第五回 ホモ・レリギオスス~宗教的存在としての人間

 途中一号分のお休みをいただいたこともあり、復習を兼ねて、まず一冊の象徴的な本を紹介する。竹内靖雄『<脱>宗教のすすめ』(PHP新書)だ。

 著者は経済学者。「「信じる者はだまされる」カラクリを辛辣に解き明かす」との帯コピーのとおり、宗教という「虚構」とそれを信じる者を嗤う内容となっている。

 本書にはいろいろいいたい事もあるのだが、それについては不定期連載をさせてもらっているISIZE BOOK【転載に際しての注:既に閉鎖】での書評に場所を譲ることとして、ここでは一点だけ指摘しておきたい。それは本書が、物理的現実と無縁のものを受け入れるような人の心の状態を、無益かつ非常に有害なものと考えているという事だ。

 その考えに対する私の反論は、この連載を読んでこられた方にはご理解いただけると思う。人が生きるということは、物理的世界に在るということ以上に、心の中に作り上げた像に対して情緒が揺れ動くということなのだ。そんな人間の現象について価値を分別する際、必要な視点は「現実か/否か」ではなく、「情緒が硬直しているか/否か」である。本書にはそのような視点が一切ない。それどころか、宗教に対して反感を持ち揶揄嘲笑することこそ理想的人間の取るべき態度と見なして、自らが「宗教の狂信者」と同じ情緒の硬直に陥っていることに気づいていない。

 いうならば本書は、人間の現象を扱いながら人間を見失っているのである。


        *


 「人間とは何か」を追求する人間学系諸学は、方法論としての視座を設定する上で、人類を他の動物と区別する様々な特徴を見いだしてきた。最も有名なホモ・サピエンス(思考する人)を筆頭に、ホモ・ルーデンス(楽しむ人)、ホモ・ファーベル(労働する人)、ホモ・ロクエンス(言葉を話す人)、ホモ・アルチフェックス(物を作る人)など枚挙にいとまがない。

 そのひとつに、ホモ・レリギオスス(宗教心を持つ人)がある。いうまでもなく、人間にしか見られない現象としての宗教に視点を置いた概念である。

 ミルチア・エリアーデは最晩年の大作『世界宗教史』(筑摩書房)の冒頭において、次のように述べている。


■引用ここから……

聖なるものは人間の意識の構造の一要素であって、意識の歴史の一段階ではないのである。文化の最古の諸層においては、人間的であると考えられる生活は、それ自身において宗教的営為である。というのは、食糧収集も性生活も仕事も、象徴的な価値を持っているからである。いいかえれば、人間であること、というよりはむしろ人間になることは「宗教的」であることと同じなのである。(序文一頁)

■引用ここまで……


 宗教という現象が人間の意識構造に根ざした不可避のものであること。本来混沌とした世界から秩序を見いだし価値付ける精神機能のひとつの顕れが宗教現象であること。それは、農作業の帰り道に老人がその由来も知らぬ道祖神にそっと手を合わせるような素朴な宗教心から、教義を学習し他者に強く広めようとする高度に社会的な教団宗教に至るまで該当する、普遍的な定義である。

 なお、付け加えておくと、エリアーデは『世界宗教史』を完成させることなくその生涯を終えた。そのため本書は三巻本として当初出版されたが、後に遺弟たちが共同で補遺論文を執筆し、第四巻として加えられた。さらに最近、細分冊化の上でちくま学芸文庫から刊行が始まり、専門外の人でも入手が容易になった。近年の文庫の高価格化には眉をひそめる人も多いだろうが、一部の専門的研究者しか買わなかったような大冊の良書を文庫として普及させる出版社の志には、素直に感謝をしたい。


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 「宗教は崇高なもの」という観念がある一方で、それを裏切るような宗教の悪徳が歴史的また同時代的に存在することも事実だ。宗教を人間の認識構造に根ざす普遍的な現象であると規定する時、その理由は明白となる。

 人の心は、穏やかで温かな状態にも、荒々しく憎しみに満ちた状態にも揺らぎうる。可能性としての善も悪も共に人間の内にある。宗教が人間の現象である以上、それがどんなに善への志向性に満ちていたとしても、決して悪から逃れることは出来ないのだ。

