きつねとたぬきは飯を食う。

岡本紗矢子

きつねとたぬきは飯を食う。

 俺はほくそ笑んだ。よくある郊外の新興住宅。その駐車スペースをいつも埋めている青い車は、今日はいない。

 ここの住人のものと特定したSNSの発信によると、住人らは、3日間ドライブ旅行で不在だそうだ。なんて不用心で、そしてなんてありがたいお客様だろうか。俺たち空き巣稼業にとっては最高だ。

 俺は堂々と敷地内に踏み込む。服装は作業着にダミーの身分証。同業者はスーツ派が多いが俺には作業着が合うらしく、たとえ「仕事」の前後に誰かに出くわしても透明人間扱いだ。今日も道の反対側を誰か通っていったが、こちらを見咎める様子はまったくなかった。

 植木鉢を探って見つけた鍵を使い、玄関にすべりこむ。土足にシャワーキャップをかぶせ、俺はそろりと上がり込んだ。

 玄関の先は短い廊下で、つきあたりはドアだ。あの向こうは現金が隠されやすい宝物殿リビングダイニングだと、俺の勘が告げている。

 静かに静かに。足音は控えつつも、ワクワク感で一歩の幅が広がってしまう。が、一気にドアを引き開けたそのときだった。揺れた空気と一緒に、なじみのあるダシの香りがふっと鼻をかすめた。

 えっ? 声が出そうになって、俺は慌てて口をおさえる。

 ダイニングテーブルに小太りのじいさんの、灰白色の頭がつっぷしていた。一瞬推理ドラマが始まったかと思ったが、彼が小さく「くはっ」と言って肩を揺らしたので、生きているのがわかった。じいさん、睡眠時無呼吸か。

 テーブルの端はキッチンカウンターにくっついていて、カウンターにはふたをシールした状態の「赤いきつね」と「緑のたぬき」。ダシの香りはこれか。ふむ、住人は遅い昼飯を食おうとしたと。しかしお湯を入れて待つ間に眠気襲来、そのまま寝オチ――ま、そんなとこか。推理にもならんな。

 いずれにしても、これは想定外の事態。

 仕方ない。俺はそうっと下がる。音を立てず、空気を揺らさず、もう一度ドアを閉めて、今日は退散――

 と、思ったのだが。

 突然男が頭をあげた。

「う……わっ!?」

 やばい!

 俺はとっさに腕で顔を覆う。そのまま踵を返して逃げようと思ったが、運悪く足のカバーを踏んでつんのめってしまった。

 じいさんは体を硬直させ、目を見開いてこちらを凝視している。俺はもろにじいさんと顔を合わせてしまっていた。ぬかった。これはもうだめだ。

 俺は方針を変えた。

「すんません!」

 がばっと床に這いつくばり、土下座のポーズになる。謝れ。謝り倒せ。切り抜けろ!

「すんません! 勝手に入りました! すんません!」

「い、いえいえ、こちらこそすみません」

 へ?

 なぜか謝られた。

 なんか調子が狂うが、まあいいや。

「本当に本当に、申し訳ありません。お騒がせしました。私はただ……」

「いやいや、私こそ私こそ。申し訳ありません」

 じいさんはなんと自分も膝をつき、ペコペコ謝ってくる。なんだかわからないままお互い頭を下げあっていると、じいさんはふと動きを止めて、こちらをしげしげ眺め回した。

「えーと……それでおたくは、業者さん?」

 俺ははっとした。そうか、俺は作業着姿だ。じいさん、それで俺を疑わなかったのか。よし、その設定で切り抜けよう。

「は、はい! えー私、配線設備の点検で……留守中に作業をとご依頼受けまして伺いましたが、どうやら入るお宅を間違えたようで……」

 やや強引だが、出まかせは勢いで押し切りゃ勝つ。それに、我ながらうまい。このまま「失礼しました」と自然に家を出ていけそうだ。

 しかし思惑は外れた。

「なんだ、そうでしたか。私、留守番の者なんです。あーそうだそうだ、聞いてましたよ、来るって。すっかり忘れてました……あは、あはは」

「え、本当に来るってきいてたんですか!?」

 うっかり言ってから、しまったと思った。これじゃ俺は出まかせを言ったと告白したようなものだ。

 が、なぜかじいさんは、俺より慌てた様子になる。

「とと、当然です。ほらその証拠に、カウンターにあるでしょ、カップ麺がふたつ! あれはね、ぎょ、業者さんが来たら一緒に食べようと思って作っておいたやつなんですよ! さ、さ、食べましょうよ、どっちにします!?」

 じいさんはわたわた動くと、ふたつのカップをボンボンとテーブルの真ん中に出してきた。

「いや、どっちと言われても」

「あっ、どっちも好きですか?」

「そういうことじゃ……」

「遠慮しないで! あっ、お湯を入れて少し寝ちゃったけど、そんな時間たってないと思うんでっ。さ、どうぞどうぞ!」

「は、はあ……」

 変わったじいさんだな。なんか妙なことになってきた。しかし、ここは従っておくほうがいいかもという気もしてきた。さっと食って、適当に作業するふりでもして、早いとこ退散するのが得策か。

 俺は言った。

「じゃ、ご馳走になります……」



 勧められるままテーブルについた俺は、真ん中にふたつ並んだ麺から、赤いたぬきを選んだ。持った感じ、さほど冷めてはいない。じいさんの寝オチはいいとこ15分程度だったんじゃないかという感じだ。

