レジーさんとタヌキばやし
Mondyon Nohant 紋屋ノアン
五十年くらい前のおはなしです。
わたしの友人がレジーさんという名前のアメリカ人をかくまっていました。
そのころアメリカはベトナムという国で戦争をしていました。
レジーさんは飛行機から
「飛行機の窓から、燃えている建物や、そこから逃げ出す人たちが見えるのです。道にたおれている子供が見えたこともありました。きっとぼくがおとした爆弾で怪我をしたのでしょう。死んでしまったのかもしれません」
レジーさんは戦争の話をするとき、いつも泣いていました。
なぜ、自分の落とした爆弾で
脱走兵はつかまると
町から遠くはなれた森の近くに、だれも住んでいない小さな家がありました。わたしの友人はその家を借りてレジーさんのかくれ
レジーさんの面倒をみてくれないかと、わたしは友人に頼まれました。わたしは戦争反対のデモ行進をしたり脱走兵を
わたしはやさしくて泣き虫のレジーさんが好きになり、レジーさんに食べ物をとどけレジーさんの話し相手になる役目をひきうけました。
レジーさんがかくれ家で暮らし始めて間もないころでした。
「あの
レジーさんは窓の外を
アメリカにタヌキはいません。子供のタヌキは犬によく似ています。レジーさんはそのタヌキを犬だとおもったのです。
「あれはタヌキだよ。日本のタヌキは人を
わたしはレジーさんにタヌキが
レジーさんは、どれも面白いストーリーですねと言いましたが、とくにタヌキばやしのはなしが
「タヌキばやしって、どんな音楽ですか?」
タヌキばやしやタヌキのはらつづみなど、わたしもきいたことがありません。
「あのタヌキに食べ物をあげれば、きかせてくれるかもしれないよ」
わたしは笑って言いました。
その何日か後、わたしがレジーさんのかくれ
奥の部屋からはなし声が聞こえました。わたしの友人が来ているのかなと思い、わたしは奥の部屋をのぞきました。
レジーさんは床にすわって、だれかと話していました。わたしはびっくりしました。レジーさんの話し相手はタヌキだったのです。
レジーさんはタヌキに向かい、「ごめんね。ごめんね。ぼくをゆるしてください」と、頭を下げていました。
わたしが部屋に入ろうとすると、タヌキはわたしを見て、
「君はタヌキと何を話していたんだい?」
「タヌキ? ぼくが話していたのはベトナム人の子供ですよ。ぼくに会いにきてくれたのです。爆弾で家を焼かれてお父さんもお母さんも死んでしまったと言っていました」
レジーさんは泣き出してしまいました。
「レジー、君はタヌキに
と、わたしはレジーさんにきこえないように小さな声で言いました。
わたしは、レジーさんが戦争のつらい
でも、次の週に会ったレジーさんはとてもしあわせそうでした。
「ぼくはひさしぶりにゆかいな時間をすごしました。さっきベトナムのこどもたちが来て、チョンコムを
チョンコムはベトナムの楽器です。肩からひもでぶら下げて両手で打って
わたしは、裏口から外を見ました。
家の裏の地面にはたくさんのタヌキの足あとがありました。
わたしはレジーさんをうらやましいとおもいました。レジーさんがきいたタヌキばやしをわたしもきいてみたかったからです。
レジーさんがかくれ
レジーさんはアメリカに連れていかれ、刑務所に入ることになるでしょう。わたしは悲しくなりました。
ところが、レジーさんがつかまってから何日かたったある日、わたしは友人からふしぎなはなしをきいたのです。
飛行場でアメリカ行きの飛行機に乗せられようとしたとき、レジーさんがとつぜん消えたというのです。
「おおぜいの人が見ている前で、
消えたレジーさんは、どんなにさがしてもみつかりませんでした。ただ、飛行場の外に向かって走っていくしっぽの大きなこげ茶色の犬を見たという人が何人かいたそうです。
レジーさんは今、ベトナムのハノイという町で家族と一緒にくらしています。
「ベトナムにもタヌキがいます。でもベトナムのタヌキは人を
(おわり)
レジーさんとタヌキばやし Mondyon Nohant 紋屋ノアン @mtake
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