第12話 / 本当の船出

 あの後、母親と別れてトイレに直行した。

誰とも話したくなかったし、何より会いたくなかった。

らっくーだって、来てくれるはずがない。

オレに救いの手を差し伸べてくれる人なんているはずがないのだから。

オレは一人、トイレの個室に引き籠って思考を巡らせる。

対面じゃないと楽しくない。

そんなの嘘だ。

オンラインでだって楽しいこともある。

オレは認めたくなかった。自分が作ってきたものを壊したくなかった。

ただ怯えていただけなんだ。

そんなちっぽけでくだらない恐怖よりもっと怖いものがあるっていうのに――。


「あぁ。オレってなんにもできてなかったんだ……」


 ついぽろっと声にのってしまった。

まぁ、きっと誰も聞いていないだろうし、大丈夫、大丈夫。

一人で自己暗示をかけて落ち着かせる。


「あのぉ、保院聖弥さんいますか?」


 男にしてはかなり高い声が、耳に届いてきた。

なんで週末のこんな意味わかんない時間帯に、人がいるんだろうか。

しかも、この人はオレの名前を知っているらしい。


「えっ、オレ聖弥だけど。お前は誰だ?」


 焦ったせいで、初対面かもしれないのにタメ口で話してしまった。

もう言い直すのもダサいし、このまま返答を待ってみよう。

もうオレが答えてから、随分経つはずなのに答えが返ってこない。

 すると、トイレの壁に身体を預けて、そのまま下にズレ下がっていくような音が聞こえた。

心なしか嗚咽の混じった息も感じる。


「わ、わ、私、来島楽って言います! は、初めまして、せいせい!」


 一瞬で脳みそが機能しなくなる。


 らっくーが来てくれた。


 オレのために?

でも、なんで一人称が『私』なんだろう。

そういえば、らっくーって自分のことを『俺』って言ってなかったっけ?

ってことはまさか……。


「あ、あのぉ、騙しててごめんなさい! 私、じ、実は女子だったんですっ‼」


「え、えぇ! ……はぁ⁉」


 思わず身を乗り出して反応してしまった。

男みたいに振舞っていてすみません。

そう呟きながら、更に言葉を紡ぐ。


「実は、私、きょ、極度のコミュ障で、しょ、しょ、初対面の人と話すと高周波のモスキート音みたいな声でしか喋れなくなっちゃうんですよね。実を言うと、あの『宇宙人』って――私だったんですっ!」


「なっ⁉」


 オレはまたも度肝を抜かれ、奇声を発する。

意を決したのか、らっくーは尚も話を続けていく。


「で、でも、嬉しかったんですよ! 『宇宙人』なんてキャッチーな名前を付けてもらえて。これで、私、友達ができたんですっ‼」


「いやっ、でもオレはお前のこと、ボロクソに言って笑っていたんだぞ? それで嬉しかったなんて、正気か? そもそも今回オレがこうやって学校に呼ばれたのは……」


「よよよ、呼ばれたってどっ、どういうことですか? え、まさか『せいせい』って……」


 矢継ぎ早に飛び交っていた言葉が、突如としてその姿を隠す。

換気扇の音だけが妙に大きく聞こえて、胸が痛いくらいに騒めいた。


「……らっくー、お前とは知らずに『宇宙人』を創り上げたのはオレだ。本当に、ほんっとうに……すまなかった‼」


 らっくーはオレが『せいせい』と名乗って、悪の教祖になっていたことを知らなかったようだ。

あそこまで言ってはくれたけど、きっともうオレには幻滅しただろう。

あれだけの人を巻き込んで、笑いの標的にされたんだ。

怒らない訳も、恨まない訳もない。

覚悟を決めて、最後の別れを告げようとした。


「あのっ、さ……」


「あ! あのぉ、あ……」


 オレに被さるようにらっくーも話し始める。

気まずい空気が流れる中、オレがお先にどうぞと勧めたことで、らっくーが先に話すことになる。


「で、でも、良かった! か、か、過程がどうであれ私には、これまでモスキートコミュ障のせいでできなかった友達もできたし、みみ、見ず知らずの怖い人が私を陥れていたって訳じゃないってことが分かったから!」


 オレはハッとさせられる。

足元に敷き詰められていたタイルばかりを映していた瞳が、個室を仕切る壁を映した。

オレはマイナスなことを並べ立てられて、傷を負うだけだと思っていた。

その覚悟だけを携えて、この会話に臨んでいたのだ。

だから、こんなことを言われる用意なんかまるでしておらず、もう流れ切ったはずの涙がまた溢れそうになった。


「らっくー……。オレなんかが、救われてもいいのかな? またできることを増やせるように頑張ってもいいのかな?」


 教祖やってた頃のオレには、考えられないくらい弱気な発言だった。

そのくらいにしないと、対等に話す権利がないと思った。


「せ、せいせいっ! わわ、私は君に救われた! だっ、だだ、だから、せいせいだって救われていいんだよ‼ いいや、私がせいせいを救ってあげる‼」


 気付いた時には、オレはドアを開けていてらっくーと目と目を合わせていた。


 お互いの双眸は、太陽に照らされ、煌々と輝く大海の姿が見えていた。

重苦しい錨は、もう海の底に沈んでいない。

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走錨の少年 種山丹佳 @kusayama_nika

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