「それじゃ、私はこちらと」

 じいさんが緑のたぬきに手を伸ばす。彼がそれを定位置に引き寄せるのを待って、俺は背筋を伸ばした。

「じゃ」

「はい」

 ふたりともかしこまる。声を重ねる。

「いただきます」

 手を合わせてお辞儀。しぐさも重なった。

 頭の中には、この状況はなんだと首をひねるもうひとりの俺がいるが、しょせん人間は食い物に勝てない。紙のふたをはがすと、部屋に入ったとき感じたダシの香りがはっきり立ち上ってきた。おあげは長く置いたぶんたっぷりと汁を吸って、日に当てたふとんのごとくふかふかだ。ふと向かいを見ると、じいさんもふたをはがし麺をかきまぜ、目を細めて香りを吸い込んでいる。ダシで崩れてソバに絡んだかき揚げが、やけにおいしそうに見えた。

 俺とじいさんは黙々と自分の麺にとりかかる。まじりあうダシの香り。なんとなく動きが合ってくる箸の上げ下げ。麺をすすりあう音も、向かい合わせに音楽になる。

 ふと給食もこんな感じだったなと思い出した。教室に満ちる料理の匂い。特に仲がいいわけではない、でも知らない仲でもないクラスメイトと同じものを食う、あの空間。食べ始めは静かに、でも食事が進むにつれて次第に口が開き出して――

「人と食事するなんて何年ぶりかな……」

 つい呟くと、思いがけず、じいさんが頷いてくれた。

「私もですわ」

「え。普段もひとりすか」

「ですねえ。ま、私の居場所は留守宅ばかりなんで、当たり前ですがね」

 言ってしまってから、じいさんははっと口を結んだ。気を取り直すように、こほんと咳払いすると、ソバを一口すする。

「業者さんは? 人と食事してないってことは一人暮らしですか」

 俺は重くなったうどんをすすり、口を拭った。

「ええ。ま、俺の親は小さいころに離婚して、家じゃほとんどひとりだったんで、もともと人と飯食うなんてことはなかったんですけどね。今さっき思い出した光景も家じゃなくて、給食ってこんなだったなー、ですよ」

「そうですか。でも、立派になってえらいじゃないですか。今こそ親御さん誘って食事したりできるんじゃ……」

「無理っす。親、亡くなったんで」

 さらっと言ったはずなのに、じいさんはさあっと顔色を変えた。

「す……すみません失礼をっ」

「え、や、別にそんな謝ることじゃ」

 じいさんが慌てるもんだから、なんだか俺もつられて、気持ちがわさわさしてきた。

「いいんですよ、ほんと大丈夫なんですよ、もう前のことなんで……」

「いや私、昔から正直に言い過ぎたり地雷ふんだりするとこがあってですね。思えば女房子どもにもそれでうとまれたみたいなもんで、トラウマなのにまたやったなと……ああもう、それでです、それで気づいたらこんなふうに、ひとりで留守宅に隠れ住む稼業にまで身を落と――あ」

「本当に気にしないでください、俺だって就職活動しくじって、結局空き巣稼業で食ってる身で、親が生きてたって誇れるような仕事はしてな――あ」

 ……。

 俺たちはふたりとも、言葉を止めてお互いを見つめ合ってしまった。

「……なんだ、きつねとたぬきは俺たちかよ」

 じいさんがぽつんと言って、どさりと椅子に体を戻した。

「あんた空き巣か。焦った、ちっと寝ぼけてたな。ほんとに業者かと思ったぜ」

 俺も力が抜けた。今のじいさんの台詞は俺の台詞だ。

「じいさんだって……留守と調べて入ったのに、俺どうしようかと」

「はは、あんたもSNS見たか。近頃は便利だな、『○日から旅行でーす』って堂々発信しやがるから」

「ですね。じいさんもSNSで情報収集ですか」

「便利なもんは何でも使うよ」

 じいさんはにやりとした。俺も笑った。

 さっきまではなかった親近感。

「ま、空き巣。座ってきつねの続きを食え」

「あ。そうですね」

「ほんとは俺が両方食うつもりでいたんだけどな。ま、ちょうどよかった」

 やっぱり業者用ってのは口から出まかせだったか。やたら強引だったのは、じいさんも、勢いで押し切りゃなんとかなると思っていたからだろう。俺と同じだ。

 俺は座り直し、もう一度箸を取る。

 ふたり向き合い、ずるずるやる。無言だったが、さっきよりよほど空気は馴染んでいた。まじりあうダシ。おんなじ匂い。俺たちも同じ匂い。時々目が合う。自然ににやっと笑みがこぼれる。

「一緒に食べると、なんかうまいすね」

「これから時々、飯食うか」

「いいすね」

 きつねとたぬきは群れは作らない。でも、たまには。

 仲間同士の心地よい時間が、ゆったりと流れていく。



 俺たちは知らなかった。まさかのご近所さんの通報で――「お留守のお宅にいた作業員が気になった」のだそうだ――この後すぐ、警察がとんでくるとは。まさか、ふたり一緒に連行されることになるとは。

「せっかく飯友ができたのに、こんなとこでつかまるたぁな……」

「うんうん、この次は留置場の弁当の話題で盛り上がれよ」

 しょっぴかれる俺らを見ているご近所さんは、ご褒美待ちの犬みたいな目をしていて、なんだか無性に腹が立った。

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きつねとたぬきは飯を食う。 岡本紗矢子 @sayako-o

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