第六話 コピー&ペースト

 ひとりでに開いたドアの向こうには、どこにいったか判らなくなっていた人物が立っていた。


綾音あやね、生きてる⁉」

寿樹コトホギ……」

「うん、生きてるね! 良かった。立てる?」

「ああ……」


 そう言って立とうとしたのだが、

 

「……ごめん、腰抜けちゃったみたい」

「あは……いや笑い事じゃない、無理ないよね」


 寿樹はそう言ってエレベーターへ一歩踏み込み、ドアを開くボタンを左手の人差し指で押しっぱなしにし、


「はい」


 私に右手を差し出してきた。


「あ、ありがと……」


 私が差し出された右手を握ると、


「いいってことよ」


 寿樹も手を握り返し、力強く私を引っ張り上げ、立たせてくれた。そのままエレベーターを降りる。


「……っ、そうだ、あの化け物は⁉」


 寿樹に会えた安堵で忘れていた。流石に抜けすぎだ。


「『あの』って、どの化け物?」

「ええっと……」


 私は、自分が見て覚えている範囲で、自分を襲ってきた化け物の特徴を伝えた。


「──みたいな感じの、ヤバイ気配の、」

「ああ、さっきのか! それならほら、あそこに」


 寿樹はそう言いながら、さっき私が駆け下りてきた非常階段がある方向を指差した。

 指の先を追っていくと、廊下の左側に、人間をカリカチュアライズしたような見た目の化け物が、上半身と下半身が大きく抉れて真っ二つになった状態で床に落ちていた。断面は赤熱を帯びていて、黒い粒子を散らしながら崩壊を始めている。

 

「エレベーターの前にいて、僕を見るや否や襲ってきてさ。僕がやっつけた。意思疏通は出来なかったよ」

「……どうやって?」

「こんな風に、光と熱の塊を作って──ドカーン! と」


 寿樹は、そう言いながら、左右に広げた両腕を身体の外側に大きく円を描くように回して胸の前でボールを持つように構え、身体を捻って右手で投擲するようなジェスチャーを見せてきた。


「えぇ……そんな暴力的な感じに……?」

「まあ、唾つけた矢ででっかいムカデを倒したなんて話もあるくらいだし、さもありなんよ」


 藤原ふじわらの秀郷ひでさとを引き合いに出していいのかと考えていると、


「いやしかし、無事で何よりだよ」


 寿樹が、心底安堵した様子で言った。


「まだ状況打破にこぎつけられてないけど、一先ず、綾音の安全は確認出来た。ふう」

「……寿樹、今までどこに行っていたんだ?」

「ああ、に」

「二つ上?」


 全部同じじゃないのか、と疑問に思っていると、それを読み取ったかのように寿樹が続けた。


「全く同じ空間が繰り返されてるように見えるじゃない? それがどうも違うらしいんだよ。ついてきて」


 そう言って、寿樹はエレベーター側の非常階段へ向かった。私も後に続く。


「僕は部屋を出た後、上も下も、どこまでも四階になっている事に気付いた。だから逃げるのは止めて、〝合わせ鏡〟をどうにかすることにしたんだけど、肝心の〝合わせ鏡〟が全然見つからなくてさ」

