#006 日記を話し相手に

 がたんと軽い揺れを感じて、私は目を覚ました。

 自分しか乗っていない小型のバスは、まっすぐに続く道をゆっくりと走っている。

 人工レザーが張られた、ちょっとレトロなデザインの座席が八席。私はなんとなく、後部リアウィンドーに近い最後部の席に座っていた。

 そこを振り返ると、STAR LIGHTS HOTELスターライツ・ホテルと書かれた立体映像ホログラム看板が遠ざかっていくのが見えた。

 私はそれにびっくりして、思わずシートベルトを外して席から立ち上がりかけた。

『走行中は立ち上がらないでください。大変危険です』

 爽やかな女の人の声で、車内に警告が流れ、バスはすうっと静かに止まった。緊急停止だ。

「ああぁ、ごめんなさい! 降りたい場所を通り過ぎてしまって」

 誰もいないバスの中で、私だけがあたふたと喋っている。

 バスは昔懐かしいデザインで、手動運転用の運転席があるものの、このゾーンでは完全に自動運転だった。

『発車いたします。次、停まります』

 私が座席に座り直してシートベルトを締めると、自動音声のアナウンスが流れ、バスはまた滑るように動き出した。

 やれやれとため息をついてから、自分の左腕にある腕輪バングル型のウェアラブルデバイスが、静かに振動しているのを、やっと感じた。

 腕輪デバイスをタップして立体映像ホロ画面を表示させると、STAR LIGHTS HOTELスターライツ・ホテルに到着しました、という地図がポップアップした。

 通知を設定していたのに、気づかないんじゃ意味がない。ほんとにボケっとしてるんだから、嫌になる。

 迂闊な自分に少しがっかりしながら私はひとつ先のバス停車位置で降り、誰もいない道をてくてくと歩いた。STAR LIGHTS HOTELスターライツ・ホテルに向かって。

 ホテルが稼働しているか、実は心配していた。ネット情報では営業中になっているけど、ホテルには人がいる気配はなく、綺麗に掃除されたロビーに入っても、そこに人間の姿はなかった。

 フロントには接客用の立体映像ホロクルーがいたけどね。

『ようこそ、いらっしゃいませ。ご予約がございませんが、ご滞在でしょうか?』

「えっ!?」

 AIの呼びかけに私はまたびっくりした。

 予約したはずなんだけど。ネットでこのホテルを見つけて、ちゃんと予約したはず。

 デバイスから画面をポップアップさせて、予約画面のスクリーンショットを慌ててチェックしたら、その画像はあった。でも、よく見てみたら、この予約はまだ完了していません、て書いてあるじゃない!

 バタバタと予約して出かけたけれど、そういえばホロ画面を閉じる時にデバイスが、本当に画面を終了しますか、と言っていた気がする。なんで最後まで聞かなかったのか。

『ご滞在でしょうか?』

 爽やかな声でホテルのAIクルーがまた聞いていた。

「泊まれますか?」

『もちろんです。ようこそSTAR LIGHTS HOTELスターライツ・ホテルへ。最上階のお部屋がご利用になれます。ご滞在を決定されますか?』

 はい、いいえ、と書かれたウィンドーがクルーの立体ホロ映像に重ねてポップアップしていた。

「あっ、いえ! えーと……」

 部屋の番号はなんだっけと、デバイスの画面を切り替えて、私はメモを呼び出した。

 大昔の羊皮紙っぽいデザインでカスタマイズしたメモ帳が開き、そこにホテルの部屋番号は504号室、とメモしてあった。

「504号室は空いていますか? その部屋に泊まりたいんだけど」

『ご用意できます。エレベーターにどうぞ』

 笑顔でAIクルーが案内するように手で示すと、ロビーの廊下に淡く光る道案内の線が表示された。

 ロビーの奥にいる荷物運びの台車ロボットたちは、私が手ぶらなのにがっかりしたように停止したままだ。

 光る線についていって、自動で開いたエレベーターに乗り、私は五階に上がった。

 そこは日記に書いてあった通りの場所だった。

『廊下の壁紙も可愛い。ドアは本物の木でできてるし、窓からは海が見える。最高。夜にはホテルの名前の通りの星がとても綺麗だった。最上階の部屋だったらよかったのにな』

 私はデバイスの画面に表示したテキストデータを声に出して読んだ。

 廊下の壁紙はレトロで可愛くて、ドアは本物の木だ。

 でも私が近づくと、ドアのロックは『解錠アンロック』のホロ表示をポップアップさせて開いた。

 ドアノブは自分で回して押さないといけないんだけどね。昔風で最高。

 部屋に入ると窓からは海が見えて、部屋のAIがエアコンは寒くないですか、と私に聞いた。

「ちょうどいい温度だよ。ありがとう」

『恐れ入ります。ごゆっくりご滞在くださいませ』

 ROOM AIはそう言い残し、気配もなく消えた。

 ベッドと机だけの小ぢんまりとした部屋は、まるで二十一世紀のアニメに登場するようなデザインで、私をわくわくさせた。

 今時、旅行と言えばVRツアーばかりで、皆、本当には出かけないことが多い。移動は大変だし、お金もかかるし、環境への負荷も大きいし、持続可能サスティナブルじゃないんだって。それに事故に遭うリスクもあるからね。

