#005 嘘偽りのない言葉

 私がその書物を発見したのは、父の王位を継いだその夜のことだ。

 夕刻、父は身罷みまかり、私に国の宝であるその書物がたくされた。

 尊敬する父が、こんなに早く玉座を去るとは思いがけず、しかし世継ぎのために万事が整えられていたことを思えば、父は死期をさとっていたとしか思えない。

 信じがたいことに、父の突然の死は、王宮の屋根を撃ち抜いて落ちてきた火球によって成された。

 おそらく流れ星だろうと王宮の博士たちは言った。

 流星に身を砕かれて死んだ王が、いずれかの国に未だかつていただろうか。

 しかし父は、この王宮を受け継いだ時から、この時を予見よけんしていたように、硬い岩と金属でできた堅牢けんろう九重ここのえの屋根を王宮にかせた。

 その九枚の防壁を撃ち抜いて落ちてきた星が、我が父を撃ち殺したのだ。

 まさに青天の霹靂へきれき。神の御技みわざか、それとも悪魔のがねか。

 私はそのようにして王位を受け継いだ。

 玉座に座す者がまず受け継ぐべきは、王位のあかしであるその一冊の古書こしょだった。

 父の遺した最後の手紙には、そう書かれていた。

 我が子よ、この書を読む時には父は星にこの身を打ち砕かれ、もうそなたに何も語れぬであろう。

 この国の繁栄は、王宮の地下墓所にある書物によって成り立っている。

 我が玉座を継ぐ者として、そなたに嘘偽りなき言葉の書物の鍵を授ける。

 そなたの王国を受け取るが良い。嘘偽りなき言葉と共に行け。

 父の手紙はそう結ばれ、古びた金色の鍵が同封されていた。

 おそらく真鍮しんちゅうだろうとおぼしき、ただの古い鍵だ。王国の命運を握るにしては安っぽい。

 私はその鍵をたずさえ、黒貂くろてんのマントを着て、地下墓所に続く長い螺旋階段らせんかいだんを一人で降りていった。王しか入れぬ場所だ。

 そこには闇があり、古びた王たちとそのきさき、兄弟や子供達の骨が眠っているはずだ。湿った闇の中で、生きている者はこの自分だけ。

 松明たいまつをかざし、その火の照らす通路を行くと、丸い台座の上に一冊の本があった。

 立派な革の装丁そうていの、一抱えもあるような書物だが、特に美しい装飾が描かれているわけでも、宝石に飾られている訳でもない。

 ただ、金の飾り文字で、その表紙にはこう書かれていた。

 嘘偽りなき言葉、と、ただそれだけ。

 鍵を使い、私は書物を紐解ひもといた。

 古びた見返しにも金文字が記されており、我を所有せし者が王国のあるじなり、と書かれてあった。

 それゆえにこの書物は、我が王国の王位のあかしなのだ。

 本の最初のページには、この国が作られた時のことがしるされていた。

 この書物は建国の記で、国を治めるための知恵が書き記されているのだろうか。

 そう期待して、私は読み進めた。

 第一代目の王は、何もない荒野に一粒の麦をき、そこからもたらされた黄金の麦によって莫大な財を得て、この国をおこしたのだという。

 いても刈り取っても食えぬ麦だが、本物の黄金だったのだ。

 その王は王になる前、ごく平凡な農夫だったが、ある時、正体の分からぬものと出会い、黄金の麦をもらった。

 それを植えて王国を作るようにと、それはのちの王である農夫に言った。

 お前の初子ういごを全てもらうが、それと引き換えに王国は栄えるだろうと。

 王はそれと契約を交わし、その証として、嘘偽りなき言葉の書をもらった。

 神話めいた御伽噺おとぎばなしだった。