 宗教と悪の問題を考える上で深く胸に刻み込まれた体験が私にはある。「宗教とは何か、信仰は人間にとってどのような意味を持つのか」を研究していた大学生時代に学内で交友を持った二人の知人が、それぞれ個別に、世界を震撼させた二つの宗教的暴力事件に巻き込まれたのである。一人は加害者として多くの人の殺害に荷担し、また一人は被害者として大学構内で暗殺された。

 まず先に、卒業後に起きたオウム事件に言及したい。

 オウム信徒の土谷正実氏と知り合った時、私は宗教学専攻の三年生で、彼は物理学の大学院生だった。私が参加していたヨーガ同好会(それ自体はオウムとは何の関係もない学生サークルだった)に、彼が何回か顔を出したのがきっかけである。主に新宗教を研究対象としていた私は、およそ半年間の彼とのつきあいの中で、何度かじっくりと話を聞く機会を得た。穏やかで温厚、誠実。それが彼の印象である。物理学研究者としての悩みや、ボランティアとして精神病院に通うなど、まさに真面目な青年だったといえる。

 彼はやがて大学院を中退し、オウムで出家したと風の便りに聞いた。次に彼の名を耳にしたのは、それから三年後、オウム事件の渦中でサリン製造責任者として浮かび上がった時である。やがて彼は、教団施設に潜伏しているところを強制捜査により発見され、逮捕された。

 彼は現在までひたすら黙秘を続けて、教祖への忠信を曲げずにいると報道されている。彼の人となりを知る者として、また宗教を巡る問題に強い関心を持つものとして、非常に複雑な心境である。オウム事件については、林郁夫『オウムと私』(文藝春秋)や早坂武禮『オウムはなぜ暴走したか。』(ぶんか社)など元信者の内部報告的手記が何冊かあるが、土谷被告については彼の内面を知る資料が何もない。息の長い不定期新聞連載を続けている降幡賢一のルポルタージュ『オウム法廷』シリーズ(朝日文庫)などを通して、彼の身と心に起きた出来事を少しでも理解したいと切に思っている。

 もうひとつは、本当にごく身近で起きた陰惨な殺人事件であった。実はこの事件には、一冊の書籍が深く関わっている可能性がある。サルマン・ラシュディ『悪魔の詩』(新泉社)である。

 一九八八年末にイギリスで出版されたこの本は、イスラム教をパロディ化したその内容からイスラム教徒の強い反発を招き、著者ラシュディの処刑命令が下されて多額の懸賞金も掛けられた。焚書と暴動、爆弾テロなど様々な事件が起き、出版から十年が過ぎた今もなお、ラシュディは地下生活を余儀なくされている。

 その『悪魔の詩』を翻訳することになる筑波大学助教授・五十嵐一先生と出会ったのは、大学一年の春だった。過激な冗談の多い語り口調で「面白いおっちゃんだなあ」と感じたのが第一印象だったが、洋の東西を問わぬ博識で描く知的地図は、学生たちを嘆息させる魅力に満ちていた。やがてこの人が実は、古今の多数の言語を操る新進気鋭のイスラーム学者として世界的な活躍をしているのだと知った。

 哲学思想系という大きな枠組みで私自身の専攻分野だったこともあって、二年次、三年次も連続して五十嵐先生の授業を履修した。学園祭ではバンドを率いてヴァン・ヘイレンを熱唱したり、学生を集めて劇団を作り自作の脚本による公演を行ったりと、彼は大学教師としての研究・教育活動以外の分野でも精力的な活動で学生達の人気を集めていた。私のアパートの部屋で開いた小さな飲み会に先生をお招きした際、あけすけな冗談をいってから「僕は五時を過ぎたら公務員じゃないから」といたずらっぽく微笑まれたのを、今でも憶えている。

 文学的価値があるから『悪魔の詩』を翻訳をするんだ、イスラームの人間はあの作品を誤解している。確信に満ちて先生は私たち学生にそういわれた。紀田順一郎が『[増補]二十世紀を騒がせた本』(平凡社ライブラリー)の中で「五十嵐助教授は日本では数少ないイスラム通として知られ、その立場はけっして反イスラムではなかった」(二八一頁)としているように、先生が真面目な気持ちで翻訳に取り組まれた事に私は疑いを持たない。しかし一九九〇年二月、日本語版『悪魔の詩』が出版され、記者会見で出版社社主が襲撃される騒ぎも起きた。先生は授業で「翻訳者にも暗殺指令が出てるからね。来学期この授業はなくなってるかもしれないよ」といつもの軽口風にいい、私たちは笑いながら、どこか不安な気分を抱えてもいた。