「戻ってこなかったのは、それが理由?」

「そう。気付いたら時間オーバーしてた。ごめんね」

「いや、大丈夫。いいよ……」

「本当? 不安にさせたりしなかった?」


 なんでそうこっちの心読むのが上手いんだ。ちょっと怖いよ。


「……大丈夫」

「そう。……あのさ綾音、思った事、隠しすぎない方がいいと思うよ。昔からだけどさ」

「でも、私が言っても伝わらないし」

「そうだとしても、だよ」


 その言葉で、私は、『何かあったらちゃんと言え』と言った癖に、こちらの話を聞かず、曲解し、揶揄するためにしか使わない母親の事を思い出して、


「…………」


 私は、ただ首を横に振ることしか出来なかった。


「……そっか、僕が知らない、何かがあったんだな。分かった、この話は保留にしよう」


 寿樹はそう言って、ポケットに突っ込んだままだったらしいスポーツドリンクを飲んで、リュックサックの一番大きい収納部に突っ込んだ。


「さて、話は戻るんだけど──最初は、上っても下っても同じ場所にしか行けないんだと思ってた。でも違ってたんだ」


 寿樹はそう言って、リュックサックの中身を探り始めた。


「……ていうか、ここ、大丈夫なの?」


 不安になって聞くと、寿樹は手を止めてこちらに振り向き、


「大丈夫。今のところ嫌な感じしないし、さっきみたいなのが出たら、また倒せばいいから。倒せないなら全力で逃げよう。そん時は囮になるよ」

「いや、囮って……」

「気にしなさんな。

「……それは、」


 その言葉は、どこか自分に言い聞かせるようだった。しかしそれを指摘するよりも早く、寿樹がリュックサックから財布を、その中から十円を取り出した。


「ちょっともったいないけど……見てて」


 寿樹は、十円を階段と階段の間にある隙間に、まるで賽銭でも入れるかのように落とした。

 十秒程隙間を見下ろしていた寿樹が、身体をこちらに向けた。


「……こういう事なんだよ」

「えっ、と、どういう事?」

「もし全部同じ空間で、繰り返されているのだとしたら、下に落ちた物が上から降ってくるんじゃない? ちなみに上に投げた場合は、」


 言いながら、寿樹は財布からもう一枚十円を取り出して、階段の隙間から真上に向けて放り投げた。

 寿樹は、万有引力の法則に従って落ちてきた十円をキャッチして、


「こうなるのよ。ゲームの上下左右が繋がったマップみたいなのじゃなくて、大量のコピー&ペーストなんだ」

「成程……それで、これ、この状況の解決に繋がるの?」

「まあまあ慌てなさんな。順を追って話すから」

「…………」


 私は、リュックサックから飲みかけのペットボトルを取り出し、お茶を一口飲んだ。


「続き、話しても?」

「どうぞ」

「ありがと。だから、天井と底があると思ったんだ。それならしらみつぶしに探索出来ると思って、まず底の方に行ってみた」

「行った⁉ どうやって?」

「テレポーテーションで」


 事もなげに言い切った寿樹を見て、私は何度目か判らない困惑の感情に襲われ、


「……マジで何でもアリなんだな」

「マジで何でもアリなんだよ、基本的にはね。それで行ってみた結果、ちゃんと天井も底もあった。だけど」

「だけど?」

「上下合わせて二千二十二万千二百二十五階あった」


 え?


「……なんて?」

「上下合わせて、二千二十二万千二百二十五階、あった」


 えっと、それって……。


「無理ゲーじゃない?」

「無理ゲーだよ。さがしてる内にこっちが死んじゃう。凄い力があっても基礎が人間だからね。お腹は空くし喉は渇く。そうじゃなかったとしても、綾音が死んじゃう。これじゃ駄目だ」

「じゃあ、どうすれば……?」

「よく言うじゃない。〝木を隠すなら森の中〟って。じゃあ、鏡を隠すなら?」

「鏡を隠すなら……?」


 突然クイズの解答を振られて、私は少し考えて、


「……鏡を売ってるコーナー?」

「成程、ここがお店ならそうかもしれない」

「じゃあハズレか」

「『鏡がある場所』って部分は合ってる。ホテルのこの階の場合は?」

「……バスルームとか? エレベーター内にはなかった」


 その答えに寿樹が頷いて、


「そう! じゃあ、その中でも、僕たちが一番探さなそうな場所は?」

「中途半端な階層とか?」

「それも考えたんだけど、ここは〝犯人は現場に戻る〟ってやつを採用しようと思う」


 ということは、つまり。


「──僕たちがいた部屋だ!」

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