「んだとォ?餓鬼を逃がしやがっただァ?」


 猫柳を名乗っていた若者を罵倒し、千太郎は酒場の二階で胴間声を張り上げる。


「すいやせん…」

「すいやせんで済むかゴラぁ。おい手前ェら!」


 部下のようなやくざ三人が腕組みをして千太郎の目をじっと見る。


「捜せや。あの餓鬼。佐吉みてぇに首ちょんぱにしてやれや」

「へぇ!」

「もう良い、失せろ手前ェは」


 千太郎の部屋から出た若者は、酒場の廊下を千鳥足でふらふらと歩く。目の前には白粉を塗った芸妓がいた。


「ん?」

「あら、もうお帰りかい?」

「い、いんや…まだ、飲んでやらァ」

「じゃ、こっちへいらっしゃいよ」


 芸妓、お若はその隣の襖を開き、若者を中に招き入れた。


「ん?やけに暗ぇ部屋だなァ、さては…俺を誘ってやがんのかァ?」

「やだわぁ旦那ったら」


 お若は若者の耳に顔を寄せる。


「明るかったら、悪い事できないじゃないかェ?」

「ん?どういうこった…」


 訊いた若者の首を、琴弾きの爪で掻き切るお若。若者は口をぱくつかせながらどうと倒れ込んだ。


 一方、藪に入っていった三人のやくざは、がさがさと手探りで探っている。


しゃん


「ん?何だ?」

「構わねぇ、捜せ!」


しゃん


「何か聞こえるんだよ」

「びびってんじゃねぇ、捜せ!」


 声を張り上げたやくざの頭上から、ひらりと降りて来たのはお翠だ。そのやくざの前を歩く仲間は気付いていない。お翠はやくざの口を塞ぎ、黒いとんぼ玉の簪を盆の窪に突き刺す。


「あひっ…」

「おい!愚図愚図してんじゃね……」


 言ったやくざの背後に回ったのは宿良だ。やくざの首に濡れた反物を鞭のように打ち付ける。


「がふっ!」

「地獄で、待ってやがれよ」


 あらぬ方向に首を曲げ、やくざは倒れた。その脇から巳之助が錫杖を鳴らして、最後のやくざに近付いた。


「あ?なんだ坊主」

「旦那。夜道に物騒な物、振り回すもんじゃありませんよ」

「五月蝿ぇな、斬られてぇか!」

「あんまりでかい声出さないでもらえますかね?こっちは…」


 巳之助は錫杖から刀をすらりと抜いて、やくざを袈裟懸けに斬りつけた。


「あひっ…」

「アンタと同じ事するつもりだったんですから…」

「…」

「南無三……」



 千太郎は千鳥足で厠に立つ。些か酔っているようだ。ふらりと身体をふらつかせ、襖を突き破ってしまった。


「うぃぃ…?」


 猫柳を名乗っていた若者が正座をしている。千太郎はごしごしと目を擦った。


「よォ、番頭さんよ」

「あ?佐凪先生?なんで?」

「んな細けぇこたァ、いいじゃありやせんか」


 若者の前に千太郎を座らせ、陣内はぐい呑みに入っていた酒を飲み干す。


「けちな商売ってもんは、するもんじゃねぇですぜ。なァ、猫柳の旦那」

「猫柳?何でアンタがそれを…」

「まぁまぁ、んな事はどうだって…」


 陣内は着物の胸元から木筒を取り出し、中のメスをさっと掴んで投げつけた。


「あひっ!」


 喉元に当たったメスにそっと近付くと、陣内はメスの取手を逆手で持った。


「もう、終わりにしやしょうぜ」


 メスを深く挿し込むと、千太郎は白目を剥いて絶命した。


「……南無…」



「号外!号外っ!」


 いつもの町の中に瓦版屋の声が響く。それを横目に見ながら、托鉢僧の巳之助は足下の椀を見下ろしながらちりんと法鈴を鳴らした。

 鍋島屋はいつもの日常を取り戻している。新しい番頭は柔和で真面目そうな男。丁稚もニコニコした元気の良い男の子だ。


「醜聞ってのは、今のうちだけさ」

「…佐凪先生……」

「三日も過ぎりゃ、人は忘れちまうもんさ。人の醜いところは、いくらでも見たがるくせによ」

「…佐吉や利助達も、忘れられちゃうんでしょうか」


 へらへらと笑いながら陣内は言った。


「んじゃねェのか?」

「……それって」

「哀しい事じゃないですか?って言うんだろ?手前ェはよ。坊主」


 陣内は懐から銭を取り出し、掌で弄ぶ。


「自分にゃ無関係な死なんざ、忘れちまうもんさ」

「…」

「俺たちさえ忘れなきゃ、良いじゃねェか」

「……先生」

「そりゃそうとよ。あの琴弾きがお前ェと飲みてぇってよ」

「なっ……」

「やめとけよ坊主、あの女はうわばみだぜ、がははは」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

鴉に候 回転饅頭 @kaiten-buns

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