宇宙に太陽在り、我が内に宇宙在り。即ち我が光は、日輪の光に相違なし!」


 ふいに。

 胸に、温もりを感じた。

 熱を発するものが触れているのではなく。

 胸の真ん中にぽっかりと空いたうろに、その只中で尚輝く、優しくも強い、暖かな光だ。


 それは、祖父や母親に復讐するために〝合わせ鏡〟の力で得た力とは、確かに異なっていて。

 二度と手に入らない、手に入れようとしてはいけないのだと己に言い聞かせていたもので。


「闇よ、影よ、我が光に溶けせよ。道を開けよ、邪魔をするな──」


 嗚呼、声と涙を溢しそうになって、慌てて口を塞ぎ、瞼に力を入れる。

 寿樹。寿樹コトホギメグミ。君は、本当に。


「──っ、確かに、の内にも闇はある。けれども! 悪く思うな、魑魅ちみ魍魎もうりょう!」


 視界を覆う薄暗闇が、真白い輝きに染まる。

 寿樹の気配のする方に熱源があるのか、日向にいるかのように暖かい──否、熱い。



 つい、顔を上げて、目を開けて、寿樹の方を見てしまった。

 寿樹の全身が、まばゆく光り輝いていた。

 それを知覚した瞬間、目が焼けるような痛みを感じて、慌てて伏せる。


──今のは何だ!?


 聞ける雰囲気でも状況でもなく。


「日の光がつえしろ、寿樹恵ここにあり!」


 寿樹が唱え、拍手が一度聞こえて。

 視界を染める輝きがより一層強まり、高熱を伴った突風が寿樹のいる方向から発生した。


「っ──!」


 息を吸いかけて、鼻の穴が焼かれるような熱さに慌てて呼吸を止めた。

 吹き飛ばされそうになり、床に伏せて耐える。






 時間にして、どれほどだろうか。

 数秒か、数時間か。

 体感では、途方もない時間が過ぎたように感じた頃。

 右肩を優しく叩く感触があって、


「目、開けても大丈夫だよ」


 耳栓越しに、寿樹の声が聞こえた。

 恐る恐る薄く右目を開け、その視界の端で発光していない寿樹を確認して、頷いたのを見て。

 私は両目をしっかりと開き、指を耳の穴から外した。


 二つの通路には、何もいなかった。最初から何も起きなかったかのような静寂に包まれていた。

 ただ、何者かが確かにそこにいたと示すかのように、壁や床や天井に、焼け付いたようなどす黒い痕が残っていた。


「とりあえずやっつけたよ」


 ふう、と寿樹が息をいた。


「……どうやって」

「えいやっ、とね」


 それは余りにもざっくりとした答えだったが、詳しく聞く気にはなれなかった。


「ともかくだ、また何かされる前に〝合わせ鏡〟を──」


 寿樹がそう言いかけ、突然、私の前に出て庇うように動いた。

 直後、〝合わせ鏡〟が空中に出現した。丁度、私達を見下ろすような位置に。


「っ……」


 突然の事で声を上げて驚く事すら出来ない。

 何か言おうとしているのか、寿樹が息を吸う音が聞こえ、

 直後、〝合わせ鏡〟が移動を始めた。


「待てっ!」


 寿樹が怒声を上げながら追いかける。私も後に続く。

 〝合わせ鏡〟が向かう先は私達が逃げてきた方向に伸びる廊下、その突き当たりにはガラス窓があって。

 〝合わせ鏡〟はガラス窓を突き破り、外へと飛び去っていった。


「ああ⁉」「なっ⁉」


 窓の前に駆け寄り、二人揃って外を見る。

 〝合わせ鏡〟の姿は、もうどこにもなかった。

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合わせ鏡は割れている 秋空 脱兎 @ameh

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