エイリアンとかぐや姫

飛鳥休暇

ここではないどこかへ


 私はきっと異星人エイリアンなんだ。

 そうでなければ私の中に渦巻くこの感情の説明がつかない。


 悟られないように、斜め前に座るあなたの首筋を見つめる。

 夏の日差しに照らされた、きらきらと光るその汗を舐めとりたい。

 汗じゃなくてもいい。あなたの血液でも体液でも、なんでもいい。それを飲み込んで、私だけのものにしたい。

 外国の血が混ざっているらしいその肌は陶器のような白さと艶があり、産毛なんてひとつも見当たらない。

 地毛だという栗色の髪は一本一本が独立した生き物のように絡まることなく風に揺れている。

 そして今は見えないけど、色素の薄い琥珀色のその瞳はまるで宇宙の天体のような輝きと神秘性を持っている。


 あなたのことを思うたび、私の胸は窮屈になる。

 決して届かないこの思いは、躾もできずに私の胸の中で暴れ回っている。

 私がもし男だったら、こんなに苦しい思いをすることはなかったのだろうか。

 煩わしいこの胸の脂肪を押さえつけても、その奥の痛みは消えてくれない。


明梨あかり、行くよ」

 昼休みになると、瑠衣るいはいつものように私を誘ってくれた。

 三階にある校舎と校舎をつなぐ屋外の渡り廊下には少しだけベンチが備えられていて、天気の良い日はそこでランチをしようとする学生たちで取り合いになるため、私たちは昼休みになると急いで場所取りに向かうのだ。


 瑠衣はいつもお弁当を持ってきている。

 何料理か分からないようなカラフルなそれは、手のひらに収まるほどの小さなお弁当箱に入っている。

 それで足りてしまう胃の小ささも、どうしようもなく可愛いと思ってしまう。


「どうしたの?」


 白い箸が弁当箱と小さな口を往復する様子に見とれていた私に、瑠衣が首を傾げる。


「いや、なんでもない」


 私はごまかすように持っていたパンをかじり、水筒のお茶で流し込んだ。


 ******


 瑠衣と出会ったのは高校の入学式の日だった。

 晴れの舞台にもかかわらず、私は上だけ制服を着て、下はスカートではなくジャージを履いて式に参加した。


 ちゃんとした制服を着なさいと言うお母さんと大げんかしたのもその日の朝だ。


 私は昔からスカートが嫌いだった。

 スカートを履いてる自分が嫌いだった。

 それでも中学までは周りの目を気にするように我慢してスカートで登校していた。

 学校から帰るなり制服を脱ぎ捨て、スウェットとジャージに着替えた。

 そんな私に対して、お母さんは「もっと女の子らしくしなさい」と繰り返し言ってきた。

 その何気ない言葉が、私の心に刺さって抜けない鋭さを持っているとは気付かずに。


 そして私は決心した。

 高校生になったら好きな格好で登校してやる、と。


 そうして迎えた入学式の日だったのだ。


 朝、教室に入ると何人もの生徒が私の姿を見て訝しげな表情をした。

 中学からの同級生は「明梨、制服どうしたの?」と聞いてきたけど、私は「こっちのほうが動きやすいから」と訳の分からない言葉を返して乗り切った。


 いや、乗り切ってはなかった。


 みな口には出さないが、私の姿に違和感を持っていたのだろう。教室の端で座ってしゃべっている男子は、ときおり私を指さすようなしぐさを見せてからくすくすと笑い合っていた。

