#004 イースターエッグを

 久しぶりの休日に私は生まれ育った領地の村に帰ってきた。

 王都の賑わいに比べたら、街と呼ぶのもおこがましいような、小さな村だったけれど、広場には祝祭日の賑わいがあった。

 いつか見た、あの日と同じように、村の中央の広場には芝居小屋のテントが立っている。色とりどりの布で張った丸い大テントだ。

 私は子供の頃にここで本物の魔女と出会ったことがある。このテントの前で。

 私がまだこの地の領主である、父のお屋敷で暮らしていた頃のことだ。

 お屋敷の庭ではイースターのお祝いが。子供達は飾りつけたバスケットを持ってイースターエッグ探し。砂糖衣をかけたナッツのお菓子、干し葡萄とチョコレート。ウサギたちは皮を剥がれてハーブを添えてローストされ食卓へ。明るい春の日だった。

 私はその日に悪魔に拐われかけたらしいのだが、もちろん嘘だ。イースターエッグ探しを良いことに、庭の植え込みの隙間から逃げ出しただけ。

 新しい靴とレースの靴下は泥んこに。礼拝用の服もイバラの植え込みで鉤裂きができてしまった。

 それでも私は意気揚々と村の広場へ行った。お芝居の一座が来ているとメイドたちが話しているのを聞いたんだもの。

 色とりどりの大テント。それだけで小さな胸が躍ったわ。

「危のうございますよレディ。悪魔に後をつけられています」

 テントの陰から声をかけてきた女の人に、小さかった私はぎくりとした。

 薄暗いテントの中には長い黒髪の巻毛をした美しい女の人がいて、お芝居の衣装らしい昔の貴族のような重たげなドレスを着ていた。

「悪魔なんかいないわ。イースターだもの」

 私は大人びた口調を作って言い返してやった。

「悪魔はいますよ。イースターでも、いつでも」

 女の人は宝石みたいな輝く緑の目で私を見ていた。

「どこにいるのよ?」

「そこに」

 ふんぞり返って聞く私に女の人はあっさりと指差して答えた。私の足元の影を。

 自分の影の中から、鉤爪のあるトカゲのような手が生えて、いつのまにか私の足を掴んでいた。

「キャッ」

 青ざめて私は蹴られた子犬のように叫んだ。

「まあ大変」

 女の人はのんびりと驚いている。

「そのままですと地獄に連れ込まれてしまいますけど、もしお望みならお助けしましょうか?」

 リボンを勧める小間物屋のように女の人は言った。

「助けて!」

 私は藁にもすがる思いで言った。

 少々泣いていたかもしれないけど仕方がないわ。

 悪魔に足を掴まれて動転しない子供がいたら見てみたい。

「よろしいですよ。イースターエッグをお持ちで良かったこと。この時期の卵にはご復活のお恵みが詰まっていますものね」

 女の人はそう言うと私が持っていたバスケットに入っていたエッグハントの卵を取って、芝居の衣装の小道具らしき古めかしい短剣を帯の鞘から引き抜いた。

 その短剣で断りもなく、私の長かった金髪をばっさりと切り、私にもう一度悲鳴を上げさせたのだ。

「髪なんかまた伸びるでしょう、立派なレディがそれしきのことで騒いではいけませんことよ」

 女の人はそう言うと、白い手の中でイースターエッグと私の髪をくるくるっと魔法のように捏ねて纏めた。人形の形に。

 それは実際に魔法だったのだと思う。

 女の人はごにょごにょと何か長い言葉を呟いた。

 教会の御ミサで神父様が唱えるラテン語と似てるけど、全然違う言葉なような気もした。

 私には全然分からない言葉だってことは確か。

 けど、悪魔にはそれが通じたみたいで、私の足を掴んでいた怖い手はパッと指を開き、代わりに女の人が落とした髪の毛と卵の人形をサッと受け止めた。

 悪魔の手は嬉しげに踊りながら人形を影の中の泥んこの地面に引きずり込んで、消えた。

「さあもう大丈夫」

 女の人は掃除でも終えた時のようにパンパンと手を叩いてホコリを払う仕草をし、私に背を向けようとしていた。

「さっさとお屋敷にお帰りになって。街は危ないのだって教えられませんでしたか?」

「教えられたけど怖くはないわ」

 ついさっき泣き声を上げたのは脇に置いて、私は胸を張って答えた。

「あらまあ。そんな事を言う子は私みたいになってしまいますよ」

「魔女に?」

 期待を込めて私は言ったが、女の人は可笑しそうに、ころころと鈴を振る声で答えた。

「魔女じゃありませんわ。もっと悪いもの。女優ですわ」

 女の人は春の木漏れ日のようにきらきらした緑の目で笑い、ひらりと踊るように回って見せた。

 素敵! 私も女優になりたい。それから魔女にも!

「魔女は副業です。世間は厳しいところですからね」

 女の人は不本意そうに目をぐるっと天に向けた。

「私もそれになる。魔女と女優」

「あらまあ」

 女の人はまたそう言って、ふふふと笑ったけれど、私を弟子に取るとは言わなかった。

「レディ、あなたは小さすぎる。大人になってもまだそう思うなら、またおいでなさい。このテントに」

 そう言って、女の人はテントの中に消え、私はすぐに後を追ったけれど、もう二度と女の人は見つからなかった。

 その後すぐ、私は探しにきたお屋敷の使用人に見つけられて、無事に家族の元に戻り、こっぴどく叱られた。しばらく塔の小部屋から出してもらえなかったほどだ。

 そこから出たのは王都の女学院に行くためだったけど、これがまたつまらない場所で、私は仕方なく学問に打ち込んだけど、少し打ち込みすぎた。

 その頃の王都では異端審問が大流行りで、私も魔女の疑いをかけられたのだ。

 しょうがなく領地に逃げかえってきたものの、父はもちろん激怒し、ちょうど領地経営に失敗していたのもあって、私をどこぞの高利貸しの老人の何番目かの妻として嫁がせるという。

 とんだイースターがあったものだわ。せっかくの休暇なのに、王都には審問官が、領地にはごうつくエロジジイが私を待っている始末。

 そう言うと、天幕から出てきた緑の目の女の人は、ころころと鈴を振るような声で笑った。あの時とちっとも変わらない様子で。

「ごきげんようレディ。また悪魔に足を掴まれましたか?」

 古めかしい重たげなドレスをまとった姿で彼女は言った。いつの間にか私と彼女の背丈は同じぐらいになっていた。

 私はまだ小さすぎる?

 私がそう聞くと、女の人は輝く目で笑った。

「今日はイースターエッグはお持ち?」

「あいにく持ってないわ」

 着の身着のままでやってきた靴もない私を見て、女の人は頷いた。

「それなら貴女を貰うしかないわね。ようこそ妹よ。もう泣くのはやめて」

 そう言って女の人は私をテントに招き入れた。

 それが私と、魔女の出会いの物語。そこからどんな物語が紡がれるのか、私はまだ知らないわ。

 でもきっと素敵なお話にするって、私は約束する。魔女としての名にかけて。


END



●原案となったカード

『久しぶりの休日に / 芝居小屋の前で / イースターエッグを / 固めて材料にしようと思いました』

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