 私はそう思っていた。

 その一代目の王は、隣国との戦いの折に、湖で水軍をひきいる最中さなか、家ほどもある怪魚に食われて死んだ。ゆえに骨は残っていない。

 二代目の王は一代目の王の子で、嘘偽りなき言葉の書物に従い国をよく治めた。

 書物が教えた隣り合う国々の弱点を突いて国土を拡大し、黄金の麦はもう実らないものの、普通に食える麦で国を肥やした。

 王も国民も多くの妻を迎え、多くの子を成したが、その三分の二を奪う疫病が国を襲い、道端に死骸があふれた。

 しかし病に耐えた残りの三分の一が行軍を続け、疫病を振り撒きながら大陸を席巻した。

 病に備えのなかった他の国々は、急に襲い来た病持ちの軍隊にひとたまりもなく敗れた。

 その病はこの国の者には既に、子供時代に誰もがかかる軽い風土病に過ぎないが、初めて罹る者には死病だったからだ。

 王は国をよく治めたが、ある狩りの日に突然起きた地割れに馬ごと落ちて死んだ。ゆえに骨は残っていない。

 そして三代目の王が立ち、四代目の王が立ち、五代目の王が立った。

 ある王の代では国土をイナゴが襲い、別の王の代には次々と火山が噴火した。

 幾多の苦難が国を襲ったが、王国はそのたびに耐えた。

 国が厄災を耐えて繁栄するたびに、なぜか王が死んだ。

 ある王は武器工場の視察の際に、溶けた鉄の中に落ちて死んだ。隣国との戦に備えて無数の大砲を作らせていたのだ。

 王は鉄と共に溶けて、国を守る砲弾になった。

 ゆえに墓所に王の骨は残らなかった。

 また別の王は愛馬に食われて死んだ。

 馬と思って乗り回していたのが実は水馬ケルピーで、人食いだったのだ。

 王の味をおぼえた水馬ケルピーは隣り合った国々の敵対した王をも食らった。そして主を失い総崩れとなった敵国を、亡き王の王子が次々と討ち取ったのだ。

 王喰らいの水馬ケルピーがどこに去ったかは分からぬ。

 ともかくその馬のゆえに、王の墓所に骨は残らなかった。

 私が嘘偽りなき言葉の書物を読み進めると、やがて懐かしき父王の代となった。

 王国の太陽が長く雲間に隠れ、国は氷に閉ざされた。降り積もる雪に麦は枯れ、国民は飢えに苦しんだが、王は巨大な天幕を建てさせ、火を絶やさず温めさせて、その中で建国の記にあった黄金の麦を育てさせた。

 その黄金で冬を凌ぐ食料を買い、北方のカリブーを狩り尽くして国民を養い、再び太陽が王国を照らすまでの日々を乗り越えたとある。

 黄金の麦の話は知らなかった。

 私に勉学を教えていた博士たちもそのような話をしていたことは無い。

 これは何かの作り話なのかと私はいぶかったが、書の中の父王の代の物語は、赤く燃えた火球が闇夜を切り裂いて王宮に落ち来たる出来事で終わっていた。

 それは本当のことだ。

 確かに、燃える流れ星が父王の体を打ち砕き、燃やしてしまったために、王宮の地下墓所に父王の骨はない。

 この国の王は骨を遺してはかぬもののようだった。

 その次のページを私がめくると、白紙だった。

 古びた紙の黄ばんだ空白が、その後の沢山のページを埋めている。

 この本は未完成なのだった。

 私の代の物語をいつかここにしるすことになるのだろうか。

 平穏な治世が続いてほしいものだ。父祖たちの悲惨な物語のようにではなく。

 そう思って私が見つめていると、白紙だったページに黒いまだらの模様が見えたかと思うと、それがうごめき、せわしなく活動する虫のように紙の上を這いまわって、文字を形作った。