 私はそのとき初めて、少しだけこの格好で来たのを後悔し始めていた。


 きっとこの世界では、何かに擬態しないといけないのだ。

 カテゴリーに当てはめて、それにふさわしい振る舞いをしなければ、瞬時に異物として認識されてしまうのだ。


 だからみんな擬態する。意識的に、もしくは無意識に。男に、女に、学生に、先生に、父親に、母親に、大人に、子どもに、日本人に、普通に、普通に、普通に。


 みんなきっと、普通を装って生きているのだ。

 それが無難な生き方だと知っているから。


 私は黙って席に座り、時間が過ぎるのをただ待っていた。


 その時だ。


「あなた、その格好」


 声は私の斜め前から聞こえてきた。私が顔を上げると、芸能人のように可愛い女の子が私のほうを向いていた。

 私はまた服装について言われるのかと思って少しだけ身体をこわばらせた。


「すごく似合ってるね」


 その子は道ばたに咲いているきれいな花を見つけたときような、もしくはてくてくと歩く子猫を見つけたときのような、そんな目をして私に笑顔を向けてきた。


「あ、は、はい。ありがとう」


 一瞬、何を言われたのか理解が出来なかった。


 でもその後すぐに胸が熱くなった。目頭が熱くなるのを感じてぐっと奥歯を噛みしめる。

 自分の姿を素直に受け止めてもらえることが、これほどまでに嬉しいことなのかと、初めて味わう感動に包まれていた。


「私、板乃場いたのば瑠衣。あなたは?」

 瑠衣が身を乗り出して聞いてくる。


「私は、西音さいおん明梨」

「明梨ちゃんね。今日からよろしく」


 そう言って差し出してきた瑠衣の手を握り返すと、その皮膚のあまりのなめらかさに驚いた。

 どんなハンドクリームを使えばこんな肌になるのか、想像もつかなかった。

 そして思えば私はこの瞬間から、あなたに恋をしていたのだ。


 入学式が終わり、下校の時間が来ると同時に私は担任に呼び出された。

 服装についての注意だった。


「あー、一応な、決まりってもんがあるから」


 職員室で、三十代半ばくらいの担任はワックスで固めた髪をかきながらそう言ってきた。

 端正なルックスと、教員の中では若いほうだからか、学校の女子から人気の高い先生だと知ったのは後の話だ。


「でも、私はスカートは履きたくありません」


 私ははっきりと言った。ここで折れてしまうような決意であれば、そもそも今日この日にこんな格好はしない。


「あー、そうか。うーん。先生もな、に理解がないわけじゃないんだよ?」


 ある層の女子生徒が見れば歓声を上げそうな爽やかな笑顔を見せる担任を見て、どういうわけか私の腹のあたりがぐつぐつと沸騰した。


 ――そういうの?


 「そういうの」とは「どういうの」なのだろう。

 私のこの感情は、悩みは、怒りは、違和感は、ふがいなさは、「そういうの」でくくられるようなものなのだろうか。

 私は言葉が出ずにぐっと唇を噛みしめた。


 その時だ。


「別に服装くらい良いと思います」


 背後から聞こえた声に驚いて振り返る。

 瑠衣がにこやかな表情で私の後ろに立っていた。


「君は、板乃場さんだね? 服装くらいとは言うけど『服装の乱れは心の乱れ』ということわざもあってね――」

「すごく古い考えですよ、それ」


 担任の言葉を遮るように瑠衣が言う。


「ふ、古い考えでも規則は規則だからね」


 取り繕うような笑顔で担任は返すけど、怒りを感じているのかこめかみのあたりが膨らんでいた。


「はぁ、そうですか。だったら――」


 瑠衣は担任に近づき、こそこそ話をするように何かを彼に耳打ちした。

 一瞬、驚いたような表情をしたあとに、担任は憑きものが落ちたかのように「分かった。認めよう」と呟いた。


「何を言ったの?」

 職員室を出てから、私は瑠衣に聞いた。

「んー、言ったっていうか、まぁ、内緒!」

 ふふふと笑ってごまかした瑠衣は、結局その後も何を言ったのか教えてはくれなかった。


 ******


 それから、瑠衣と私は一緒に過ごすようになった。


 一般的に見ても美少女である瑠衣は、クラスの他のグループからのお誘いも受けていたのだけど、どういうわけか私と一緒にいることを選んでくれた。

 高校入学を機にこの地域に引っ越してきたらしく、中学からの知り合いもいないと言っていた。

 であればなおさら私のような異物ではなく、もっと明るく友達も多いグループに入ればいいのにと思ってはいたけれど、本当に離れていってしまうのが怖くて口には出さなかった。