 けど、私は本物の旅が好きなんだ。これが本物の旅だって言っちゃうと、ネットで変なのに絡まれそう。VRも悪くないと思うけど。

 でも、窓から吹く風に髪がそよぐのを、私はしばらく楽しんだ。

 こういうのに意味はないのかもしれない。ただの自己満足かも?

 それでも、旅って素敵よね。

 窓際にあるソファにゆったりと座り、私は腕輪デバイスを触って、また日記を呼び出した。

『予約するのをうっかり忘れてて、空いている部屋がここだけだったの。504号室。でもいいわ。部屋があっただけマシだよね! 私はうっかり者だけど、くよくよしないのがいいところだと思うの。あなたもそう?』

 日記の文章を声に出して読んで、私はうふふと笑った。

「私もそうよ」

 何度も読んだ日記の画面を、私は懐かしいような、不思議な気持ちになっていた。いつものように。

 この日記を書いた女の子はもういない。私が生まれる前にもう世を去ったの。

 彼女はNX-525-828sA-BB-000。最後の000っていうのは、彼女が初期型のゲノムを持っていたという意味よ。遺伝子提供者なの。

 私はNX-525-859sA-SX-008。この日記を書いた彼女とは、何世代かゲノムのバージョンが違うけど、それでも私は彼女とそっくり。まるで時を超えた双子の姉妹よ。

 日記の彼女は、スミレっていう名前だった。彼女は遺伝子提供者の義務として、自分の人生のログブックを書いた。それが日記ということよ。

 彼女の人生が素晴らしくて、生まれてきて良かったと思えるものでなければ、そのゲノムを複製することはできないの。法律でね。

 日記は彼女が後から来る双子の姉妹たちのために残した手紙でもあるのよ。

『ランチにはルームサービスのクロックムッシュがおすすめ。普通は朝ごはんだけど、寝坊したお客さんのために、ランチメニューにもあるのよ。私たちどうせ朝寝坊でしょ? たっぷり寝て、ホテルのパジャマでゆっくりブランチを食べるのって最高じゃない?』

 独り言のような日記を読んで、私はソファで頷いた。

「そうよね。朝寝坊最高」

 私は少し前に十八歳の誕生日を迎えて、成人した。それで、この日記を読むかどうか、選択することができたの。

 自分が誰かのコピーだなんて思いたくない人だっているじゃない?

 だから強制じゃないんだけど、私は成人したら絶対に読んでみたいと思ってた。

 私のオリジナルの書いた日記は、ほとんどが旅日記だった。旅行が好きだったみたい。

 私と同じ。自分とよく似た、自分ではない誰か。ずっと昔に生きて死んだ別の私だけど、その日記はまるで、彼女がすぐそばにいるように感じられた。

『私はちょっと背が低いし、指ももうちょっと長かったら指輪が似合ったのになって思うこともある。でもこれが私だと思うのよね。もちろん、あなたが気に入らなければ、変えてくれてもいいよ』

『うっかり者の性格って直るの? 直らないよね。直ったら最高って思うけど、もしあなたも同じうっかりさんだったら、全然気にしないで。そんなの何でもない……』

 日記に綴られた、未来の自分へのアドバイスの数々を、私は繰り返し読んでいた。

 変わった人だな、と思ったり、よく喋る人だなと思ったり。私が背が低いのはこの人のせいなんだな、と思ったり。指輪が似合わないのも同じだな、と思ったり。

 それでも私の前に生きていた幾世代かの姉妹が、それをそのままにしておいたのはなぜか、ぼんやり考えたりもした。

 私はどうしようかな。直そうと思えば直せるのよ。

 確かに、うっかり者なのは直らないだろうけど。それはまあ、解釈次第では私の個性よ。そう思える能天気な性格も含めて。

『どうか良い旅を。きっと幸せになれる』

 日記の最後には、そう書いてあった。手書きの文字で。

 私はホロ画面に浮かぶその文字に空中で触れてみた。少し温かいような気がした。気のせいだけどね!

 今夜は星を見て眠ろうか。

 海風の吹いている窓の外を眺め、私は日記を閉じた。



END


●原案となったカード

『うたたねした直後に / たまたま見つけた宿屋で / 日記を / 話し相手に暇をつぶしていました』

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『一行作家』で書いてみた、カードが作る小さな物語 椎堂かおる @zero

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