 事件が起きたのは、日本語版出版から一年半が過ぎた、一九九一年七月十二日のことだ。

 その日の早朝、私は宗教学実習の打ち合わせで大学に向かった。一階のホールに入ると、警備員が一人エレベーターの前に立っていて、今エレベーターは使えないという。仕方なく八階まで階段で上り研究室に入った私は、先に来ていた宗教学助教授から、七階のエレベーターホールで誰かが死んでいると聞かされた。周囲は血だらけで、顔は真っ黒になって判別が付かないけれど、見覚えのあるジャケットからどうやら五十嵐先生らしい、と。私よりほんの一足早く棟に入った友人は、エレベーターに乗って七階でドアが開き、死体を見てしまったという。この部屋のすぐ下で五十嵐先生が死んでいる……。警察はまだ来ていなかったけれど、とても見に行く気にはなれなかった。

 頸動脈や肝臓を狙う殺害の手口などから宗教テロを示唆する情報もあり、マスメディアは「悪魔の詩翻訳者殺人事件」として連日報道をした。東京で行われた五十嵐先生の葬儀には私も参列した。無遠慮にカメラを構える多数の報道陣。残された奥さんと小さな子供たち。先生の一番弟子であった哲学専攻の先輩による、怒りと無念に震え絶叫した弔辞。事件は、五十嵐先生の人柄と知性を慕った多数の人の胸に、大きな傷を残した。犯人はいまだに確定されず、真相は何も分かっていない。


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 この二つの事件は、宗教の「内」と「外」の問題を強く意識させる。ひとつの宗教教義を奉じる集団と、別の宗教教団や一般社会との間には、多かれ少なかれ何かしらの断絶が存在する。物事の意味や価値が異なるのだから、それは当然のことだ。時にその断絶が深まり、両者の摩擦が極度に高まると、様々な暴走が起こりうる。オウム事件がそうだし、最近の事例でいえばライフスペースのミイラ事件が思い出される。

 意味世界の「内」と「外」の間には、対立や摩擦しか生まれないのだろうか。信仰を持つ人間が非常に排他的になり得ることを、私たちはよく知っている。けれどその一方で、宗教間対話の試みが為され、多様な価値観の共生が模索されている事も事実だ。

 私自身は「他者の宗教(広い意味での「異文化」)に寛容であれ」という立場なので、宗教や信仰者をただ揶揄するような言説には批判的だ。人は誰でも、国や地域の中でその人自身が培ってきた固有の経験があり、たとえ他の人には価値のない事柄であっても彼にとってかけがえなく大切な「何か」を持っている筈で、それを笑いものにすることはその人の魂を嗤うことに他ならないと考えているからである。

 しかし、複数の異なる価値観が共存するなぞ可能なのか、という疑問は一般に根強くある。人は誰でもただ自らのエゴを主張すれば良い、それが世の真理だとする「自己肯定」の誘惑は、いつの時代にも一定数の人々を魅了する。

 こうした誘惑と反省のせめぎ合いは、キリスト教世界に顕著に見受けられるように思う。大航海時代以降の西洋が抱いていた「無知蒙昧な未開民族に神の教えを与える」という一方的な立場には、近代比較宗教学の発展に伴い反省が生まれた。自己と他者との客観的な比較は、自己が絶対ではないという当たり前の事実を照らし出すからだ。しかしそれはあくまで学問分野での話であり、宗教界が必ずしもそれを受け入れたわけではない。『宗教多元主義』(法蔵館)を著した神学者J・ヒックは、積極的に諸宗教の共生を模索して神学界に波紋を投げかけたが、神学の側からはG・デコスタ編『キリスト教は他宗教をどう考えるか』(教文館)のような頑強な批判・反論がなされている。


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 このような文章を書いている時、私はいわば宗教の「外」に立っている。しかし実は私は「内」側の人間でもあるのだ。

 連載第三回目でも少し触れたように私の実家は仏教寺院であり、私自身、僧籍を持っている。現在のところ寺務は実母である師僧にまかせきりで、私は公務員としての生活を送っているが、やがては寺を継ぐことになる。