 そうして一緒に過ごすうちに、私の想いは日に日に強くなっていった。

 夜、布団に入り目をつぶると、浮かんでくるのは瑠衣の顔だった。


 近寄ると香る甘い匂いも、陶器のようなその肌も、細いのにマシュマロのような柔らかさを思わせるその身体のラインも。


 思い出すたびに私の身体を火照らせる。

 私はおかしいのだろうか。

 女の私が、女の子を好きになるのは間違っているのだろうか。


 私はきっと異星人エイリアンなのだ。

 そうでなければこんなにも、この星の重みを感じるものか。

 そうでなければこんなにも、この星の空気が息苦しいものか。

 私が忘れているだけで、どこか別の星からやってきたのだ。

 そうでなければこんなにも、自分の心に痛めつけられるものか。


 いつか迎えにくるはずだ。

 きっと別の星の、私の故郷から。


 私は眠りにつくまで、そんなことを繰り返し思っていた。


 ******


 そんなことを毎晩考えていたからか、いつもの昼休み、いつもの渡り廊下のベンチで瑠衣のきれいな横顔を眺めていると、無意識に呟いていた。


「私はきっと異星人エイリアンなんだ」

「・・・・・・え?」


 しまったと思ったときにはもう遅かった。

 瑠衣がなにごとかと私の顔をのぞき込んできた。


「なに? 明梨、エイリアンなの?」


 どこか楽し気な顔をして、瑠衣が聞き返してくる。


「あ、いや、その」


 恥ずかしかった。

 無意識に出た自分の心のおりを、よりによって一番聞かれたくない相手に聞かれてしまった。

 どう誤魔化せばいいかと焦っている私に、瑠衣の手が伸びてきた。

 そして私の髪に触れると――。


「いたっ」


 瑠衣は私の髪を一本抜き取った。


「なにすんのよ」


 頭を押さえながら瑠衣に言うと、瑠衣はまじまじと抜き取った私の髪の毛を眺めて、――口に入れた。


「――はぁ!?」


 瑠衣は私の髪の毛を味わうようにもぐもぐと咀嚼している。


「ちょ、ちょっと瑠衣」

「うん、大丈夫。ちゃんと人間の味がするよ」


 瑠衣はにっこりと笑ってそう言った。


「いや、人間食べたことあるみたいな言い方」


 私がそうつっこむと、瑠衣はいっそう楽し気に笑い出し「食べたことあるかもよ? だって、私もエイリアンだから」と言った。


「はい?」


「みんなエイリアンだよ。別の星からみたらね。それに、ほんとの姿は見せないようにしてるでしょ?」


 瑠衣は笑顔を消して、真っ直ぐな目で言ってくる。


「でも。だから私は明梨が好きなの。ほんとの姿であろうとしてる明梨が」


 瑠衣の言葉に、私は何も返せなかった。

 でも、瑠衣が私と一緒にいてくれる理由がもしそれなんだとしたら、私は入学式にジャージを履いてきたあの日の自分を最大限に褒めてやろうと思った。


 そして私は決意した。

 どんな結果になろうと、瑠衣に想いを告げようと。



 夏休みに入る前日、つまり終業式の日の放課後。私は瑠衣を呼び出した。


 場所はいつもランチを食べているあの渡り廊下だ。

 終業式が終わったからか渡り廊下周辺に人気は少なく、遠く運動部のかけ声や吹奏楽部のトランペットの音が聞こえてくるだけだった。


「どうしたの? 話したいことがあるって」


 瑠衣は今からどんな話をされるのか、心配そうな表情で聞いてきた。


「あのね――」


 私は一度深呼吸をする。


 瑠衣なら受け入れてくれるのではないかという期待と、それでも普通ではないと自覚している不安が半々。

 それでもあの日、入学式の朝。スカートを投げ捨ててジャージを手に取ったあの日の決意、勇気を思い出して、私は自分を奮い立たせる。


「こんなこと言うと驚くかもしれないけど。――私は、瑠衣が好き。友達としてじゃなくて、恋愛対象として、好き」


 自分の手が震えているのが分かる。

 武者震いなのか、怖さからなのかは分からない。

 私はぎゅっと目を閉じて、瑠衣の言葉を待った。


「嬉しい」


