第16話 あまり強く否定はできない


「まあ、入れよ。わかってるとは思うが土足厳禁だ。お前は同じ国の人間とは思えないから一応言っておく」


 いったい何がどうしてこうなった。

 なぜか僕は岡田さんの元カレさんの家にお招きされている。

 駅から少し離れたところにある高層マンション。

 割と都心なので、家賃は二桁はいってそう。

 確か岡田さんと同じで現役大学生のはずなのに、どっからここの家賃が払えるくらいの資金を手に入れているのか不思議に思った。

 

「埃一つでも俺の家につけてみろ。お前を塵にしてやるよ」


 いきなり無理難題すぎる。

 靴を脱いで、靴のつま先方向を扉側に向けていると、相変わらずの真顔で元カレさんはそんなことを言ってくる。

 僕自体が埃以下の存在なのに、そんなことを言ったら足を一歩踏み入れられないよ。


「おい、何ちんたらしてんだ。お前がそうやってグダついてる間にも紀夏は傷ついてんだぞ? わかってんのか? あ?」


 埃を全身から叩き落とす方法を真剣に考えようとしていると、元カレさんはそんな逡巡する僕を急かす。

 仕方がないので塵芥に圧縮させられることを覚悟しながら部屋の中に入っていく。


「(お、お邪魔します)僕の邪魔は誰にもさせない」


「あ? 俺の家でキショいこと言ってんじゃねぇぞ」


 段々と僕の意味の通っていない言葉にも慣れてきたのか、元カレさんは一々僕を睨みつけることもなく、適当に言葉を吐き捨てるようになってきた。

 これが吉兆なのか悪い兆しなのかは誰にもわからない。


「勝手に俺のものに触んなよ。触ったら、その触った部分をゴミに捨てる。もちろん、お前の身体の触った部分をだ」


 短い廊下を抜ければ、すでに空調の効いたリビングにつながる。

 元カレさんの部屋は、かなり綺麗に整理整頓された部屋だった。

 几帳面というか、神経質というか。

 そもそも物が少ない。

 パッと目につくのはヨガマットみたいな敷物とダンベル、あとは本棚に詰め込まれた学術書と漫画のワンピースだけ。

 あとは空気清浄機が青色のランプを点灯させているのみ。


「お前、ワンピースは読むか?」


「(え? いや、知ってるけれど、あんまりちゃんと読んだことはないです)いや、世界のどこかにあるのは知っているが、まだひと繋ぎにしたことはない」


「だろうな。ワンピースを読んでる奴がこんなキショいわけない」


 すごい偏見だ。

 どうやら元カレさんは漫画のワンピースの過激派信者らしい。

 たしかにこの部屋にある漫画はワンピース以外には何もない。

 ある意味ストイックというか、一貫している。

 僕はわりと色々なジャンルの漫画を乱読するタイプなので、少し新鮮に感じた。


「それじゃあ、早速本題に入るぞ」


 どこからともなく持ってきた粘着式スパイラルクリーナー、通称コロコロとよく呼ばれるあれを持ってきた元カレさんは、特に何の断りもなく僕にそれを押し当てる。

 完全に汚物扱いだが、僕は何も言わない。

 ちょっと強めにコロコロされて、割と痛いけれど、目がガンギマリなので何も言えなかった。


「健全な魂は健全な肉体に宿る」


「(え?)ふむ?」


 こわ。

 いきなり王道バトル漫画のキャラクターみたいなこと言い出したよ。

 残念ながら僕には覇気はないよ。

 他人に吐き気を催させることはできるけれど。


「お前の魂は、邪悪だ」


「(あ、はい)ダークヒーロー、というわけか」


 真顔で邪悪って言われた。

 日常生活で中々使う機会ない言葉で罵られているよ。

 でもある意味魂が乗っ取られてるようなものなので、あまり強く否定はできない。

 

「邪悪な魂を持つお前は、肉体も邪悪ってわけだ」


 急に世界観を変えてきた元カレさんは、部屋の片隅にある重そうなダンベルを不意に持ち上げる。

 発達した二の腕をピクピクとさせながら、恐ろしいほどに澄んだ瞳で僕を見つめている。

 あ、もしかしてそのダンベルで、僕を撲殺する感じですか?

 お手柔らかにお願いします。


「つまり逆に考えれば、お前の肉体を鍛え直せば、そのクソゴミキショカスな中身も少しはマシになるはずというわけだ」


「(あの、ちょっと、話が見えてこないんですが)僕の見聞色をもっと研ぎ澄ませる必要がありそうだな」


 元カレさんは一歩僕の方に近づくと、何を思ったかダンベルを上げては下げてを繰り返し、フゥフゥと荒い息を繰り返す。

 なんだこれは。

 いったい僕は何を見せられているんだ。

 

「要するに、お前には、筋肉が足りない」


 きらりと、光る元カレの額に一滴滲む汗。

 唐突なマッチョイズム。

 心臓が緊張に軋み出す。

 意味がわからなすぎて、僕は無意味に背後を振り返ったり、全然関係ない方向に視線を泳がしたりした。

 どこにも味方も、逃げ道も見つからない。

 無関心そうな都会の夜光が、窓の外から望むだけ。

 僕は袋のドブ鼠だった。


「筋トレしろ」


「(あ、あの、それはどういう)それは——」


「筋トレしろ」


「(筋トレっていうのは)筋肉を純粋培養——」


「筋トレしろ」


 やべぇ。

 急に筋トレしろしか言わなくなったよこの人。

 岡田さんを怒らせてしまって尋常ではない気まずさの中、その後なぜか僕を自宅に誘ってきた元カレさん。

 そして今度は執拗に筋肉トレーニングを迫ってくる。

 僕が言えることではないけれど、完全に常軌を逸しているとしか思えない。

 もしかしてだけど、岡田さんって男運めちゃめちゃ悪いんじゃないか。


「今日から毎日だ。場所と道具は俺が用意してやる。だから筋トレしろ。そして俺を倒せるようになったら、紀夏を取り戻しに行くぞ」


 まじでこの人登場するジャンル間違えてるだろ。

 俺を倒せるようになったら?

 どういうこと?

 取り戻すって、何から?

 そもそも、元々何も手に入れていないんですがこれいかに。



「夏が来る前に、お前を鍛え上げる。それが俺の役目だ」



 いや絶対そんな役目じゃないと思いますよ、とは元カレさんの目がバチバチなのでもちろん言えるわけはなかった。

 

 


 

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強制ポジティブな僕に、春はこない 谷川人鳥 @penguindaisuki

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