 信じられない気持ちで私は目を見張った。

 そこには私の王朝の物語が書かれていた。

 いわく、私の代には王国の土壌どじょう瘴気しょうきが立ち込め、毒を持った作物が実るようになった。

 毒を承知で喰らうか、飢えるかの選択を国民は迫られた。

 私は世界中の博士を訪ね、作物の毒を抜く方法を問いただしたが、誰もそれを知らなかった。

 毒の作物を食った国民は肌が腐り、骨が溶けて、国中がひどい有り様となったが、王は一人の旅の魔女を王妃に迎え、彼女は国中の泉と川の水に解毒の作用を与えた。

 それによって国民は毒のある作物を食べても、日々、解毒をして生き延びることができたのだ。

 王国は再び、しばしの平和を得るが、王は世継ぎに恵まれなかった。

 王は王妃を愛し、度々たびたびはらませたが、王妃はそのたびに死んだ赤子を産んだ。

 王の最後の子を王妃がはらみ、王はその子が何としても無事に生まれることを神々に祈った。

 しかし王妃はまた子を流した。

 王は幾人の我が子を失ったことか。

 嘆き悲しみ、王は涙を流すために王宮の地下墓所に我が子たちの小さな骨を訪ねたが、そこには骨は無かった。

 自ら葬ったはずの小さな子らはどこにもいなかった。

 王は魔女である王妃にそれを問いただし、王妃は嘘偽りなき言葉で王に答えた。

 子供達は食べてしまいました。みんな未来の王だったので。

 でもやはり本物の王の味には敵いませんわね。

 あなたの肉をいただかせて。

 王妃は王にそう求めると、彷徨さまよえる王喰らいの水馬ケルピーに変身した。

 それが王を喰らい、最後の王だった。

 王国の物語はこれでお終いだ。

 そう書かれた最後のページを見て、私は何と思えば良いのか計りかねた。

 もしもこれがまことに嘘偽りなき言葉なら、我が治世の末路は悲惨だ。

 王を失い、そしてどうなるのか。

 私の物語は終わってしまったが、書物にはまだ白紙のページがあった。

 王も世継ぎもいなくなった王国を一体誰が継ぐというのか。

 くだらぬ。

 私はそう思い、そう口に出したかもしれなかった。

 くだらぬ!

 このような末路が王国の……いや、この私の運命だというのか?

 そんなはずがない。

 暗い墓所で首を横に振る私の脳裏には、玉座もろとも火球に打ち砕かれ、溶岩と共に焼き溶かされた父王の最期さいごが浮かんでいた。

 この書物に記された言葉は、嘘偽りのないものなのだ。

 神が記したか、悪魔が記したか分からぬ。

 その何者かが、国の繁栄と引き換えに、最初の農夫の子孫を次々に喰らっているのだ。

 そんな者に食われてたまるものか。

 なぜ私が。なぜ。

 この王国を治めるのに、私にはこんなまわしい書物などいらぬ。

 燃やしてしまおう。

 発作的にそう決心して、私は持っていた松明たいまつの火を、嘘偽りなき言葉の書物に押し当てた。

 燃えなかった。

 その本は、水に沈めても、深く埋めても、千尋の谷に落とさせても、海に捨てても、すぐ戻ってきた。

 本が消えた空白を、私が恐る恐る見に行くと、地下墓所の丸い台座には書物が戻っていた。

 私はそれに恐怖し、王朝の治世も上の空だった。

 そうして間もなく、王国の農地から瘴気しょうきが湧き始めた。作物は毒を持ち、それを食べた国民の肌は腐り、骨は溶け始めた。

 嘘偽りなき言葉の書に書かれているとおりだ。

 私は本を手放す方法を考えた。

 自ら馬を駆って王宮を出て、最初に出会った男に書物を売ることにしたのだ。

 こんな物語が私の王国のものであってよいはずがない。

 しかし、本などいらないと男は言った。

 自分は近隣の農夫で、字が読めぬとその無学な男は言った。

 私は一握いちあくの金の粒を男に握らせ、これをやるから、その金で私から書物を買い取れと言った。

 金が惜しければ全部を支払いに使わずとも良い。ほんの一粒、私に支払えば良い。それでこの嘘偽りなき言葉の書物をお前に売り渡そうではないか。

 安い買い物だろう?

 そう説得して、私は男に書物を売り渡した。

 不思議そうに首をひねる農夫が、私に一粒の金を払い、書物と残りの金を持って家に帰ってゆく後ろ姿を見送ると、ふと重荷から解放された気がした。

 もうあの書物はあいつのものだ。嘘偽りなき言葉も、私はもう読むことができない。私とは無関係になった。私は知らない。

 私はあの悲惨な物語の国の王ではなく、これから作る自分の国の王になるのだ。

 まっさらな王国だ。私の国。

 そう思って王宮に戻ろうと馬を探すと、愛馬はそこにはおらず、美しい女が立っていた。

 一目で誰もが虜になるほどの美しさだ。

 ふるいつくほど美しい。ただ見交わしただけでも我が身の欲望が抑えられないほどだ。

 その女は微笑んで、私に歩み寄り、口付けをした。

 甘く濡れた唇だったが、ひどく冷たかった。

「陛下、私と参りましょう、王宮へ。子を成さねばなりません」

 初めて見る女だったが、それが誰なのか知っている気がした。

「あの本は……嘘偽りなき言葉の書物はもう私のものではない。私のものでは……」

 震える小声で私は言ったが、女は冷たい唇で笑っていた。

「ええ。そうですわね。王国は農夫のもの、陛下は私のもの。ずっと前から決まっていたことですわ」

 ご存知でしたわよね、と魔女は言った。我が王妃にして水馬ケルピーの化身。近々この国を救う、私が愛する者だ。

 魔女は私の手を取り、王国の草原をぐ風のように走った。私の物語の終わりに向かって。

 その物語の続きがどうなったかを、私は知ることがない。

 書物はもう、売り払ってしまったのだから。


 END


●原案となったカード

『まどろみの午後二時に / 書斎で / 嘘偽りのない言葉を / 売り払い安堵しました』

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