 瑠衣の一言に、私はすぐさま顔を上げる。


「私も、明梨が好き」


 瑠衣がにっこりと笑って言ってくる。

 安堵と、喜びと、ドキドキが混じり合って、全身が熱く燃えていた。


「私も明梨に言わないといけないことがあるの」

「・・・・・・なに?」


 突然真剣な表情に変わった瑠衣を見て、一瞬にして不安な気持ちになる。

 でも大丈夫。瑠衣は私を受け入れてくれた。どんな告白だろうと、私も瑠衣を受け入れる。


「私ね――」


 突如として辺りに突風が吹いた。暴風と言ってもいいほどの風だ。

 私は思わず目を細め、腰をかがめた。


「――私、エイリアンなの」


 瑠衣がそう告げると、徐々に風がおさまっていった。

 そして私の目の前には、発光した丸い物体があった。


「・・・・・・え、瑠衣?」


 目の前でふよふよと浮かぶそれに向かって呼びかける。


『そう、これが私の本当の姿。どう? 驚いた?』


 頭の中でぼわぼわと反響するような声が聞こえる。

 普段の瑠衣とは似ても似つかない声だったけど、不思議とそれは瑠衣の声なんだと私には理解できた。


「お、驚いたっていうか」


 なんと返せばいいのか分からなかった。

 何を言われても受け入れるつもりだった私の許容量を、目の前の現象は軽々と超えてきたからだ。


『私はこの星とは違う場所からやってきた生命体なの。そしてこの星に来た理由は共生体を探すため』


「共生体?」


『そう。様々な星の生命体の遺伝子情報を取り込んで進化をしていくことで、私たちの種は生き延びてきたの。ある意味これが私たちの繁殖活動とでも言うのかしら』


 光の玉になった瑠衣の言っていることが、私には何一つ分からなかった。


『そして私はあなたを選んだ。正直言うとヒトなら誰でも良かったんだけど、共生体になるには共鳴率を上げる必要があったから』


「どういうこと?」


『ヒトの言葉で表すと、そうね【恋愛感情】とでもいうものかしら』


「・・・・・・恋愛感情」


 私は瑠衣の言葉を繰り返す。


「ってことは、私が瑠衣を好きになったのは・・・・・・」


『ううん。それは確かに明梨の心だよ。私たちはある種の催眠をかけることは出来るけど、恋愛感情を操作しても楽しくないじゃない』


 私はふと、あの日の担任のことを思い出した。

 瑠衣に耳打ちされたとたんに私の服装を許可した担任のことを。


「楽しくないって」


 自身の種の存続をかけて来ているはずの瑠衣がそんな軽い言葉で言うもんだから、私は思わず吹き出してしまった。


『でも、明梨といるときは楽しかったよ。だから私はあなたを選んだ。ううん。あなたになればいいなって思ったんだよ』


 もはや光でしかなくなった瑠衣が、どこか照れ笑いをしているように私は感じた。


『だから――』


「いいよ」


 瑠衣が言葉を繋げる前に、私は返事をした。


「連れて行ってくれるんでしょ? ここではないどこかに」


 私はまっすぐ瑠衣のほうを向いて言う。


 運命なのだと思った。

 私にとって、この星の重力は重すぎた。

 この星の空気は息苦しすぎた。


 迎えに来てくれたのだ。別の星から。運命の人が。


 瑠衣のほうから、一筋のぬくもりを感じた。

 それが瑠衣の手なんだと、私には分かった。


『それにしても』


 私に手を差し伸べながら、瑠衣が話し出す。


『明梨が自分のことエイリアンだって言い出したときはびっくりしちゃった』


 私も思わずふふふと笑う。


「だからって髪の毛食べて確認するのはちがくない?」


 私の言葉に瑠衣もつられて笑い出す。


 大丈夫、瑠衣と一緒なら。

 私はきっと大丈夫。


 私は瑠衣から伸びるぬくもりに手を差し出す。


 そして彼女の手に触れたとき、




 自分の身体が軽くなったのを、私は確かに感じていた。



【エイリアンとかぐや姫――完】

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