 全寮制の僧侶養成学校に学んだのは、高校を中退した十七歳からの四年間。それから十五年近くが経ち、もう経文も衣の畳み方も忘れてしまった。儀式作法という点から見れば堕落僧もいいところだ。せめて僧侶としての本質的な部分、すなわち人の心の有り様に関わろうとすることからリハビリを始めようと、今年の二月に寺のサイト【転載に際しての注:宣伝に当たるため具体名は伏せる】を開設した。

 そのコンテンツの一部として、メールマガジンで毎日「法話」を行う試みをしている。幸い多くの読者に恵まれ、時には深刻な人生相談を受けたりしながら、忙しい日々の中で少しずつ宗教者としての自覚を培いつつある。

 僧侶という肩書きの下に物事を語り始めたことで、深く実感していることがある。それは──いささか極端な物言いになるが──凡俗の身が自らの愚かしさを棚に上げて聖職の役割を演じることの、いわば逆説的な意義である。

 十代の頃の私は、母が僧侶として信者方に説法をすることに、どこかしら反感を拭えなかった。決して優れた性格とはいえぬ、むしろ人一倍欠点の多い人間と見えた母が、信者方の前ではさも聖職者然として振る舞うことが、偽善であり欺瞞であると思えたのだ。今なら理解できる。もしそれを偽善と呼ぶのならば、世の中に偽善ではない善など存在し得ないということを。もしそれを欺瞞と呼ぶならば、欺瞞なき真実なるものが如何に荒んでいるかということを。

 宗教者と信者の関係は親子関係にも似ている。親は自分自身の醜さ愚かしさとは無関係に、我が子よ良き人に育てと無心に願う。それは偽善か。それは欺瞞か。違う。普段は欲と罪にまみれた私たちの心が、その束縛を離れて本当に大切なものを素直に見つめる一瞬が、そこにはある。

 欠点だらけの人間が欠点だらけの人間に向かって「聖なる役割」を演じること。それは、演ずる側にとっても演じられる側にとっても、本来人間の手には届かぬかも知れない崇高なものに憧れ、少しでも近づこうと手を伸ばすことを意味する。そこにはじめて人間的な「善」が生まれるのだ。

 瀬戸内寂聴は、若い頃に夫と子供を捨てて流行作家の地位を確立し、奔放な前半生を送った後に、五十代で出家した。そんな彼女の経験から来る説法は、非常に平易な語り口と人の心の動きを見つめる目に満ち、多くの人々を魅了している。最新刊『痛快!寂聴仏教塾』(集英社インターナショナル)は、小学生でも読めることを念頭に置いた文章と説法CDで、初めて仏教に触れる人にも親しみやすい内容だ。

 瀬戸内の師僧・今東光(法名は春聴)も破天荒な僧侶であった。川端康成と共に文学同人誌を立ち上げ、文壇の寵児になりながら出家得度。やがて参議院議員、天台宗大僧正と錚々たる肩書きを持つかたわら、週刊プレイボーイ誌の連載で当時の若者に圧倒的な人気を博した。その読者であった爆笑問題の太田光は、有名人の死亡記事を面積比較するという秀逸な企画『爆笑問題の死のサイズ』(扶桑社)の中で、今が「オナニーをやりすぎると馬鹿になるって本当ですか」との読者の相談に対して「馬鹿かお前は、死んじまえ」と回答したエピソードに触れている。そんな今の『極道辻説法』(集英社文庫)は、無欲寂然という僧侶のイメージを遙かに裏切って──それが本当に良いことかどうかはともかく──型破りな人間的魅力に満ちている。


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 一冊の書籍を深く読み込んでゆく「書評」のスタイルを離れ、複数の書籍に言及しながら毎回ひとつのテーマを語ろうとする試み。そのようにして始まったこの連載も、世界に向けて自分を表現してゆくこと=創造性をテーマとした第一回以降、笑い、自我、幻想、宗教と回を重ねてきた。

 私が人間という存在に対して持つ好奇心は、人の心に描かれる像とそれを巡る様々な感情の動きの不可思議さに向けられている。そうした視点からの切り口はおそらく無数に考え得るが、私のごく狭い関心と経験からなにがしかを語れるようなテーマは、ひとまず一巡したように思う。

 いや、ひとつ残っていた。最後に語り残したそのテーマ、すなわち「読書」そのものを取り上げることで、次回を連載の締めくくりとしたい。


【注:掲載誌廃刊により、最終回「書籍という世界、読書という旅」は未筆】

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F式BOOK-NAVI 蓮乗十互 @Renjo_Jugo

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